試される幼女
この体になってから、マツリは凄まじい飢餓感に襲われるようになった。
普段の食事でも、常人の三倍程は食べないと気が済まないのだ。
それが特に顕著なのは、激しい戦闘を行った後。
砦の激しい戦いを終えた後は、一人で食堂の全てを食べ尽くさんばかりの食欲を見せ、リルカに慌てて止められていた。
この日もマツリは、山のように盛られた麺類を旺盛に掻き込んでいた。
ずるずると豪快に麺をすすり、辺り構わず汁を飛ばしている。
「もう、がっついて食べるとお行儀悪いですよ」
「別にいいじゃねぇか、お前はオレの母親かっての」
食べ物を頬一杯に詰め込んだまま抗議するマツリと、それを苦笑しつつ窘めるリルカ。
微笑ましい二人の様子は、いつの間にか解放軍の名物となっていた。
と、解放軍の兵士達数人が、がやがやと大声で話しながらマツリの後方の席に座った。
大声で話す兵士達の声は、マツリの耳へ自然と入って来る。
「例の部隊、知ってるか?」
「ああ、何でもあのネローヌ・ドルスヴェインが指揮するんだろ?」
自分達の事が話されていると分かり、マツリは自然と聞き耳を立てていた。
「それに、紅蓮の戦乙女を撃退した奴も入るって噂だ」
「まあそれは眉唾物だけど、どうなるか気になるぜ」
さらっと嘘扱いされたことに少し腹が立ったが、怒鳴り出すのを我慢して聞き続ける。
流石のマツリも、食事中くらいは穏やかでいたいのだ。
「けど、その部隊にはあいつも入るらしいぞ」
「本当か? そりゃ心配だ」
「ああ、なんったってあの『死神』だからなぁ……」
マツリにとって聞き慣れない単語に、頭の中で疑問符が浮かぶ。
「ほら、口に付いてます」
と、リルカがマツリの頬についていた野菜くずを指で取り、自分の口に持っていった。
そのまま野菜くずを舐め取ったリルカを見て、マツリの動きが固まる。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでも……」
慣れないスキンシップに動揺するマツリに対し、リルカはきょとんとした視線を向ける。
マツリにとっては恋愛ドラマでしか目にしたことの無い状況だが、リルカにとってはそれ程大した行為でも無いようだ。
女同士ならこういうのも普通なんだろう、多分。
そうマツリは自分を無理やり納得させ、再び聞き耳を立てようとする。
が、既に兵士達は席を離れた後で、続きは聞けずじまい。
「そろそろ帰ろうか」
「ああ……」
肩を落としつつ、マツリはシェイリスの後に続く。
会話の意味は分からずとも、『死神』という物騒な単語が、妙にマツリの耳で反響していた。
※
黒塗りの重厚な扉を開けたマツリに続き、リルカも室内へ足を踏み入れる。
新部隊設立の際に、マツリ達には一人用の部屋が与えられていた。
以前の兵舎から少し離れた、上級士官用の宿泊施設には、個人用の簡易的な炊事場まで備え付けられている。
「なあ、死神って知ってるか?」
当然のようにマツリのベッドへ腰掛けたリルカへ、マツリは食堂での件を問い掛ける。
「死神って何ですか?」
が、返ってきたのはリルカのきょとんとした顔だけで。
「何だ、お前も知らねぇのか」
不満気に呟きながら、マツリはリルカに体を預ける。
今のマツリは、伸ばした脚の間で抱えられるように座っている。
この体勢は、リルカが部屋にいるときの定位置になっていた。
勿論最初は嫌がっていたが、抵抗するのも面倒だし特に実害は無いので、リルカの好きなようにさせていた。
「マツリちゃんも知らなかったんじゃないですかぁ」
「オレはいいんだよ、最近入ったばっかりなんだし」
「えー」
口を尖らせながらも、声を弾ませつつマツリの髪をつまむリルカ。
何がそんなに楽しいのか、この部屋にいる時のリルカは終始上機嫌であった。
「もう一週間ぐらいは経つのに、ここは相変わらず寂しいよねぇ」
「ほっとけ」
最小限の家具のみが揃えられた室内は、リルカの口から苦情が出るほど殺風景である。
今のマツリにとって、部屋など休息をとる場所でしかないのだ。
ちなみにリルカの部屋は、足の踏み場も無いほど物で溢れている。
マツリからすれば、そちらの方が余程問題なのだが。
と、軽いノックの後に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「ここにいらっしゃいましたか」
「おう、ネローヌ」
室内の光景を確認したネローヌの瞳が、驚愕で見開かれる。
最近のネローヌは部隊新設に伴った根回しやら何やらで忙しく、とてもマツリと会える状況ではなかった。
そんな中、リルカ一人がマツリと触れ合っているとは。
しかし、ネローヌはここで激高するほど思慮が浅くはない。
ネローヌは瞬時に動揺を押し殺し、二人へ敢えて厳しい視線を向けた。
その冷たさは、大抵のことでは揺るがないマツリであっても一瞬背筋に冷や汗が流れる程。
「私達の初任務です。すぐに準備を」
「は、はい……」
羨望からか、口調が無意識に険しくなるネローヌ。
何故ネローヌが怒っているのか分からず、ただ困惑するリルカ。
そんな二人の様子を、気だるげな表情でマツリが見つめていた。
※
表札に第二作戦室と書かれた部屋は、その名の通り軍議に使われる様々な資料が置かれていた。
几帳面なネローヌらしく、それぞれの用具は厳格に整頓されていた。
綺麗に磨かれた中央の机上には、見慣れぬ場所の地図が広げられている。
部屋から足早に移動させられた二人は、机を挟んで立つネローヌから初任務の内容を告げられていた。
「模擬戦、ですか」
「私達の実力を示せ。ということでしょうね」
いくらネローヌが解放軍の期待を背負っているとはいえ、全く無条件に信頼されている訳ではない。
ネローヌ達『黎明部隊』には、それ相応の働きが要求された。
彼女の若さや軍歴の短さを鑑みれば、当然のやっかみでもある。
ここで結果を示さなければ、部隊は立ち上げから頓挫するだろう。
「そういえばさ、ネローヌは『死神』って知ってるか?」
「……それを、どこで聞いたのですか?」
マツリが軽い気持ちで伝えた一言で、ネローヌの表情が剣呑なものに変わる。
瞬時に気温の下がった場の空気を察し、マツリは正直に事実のみを伝えた。
「その話は、忘れて下さい」
「ちょっと待てよ、何の説明も無しに――」
途中まで言い掛けたマツリの抗議が、扉の外から聞こえた足音で中断する。
「グレイス・ツォレイン、只今到着致しました」
ゆっくりと開けられた扉から、見慣れた軍服姿のグレイスが姿を現した。
「こんにちは、グロイスちゃん」
明るく呼び掛けたリルカに黙礼のみを返し、グロイスはネローヌに向き直る。
「新たな任務が発令されたと」
「ええ、これを」
軽く頷いたネローヌは、グロイスに折り畳まれた堅い紙を渡した。
「マツリちゃん、大丈夫?」
と、話を中断されて不機嫌さを全身から醸し出していたマツリに、リルカが小声で話し掛けた。
「お前は気にならないのかよ」
「うーん、何だか楽しそうなお話じゃなかったから別にいいかなって」
「……そういう考え方もある、か」
あまりにあっけらかんとした様子で答えるリルカに、マツリも毒気が抜けたような顔になる。
マツリとて、無駄に場の雰囲気を乱したくは無い。
面倒な騒ぎになるよりは、ネローヌの言う通り放っておいた方が良い……のか?
「全員が揃った事ですし、作戦の説明に移りましょう」
「もう考えてあるのか?」
「事前に演習場と敵の数は知らされてありますから」
そう言って、ネローヌはグロイスを見る。
どうやら、今グロイスが読んでいる紙に任務の概要が書かれているらしい。
「グロイスちゃん、それ見せて」
「え、ええ」
自分も紙を見ようと、グロイスのすぐ傍で無遠慮に首を突っ込むリルカ。
グロイスは多少戸惑いつつも、強引に振り払ったりはしなかった。
「ふむふむ、こんな場所で…… って、ええっ!?」
「何だよるっせぇな」
突如叫んだリルカに対し、マツリはあからさまに不満をぶつける。
「に、に、にに」
「今回の模擬戦、敵の数は二百人程を予定しています」
衝撃で固まっているリルカに変わって、ネローヌが言葉を継いだ。
「成程、二百人か」
「何でそんな冷静でいられるの!? 二百人だよに百人! 四対二百だよ!」
冷静に反応したマツリに対し、リルカは激しい身振り手振りも交えて動揺して見せる。
戦力比で考えれば一対五十、普通に考えれば無謀以前の問題である。
「かの優性部隊は、たった一人で一個大隊を屠ったとも言われています。我々がそれに対抗するのなら、これくらいの相手は軽く一捻りできなければ」
「確かにそうかもしれないけど」
「そう驚くことでも無いだろ? 一人頭五十人って考えればそう多くもねぇって」
「……私も頭数に入ってるんだ」
「どんな任務であろうと、命じられたからには実行するのみです」
「もしかして、私の方がおかしい……?」
まるで動揺を見せない三人の様子を見て、リルカは今まで持っていた常識が揺らいでいた。
「では、具体的な作戦内容に移りましょうか」
そんなリルカへ、ネローヌはにこやかに微笑む。
穏やかな笑みの奥にある瞳は、鋭く隊員達を見つめていた。