圧倒する幼女
ある晴れた日の朝、兵舎近くの空き地で、ネローヌとマツリが向き合っていた。
杖や鎧で完全武装したネローヌに対し、マツリは普段と変わらぬ軽装姿。
瞳はまだぼんやりとしたまま、髪にはだらしなく寝癖まで付いており、とてもこれから戦い始めるとは思えない。
「じゃあ、行くぜ」
「ええ、全力でお願いします」
久しぶりにやってきた休日、マツリはネローヌから突如鍛錬の申し出を受けた。
まだ寝ていたかったマツリは何度か渋ったものの、懇願するネローヌに押し切られる形で承諾していた。
緊張感がまるでないのは、どうやっても負ける気がしないから。
ネローヌが魔術に置いて卓越した技能を持っていることは知っているが、それでも自分には敵わない。
こちらは何度攻撃を喰らおうが問題ないが、あちらは一発でも掠れば致命傷になり得るのだ。
「後悔するなよ……!」
だとしても、ここで手を抜くのはネローヌに失礼だ。
こちらに戦う理由はなくとも、あちらには何かがあるのだろう。
ネローヌの真剣な眼差しを間近で目にし、マツリもおぼろげながら何かを受け取っていた。
自身の言葉通り、全速力でマツリは走り出す。
「宙を奔れ、閃光の葬刃!」
それを合図にしたように、ネローヌは杖をかざした。
ネローヌの詠唱と同期して、もたげられた杖が空中に魔方陣を描く。
色鮮やかな魔方陣から眩い光の線が幾重にも放たれ、複雑な気道を描きつつマツリの体を直撃した。
「そんなんじゃ効かねぇぞ!」
しかし、マツリは全く怯まない。
それどころか、更に速度を増してネローヌへ迫っていた。
「我が敵を縛れ、茨の鎖!」
迫り来る脅威にも動じず、ネローヌは次の呪文を唱える。
閃光が奔り、杖先には先程と違う色合いの魔方陣が展開していく。
次の瞬間、足元から生えた魔力の茨が、マツリの全身をくまなく縛り上げていた。
茨は魔力で構成された繊維を幾重にも練り込んで構成されており、常人なら縛られた時点で全身をずたずたに引き裂かれている筈だ。
「いっ……てぇ!」
だが、それでもマツリは止まらない。
僅かに表情を歪めただけで、軽く茨を振り解き、弾丸のように上空へ躍り出た。
「これでも足止めにしかなりませんか……!」
かっと瞳を見開いたネローヌが連続で魔方陣を展開させ、雷撃や火炎がマツリの体目掛けて炸裂する。
周囲一帯に轟音が唸り、周囲の雑草や石ころが余波で吹き飛んでいく。
だが、マツリにとっては考慮すべき攻撃でもない。
それら全てを甘んじて受けつつ、重力を味方に付けてマツリは落下する。
「貰ったぁ!」
叫び声と共に、地面に衝撃が奔る。
耳を劈く爆音が鳴動し、地響きが大地を伝わっていく。
土砂が一気に巻き上げられ、二人の姿は土煙に掻き消された。
「今日はこのくらいにしておきましょう」
煙が晴れたそこには、大穴の中心に立つマツリと、すぐ脇に立つネローヌの姿があった。
マツリの蹴りは軽く十数mは地面を抉っており、もし直撃すれば一発で命脈を断たれていただろう。
間一髪、ネローヌは攻撃の余波を防御の魔方陣で防げていたものの、纏っていた軍服は散り散りに破けていた。
「もう良いのか?」
「ええ」
呼吸を荒げて肩で息をするネローヌと、けろりとした顔で立ち上がるマツリ。
傍目から見ても、どちらが勝者かは歴然としている。
「やはり強いですね、マツリさんは」
「こんなの強さの内に入らねぇよ、何の考えも無しに暴れてるだけだ」
自身の力を誇るでもなく、むしろ軽蔑するべきもののように吐き捨てたマツリ。
不機嫌そうに顔を逸らしたマツリの横顔を見て、ネローヌは一瞬言葉を失ってしまう。
「そういえば、マツリさんは武器を使わないのですか?」
動揺を押し隠しつつ、ネローヌは空気を換える為に別の話題を振る。
「使おうと思った事もあるけど、武器の方が壊れちまうからな」
「成程……」
あれ程の馬鹿力だ、本人は良くとも武器の方が悲鳴を上げるだろう。
剣や槍はすぐに折れてしまうだろうし、矢や弩は弦が耐えられない。
専用の武器を作ろうにも、鍛冶師の方が悲鳴を挙げてしまうだろう。
「もしオレの力に耐えられるもんがあるなら――」
「あ、いたいた! マツリちゃーん! 大変なんだよー!」
と、マツリの声を掻き消して、駆けてきたリルカの叫びが響き渡った。
「こんにちは、リルカさん」
「あ、ネローヌちゃん、こんにちは!」
マツリの傍にいたネローヌを見つけるが早いか、リルカは勢いよく頭を下げた。
「この前はありがとう! 本当に助かったよ!」
「いえ、あれくらいでしたらいつでも」
そのまま、マツリを放ってリルカは世間話を始めてしまう。
「それで、次の予定なんだけど――」
「お前、何しに来たんだよ」
先程の言葉からして、何かマツリに用があった筈だろうが、リルカはすっかり本題を忘れていた。
「そうだったそうだった、大変なんだよ!」
「だぁっ、前置きは良いからさっさと話せ」
「あのね……」
マツリに怒られ、少ししゅんとしつつリルカは語り出す。
それは、最近身の回りで起きた奇妙な出来事。
「付け回されてる?」
「うん」
食堂に行く際や日々の訓練中、何も無い筈の場所から視線を感じるのだという。
最初は勘違いかと思ったが、同じような事が二度三度続くのだから、どうもこれは普通ではないと考え始めていた。
「もしかして、私のファンかな?」
「それは無いだろ」
すっぱりと否定したマツリに、リルカは無言で頬を膨らませる。
「ファンかどうかはともかく、心配ですね」
「コイツの勘違いって可能性は?」
「勿論それもあり得ますが、今の私達は悪目立ちしていますからね」
そう言って、ネローヌは僅かに顔をしかめる。
活躍を重ねるにつれ、解放軍内で黎明部隊の存在感は高まっていた。
それ自体は喜ぶべきなのだが、急速な知名度向上に伴う嫉妬や反発をネローヌは憂慮していた。
「へー、大変だな」
「いや、一番目立ってる人が何言ってるのさ」
「オレがぁ? 冗談だろ」
馬鹿馬鹿しいと顔の前で手を振りながら答えるマツリに、二人は呆れるしかない。
「無自覚とは恐ろしいですね……」
フリムラーデ戦線の後、何度かの戦いでもマツリは尋常でない活躍を見せていた。
今や、エルフの姫として元から有名だったネローヌの次に注目されている。
容姿と戦い方の激しい落差は、好悪含めて様々な噂を生んでいた。
曰く、何処か名のある武人のご落胤だとか。あるいは、冥族と同じく特殊技能を持った亜人である。または、解放軍を救う為に天が遣わした救世主だ……等々。
「今大事なのは、オレじゃなくてリルカの――」
話題を元に戻そうとしたマツリの表情が、瞬時に険しいものへ変わる。
「マツリちゃん?」
唖然とするリルカを置いて、マツリは凄まじい速さで走り出す。
「待ちやがれ!」
演習場の端へ一瞬で辿り着いたマツリは、その手に何かを握っていた。
それは、誰かが纏った黒い服の裾で。
「ほら、こっちこい」
マツリは、嫌がる誰かを服ごと無理矢理連れてくる。
両腕を拘束されながら、リルカ達の前に引っ立てられた人物は――
「ぐ、グレイスちゃん!?」
渦中の人物は、リルカの驚いた声を受け、申し訳なさそうに項垂れている。
いつもの軍服姿ではなく、薄手の黒装束に身を包んだその女性は、紛れも無くグロイス・ツィオレインだった。
※
「で、どうしてお前がリルカを付け回してたんだ?」
膝を組んで座り込むグレイスを見下ろし、マツリが詰問を始める。
「リルカさんを、参考にしようと」
「私を?」
「こいつの何を参考に……」
「リルカさんはいつも感情豊かに過ごされていて、羨ましいな、と」
マツリ達のお蔭もあって、最近のグロイスは多少友好的になっていた。
一緒に食堂に行くこともあるし、風呂で互いに背中を流すこともある。
関わりの中で、グレイスは静かに葛藤していた。
今までまともに友人関係を築けていない故に、他人との距離が掴めない。
結果、最も親しくなりたい相手ともどこかぎこちないやり取りしか出来ずにいた。
そんな折、誰に対しても遠慮なく接し、初対面の相手でも臆面なく話し掛けられるリルカが、グレイスの目に眩く映ったのだ。
「そ、そんな、照れるなぁ」
リルカは頬に手を当て、まんざらでもなさそうに体を揺する。
「こそこそ隠れてないで、正面から頼んでくれれば良かったのに」
「申し訳ありません。その……こういうことは中々言い出しにくくて」
戦闘時の凛々しい表情とは違い、グロイスは照れ臭そうに顔を赤らめていた。
「とにかく、大事にならなくて何よりでした」
加害者に悪意があった訳でもなく、被害者も特に気にしていない。
事が穏便に済んで、ネローヌはほっと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、行こうグレイスちゃん!」
「は、はい?」
ぱん、と手を打って話し始めたリルカへ、グレイスが困惑の眼差しを向ける。
「私のことが知りたいんでしょ? だったら、一緒にいるのが一番だよ」
「まあ、正論だな」
「マツリちゃんも一緒に来るんだよ?」
珍しく的を得たことを言う、と頷いたマツリへ、リルカはにこやかに話し掛けた。
「なっ!? おいちょっと待て! 勝手にオレを加えてんじゃ――」
「まあまあ、いいからいいから」
さも当然と言った様子で手を掴んだリルカへ、マツリは声を挙げて抗議する。
が、リルカに慣れた動きで担がれてしまう。
「こうなったらネローヌも――って!?」
「私は、書類の整理がありますので……」
マツリが首を向けたとき、既にネローヌはマツリ達から数歩距離を取っていた。
変わり身の早さに驚いている内に、ネローヌはそそくさと姿を消した。
「だいじょーぶ、変な所じゃないって」
「は、はぁ」
「放せえぇぇ!」
きょとんとした表情を浮かべるグロイスと、背中でじたばたと暴れるマツリを連れて歩き出すリルカ。
彼女達が向かう先は――




