第一六話
「一体どういうことだっ!」
朝美はそう叫ぶと、拳をテーブルに叩きつける。その衝撃にテーブルはミシミシ軋み、窓一つない薄暗い照明が照らす会議室に鈍い音が響いた。
朝美は荒く息を一つ吐く。そしてキッ、と、斜め前に腰を下ろし、煙草をふかしている外国人の大男を睨みつけた。
「アイツを捕獲するのが、お前の役目だったはずだ! なのに……出来ない、だとっ?」
それは見た者を身体の芯から凍えさせる鋭い視線。しかしその刺すような視線を受けたヴォルフラムは鼻で笑い、煙を上げている煙草をテーブルでもみ消した。
「だからソレができねぇんだよ。噛みつくなら、俺じゃなくて叶にしろ」
ヴォルフラムの言葉に、朝美の正面に座る叶が腕を組む。
「桜木駆には悪意を持って関わらない……これはあの時決めたこと。人狼の姫君が桜木駆と関わりがあると分かった以上、我々はあのお姫様に手は出せない」
「そんなモノ――」
朝美は憎々しげに叶を見る。そんな朝美を正面に叶は肩をすぼめると、皮肉気に笑みを浮かべながら口を開いた。
「そんなモノ? 桜木駆に悪意を持って関わらない、この約束はあの男が決めたこと……貴女の敬愛するあの男がね。それを貴女は無視しようというのかしら、朝美?」
「……お前なんかに言われずとも分かっている。あの方の言う事に間違いはない。私はただついて行くだけだ」
歯ぎしり交じりに朝美は呟き、立ち上がり会議室を出て行く。
叶は朝美が出て行くのを見届けると、鼻歌交じりで新しい煙草に火をつけているヴォルフラムに目を向けた。
「……で、貴方は何故そんなに機嫌がいいのかしら?」
叶が先ほどから感じていた違和感。それがこの男の機嫌の良さだ。
研究所の表沙汰にできない研究「妖魔計画」。そのプロジェクトに関わる五人の幹部の一人がこの男、ヴォルフラム・エッゲルト。表向きは警備部長の立場についているが、実際は戦闘を好み、スリルに心躍らせる、真性の戦闘狂だ。
会議では常に興味なさげに煙草をふかすこの男が、この時は珍しく生き生きとしている。それが叶には不安だった。
ヴォルフラムは口から紫煙を吐く。漂ってきたタールの不快な臭いに、叶は顔をしかめる。ヴォルフラムはその事を知ってか知らずか、ニヤッ、と笑みを浮かべ、立膝をついた。
「ああ、その桜木駆なんだがな……実はアイツから攻撃を一発受けてな」
そう言ってヴォルフラムは後頭部を左手でさする。それはヴォルフラムが背後から駆に木材で殴られた箇所だった。
ヴォルフラムの言葉に眼鏡の奥で目を大きく見開く。
「最初はクソガキの分際で、俺に攻撃してきたことについカッとなっちまったが……よく考えればいくら油断していて背中を向けていたと言っても、俺がまともな攻撃を受けたのは、この身体になってから初めてだ」
そこまで口にしてヴォルフラムはもう一度煙草を口にくわえると、その顎を手で撫でた。
「そう言えば……たしかあのガキは最初に殴った時――……」
「……ヴォルフラム」
しかしその言葉を叶が遮る。叶の目はしっかりとヴォルフラムを見据えていた。その目を面倒くさそうにヴォルフラムは見返す。
しばらくの間、会議室には時計の秒針が動く音だけが響く。やがて叶が言葉を続けた。
「いいかしら、ヴォルフラム。今回はターゲットの隣にいた人物が桜木駆だと知らなかったから、懲戒を受けずに済んでいるけど――」
そう言って、叶は一度言葉を切る。叶は息をつくと、口調を強くして言葉を続けた。
「次にあの子……桜木駆に手を出したら、私は貴方を許さないわ」
それだけ言い、叶は席から立ち上がる。そして振り返ることなく会議室を後にした。
「はっ! 恐ぇ、恐ぇっ!」
ヴォルフラムは一人になると、ドカッ、と足をテーブルにのせる。
そして抑えきれないというように喉奥を震わした。
「お前がそこまであのガキに執着する理由も分からなくもない。何せあのガキはお前にとって自分の命よりも大事な存在だもんなぁ」
ヴォルフラムはまだ紫煙がたゆっている煙草を床に落とすと、流れるように立ち上がりその煙草を踏みつけた。
「でも、分かってないな。もし本当にあのガキを護りたいのだったら、釘をさすのは俺じゃないだろう?」
ヴォルフラムはそう言うと会議室を出てゆく。やがて会議室に設置されたセンサーが室内に人がいないことを感知し、自動的に照明を落とす。
会議室に闇が降りた。