表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オオカミ姫の守護騎士  作者: オガタカ
13/20

第一二話

「何が……起きたのじゃ?」


 腕の間から顔を出したエレナが、男に銃を向ける凛音を視界に入れて唖然と呟く。駆は首を横に振るとエレナを背中に庇った。

 男の行動が止まったからと言って、男に駆とエレナに対する殺意が無くなったとは限らない。今、駆にできることは、エレナを護りながら凛音と男の様子を窺う事だった。


「もう一度聞くわ。警備部長……貴方は一体、何をやっているのですか?」


 男は振り上げていた腕を下ろすと、凛音を正面から見下ろし、憎々しげに口を開けた。


「お前……たしか叶の?」


「ええ、司馬凛音。叶さんの直属の部下です」


 それを聞いて男は舌打ちをすると、瞬く間に凛音の首筋に変形した腕の刃を当てた。しかし凛音は怯んだ様子もなく、男に拳銃を向け続ける。

 男は口端を歪めると、淡々と凛音に話しかけた。


「ふん、何をしているかだったな。俺は所長の命令でそこのモルモットを確保しに来ただけだ。そこのガキは俺の力を見た。機密保護のために口封じするところだよ」


 そう言って男は一瞬エレナを見て、凛音に顔を向ける。


「お前こそ何の権限があって俺の妨害をしたんだ? 返答次第ではお前もそこのガキと一緒に肉片に変える。叶のお気に入りだからと言って、容赦しねぇ」


 その顔には今にも爆発寸前の怒りが渦巻いている。

 しかし凛音はその顔を一瞥すると、向けていた銃を下ろす。怪訝な顔を向ける男に、凛音は肩をすくめて口を開いた。


「失礼ですね。私は貴方を助けたのですよ?」


「助けた……だと?」


 凛音は頷く。


「ええ。貴方が今、殺そうとしたその青年、誰だか知っています? ……彼は桜木駆ですよ」


「……なに?」


 凛音の言葉に男は眉間にしわを寄せて駆を見る。凛音はため息をつくと言葉を続けた。


「もし、貴方が彼を桜木駆と知っていて、事を為そうとしていたのであれば、私のしたことは妨害行為となりますが――」


「……分かった、分かった。このガキには叶が唾をつけているというわけだな。お前の好きなようにしろ」


 男はなおも続けようとする凛音の言葉を遮ると、突き出していた腕を地面に下ろした。それと共に刃物となっていた腕は元の姿へと戻ってゆく。


 男の芯を凍りつかせるような殺気が、急速に薄れてゆくのを感じて駆は内心で戸惑う。

 男は駆たちに背を向けると、公園を去っていく。駆とエレナはその姿を呆然と見送った。


「ふぅ……間一髪だったわね」


 男の姿が見えなくなり、凛音は深いため息をつくと、固まっている駆とエレナに声を掛けた。その手に握られている拳銃をエレナが見ているのに気づくと、気まずそうに笑顔を浮かべて拳銃を持っている手を振った。


「ああ……これは、モデルガンよ」


「……本当か?」


「……嘘。正真正銘、殺傷能力のある銃よ」


 駆の呟きにしばらく考えていた凛音だったが、やがて観念したように肩を落とす。エレナは戸惑いの視線を凛音に投げかけた。


「凛音……お主は一体?」


「……説明してもらえるんだろうな」


 駆はエレナの言葉に協調して、同じように凛音を見た。

 聞きたい事は山ほどある。

 あの男と凛音の関係。あの男が使った腕を変化させる謎の力。あの男がエレナを狙っていたその理由。そして――


(エレナの……正体)


 駆は男と相対した時に姿を変えたエレナのこと。


「そうだね。それを説明しないといけないけど……」


 凛音はそう言うと、傍に落ちていたエレナの服が入った紙袋を拾い、苦笑を浮かべて駆に差し出し、エレナに目を向けた。


「その前に落ち着ける場所に行こうか。あとエレナ……耳と尻尾は隠した方がいいよ」


 エレナは疑いのこもった視線を凛音に向けていたが、やがて「そうじゃな」、と呟く。

するとエレナの頭頂部に現れていた獣耳がゆっくりと消えていった。


「俺の家でいいか?」


「ええ……十分よ。アイツらも貴方の家までは干渉できない。……少なくとも今はね」


 駆が紙袋を受け取りながらそう言うと、凛音は腰に手を当てて頷いた。

 凛音が言う「アイツら」……それがいったい何者なのかと、すぐにでも聞きたい衝動を抑えて、駆は立ち上がる。

 公園の出入り口で振り向き、エレナと凛音がついて来ているのを確認すると自宅へ向かって歩き出した。

 公園から自宅までは一〇分ほどの道のり。その道程で口を開くものは誰一人としておらず、妙なことに他の通行人と出会う事もなかった。

 息苦しい沈黙が支配する道のりを、駆たちは歩く。その足取りはタールの沼を歩くかのように重く、家までの道は数倍の長さにも感じられた。





 自宅へと辿り着いた駆はキッチンで人数分のマグカップにコーヒーを淹れると、リビングに持っていく。


「可愛い犬ね。名前はなんて言うの?」


「……平八郎――儂は平八と呼んでおる」


「そう。よろしくね、平八」


 リビングではドックフードを食べている平八の背を凛音が撫でていた。凛音の質問に戸惑いと疲れの混じった表情でエレナは答える。

 男との戦闘のダメージが残っているのか、その顔色は鉛色に近い。エレナの象徴と言っても間違いでない金毛も心なしかくすんで見えた。

 凛音の様子はいつもと何ら変わりがない。それだけに駆は困惑する。

 公園で冷徹な目で男に拳銃を向けていた凛音と、教室でくだらない悪戯をしては人懐っこい笑みを浮かべる凛音。一体どちらが本来の凛音なのだろうか。


「コーヒーでいいか?」


「うむ。すまぬ……」


「ええ、ありがと」


 駆がコーヒーをテーブルに置いてエレナの隣に腰かけると、平八を撫でていた凛音も二人に向かい合うように席に座る。

 聞きたい事は多い。だが何から聞けばいいのかが分からない。席についたのは良かったが、駆とエレナは口を開く事ができなかった。リビングに平八がドックフードを咀嚼する乾いた音だけが響く。


「始めに確認しておきたいのですが――……」


 そんな沈黙を凛音が破る。凛音はコーヒーの入ったマグカップを片手に、正面からエレナを見据えた。その眼差しには欠片ほどの冗談も混じっていない。


「貴女は人狼が王族の姫君……エレオノーラ・アルヴァ・ラーティヴィネン様で間違いありませんね?」


 凛音の言葉にエレナは一瞬目を見開くと、キュッと口元を結んで下を見る。やがて顔を上げたエレナの顔には、自嘲的な笑いが浮かんでいた。


「……うむ。如何にも儂は欧州人狼の王族……エレオノーラじゃ。……王族などといっても、護るべき民を犠牲にして逃げ出した卑怯者ではあるがな」


「……そう。こんな偶然があるんだね」


 エレナの言葉に凛音の顔が曇る。


「おい……」


「ああ、ゴメン。確認はできたから、何でも聞いて」


 二人の会話の内容が理解できないことに我慢ができずに駆が口を挟む。すると凛音は悲しげな表情を一転させ、苦笑いを浮かべて謝った。

 自分が苛立っているのを嫌でも感じて、駆はコーヒーを一口すする。ミルクも砂糖もはいってないコーヒーの苦みが口の中に広がり、駆の思考に落ち着きが戻ってゆく。

 駆は息を吐いてマグカップをテーブルの上にコト、と置くと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。


「何でも聞いてと言われても……一体、何から聞いたらいいのか……。あの男について? あの男の腕が変形した理由? それとも――凛音……お前の正体や、エレナの正体か?」


「それも……そうね」


 駆の呟きにエレナが気まずげに顔を落とす。凛音は考えるように顎に手を当てると、駆の顔を覗き込むように見つめた。


「なら、まずは私、次にエレナのことから話すわ。……いいかな、エレナ?」


「……うむ」


 エレナは少し悩む様子を見せてから首を縦に振る。

 凛音は再びコーヒーを喉に流し込むと、右手でドン、と自分の胸に手を当てた。


「知っての通り私は司馬凛音。桜木学園の二年生、そして――夜坂研究所の非常戦闘員であり、人工妖魔メーデディアボロスよ」


「夜坂研究所の非常戦闘員? 人工妖魔メーデディアボロス?」


 凛音の口から出た聞きなれない単語に、駆は顔をしかめて聞き返す。凛音はテーブルの上で指を組んだ。


「そのまんまの意味よ……って言っても、このままでは分からないでしょうね。今は私が研究所の職員の一人だという事と、人工妖魔と呼ばれる存在だという事を覚えておくだけでいいわ」


 そこまで言って凛音は一瞬目線をエレナに向ける。その目線につられ、駆の目もエレナに向く。二人の視線にエレナは目を閉じて俯いた。


「そしてエレナ……駆がそう呼んでいる彼女だけどそれは本名じゃないわ」


 凛音に言われて駆は先ほどの凛音とエレナの会話を思い出す。

確か凛音はエレナのことを――


「確か……エレオノーラだったか?」


「そうじゃ。エレオノーラ・アルヴァ・ラーテンヴィネン……それが儂の本来の名前。すまぬ、駆……エレナというのは儂が王族だった頃の愛称じゃ」


 エレナが顔を上げ、再び駆に頭を下げる。

 エレナが包み込むように持つマグカップ。中のコーヒーはエレナが言葉を紡ぐ度に、細かく震える。


「あの姿を見たなら気づいてはいると思うが……儂は人間ではない」


「人間……じゃない?」


 なら一体……と続けようとしたところで駆の脳裏を男と相対していた時の姿が過る。人の物ではない金色の獣の耳、人間にあるはずがない尻尾、そして鋭利な爪。

 凛音との会話の中に出てきた言葉――


「人狼……」


「うむ。儂らは昔から人々にワーウルフやライカンスロープなどと呼ばれ恐れられてきた人狼の一族……そして儂はその人狼の王族だった」


 駆の呟きにエレナは頷くと、姿を変えた。いきなり魔法のようにエレナの頭に現れた獣耳に駆が声を失っていると、凛音が付け加えるように口を開く。


「駆は信じないかもしれないけど、世の中には人狼や吸血鬼、人々が妖怪や化物と呼ぶ存在が確かに存在するの」


「……いや、信じるよ」


 かすれた声でそう言うと、駆はコーヒーを口に含んだ。

 俄かには信じがたい話。しかしそれなら今、目の前にいるエレナの事はどう説明するのか。


「それで――なぜエレナは日本に来たんだ? 俺は人狼の世界のことは知らないが……王族ならお城に住むイメージがあるんだが?」


「それは――……」


 駆の言葉にエレナは顔を曇らせた。そんなエレナを見て、凛音が物憂いな表情になる。


「駆……それは私が説明するわ」


「……凛音?」


 凛音はため息混じりにそう口にする。その口ぶりに罪悪感のようなものが含まれているような気がして駆は眉をひそめた。


「駆も知っている夜坂研究所……表向きは難病の治療法の研究を行っているけど、それはある研究の副産物としてできた代物なの」


「ある研究?」


「ええ……それは研究所が設立された目的。私のような下っ端には公開されてない目的だけど――それは妖魔ディアボロス……エレナのような人外の存在を研究することによって達成される目的だと言われているわ。そしてその研究には人外のサンプルが必要だった。それも特別な被験体……人外の中でもトップクラス、希少な存在が――」


「まさか――エレナを……?」


 凛音の説明にエレナの顔が下に向く。駆が嫌な予感を感じて、エレナを見た。


「そう、研究所は貴重な被験体として人狼の王姫であるエレナに目をつけたわ。そして二年前……研究所はエレナを手に入れるために行動を起こした。私は参加をしてないから分からなかったけど……『狼狩り』、そう呼ばれた作戦は研究所の私兵を総動員した大規模な作戦だったそうよ。でも結局作戦は失敗、研究所は最優先目標だったエレナを捕獲することができなかった」


「……あの夜、イリスやじい達……城の皆が戦ってくれたから儂は襲撃者たちの手から逃れる事ができたのじゃ……」


 凛音の言葉に続けるようにエレナが言葉を紡ぐ。その言葉には、聞いていて痛みを感じるほどの悲痛な思いが込められている。エレナの不安定に揺れる声音と、頬を伝う滴がそれを物語っていた。


「ごめんなさい、エレナ。私にもっと力があれば――……」


 凛音は額に手を当て、深く息をつくとエレナに頭を下げた。そんな凛音を涙の浮かんだ目で見ていたエレナだったが、やがて腕で目元をゴシゴシ、と拭うと首を横に振った。


「顔を上げてくれ、凛音。あの日の出来事は許せるようなモノではない。じゃが……凛音に怒りをぶつけるのは間違っているのは、儂でも分かる。それに凛音一人では、どうにもならなかったことも――……」


「そう言ってもらえると……ありがたいわ」


 エレナの言葉に凛音は気まずげながらも苦笑いを浮かべる。エレナは肩の力を抜くと、凛音に向けて指を二本……ピースの形で突き出した。

 だがこれは修学旅行の記念撮影ではない。エレナは突き刺すような真剣な目つきで、凛音を見ていた。


「儂から聞きたい事が二つある。聞いてもよいか?」


「私に答えられるものなら何でも……」


 そんなエレナの目を正面から見据え、凛音は背筋を正す。


「まず一つ……先ほど公園で襲ってきたあの男のこと。あの男は二年前に城を襲ってきた襲撃者の一人だ。そして――」


 そこまで口にしてエレナは目を駆に向けた。


「なぜ、あの男は駆の名を聞いた瞬間に殺気を収めたのか」


「それは――俺も聞きたい。あと……あの男の腕が変形した理由も」


 エレナの言葉に追従するように駆も頷く。

 凛音は困ったようにグシグシと頭を掻くと、指の隙間からエレナを見た。その目に一瞬、困惑の色が浮かんだように見えた気がする。怪訝に思った駆だったが、凛音の次の言葉に心の奥底で納得した。


「教えるのは構わないわ。ただ約束はしてもらう」


「……約束?」


「ええ。絶対に敵討ちなんて考えない……ってね。エレナの怒りや憎しみが言葉では到底表せないっていうのは理解しているけど、これだけは譲らないわ」


 確かにその通りだ。今は幾分か収まったようだが、あの男を見てからエレナの様子は少しおかしい。行動、言動の端々に落ち着きがないように、駆には思える。

 もし敵討ちを考えているのなら、全力で止めないといけないだろう。

 エレナとあの男。二人の間には圧倒的なまでの実力の隔たりがあるのは明らかだから。


「……分かった。敵討ちなどは考えぬから、教えてくれ」


「約束よ?」


 凛音の言葉にしばらく下を向いて考え込んでいたエレナだったが、やがて肩を落として了承する。凛音はホッとした様子で微笑み、すぐに真顔になった。


「あの男は、ヴォルフラム・エッゲルト。研究所の警備部長で、最高幹部の一人……研究所に所属する人工妖魔の一人で研究所の後ろ暗いことの大抵はこの男が関わっているわ」


「その……人工妖魔っていうのは何なんだ? さっきもそんなことを言ってなかったか?」


 駆の疑問に凛音は「そうね」、と首を縦に振る。


「ええ、私も研究所に所属する人工妖魔の一人よ。人工妖魔っていうのは、そう――」


 そこまで口にして凛音は顎に手を当てると天井を仰ぐ。しばらくして納得のいく説明が見つかったのか、満足げな顔を浮かべた。


「簡単に言ったら、妖魔になった人間って所かしら」


「妖魔になった人間?」


「只の人間じゃないってことよ。実際に見てもらった方が早いわね」


 そう言うと凛音はテーブルに置かれているティッシュペーパーをとり、軽く丸めて空中に投げる。駆とエレナの目が投げられたティッシュに向く。

 その瞬間、凛音が指を鳴らすと同時に投げられたティッシュが炎に包まれた。


「うおっ?」


「これは……焔の華プロクス・アントスッ?」


 不意に出現した火球に、駆が声を上げ、エレナが信じられないと目を見開く。


「マジックじゃないからね。これは本来、エレナのような妖魔しか使う事ができない異能デュナミスって言う超常の力よ。人工妖魔っていうのは……実は私も詳しくは分からないけど、妖魔因子ディアボロスいんしと呼ばれるものを体内に投与して、人為的にこの異能を使えるようになった人のことよ」


 エレナは腕を組むと、淡々と呟いた。


「つまりあの男……ヴォルフラムとやらが、腕を変化させる異能を使えたのは人工妖魔だからということか」


「その通り」


 凛音は真っ白な灰となって宙を漂っていたティッシュを器用に掴み取る。

 そのまま掴んだ灰をパンパンと払う凛音に駆は声を掛けた。


「あの男のことは分かった。――手が変形した理由もな」


(突拍子もない話ではあるけど……)


「次に俺が桜木駆だと分かった瞬間、なぜアイツが攻撃を止めたのか聞いてもいいか?」


「ええ、それは話しておかないといけないことだわ」


 駆の言葉に凛音は短い赤毛を揺らす。

 凛音はふぅ、と息を吐くと、コーヒーを一口飲んで口を開いた。


「簡潔に言うと……基本的に研究所は駆に害意を持ってや、実験目的で駆に関わる事ができない。理由は――分からないわ」


「何故か分からないのか?」


「桜木駆……駆に関する情報は、なんでか最高幹部にしか閲覧を許されないLevel:Ⅴに指定されているの。下っ端の私じゃLevel:Ⅲが精一杯。」


 自分の情報が研究所の機密なっていることに駆は目を見開く。


「待て、研究所は駆に関われないのであろう? 何故、凛音は駆と関わりを持っているのじゃ?」


 エレナの言葉に凛音はマグカップをテーブルに置くと、再び話し始めた。


「桜木駆を見守り、必要があれば手助けをしてほしい……それが、私が直属の上司から受けた命令よ。中学生の時に、研究所によって同じクラスに送り込まれてから駆を見ていたわ」


「……そうだったのか」


 駆は疲れた顔で額に手のひらを当てると、肩から力を抜く。その顔を凛音は苦笑交じりに覗き込んだ。


「まぁ、一日で色々あったし疲れるよね。もう聞きたい事がないのなら、私はお暇させてもらうけれど……」


「いや、最後に一つ聞きたい事がある」


 駆は立ち上がろうとしていた凛音を手で制する。


(これだけは聞いておかないと)


 そう、これだけは聞いておかないといけないこと。


「エレナはこれからも研究所に狙われるのか?」


 隣でエレナが息を飲む気配がした。

 研究所の目的はエレナだ。今回は駆という想定外が起きたため、あの男は一旦引いたが、いつエレナが再び襲われるか分からない状況に違いはない。

 凛音の見解が絶対とは限らないが、あの男と同じ組織に属している凛音なら、今後の研究所の対応も大体は予測できるのでないだろうか。

 そう考えた末での駆の質問に、凛音は顎に手を当てて少し唸る。

 やがて凛音は正面を向く。山吹色に近い茶色の瞳が、駆の視線と交錯した。


「絶対とは言えないけど……多分、襲ってくることはないと思う。エレナは研究所にとっては喉から手が出るほど欲しい対象だと思うけど、駆に関わってまで手に入れようとはしないはず。なんていうか……研究所は駆に関わるのはタブー視しているみたいだし」


「つまり、今後エレナが研究所に狙われる可能性は――」


「とても低いわ。ただ、駆の目の届く所にいる事が前提だけどね。少なくても当分は研究所に狙われることは無いと思う」


 凛音の言葉に安堵の息をつく。

 何故かは分からないが、研究所は自分と関わることを嫌っている。そしてその為に、研究所がエレナを襲う可能性が極端に低くなった。

 なぜ自分が研究所から忌諱されているのかは気にはなるが、今はそのことが何よりもありがたかった。


「さて、なら私は家に帰るかな」


「見送るよ。エレナは風呂を沸かしといたから入っといてくれ」


「う、うむ……」


 凛音が立ち上がったのを見て、駆も椅子から立ち上がった。凛音がドックフードを食べ終えて床に寝そべっていた平八を撫でて、リビングの端に置いてあった自分のバックを掴む。駆は凛音を先導するようにリビングを出た。


「前から思っていたけど、駆の家って広いよね」


「そうだな。今はエレナが手伝ってくれるからそうでもないけど、使ってない部屋まで掃除をするのは大変だな」


「へぇー……使ってない部屋があるんだ」


 そんな会話をしながら廊下を歩いていた駆だったが、ふと凛音が手に持つオレンジ色のバックが目に入る。


「そのバックの中……何が入ってるんだ?」


「え? まだ気づいてなかったの?」


「いや、大体の予想はつくけど……できれば間違っていてほしいな」


 駆の言葉に凛音は目を丸くして首を傾げる。凛音がバックを目の高さまで持ち上げた時、駆の背を冷や汗が伝った。

 そう、やたら重い凛音のバック。その中身の予想は出来ている。

 だからこそ、駆は間違っていてほしいと思うのだ。もしその予想があっていたとしたら、凛音は文字通りの歩く火薬庫なのだから。


「ああ……確かに駆、このバックを足で蹴ってたもんね」


 凛音は昼のことを思い出したのかククッ、と喉で笑う。その反応に駆はあのバックに入っているモノに確信を持った。

 今きっと自分の顔は真っ青になっているのだろう。


「あれあれ? 駆、顔が引きつってるよ」


「うるさい。そんなバックに拳銃が入ってるなんて普通思わないだろ」


「拳銃だけじゃないよ。小型のショットガンや、手榴弾も入ってるから」


「お願いだから、そのバックを家に持ってこないでくれ」


 駆は頬を摘まんでグリグリ、と動かす凛音の手を外して嘆息する。

 ふと凛音が学校に持ってきているバックのことが頭を過ったが、その中身も恐らくは銃火器なのだろう。前に風紀委員と荷物検査で揉め事になったと聞いたが、そりゃ他人に見せられるものではない。

 ――銃火器や爆発物が入ったバックなんて。


「じゃ、私は帰るから」


 靴を履き終えた凛音が玄関の扉を開ける。駆はスリッパからサンダルに履き替えると、凛音が靴を履くときに廊下に置いたバックを凛音に手渡した。


「ありがと」


「ここら辺は街灯が少ないからな……足もとに気をつけて帰れよ」


「駆も疲れた顔してるから早く寝なよ……って言いたいけど、無理だよね」


「お前も……気付いていたのか」


 凛音はバックを受け取ると、困惑の片影を見せる。


「当たり前でしょ。エレナの傷はきっと私たちが思っているよりずっと深いわ。……想像もできない位に」


「だけど――」


「まぁ、エレナの事は駆に任せるわ。私は研究所の人間だから、あまり信用されてないしね」


「…………」


 駆は答える事ができなかった。凛音は柔らかな笑みを浮かべると、手を振って闇の中に溶け込んでいく。

 凛音が見えなくなったところで、駆の腹部で鈍い痛みが思い出したように主張を始める。その痛みに駆の口からは小さな呻き声が漏れた。

 できるのなら今すぐ横になって、疲弊したこの身体を休ませたい。


「まだだ……まだやることがある」


 だが、それは許されない。まだ自分にはやらないといけないことがある。

 駆は痛みを感じる頭を手で押さえながら、中へと戻る。その足取りは重く、ゆっくりだったが、駆の瞳には確かな意志が宿っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ