その始まりはただ平凡なボーイミーツガールで
例えば、そう例えばの話だ。ある所に一人の男がいたとする。彼は極々普通の人生を歩んできた。普通に学校へ入り、普通に部活動を楽しみ、普通に恋愛に勤しんだ。きっと彼は人並み程度には定期試験に苦しんだのだろう。
そして、卒業直前でひいひいと就活活動をして、普通の会社に入り、普通の会社員として、普通に働く、そんな「普通の男」がいたとしよう。
そんな彼は、極々普通の悩みがあった。「もっとお金が欲しい」という誰もが持つであろう望みを持っていた。
もちろん、そのような望みなど叶うわけがない。人の殆どは自己の才能、努力に見合った金を得て、相応の生活をすることが条理にかなったもので、それ以上の生活をするには良くも悪くも天運に身を任せるしかない。
天運はそれ以下の人生を与えることだってあるのだ。
とある朝、彼はわくわくとしながら新聞を広げる。ついこの前に買った宝くじの結果を確認するためだ。
もし、100万円でも当たってくれたなら、両親を旅行にでも連れて行こうか。
そのように考えながら、彼の一生分の賃金より重い薄紙を片手に6桁の数字を一つ一つしっかりとなぞっていったのだ。
そして、彼は一ヶ月後に家族とフェリーで旅に出かけて、残ったお金は貯金した。
さて、また別の男を仮定しよう。彼は普通の男と形容するには、少し平凡から遠い人生を送っている。
彼は非営利団体に所属している。そして、恵まれない子供たちを救うために日々尽力していた。
そんな彼は「宝くじに当たった元普通の男」を知る。名前だけではなく住所やら何やらまでだ。もちろん、使いきれるか分からないような預金の額まで知っている。
これらの知識を持った彼は何をするだろうか。僕が定義する善人であるならば、彼は必死に稼いだ自分のお金を割いてでも宝くじを買って、もしも当たった時どれほどの子供たちを救えるだろうかと頬を緩めるはずなのだ。
多くの者はその金を寄付すればいいのに、と間違いなく馬鹿にするだろう。だが、その多くの者より彼は間違いなく善人だ。
他人の「幸せ」で他人を「幸せ」にしようとする人など決して善人ではない。僕はそう思う。
愚かであってもいい。ただ善人たれ。自己を削り、他を救う善人こそ、僕にとって最も好感の持てる人間だ。
贔屓をする僕は間違いなく善たる存在ではない。しかし、だからこそ善人を救おう。それが僕の在る理由となのだから。
雪月、息が凍る空の下、淡い雪光よりなお白い髪がたなびいている。
私は彼女のことを雪女だと思った。そうでないならば幻覚が見えているのだろう。
道の無い、何も見えない道を一つ一つ歩いていく。彼女はいつの間にか私の横を歩いていた。
そして、長々と訳の分からない話を、まるで独り言のように話している。
「君は何て無駄なことをしているのだろうね」
からかうように、やたらと顔を綻ばせた、彼女は私にそう嘲る。吹雪の中、この辺りでは真夏でも着ないような薄着で平然と歩いている、そんな彼女の存在が一番冗談だろうに。
「後ろに背負っている彼はもう死んでいるよ。凄い重いだろう。死んだ人間は余計に「重い」からね」
足が止まる。さっきまで聞こえていた友人の息が聞こえない。きっと吹雪が強過ぎるのだ。
だから、強い風音がすべての音を掻き消してしまっているのだ。
前を見ると、三日月よりも弧を描いた笑顔が見えた。まるで立ちふさがるかのように彼女は私の前に立っている。
その時、私は一つ確信した。吹雪の中ではありえない軽装、人外とも思わせるような美麗、そして何よりもこの距離ですら分かる紅玉より鮮やかなその目、その姿はまさに。
「さあ、愛しき名も知らぬ男よ。吹雪を止めてやろう。それどころか後ろの男を生き返らせてやろう。この神である僕と契約するのならば」
まるで悪魔のようだった。