買う哲学者3
「おい! 学者! 死にたくなけりゃ元に戻せ!」
「あー、残念ながら返すことは出来ないんですよ」
白衣がおどけて言う。ムカつくな! 頭よ。こんな奴、殺してしまえ! 私は心底そう思う。
「ふざけやがって!」
当然だな。態度もそうだしやってることもふざけている。だがそのお陰かチャンスではある。頭は白衣に夢中だ。頭自身どうしてまだ真面なのか私にはさっぱりだが、これは好機。今の内に逃げてしまえばいい。なに、白衣を囮にすれば頭も快く通してくれるさ。
私はウエンディの肩を兎に角叩く、何度も叩く。【見捨てて逃げろ】などと言う合図はない。ならば兎に角叩いて気持ちを伝えるしかないのだ。これが私の本気だ! 傍から見れば凄まじく早い肩たたきをする骸骨だ!!!!
「……駄目、依頼は最後まで」
……チッ! この分からず屋め!
ウエンディが白衣を庇う位置に移動する。……クソッ! こうなったら白衣よ! 頭の判断力がもっと駄目になるまでその不思議な力を使え! 元凶なのだから役に立ってみろ! そうすればウエンディにも勝機がある。……と言っても聞こえる訳がないか。こうなってしまってはウエンディの頑張りに期待するしかないようだな。白衣め!報酬は倍では済まないからな!
「邪魔だ嬢ちゃん! 見逃してやる。消えろ!」
「……無理。守るのがお仕事」
……話している暇があるならウエンディ! 頭を攻撃してしまえ!
ほら見ろ! 完全に剣先はウエンディに向いている。……格下なのだからウエンディに先手は譲ってくれないか? が、そんなこともなく頭は飛び出す。
飛びかかる剣がウエンディに迫る。頭のその風体に似合わぬ綺麗な剣筋だ。速度は十分、既に避けることは適わない。ウエンディは鉄扇で受ける。互角とまではいかなくとも、受けるくらいは出来るはずだ。後は隙を見て卑怯でもなんでもいいから暗器等で不意を付けばいい。
「……っ!」
「退けってんだろ! 死にてぇのか!」
頭の剣戟が激しさを増す。ウエンディは何とかその剣を受けてはいるが、それが精いっぱいだ。第一、男の剣を何度も受けること自体が間違っているのだ。いずれ押し負けるぞ!……それでもウエンディは受け続ける。白衣はとうに後方の物陰へと離れている。盗賊はどうした! 今なら白衣を殺せるぞ! 誰か来い! でないとウエンディが!
「くそっ!」
押している筈の頭が一瞬、隙を作り出すほどでないにしろ怯んだ。何かしら白衣の力の影響が出ているのだろうか? となればウエンディの時間稼ぎは正解だったことになる。いいぞ! その調子だ!
「仕方がない。死んでもらうおうか!」
頭の雰囲気が変わった。荒々しさは消え一騎打ちの騎士の様に研ぎ澄まされた殺気を放っている。……今までの動きで手を抜いていたとでもいうのか? だと言うなら私の見当すら遥かに超えていることになる。まさかな…… そのまま又もウエンディに剣を叩きこんでくる。速度も威力も先ほどと何も変わらないように私には見える。やはり手は抜いていなかったようだ。
しかし結果は全く違った。
「……動かなかった……違う……動きたくなくなった……なんで?」
ウエンディはそう言って血飛沫を上げながら倒れた。
ウエンディ!!! ウエンディ!!! 袈裟斬りの剣筋は骨まで届くところではない! 最後に言葉を発っすることが出来ただけでも奇跡の即死級の威力だ。 ……私には何もできない。……何もできなかった。
私の名はバックル。只のゴーストだ。見ているだけのゴーストだ。ゴーストとしての記憶と意志を持つ幻だ。私はウエンディが見る幻か。それともウエンディこそが私の幻想か……私とウエンディはこの後同じ所に行けるのだろうか? もし行けるのなら今度は話せるだろうか? 私はウエンディに言ってやりたいことが山ほどあるのだ。
――私の意識はそこで途絶えた。
男が生まれて両親に付けてもらったであろう名前はもう本人ですら知らない。度重なる実験で何度も自我を失い、その度に戻ってきた。過去の記憶など何度もなくして、以前の自分がどんな人物だったか自分でも分からない。男は強靭でも最強でもない。だが、強くはある。何故なら耐え抜いたから。何度も苦難に耐えたのだから。記憶に無くとも耐え抜いたという事実はあるのだから。
今の名はスターク・フェイグリング 科学者であり。実験体であり、今は逃げ出した実験体を処分する追跡者でもある。そして、買う哲学者だ。
「ふんっ、あの程度の冒険者でアイツが倒せるか。この俺様が直々に改造してやったんだ。まぁ何にも覚えてないだろうがなぁ!! ……さぁ! 出て来いよ!!!」
ウエンディと話していた時とはまるで別人である。スタークは白衣を靡かせ不敵に笑う。現在彼が立つのは盗賊の砦のある森、その出口近い樹木の上である。ウエンディが盗賊の頭と戦い始めた時点で、既にこの地点まで移動していた。物陰に隠れたと思わせておいて、誰にも見つからず徒歩30分は掛かる距離を2分足らずで移動したのだ。最大まで強化された彼の肉体をもってすれば容易い。そう、ウエンディに頭そして彼、スターク・フェイグリング。あの場で本当に最も強いのは白衣の彼であったのだ。その歴然とした差は、誰もスタークの実力に気付かなかったことからも、よく分かるだろう。
スタークの目には遥か遠くの砦の入り口の様子が見え、音もすぐ傍のように聞こえる。これも強化されているお陰だ。既に人の域ではない。砦の状況は頭にウエンディが殺されたところだ。そしてここから先がスタークの狙いである。スタークは強い。しかし臆病でもあり慎重だ。抹殺対象の情報を彼は貰っていなかった。それが何を意味するのか、果たして捨て駒か、それともそれも実験の一部なのか。だが、彼自身は死ぬつもりはない。慎重に分析をする。その為に相手まで用意したのだった。
邪魔者であったウエンディを殺し、目的のスタークを頭は探していた。辺りを見回し、物陰を確認する。が、しかし目標は見つからない。当然だろう。目標は既に遠くだ。
「どこに行った?」
答える者などいないのは分かっているが頭は呟く。しかし
「私が現れる前に逃げたか……いや、奴なら直接戦ってもいいだろう。様子見か……あぁ、クソっ! ゴーストになると私の知識は殆どなくなるのか……あの白衣……忘れるはずがないだろうに!!!」
「なに!」
答えた者がいた。いや自問自答している様にも見える。上品なグレーのスーツを着こなす麗人だ。この場に全く沿わない容姿である。しかし、隙のなさが正にその姿こそが戦闘服と語っている。苛立だしげにコツコツと革靴が地面を叩き、一房の流れ落ちる真紅の髪が揺れている。
異様だった。その姿もそうだが言動だ。激しい。その筈なのに冷たい。なんの起伏も感じられない雰囲気なのだ。音の上下はある。が、感情の上下がない。そんな感じだ。そして頭が不審に思ったのはゴースト憑きだということだ。ゴースト憑き自体に問題はないが、先程ゴースト憑きの冒険者を殺したばかりだ疑問は抱く。
「はっ!!」
頭はスタークの力で湧き出る破壊衝動を抑えながらも冷静に分析しようと、先程倒した冒険者を探す。……が、そこに死体はない。何故なら死体があるはずの場所。そここそスーツの女が立っている場所だからだ。
「分からんな。だが死にたくなければ俺の前から消えろ。これ以上は抑えきれん」
頭には事態を理解することは出来なかった。だが現実を受け入れ言葉を放つ。
「頭よ。ウエンディを倒したことに恨みはない。寧ろあれはウエンディが馬鹿だっただけだ。私はお前と戦いたくはない」
「ウエンディとは冒険者のことか? 関係者か? 戦いたくないのは俺も同じだ。俺が倒すべきは、この惨状を作った学者だ。俺も判断がだいぶ曖昧になってきている。今は能力で進行を遅らせているに過ぎない」
「能力と言ったか……それを敵かもしれない奴に言ってもよかったのか?」
「お前も普通じゃないだろう? だから剣を振らなかった。今は時間が大事だ。最善策を取る。能力を使ったからと楽に倒せる相手じゃあない」
盗賊とは思えない態度であった。焦ってはいるが冷静さは失っていない。スーツの女は笑う。言外にウエンディは楽に倒せたと言われたが気にする素振りはない。只笑う。酷く冷めた笑いだ。だが表情は楽しそうだった。感情と表情が、ちぐはぐなわけではない。動きも声も抑揚さえ感情を表しているのに、何かが足りない。そして女は砦の入り口へと足を進めた。それは頭とは争わないという意思表示だ。
しかしそれを許さない男がいる。盗賊の頭ではない。白衣の学者スターク・フェイグリングだ。スタークの一手は既に準備済みである。
「女! 名前はあるのか?」
スーツの女は背を向けながら答えた。
「私の名はバックルだ」
そして一歩また踏み出そうとして――
「!? お前っ!」
前方へとバックルは飛び込む。スーツが汚れることなど構わずにそのまま勢いのまま数回転がると直ぐさま体勢を直す。そして、スーツが台無しになった原因に視線を射る。そこには剣を構えた頭が振り抜いた状態でバックルを見ていた。戸惑いと怒り。そしてどうしようもない諦めを頭の目が語っている。
バックルはスーツについた土と埃を払いながら溜息を吐く。
「罠か……名前だけで反応するとは雑な罠だな。おい! 頭よ真面な意識はあるか?」
今だ剣を振り抜いたままの頭が答える。
「……もう、そろそろ駄目だ。今は何とか能力は使える。俺の能力は相手の心に作用して動きを止める。今はそれを自分に全力で使ってこれだ……が、俺はお前を殺したくて仕方がない。それが生き甲斐であり大事な約束のような気がするんだ。だから……今の内に逃げるか殺すかするんだ」
盗賊の頭は強さを誇る男であり元騎士であった。盗賊となっても女子供は極力殺さないできた。真っ当ではない。しかし堕ち切ってもいなかった。彼の強さはその剣の腕だ。能力などなかった。それはスタークが後からバックルと戦わせる為に付けたものだ。しかし頭は覚えていない。生まれてから持っている力と思い込まされているし、事実、頭は生れ付き持っていたかのように使いこなした。
実際のところ。バックルの強さは直接の近接戦闘と言う点ではウエンディと力量に変わりがない。その為、先の頭の一撃。追撃があった場合。バックルは致命傷を負っていた可能性すらあったのだ。それがバックルと戦わせるためにスタークが付けた能力でもって行われなかったのだ。これは能力を相手だけでなく、自分にも使うという頭自身の能力をスタークが見余っていたことに他ならない。
「そうか……ならばこの近くにいる白衣もろとも葬ってやろう!」
眉間にしわが寄ったバックルの表情は怒りを表していた。しあkしやはり何かが足りない。
「頭よ。私は熱い女なんだ。私をこんなにした白衣共を許せないし、お前を殺すしかない状況にも憤りを感じているんだ。それどころか運命に殺したいほどの恨みは抱く。逆に人生の逆境を何とかしてやろうと思う反骨心だってある。私の心は常に熱が嵐の様に渦巻いているんだ。でも、どうだ? 私はどう見える?」
頭は動き出す。本来なら思ってもいない殺意の衝動に、過去の約束に、信念に、作られた偽の哲学によって
「冷たく見えるだろ? 何でだと思う? 私の【熱】はどこにいったんだろうな? 私の【熱】はもう私では制御しきれないんだよ。本当に死にたくなかったら目の前から消えなきゃいけないのはお前の方だったんだ。だがもう遅い。既に熱はそこにある。私の意志に関わらずだ。それは時限爆弾だよ。だが私は! 今回は引き金を自分で引くとしよう! お前を解放するために! 白衣を殺すために! 私! リレンネ王国騎士団長バックル・ウルソウル! 国を燃やした忌々しい我が能力【パラス・イグナイテッド】! 私の熱はそこにある!」
バックルは瞼を閉じる。まるでこれから起こることを見たくないかのように。