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想われる幼女

 ある日の夕方、マツリは兵舎の屋上に一人立ち、何をするでもなく佇んでいた。

 流れていく雲を見つめ、ふぅと溜息を付く。


 「誰だ!」


 と、マツリは不意に何者かの気配を感じ、勢いよく振り返った。


 「お邪魔でしたか?」


 髪を払いつつ優雅に現れたのは、以前と同じくドレス姿のネローヌ。

 夕日に照らされて、金の髪が鮮やかに輝いている。


 「あんたか……」


 相手が顔見知りだと分かり、表情が少し和らぐ。

 しかし、マツリは警戒心を完全には解かない。

 一定の距離を保ちつつ、向かいに立つネローヌの一挙一動に視線を向けていた。


 「先日は、素晴らしい働きだったと聞いていますわ」


 「あんたは信じてるのか?」


 素直に称賛の言葉を述べるネローヌへ、マツリは怪訝そうな顔を向ける。


 今の反乱軍内で、紅蓮の戦乙女をマツリが撃退したなどと考えているものはいない。

 偶々運よく生き残ったか、戦乙女が自身の風評を広める為に敢えて見逃されたと判断されていた。

 特に恩賞や昇進は無く、未だ新兵のままである。

 リルカが何回か抗議を行ったそうだが、結果は推して知るべしである。


 「他の方はともかく、リルカさんは嘘を付けるような人ではありませんから」


 「まあ、腹芸が出来る性格じゃないしな」


 マツリの脳裏に、能天気な阿保面を晒すリルカの顔が浮かぶ。

 そういえば、ネローヌとリルカは幼馴染とか言ってたっけ。


 「それで、何の用だ?」


 「先程申し上げた通りです。帝国の誇る紅蓮の戦乙女を退けたとは、本来なら、相応しき論考恩賞が行われるべきなのですが……」


 「目撃者が全員死んじまったんだから、仕方ねぇさ」


 あの戦いの後、生き残ったのはマツリとリルカ二人のみ。

 砦も完全に焼失し、近辺の地域は帝国に奪われた。

 結果的には完全な反乱軍の敗北であることも、マツリが評価されない一因になっている。


 「貴方は、それで良いのですか?」


 「別に俺は、出世なんて望んでねぇしな」

 

 「では、何を?」


 「……それをあんたに話す必要があるのか?」


 ネローヌの踏み込んだ問いで、不意にマツリの視線が鋭いものへと変わる。

 緊張が奔り、一種触発の空気が流れかけたとき。


 「マツリちゃーん!どこですかー!」


 「……っったく、少しは空気を読めっての」


 剣呑な空気を破って、リルカの伸び伸びとした呼び声が響いた。

 たった一言でマツリ達の敵意を打ち払ったのだから、リルカの能天気も偶には役に立つらしい。


 「あー! こんなところにいたんですか、心配したんですよぉ!」


 階段を勢いよく登って現れたリルカは、肩で息をしながらマツリに駆け寄る。


 「お前はオレの保護者かよ……」


 「あ、こんにちはネローヌちゃん!」


 そこでようやくネローヌに気付いたのか、リルカは元気良く礼を繰り出す。


 「ご、ごきげんよう」


 無駄に活気溢れる挨拶をぶつけられ、ネローヌは呆気にとられている。


 「会ったばっかりだけどごめんなさい、これからマツリちゃんをお風呂に入れてあげなきゃいけないから」


 リルカは大仰に再びネローヌへ一礼すると、素早くマツリへ向き直った。


 「はぁ!? 何でお前に!」


 「だってマツリちゃん、面倒くさがって中々入ろうとしないから……」


 「あんなの、二日か三日に一回で充分だろ」


 「女の子なんだから、ちゃんと清潔にしないと!」


 懸命に説得するリルカをよそに、マツリははっきりと言い捨てる。

 マツリ達が暮らす兵舎の地下には、共用の大浴槽が設置されている。

 基本的には自由に使用でき、特に利用料なども必要ない。

 この前線基地では、貴重な憩いの場として人気を博している。

 しかしマツリは、何かと言い訳を付けて入浴を避けていた。


 「駄目です! 女の子は清潔にしてないと」


 「待て、だから掴むなって!?」


 抗議を全く受け付け入れて貰えず、とうとうマツリは背後から抱きかかえられてしまう。


 「そう言う訳だから、ごめんね!」


 マツリを担いだままもう一度勢頭を下げたリルカは、そのまま回れ右をして走り出していった。


 「え、ええ……」


 状況についていけず、ネローヌは終始目を白黒させているのみ。


 「離せぇぇぇぇ……!」


 響き渡るマツリの悲鳴が、沈みかけた夕日の中でいつまでも響いていた。


                     ※


 静かになった屋上で、一人溜息を付くネローヌ。

 憂鬱な表情は、内に抱えた深い煩悶の表れか。

 夕日の中で苦悩する美女の図は、まるで一つの絵画にでもなりそうな情景だった。


 「か、かか……」


 と、何かを抑えきれなくなったネローヌが、突如小刻みに震え出すと。


 「可愛すぎますわぁ!」


 紅く染まる天に向かって、思いの内を叫んでいた。


 「はっ!?」


 表情を恍惚に染めていたのも束の間、ネローヌは瞬時に正気へ戻る。


 「お、思わず叫んでしまいましたわ……」


 自分が何をやったのかようやく認識したネローヌは、頬を真っ赤にして辺りをきょろきょろと見回す。

 幸いなことに、周囲に人影は無く、去っていったマツリ達にも聞かれなかったようだ。


 「はぁ……」


 完全な一目惚れだった。

 すっぽり腕の中へ抱き締められそうな体躯に、人形細工の如く整った顔立ち。

 性格は少しきつめだが、それがまた彼女の小生意気な魅力を引き立てている。

 先程リルカに抱えられていた姿は、まるで妖精のようだった。

 もし許されるのなら、リルカのように自分も……

 夢のような想像に、思わず頬が緩む。

 元々 可愛い者は好きな性分で、かつては縫いぐるみを集めていたこともある。

 けれど、ここまで激しい感情を引き起こしたのは初めてだ。


 「これからどうしましょう。見た所、余り好印象を抱かれていないようですし」


 顎に手を当て、再び悩み始めるネローヌ。

 ネローヌは、好意を寄せた相手が自分に対して敵愾心を抱いていると気付いていた。

 実際の所、マツリは誰に対してもあんな態度を取っているのだが。

 むしろ、マツリの放つ敵意をもろともせずに会話を続けるリルカの方が異常である。

 だが、付き合いの浅いネローヌにそこまでの推測を求めるのは酷だろう。


 「何か、自然に仲良くなる方法は無いのでしょうか」


 高貴な家柄に生まれつき、高い能力を持ったネローヌの周りには、自然と人々が集まって来た。

 そのせいで、自分から誰かと親しくなろうとした経験が無い。


 もう空の端が暗くなり始めるまで、ネローヌは暫く考え込むと。


 「そうですわ!」


 何かを思いつき、ネローヌは拳を手に打ち付けた。

 遠くを見つめるその目は、不気味なほど爛々と輝いていた。


                       ※


 兵舎の地下に設置された大浴場は、大きな石造りの浴槽が設置され、十人程が同時に利用できる洗い場も備えている。

 激しい戦闘をもこなす解放軍の兵士にとって、この場所は貴重な憩いの場でもあった。


 「ふんふんふーん、お風呂おっふろー!」


 広い浴室内で、リルカの上機嫌な歌声が壁に反響する。

 早い時間だったからか、浴室内に他の利用者はいない。

 貸し切り状態となっており、リルカの機嫌は最高潮に高まっていた。


 「ねぇマツリちゃん、どうしてあっちを向いてるの?」


 浮かれているリルカとは対照的に、マツリは終始無言だった。

 そそくさと体を流した後、ただ湯船に浸かっているのみ。

 仏頂面を浮かべてそっぽを向き、マツリの方を見ようともしない。


 「もしかして、恥ずかしいの?」


 「んなっ!? そんなんじゃねぇって」


 慌てて否定するその態度が、図星だと白状しているようなものだった。

 実は今まで入浴を拒んでいたもの、女性の裸体を見たくなかったからである。

 

 他人の裸体に全く慣れていないマツリにとって、この空間はある意味拷問にも等しかった。

 露わになったリルカの裸身には、女性らしい二つの膨らみがその存在を主張していた。

 服の上からでもそれと分かる大きさの双丘が、枷を外され縦横無尽に跳ね回っている。 


 「だったらー、何でこっちを向かないのかなぁ?」


 「……う、うるせぇっての」


 楽しげに笑うリルカへどうにか反論するマツリだが、普段の力は無い。


 「恥ずかしいんだぁー、へぇー、そうなんだー」


 リルカは、普段のお返しとばかりにマツリの頬を突いて挑発する。

 言い返そうにも、リルカの方を向けないのだからどうしようもない。

 それが更にリルカの嗜虐心をそそって、じゃれつきは過熱していった。

 そんな状態が十数秒続いた頃。


 「ああもう! 付き合ってられるか、オレは上がるからな」


 堪忍袋の緒が切れたマツリが、吹っ切れた様子で立ち上がった。

 その顔が真っ赤に染まっているのは、湯にのぼせただけではないだろう。 


 「ご、ごめんなさい! 少し調子に乗り過ぎちゃった…… 許して、このとーり!」


 両手を合わせて謝罪するリルカを見て、マツリが呆れたように溜息を付く。


 「……ったく、何だってお前はそこまでオレに構うんだ」


 「マツリちゃんが可愛いから、じゃ駄目?」


 リルカは両手を合わせたまま、小さく小首を傾げる。


 「オレのどこが可愛いんだよ。こんな、こんなオレの」


 ぶっきらぼうに吐き捨てて、マツリは自分の体を見つめる。

 あれだけの戦闘を経ても、傷跡一つない真っさらな自分の裸体を。


 「そんなこと無い、マツリちゃんはしっかり可愛いよ、自信持って!」


 「しっかりって……お前なぁ」


 多少的外れな励ましで、マツリの顔に苦笑が浮かぶ。


 「えへへ」


 振り向いて見たリルカの顔に浮かぶのは、無邪気な微笑みだった。


 「お前と話してると、悩んでるのが馬鹿らしくなるよ」


 「もしかして私、褒められてる?」


 「……さっさと上がるぞ、このままじゃのぼせちまう」


 その質問には答えずに、マツリは湯船から体を出した。


 「あっ、ちょっと待ってよ」


 さっさと歩き出すマツリを、置いて行かれたリルカが慌てて追う。

 背中を向けたままのマツリは、顔に僅かな微笑みを浮かべていた。

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