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第五話 ここに来る前

今回は回想編となります。

 さてさてわたしがやってきた日の夜のこと、オトーサンとオカーサンはショクドーに行ってしまったので、一人残された少年の話を聞いてやっていた。膝の上で。


「むぎは一人で公園におったけど、家族と逸れちゃったんかなあ」


 少年は指でつつっとわたしの背中をなぞる。なかなか上手じゃないか、さてはお主これまでもやっておったな? お主も好きよのう。

 おっと、わたしの家族の話か? うむ、確かに逸れてはいたのだがな……おそらくママに捨てられたのであろう。

 

 猫という種族は子をたくさん作る、わたしの兄弟も6匹いた。親もあまりに子が多いと手が回らないし、子に与えるお乳の量も減ってしまう。そこで、体の弱いものは捨てられる。いわゆる、淘汰されるのであるな。わたしは生まれつき体が小さく、力も弱かった。捨てられたのは猫の宿命であろう、仕方がないことだ。


「家族が寂しくないんかな? ちょこなんかもろうてきて三日間ぐらい、にゃあにゃあ鳴いてうるさかってんけどな」


 わたしは全然寂しくなんかないよ。寧ろ、捨てられたことに感謝しているくらいだ。君たちに出会うことが出来たのだからな。わたしは世界一ついている猫であろう。

 それにしても、同居猫は野良ではなかったのか。確かにあんな柄見たことがない。


「そういえばむぎは全然鳴かへんな、もしかして鳴かれへんのかな」


 うう、痛いところを点くな少年よ。その通りだ、わたしは君の察したとおり鳴き方がわからない。ママが鳴いているところをあまり見たことがなかったからかもしれないが。

 だが、やはり鳴けなければならないよなあ、いざというときに助けを呼べないからな。よし練習してみよう、喉に力を入れて……ここからどうするの?

 しばらく試行錯誤を繰り返したが、結局鳴くことはできなかった。うう不甲斐ない。


「まあでも家の中におる限りは問題ないか、ちょこが近づかんように俺とお母さんとで見張っとくからな」


 おお、そうだな。この巣にいる限り天敵はいないのだったな、ならば鳴く練習はまた後でで良いだろう。何から何まですまないな。


 思えば今日は激動の一日だったな。男の子のおもちゃになったと思えば、拾われて新しい巣まで提供された。昨日まで、寒空の下一人茂みの中で震えていたとは思えない。

 ふう、なんだかまた眠くなってきたな……少年よしばらくの間ひざの上を借りるぞ、むにゃむにゃ


「どうしたむぎ? ……寝ちゃったみたいやな。ふふふ、ほんまにねずみみたいに小さいな。また明日いっぱい遊ぼうな、お休みむぎ」



 ◆◆◆◆



 お腹が空いた。もう三日も食べていない。地面にたまった水溜りをすすり、どうにか生きながらえているがこれももう限界であろう。今朝起きたら、左目が見えなくなっていた。どうも膜が張っているらしい。

 

 とりあえず、ママを探そう。きっとどこかでわたしの帰りを待っているはずだ。しかし、今日も見つからなければどうする? 正直わたしが三日間も一人で過ごせたのは奇跡に近い。おそらく四日目は……ない。


 茂みからそっと顔を出す。よし、近くに天敵のカラスの姿は見当たらない。わたしはおぼつかない足を引きずり、茂みからそろそろと抜け出した。


 公園の横にはドーロと言う道があるが、こちら側は決して歩いてはいけないとママに教わった。車が通るかららしい。

 それはおかしいよ、とママに言ったことがある。わたし達の巣はその車の下にあり、日がな一日中そこで過ごしていたが車が動いたためしがない。ママ曰く、巣の上の車はもう死んでいるらしく安全なんだそうだ。わたしはママの言葉を信じてはいなかった。


 ママの言葉が正しかったと知ったのは三日前のことだった。あの日わたしは兄弟たちと一緒に初めて巣の外に出た。ママがそろそろ外の世界を知るべきだろうと言って連れ出してくれたのだ。

 

 初めて見る外の世界は想像を絶するものだった。謎の巨大生物が縦横無人に歩き回り、さらにその生物よりもはるかに巨大な建物がそびえ立っていた。『人間』、ママはそう言った。この世界で彼らに逆らえる生物は存在しないらしい。巨大な建物も彼らの巣だと教えてくれた。


 ママのレクチャーを受けつつわたしたちは歩き続けた。そして例のドーロの前で立ち止まった。普段は決して近づいてはならない、しかし今日はこの向こうまで行かなければならない、ママは怖い顔で言い放った。

 

 わたしたちはおそるおそる頷くと、慎重にしかし迅速にドーロを横断し始めた。

 まず最初にママが手本を見せる。そしてママの合図に従い一人また一人と向こう側に渡っていく。

 ついにわたしの番がきた。わたしが最後の一匹であり、わたし以外の兄弟は皆無事に向こう側に渡れた。

 ママの合図が来る、よし素早く渡ろう。ドーロの半分ほど来たところでふと立ち止まる、周りを見渡すが車の気配はない。なんだ案外簡単じゃないか、怖がって損した。向こう側でママが早く来いと叫んでいる。はいはい、今行きますよ。

 私は優雅にそして丁寧に残る半分を歩き始めた、とそのとき


 ブッブーーーーブーーーー


 耳を劈くようなけたたましい音をなびかせながら、一台の車がものすごいスピードで近づいてきた。早いなんてものじゃない。瞬く間に車が大きくなってくる。もうだめだ、と目をつぶった瞬間、寸でのところでママがわたしの首根っこを加えて移動させてくれた。


 その後言うまでもなくママにこっぴどく怒られた。もう二度とドーロには近づかないと心に決めた。


 


 とても三日前の出来事とは思えないほど、あのときの恐怖は鮮明に脳裏に張り付いている。

 

 そして、その後わたしはママ達から逸れてしまったのだ。ちょうちょに夢中になってしまい、気づけば誰もいなかった。


 ふう、後悔してももう遅い。とりあえず今はママもしくは巣を見つけなければ。

 道路側は危ないので、公園の中をドーロに沿って進む。

 

 普通に考えればもと来た道をたどれば巣に帰れるのであろうが、残念ながらそうは上手くいかなかった。ママに連れられていたときは初めて見る景色に目を奪われて、どのような道を通ってやってきたのか見当もつかない。現にもう三日も迷い続けている。


 しばらくすると公園の端まで来た。そこには鼻の長い動物を模した巨大な物体と、砂場があった。

 わたしは砂場に足を踏み入れ、倒れこんだ。ゆっくりと瞼を閉じる。

 

 本当はうすうす感づいていた。ママがわざわざドーロを渡らせてまでわたしをここに連れてきた理由が。一人では戻ってこれないような距離、一歩間違えば死にいたるドーロ、わたしだけが置いてけぼり。頭では理解している。しかし心の奥底でその事実を認めない――いや認めたくない気持ちがわずかにあった。そのおかげで三日も生きてこられた。しかし……


 ふと空に浮かぶ太陽さんを眺める。いつもはギラギラとした表情を見せていた彼が、今日に限っては愛しむような笑顔を浮かべている。

 自分はついていなかった。ママは何も悪くない、当然のことをしただけだ。わたしは全てを受け入れよう、生まれてきたときからの運命さだめだったのだと。

 


 ただ……ただ……もう一度だけママに甘えたかったなあ。



 わたしの体が宙に浮かぶ、大粒の涙が頬をぬらす。


 だ、だれ?


 わたしの目に映るのは一人の男の子。あまりの極限状態に五感が働かず、接近に気づかなかったのだろうか。

 男の子の口が開く、何を言っているか聞き取れない。男の子の顔が徐々にぐにゃぐにゃと崩れていき、新たな顔を形成する。オカーサンだ! オカーサンはゆっくりと私の背中をなでる。

 

 突如視界が暗くなる。公園もオカーサンももういない。必死でオカーサンを探す。オカーサン! オカーサン! オカーサーーン…………



◆◆◆◆

 



今回で5話目、ようやく半分になりました。

次話も20:00投稿となります。

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