召喚勇者
彼女ことニトロが召喚された場所は石造りの広間でした。天井はとても高く、計算されたように空いた窓からは日の光が広間内を照らしています。
ニトロは久しぶりの日差しに異世界に来たことを実感しました。光によって露わにされた彼女は子供と言うには大人びており、大人の女性と言うには子供っぽさが滲みでています。それは正しく少女を体現した存在でした。肩まで伸びた茶髪に、桃色のワンピースは平凡さを押し出し、また整った顔立ちに真っ直ぐとした背筋がどこか気品をただよわせてもいます。
「まずは食事ですね」
ニトロを周りを見回して、そう言います。彼女に周りには大勢の人が立っていますが、皆呆けています。ローブを着た魔法使い風の集団、貴族然とした派手な衣装を着た者たち。明らかに兵士と分かる帯剣した人もいますが皆なにかに驚いた後のようでした。
そのせいかニトロの言葉に誰も反応してくれません。これはとても哀しいことです。ようやく会えた何年ぶりかも分からない他人に無視されたのです。ニトロは凄く残念に思いました。なのでもう一度言います。
「お腹が空いたな~」
ニトロは食事がなくても生きて行けますが、今それは関係ありません。ただ欲求をぶつけます。今度は無視されないよう見るからに偉そうな人に向かってです。白髭生やしたお爺さんです。マントなんか羽織ってます。挙げ句の果てに王冠です。
ニトロは一目で王様だと見抜きました。そして自らの推理力に自画自賛も心の中でしておきます。
と、ニトロの思惑通り、王様は呆けていた口をニヤっと曲げてから口を開きます。
「おぉ、可愛らしい勇者よ! お腹が空くとは情けない!」
両手を広げマントをバサッっとひるがえしてです。バサッっが大事です。
なかなかユーモア溢れるお爺さんだとニトロは思いました。
すると呆けていたみなさんは王様の声がスイッチになったようで、急にざわつきます。
「まさか成功するとは……」
「2度も成功するなど信じられん」
「これは困ったことに…」
そんな言葉が聞こえます。どうやらニトロは望まれて生まれた子ではないようです。しかしめげません。ニトロは前向きな子なのです。
「ところでここは何処ですか?」
前向きなニトロは王様に質問します。召喚場所を聞くのは常識なので、召喚されての第一声としては模範解答です。『お腹が空いたな~』な、やりとりがあったことは無視します。何故ならニトロは前向きだからですね。
「この国はアスリムだ。そして貴殿は魔王を倒す為、勇者として呼ばれた。分かるな?」
「……」
いきなり召喚された一般人だと、まったく意味がわからないのでは?とニトロは思いました。しかし幸いなことに、ニトロは普通ではありません。王様の言葉は予想の範囲です。なので質問にも気負わず返せます。
「ニトロは武装がないので倒すとか無理ですが?」
ニトロは記録係なので、戦闘を務めていた妹達の様に宇宙の半分を消し飛ばす程の武器はありません。防御特化なのです。無理をしたところで精々、山を消滅させたり、チョップで海を割ったり、足の小指でタンスを破壊して悶絶するくらいです。戦闘能力があるとは言えません。少なくともニトロの感覚ではです。
「いや、召喚勇者ならば力は授かるはずだ心配せずとも良い。ステータスと言えば授かった力を確認出来る。やってみろ」
何故か王様は少し哀しい顔を一瞬浮かべてからそう言います。
ニトロは思いました。もしかしなくてもさっきの自称神様の祝福なんたらのことかな? と。
(あぁ、ここで必要になるわけですね)
なるほどですね。神様がくれた能力の使い方を王様が教えてくれるわけです。どうやら貰える物は貰っておくべきだったようです。
とはいえ、ないものは仕方ありません。しかし、祝福をもらわなかった経緯を説明するのは面倒だとニトロは思いました。自分の事や興味のある事柄であればニトロは、それはもう楽しく話せる自信がありますが、自称神様関係については話題に出すのも億劫でした。何故ならばニトロは神様のことなど何も知らないからです。理由は単純明快です。
「あ~……」
ただ何の説明もなく「出来ない」と、魔王を倒せと言われた時のように言っても問題はないかもしれません。
「ステータス! ……おお! なるほど、なるほど」
結論としてニトロはテキトウに答えました。
ニトロは偶に、無性に、面倒臭がりになります。それだけ人間味に溢れているということです。人間ではありませんが
「全属性魔法、全武術スキルレベル最大が勇者の基本だな。後は個人によりけりだ。あぁ、ちなみに今言葉を交わせているのも言語変換があるからだな」
「あぁ! これですね。そうかー、だから言葉が通じるのかーなるほどなー」
全くもってニトロには何も見えていませんが王様は親切に説明します。王様自らです。普通は臣下の誰かがするものではないのでしょうか? この世界の階級制度はきっと壊れているのでしょう。しかしニトロは気にしません。言葉が違うことも気にしません。それでも伝わるのがニトロの性能というものです。
(あー、なるほどー、おー! さすが王様! お爺ちゃんかっこいい!)
その後も続く王様の説明にニトロは(この王様相手だとめんどくさいなー)と思いながらも相槌をテキトウにうちます。しっかりと心の中でもです。ニトロに抜かりはありません。実際には全く聞いていなかったとしてもです。ここまで誤魔化したなら最後までです。
ニトロには今さっき思いついた目的があります。なんといってもここはお城のはずです。お姫様気分を体験したいとニトロは思ったのです。乙女なら仕方ないですね。その為には王様の不興を買って追い出されるわけにはいかないのです。
と、そんな時間が幾分か過ぎた時です。
「陛下! なぜこのような!」
そう叫んで広間に一人飛び込んできた者がいました。
「あら。素敵!」
ニトロはその闖入者につい、そう声を出してしまいます。何故ならその者がお姫さまだったからです。どこからどう見ても、ふわふわでキラキラお姫さまなのです。赤を基調とした大人っぽいドレスでありながらもフリルが全体的な可愛さを引き出しています。豪奢なだけではありません。可愛いだけでもありません。まさしくお姫さまのドレスだったのです。もちろんお姫さま自身も綺麗ですが、ニトロはドレスに注目しているためその辺は無視しました。女の子ならドレスに目が釘付けになるのは当然ですね。
「おぉ! どうした?」
「どうしてこんなことを? いえ? なぜ成功するのですか? ・・・・・・お祖父様が何か隠しているのは今更ですね。今はこの勇者様です。いったんお預かりします」
「・・・・・・まぁよい。好きにしろ。勇者殿、後で使いを出そう。夕食でもともに取ろうではないか。話しはその時にでも」
「はぁ」
やはりこの国の階級社会は壊れているなーと、ニトロは思いつつ返事をします。
(名前も名乗ってなければ聞いてもないのですが?)
なんだか置いてきぼりにされている感じがしてニトロは嫌な気分になります。
「行きましょう」
お姫さまに手を引かれニトロは広間を後にしました。
(といいますか、王様とお姫さま以外何も言わないのですね?)
「何も言う必要がないのよ。もう少しの辛抱なのだから」
手を引くお姫さまが返事をしました。
「声には出していないですが?」
「そんな気がしたのよ」
「なるほど、それで辛抱とは?」
まったくこの国の行く末に興味はありませんが、ニトロは人とのコミュニケーションを大切にするので一応聞いておきます。ちなみにお姫様の顔は3日で忘れる自身がニトロにはありました。
「それは後で勇者様と話すわ。あぁちなみにあなたのことではないわ」
「はぁ、ニトロはニトロですよ?」
「私はアンリエッタよ」
手を引かれながらの自己紹介です。せっかくのお城なのに風情がありません。本来ならもっとお姫さまらしい自己紹介の仕方があるに違いありません。ニトロの記録には大昔の作法がしっかりとありました。それが見たかったニトロは残念に思います。
「ここでしばらく待ってて。質問や疑問は多いと思うけど危ないことはないから安心しなさい」
そう言ってお姫さま改めアンリエッタはニトロを部屋に押し込んで去っていきました。一人ぼっちです。ニトロは急に寂しくなりました。
「あぁ! でも部屋は素敵ですね。なんていうんですか? 貴族趣味がいい感じです」
とても広い部屋です。そして調度品が光っています。無駄に豪華な部屋で慣れていない人間でしたら気後れしそうなほどですが、ニトロからしたら珍しさが勝り楽しくなってくるというものです。寂しさも吹き飛びます。
一通り調度品を物色したニトロはとりあえず、これまた豪華なテーブルを囲む椅子のひとつに座ります。
「この世界はあれですね。遅れてますね」
少しだけ落ち着いたニトロはこの世界の感想を口にします。
この世界はニトロが元いた世界よりも随分と遅れていたようです。それは技術的にであり文化的にもです。ですがそんなものは人類史で見たところで言えば些細な違いでしかありません。重要なのは「進化」が遅れているということでした。
「あれですね。さっきは無理とか言いましたけど私でも魔王倒せそうですね」
相対的に、この人類と争っているというのなら、ニトロの純粋なパワーだけで倒せそう、というものです。何故なら元の世界であれば子供ですらニトロは倒すことができません。(倒されることもないですが)そこまでニトロは戦う力がないのです。しかし少しといえどニトロが観察した限り、この世界の人間ならば『でこピン』でも倒せます。圧倒的です。
「とりあえず身の危険がなさそうなのはいいことですね」
これからが楽しくなってくるというものです。
と、トントンと部屋の扉がノックされます。
「・・・・・・」
とりあえず良くわからなかったのでニトロは無視しました。
それから1、2分たってからでしょうか。もう一度ノックの音が部屋に響きます。
「・・・・・・どうぞー」
「失礼します」
ワゴンを押して現れたのはメイドでした。もちろんニトロはメイドの存在は知識として知っていますが、見るのは初めてです。
「ぉお! メイドさんですか!」
「はい、勇者様のお世話を姫様から仰せつかったアリスです」
「私はニトロです。よろしくお願いします!」
まず乙女の嗜みとしてニトロはアリスのメイド服に興味を持ちましたが、アリス自身が纏う雰囲気がそれを許しません。そう、それは完璧なメイドでした。知識しか持っていないニトロから見ても仕事が出来そうなメイドなのです。年齢は少女を少し超えたところでしょう。短く揃えた金髪はそれ以外の金髪など、この世に存在させてはならないというほど美しいものです。またその美貌は他人の美しさなど興味のないニトロをしても目を引くものでした。少しつり目なところが怖そうでしたが、逆にしっかりとした印象にもなり「あなたなら任せられる!」と皆を納得させる雰囲気です。
「メイドのいる生活ですか、目標が早速叶いました」
「目標ですか?」
「お姫さま気分を味わうことです」
そこでニトロはアリスが押してきたワゴンに気づきます。
「それはもしかしなくてもティーセットですか?」
「はい」
「淹れてもらっても?」
「畏まりました」
アリスが完璧なお辞儀をして準備を始めます。
(楽しみです! 異世界初お茶です! やっぱり紅茶なのでしょうか?)
お城、メイド、勇者、 お茶、となるとニトロが持つサブカルチャー的な知識では紅茶が定番です。ニトロは今か今かとワクワクしました。それでなくとも、どれだけ振りか分からないほど久しぶりな飲み物です。期待するなと言うのが無理な話です。
「・・・・・・」
が、何時まで経ってもお茶は出来上がりません。
(こんなに時間が掛かるものなんですか?)
準備が始まってから30分は経っています。おかしいな。とニトロは思いつつもアリスを観察します。準備する姿は優雅であり、何の迷いもないように見えます。きっとニトロでも知らない異世界の淹れ方なのでしょう。ニトロはそう思うことにしました。
それから更に10分ほど経って、カップがニトロの前に差し出されました。
「ではいただきます」
ニトロは期待に胸を膨らませてカップに口を付けます。
(・・・・・・ん?)
「・・・・・・」
ニトロは黙ってカップを置きました。
「アリスさん」
ニトロはカップを差し出した後、部屋の隅で待機していたアリスに声をかけます。
「はい、なんでしょう?」
「このお茶は一般的なもので?」
「味も香りも最高級の物です」
「味も香りもしないんですが?」
えぇ、色のついた水でした。正直なところ、不味いとニトロは思いました。
「・・・・・・申し訳ありません。もしや葉の管理に不手際があったのかも知れません。今新しいのをお持ちします」
「はぁ」
そう言ってアリスはワゴンを押して部屋を出て行きます。
「・・・・・・」
アリスが出て行く直前、ニトロはワゴン内を解析します。ニトロならば楽勝です。解析の結果はニトロの知識からしても立派な紅茶が出来そうな葉でした。
「あ、転んだ」
部屋の外でアリスが転んだのを、部屋の中から姿を追っていたニトロは目撃します。
これはあれですね。
「完璧どころかポンコツメイドでしたか・・・・・・」
ニトロの知識に隙はありません。