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空想学園シリーズ

作家によるクラスメイト(観察)日誌

作者: 文房 群



 ○月某日、木曜日。

 空想学園三年D組、茨野十字(いばらの じゅうじ)



 昨日、日直であったらしい識井(兄)がクラス日誌を私に届けてきた。

 よって必然的に日直である私がこのクラス日誌の執筆に携わることになった。面倒なことに。


 正直に言うと興が乗らない。このような日誌を真面目に書いたところで、単位に反映されるわけでもあるまいし、不特定多数の大衆の目に触れることもない。

 つまらん。非常につまらん。


 あまりのつまらなさに識井(妹)に「兄にクリーン・オフしておいてくれないか」と、この面倒事を押しつけようかとも考えたが、一応日直の業務であるため、与えられた責務は果たそうと思う。

 だがしかし、本当に書くことがない。

 クラスの中で起きた出来事を書けと言うが、一体この平々凡々とした日常の何を記せというのだ。

 ノンフィクションを劇的に書き起こす私でも、筆を投げ出すレベルだ。書くことがない。非常につまらん。



 だから仕方なく、私は『観て』いて面白いと感じた、同じクラスの男子達について軽く書き記しておこうと思う。


 こんな大きな変化のない日々の中で、それなりな暇つぶし程度に『観る』価値はある。

 充分数奇な物語が絡んでいるというのに、当人達は全くそれに気づく由もない。


 青春を謳歌する少年達の日常を。



       〇



 まずは朝だ。


 日直という面倒な仕事があったために、黒板や教室を綺麗にしておく必要があった私が、わざわざ早起きをし朝練のある部活動員に混じり登校してくると、前方に見慣れたクラスメイトの姿があった。



 バレーボール部主将の岩原と、副部長の軒島であった。


 受け答えは淡泊であるが根の性格は純粋天然な岩原と、現実主義者で皮肉屋であるが面倒見の良い軒島は、何かと仲が良い。

 良い主将と副部長である。


 それにそこそこに人当たりも良い、運動部の中では結構顔の広い部類に属する二名は、私の後ろからリズミカルな音を立てながら登校してきた男子生徒へ、声をかけた。




「よう注連縄。おはよう」


「毎日毎日縄跳びしながら登校とか……よくもまあ不審者扱いされないな」


「軒島ひでー! 相変わらず扱いがひでえ!」




 軽く私を追い越していった、高速で縄跳びをする隣のクラスの男子生徒――通称『縄跳びマスター』こと注連縄は、岩原や軒島と談笑しながらも縄を回す手を止めない。

 同時に地面を蹴り続ける足も、止めない。



 したたたたっ、と連続で二十跳びをしているかのような音を絶えず奏でながら、たった一度も引っかかることなく縄を跳びつつ会話を展開していくバレーボール部員に、その器用さは一体どこから来るんだと私は漠然と考えた。

 ついでにそのレベルに至るまで、一体何億回縄跳びの反復練習を行ったのだろうか、と思ったところで。




「よっす、ういっすバレーボール部」




 少し眠たげな声で、バスケットボール部員が現れた。


 制服も髪型もびしりと綺麗に整えているのに、顔だけはとろりと眠そうなクラス公認のチャラい男子生徒――古河。

 手の中で器用にバスケットボールを操る彼は、前々から予想していた通り、朝が苦手なようであるらしい。


 フラフラと頼りない足取りで特に仲の良い岩原の元に歩み寄る古河は、ネコがじゃれるように軽い気持ちでバレーボール部の主将の背中へのしかかろうとして――




「起きろ古河」


「いづッッ!?」



 のしかかろうとしてきた古河の腕をするりと避けた岩原のラリアットが、古河の横腹に直撃した。


 うむ見事。綺麗に入ったな――と後方から様子を観察していた私が思った直後、それはそれは痛そうな非難が岩原に向けられたのであった。




「岩原ぁぁぁぁぁぁぁあああああ……!? ちょっと、ガチで痛いんだけど!? 思ったより深刻なダメージなんだけど!?」


「寝ぼけているから起こしてやろうと思った」


「何その『反省も後悔もしていません。むしろ寝ぼけているお前が悪い』みたいな顔!」




 しかし当の岩原は古河の主張を軽く受け流し、「朝練始まるぞー」などと同行する部員を急かすだけである。

 なかなかに鬼である。あれは天然で行われていると知っていても。


 これに示し合わせたかのように「へい主将!」と返事をし、わざとらしく部室に向かう軒島と注連縄。

 その顔が愉快げに歪んでいることは、私にも見て取れた。


 お前ら薄情か! と横腹を押さえながらついて行く古河を、岩原は「今日も元気だな」と微笑ましく呟きながら、ゆっくり友人達の後を追う。



 彼らにとっては日常の一部である、朝の光景。

 傍観するにはそこそこに愉快な一部始終を観賞していた私が『暇つぶしにはなった』と日直という仕事に抱く陰鬱な気持ちを、前向きに変換する原動力を得たところで。

 私のすぐ横を、全速力で走る男子が追い抜かした。



 目をやれば、彼は同じクラスの寄戸であった。

 古河と同じバスケ部に所属し、軒島とよく連んでいることの多い。元地方のヤンキーであった彼は、周りの奇異な視線に気をかけることもなく、息を切らしながら岩原達の元へ疾走していく。 


 少し肌寒さを感じてきた明朝の中を、汗だくで登校してきたクラスメイト。

 そんな彼を追うようにして、ただひたすらに暗い渦のような意思を持つ半透明な『人成らざるもの』が私の横を通り過ぎた時、私は一つ大きく頷いた。



 今日も岩原達は日常を謳歌しているようで、何よりである。



       〇



 さてはて昼時。

 学生にとっては待ちに待った休憩時間。昼休みという休養の時。



 天気も良いので中庭で、無愛想な旧友と栄養補給をしていると、やはり目の前にはとりわけクラスで賑やかな団体の姿があった。


 影で岩原組、と囁かれている岩原を中心とした仲良し男子グループ――今朝偶然遭遇した、青春を謳歌している五人組だ。



 無愛想な旧友と食事をしている私だが、何分愛想もなければ周囲に無関心である彼と募る話もなければ、語らうことも何一つない。

 ただ近くで食事を取っている赤の他人、という関係性が放つ静寂による緊張感だけが私と旧友の間に漂い、非常につまらない現状となっている。


 そのため目の前に観察しがいのありそうな集団を見つけた私は、喜んで彼らの観察をする事にした。

 見たってつまらん男を見ているよりは、一喜一憂している群衆を見ている方が数倍楽しい。それに無駄に沈黙を貪るよりも数千倍も有意義な時間を過ごせる。



 そういうことで、だ。

 これまでに何度も傍観してきた団体だが、暇潰しのために改めて観察を行うことにした私は、岩原組へと意識を向ける。


 岩原組も昼食を取っているようだ。

 まあ、この時間には対外の者は昼食を取るのだが。


 和気藹々と昼食を楽しんでいる彼らは、どうやらとある人物に絡んでいるようで。

 一体誰に絡んでいるのかと思い目を凝らして見れば、雰囲気が軽薄な男子の姿が認められた。


 どうやら岩原組は『恥将』――失敬。『智将』に絡んでいるようで。




「ケロベロスとはどこまでいったんだ『恥将』!」


「ケロベロスって中田くんのこと? 『番犬』から取ってるのそれ?」




 主に学年の中で最も存在が浮いたサッカー部エース、中二病の龍堂寺にしつこく問い質されていた『智将』は、仕方ないと観念したように語り出す。




「……とりあえず、中田くんのイトコの両親には認めてもらったよ」


「佐田の方? 多田の方?」


「多田くんの方だよ」




 茶化すような笑みを浮かべている古河に、ため息混じりに応えた『智将』の眼差しは、遠い。


 従兄弟の両親『には』ということで、どうやら彼はまだまだ、一族の繋がりが強い中田の家系に認めてられていないようである。



 ネバギバ、と拳を握った寄戸の励ましに、「ネバギバ!」と明るい笑みで返した『智将』は、





「ところで何で『恥将』は中田に惚れたんだ?」




 突拍子もない岩原の些細な疑問に、一瞬でその顔を凍り付かせた。




「え? それを今この場で訊く? え?」


「どうせ暇なんだろ。ちょっと馴れ初めとか語って行けよ。ほらトマトのヘタやるから」


「それただの嫌がらせだし! 俺暇じゃないし! ちょっと俺警備委員の見回り中――」


「いいから語ってけよボケ」


「はい」




 軒島と少し口調がヤンキー時代に戻った寄戸に挟まれ、岩原組の元で足止めを食らうことになった『恥将』。

 このことを知れば彼の想い人である『番犬』こと中田が、真っ先に『恥将』を叱りに来るのだろうが――いやはや。


 すでに時は遅かったようで。




「何してるんですか、知崎先輩」




 不機嫌なオーラを纏った中田は、既に『恥将』の背後に佇んでいた。




「いや、中田くん……? これは仕事の一環で……」


「見回りはどうしたんですか、先輩」


「あの、だから、ね。中田くん、俺は別にサボってなんか……」


「行きますよ先輩」




 極寒の視線で『恥将』を凍てつかせた中田は、ずるずると『恥将』を引っ張っていく。

 「いやホントごめんなさい中田くん」という言い訳を諦めた『恥将』の背中を、楽しそうに見送った岩原組の中で、古河が口角をひきつらせながら言った。




「おっかねーな……」




 お前が言うな、と思わず言いかけた私であったが、隣で食事を取っている旧友に怪訝な視線を向けられたくないため、吐き出しかけた独り言をぐっと堪えた。

 この二つばかり年下の幼馴染みは、目つきが鋭いため睨み付けるとそれなりに迫力がある。正直言って私は、未だに慣れていない。


 一体何年の付き合いになるのだが。

 初めて出逢った時から全く慣れることのない彼の目つきに、『私も成長しないな』と苦笑すると、隣で自作の弁当を食し終えた旧友が不意に言った。




「変わんねえな、お前」


「……ほう?」


「一人で物思いに耽って、急に笑い出すところ。さぞかし幸せなんだろうな」




 アイツが喜びそうだ、と。


 どこか虚ろな目で、虚空に『何か』を見つけ出そうとする旧友。

 まだ自分の生きる理由――存在意義を見つけ出せていない彼を、私は鼻で笑う。





「そこまで衰弱するならば、さっさと見つけに行けば良いだろう?」


「……俺はここから動いちゃいけねえ。そんな気がするから、こんなところにいるんだろ」




 素っ気なく言葉を返した旧友は私の隣を発つと、億劫そうな足取りで校舎に戻っていく。

 体格は私より良いはずである彼の背中は、吹けば手折れそうなほど覇気がなく、小さく見えた。


 あまりに弱々しい旧友の背を見送った私は、『ふむ』と顎に手をやる。

 あの様子だと、後三ヶ月も保たないだろう。




「……やはり、早急に見つける必要があるか」



 常日頃から思っている事柄を改めて胸に刻んだ私は、空を仰ぐ。


 吸い込まれそうなほど澄んだ、晴天。

 この空の下に必ず存在する、夜空のような存在は――どこで生きているのだろうかと。



 淡い焦燥を抱きながら、私は蒼空を見つめた。







       〇




「――と。旧友を案じる内容を日誌に書いただけで、なぜ私は生徒指導室に呼び出されたのだろうか」


「そうだね。やっぱり途中からクラスと関係ないことを書いてるからだと思うよ」


「成る程」




 ふむ、理解した。クラスメイトのこと以外をクラス日誌に表記してはならなかったのか。

 ならば日誌の注意書きにそのような項目を足しておけば良いものを。


 今も昔も腹の中で考えたことを外界へ吐き出さない私は、面倒だとばかりに生徒指導室の壁時計に目を向けた。

 ただ私は書き終えたクラス日誌を提出しただけだというのに、その場で立ち見された日誌と共に入るつもりのなかった生徒指導室に引き込まれてしまった。


 おかげで放課後の貴重な時間を、このようなくだらないことに費やしてしまったではないか。

 これでは旧友の存在意義を見つける時間が無くなってしまう。


 やれやれと嘆息を吐いた私に、私を生徒指導室に引っ張り入れた警備委員会の頂点。

 『連行係』の異名を持つ警備委員長こと鬼月(きづき)は「話をちゃんと聞け」と眼前から気を逸らす私に注意をする。


 おっと。これは失礼した。



 渋々視線を椅子に座る『連行係』に合わせた私は、私の書いたクラス日誌を堂々とデスクに広げた鬼月に問いかける。

 返答は大方予想できているがね。




「それで私は、クラス日誌を書き直せば良いのかね?」


「それもあるけど……それ以外にも警備委員として、訊かなきゃいけないことがあるんだよね」




 ハンサムであることに定評のある鬼月。

 個人のファンクラブまで存在しているという、まさに学園のアイドルといった人物である彼は、優しいということで人気な双眸に鋭さを宿すと、その瞳で射抜くように私を見る。

 彼の目には、仕込み武器のような危うさと輝きがあった。


 形の良い薄い唇が、開かれる。




「この日誌の中で、キミは寄戸の背後をついて回る存在や、古河の素性を知っているような内容を記していた。

 ――正直に、答えてくれ」





「お前はどこまで知っている?」





 鉄のような冷たさ。鉛のような硬さをもって。

 厳かに、かつ堅固に投げかけられた鬼月からの問いに――直後。



 私は思わず失笑してしまった。



 当人はいたって真面目に紡いだのであろう、質問。

 真剣に唱えられたその問いを、私は投げかけられた瞬間に――何たる愚問だと、思ってしまったのだ。


 楽しく嘲笑を浮かべてしまった私に、懐疑的な視線の中に警戒の色を浮かべ始める『連行係』。

 すっかり私に対する警戒が出来上がってしまった同級生に、私は「いやいや失敬」と笑みを抑えながら頭を下げ、愚問に愚答をと言葉を返す。




「『どこまで知ってる』か、か……ふっ。先に言っておくが、私は何処ぞの『情報屋』のように、全てを知っているわけではない」


「……へえ?」


「私が知っているのは、私が『観て』分かった事だけだ」




 そう。あくまでも私が知り得るのは、私がこの目で『観た』ことのみ。

 私が『観た』結果として知った、事柄のみだ。


 大前提として念頭に入れてもらいたいことを述べた私は、口角が歪んでしまうのを必死で堪えながら、知っていることを語る。


 同じクラスの、岩原組を『観た』結果として、知っていることを――公言する。




「岩原は主人公補正付き。

 古河はフリーの殺し屋。

 龍堂寺は邪神の遣い。

 寄戸は霊媒体質。

 軒島は霊退体質」




 目つきは鋭くも表情は穏やかであった『連行係』の顔から、優しさが消える。

 社交辞令の笑顔を消した鬼月の表情の変化に、信号機の色が変わるかのような既視感を覚えた私は、さらに『連行係』の表情が変わることを期待して、少し彼を煽ってみた。




「何れも『観て』分かった表面上のことだよ――吸血鬼殿」





 まさか自らの正体まで看破されているとは、思いも寄らなかったらしい。


 さっと雲の間から月がその姿を見せるかのように、鬼月の顔に動揺が垣間見えた。

 ぴくりと震える、デスクの上で組まれた両腕。戦慄でもしたのだろう。


 私に動揺を悟られまいと冷静さを取り繕う鬼月の様子を、至極愉快に観察させてもらった私は、『やはり常人より肌色が悪いな』と再度『連行係』の肌色の悪さを視認しながら――さて。


 いい加減、生徒指導室などという警備委員の支配下に置かれた閉鎖的空間で、消費する時間が惜しくなってきたため、さっさと話を進めることにした。




「それで――知っているからと言って、貴殿ら警備委員はどうするのかね?」




 私も暇ではない。早急にやるべき事が一つあるため、このような外界と隔離された空間から、一刻も早く解放されたいのだが。




「……その余裕綽々な態度からして、この学園の存在理由も――」


「無論、知っている」




 今更何を言うのか。

 むしろ私は何を言えば言いか。

 そもそも貴殿は私に何を求めているのか。


 どうしても話を長引かせたいらしい警備委員長に、相手をするのが面倒になってきた私は、適当に知っている情報を語ることにする。

 あくまで上っ面だけ語っておけば、早く会話が進むであろう事を期待して。




「この学園には山ほどの異形が生息していることも、この学園が設立された理由も、教諭や特待生を『観れ』ば分かる」


「……そっか」




 ――何もかもお見通しだった、ってワケだ。

 はっきりとした口調で確実した、とばかりに呟いた鬼月は目を伏せ、息を吐く。


 ため息を吐いた彼の体が弛緩したのを見取った私は、彼が私の処遇を決めあぐねていることを悟り、自分が不利な状況に置かれないために先手を打っておくことにする。

 早く退室したいという本心は、隠しながら。




「心配せずとも、私は先程のように知っていることを周囲に言い触らしたりはしない。

 あくまでも私は作家だ。せいぜいこの観察力も執筆のネタとして利用している程度だ。それならば問題ないであろう?」




 この警備委員長が望むのは、『平和な日常』。

 それを乱すような事はしないと、あえて口に出してやった私の言葉を受け取った『連行係』は、どう見てもインドア派な私をじっと見据えると。




「……絶対に黙認しているなら、何も指導する事はないさ」




 そっと胸を撫で下ろして、私へ向けていた警戒心を解いた。

 突きつけていた銃口を下ろし、安全装置をつけるかのように。



 ――ある意味私は、このような展開になることを予測していた。



 吸血鬼という異形でありながら、『鬼』というには優しすぎる彼。

 人間のような慈悲深さを持ち合わせている鬼月の優しさを利用し、自分の地位を守った私は――内心人間らしく、醜悪にほくそ笑みながら、デスクに広げられたままであった日誌を手に取った。


 やっと、私はこの窮屈な空間から解放される。




「これは書き直してこよう。適当にクラスメイトの様子を記し、またここに持ってくればいいか?」


「ああ、悪いね。頼むよ」




 下手をすれば人間よりお人好しであるかもしれないだろう吸血鬼は、柔和に笑んで私を解放する。


 生徒指導室に引き込まれ約二十分。

 私は自由を手にした。


 生徒指導室の入退室の自由を認めた警備委員長は、日誌の下に広げていた書類を纏めると、細かく文字の記されたそれらに目を通していく。


 ――去年は事務作業など一切せず、自由奔放に走り回っていたというのに、学年が上がった途端に随分真面目になったものだ。



 時の流れにより変わるのは吸血鬼も同じかと、この世の諸行無常さをしみじみ感じ取った私は、日誌を書き直すために教室に戻ろうとする。


 貴重な放課後を二十分も潰されてしまった。

 そのことにやり場のない苛立ちとやるせなさを僅かに抱きながら、ほどほどに肩にのしかかる疲労感に生きている事へのの心地よさを感じながら、私は鬼月の使用しているデスクに背を向けようとする。

 その時に、ふと、私の観察眼は鬼月のデスクに広げられた資料に向けられた。

 まったくもって、それは偶然であった。


 そして偶然の結果、鬼月が目を通している書類を盗み『観る』ことになった私は落とした私は――踵を反そうとした足を、止めた。



 時間にすれば、二秒ほどか。

 たっぷりと、視界に飛び込んできた資料の文字を辿った私は、思考の渦巻く脳に白色の衝撃を受ける。


 思考が停止した時間は、一瞬。

 閃光が眼球を貫いたかのように目の前が弾け、緩やかに思考がじわじわと甦ってきたところで、私の胸にこみ上げてきたのは――



 ――歓喜だ。



 喜び。歓び。慶び。悦び。

 臓腑を熱くたぎらせる、爆発的な感情の暴走。

 それらを自らの胸の内に留ませる私は、平静を装いながら訊ねる。




「それは転校生の書類かね?」


「ああ……来週転校してくる『普通』の生徒だよ。特に成績に問題もないし、特待生に抜擢されるようなヤツらでもなさそうだ」




 心底安心した、と言うように表情を緩ませる、平和を愛する吸血鬼。

 私に話しても問題ないと判断したらしい彼は、今度転校してくる数名の書類を目の前で広げて見せ「きっとお前は興味も湧かないだろうね」と苦笑う。




「ああ、そうだな」




 同意を求めていた吸血鬼の問いかけに、興味が無いふりをする私は、腹の中でくすぶる感情を隠しながら、嘘を吐いた。

 喜んで、嘘を吐いた。



       〇



 生徒指導室を後にした私は、早足で、人気の少ない校舎を闊歩する。

 ここの生徒は皆真面目であるので、私の歩く北校舎に残る生徒は微量だ。

 この学園に所属する生徒は大概が部活動に所属するか、アルバイトか私情のために、放課後は北校舎以外の場所へ出払う。

 優等生も劣等生も不良も一般生徒も、皆々なんとも真面目なことか。



 ただ一人静かな校内を歩み、校舎四階の三年D組の教室へ辿り着いた私は、そこで私の荷物の番を律儀にしながら、待っていた旧友の目の前で。




「――ふふっ」




 治まり切らなくなった笑みを、零した。



 一度溢れてしまえば、胸の中の激情は泉の源のように、次から次へと溢れ出てくる。

 蓋をしても間に合わない――否。そもそも蓋など意味のないそれに、まったく本当に仕方がないと開き直ることにした私は、


 両手を広げて、狭い天を仰ぎ、

 魂から湧き上がる全ての衝動に身を任せ、



 思う存分――この歓びに浸る事にした。



 嗚呼――蟠りなく感情を爆発させるとは、何とも素晴らしく気持ちの良いことか!




「ふはははははははははははははははははははは――――ッ!」




 旧友が怪奇なものを見る目で私を凝視してくるが、そんなものは微塵も気にしない。気にする余地も必要もない。


 顔のありとあらゆる筋肉が歪む。

 腹が、肩がひくひくと小刻みに震える。

 どこからともなく込み上げる哄笑が、次々と吐き出される。


 気分は快適。至極悦ばしく優雅で悠々と享楽的かつ愉悦で愉快だ!

 あまりの快楽に少し射精した! しかし不快感は全く無い!



 果てしない歓びを全身を使って表現する私は、後ろに撫でつけた髪をぐじゃぐしゃにかき乱して、狂喜に溺れる。


 清流のようであった未来の光景(ヴィジョン)が、濁流と化していくのが目に浮かび、凄惨な笑みが顔面に張り付く。


 嗚呼――嗚呼ああ嗚呼非常に待ち遠しい!

 一週間後と言えど、先の未来が、またその先に待ち構える未来の場景が、先に立ち塞がる混沌がッ!

 楽しみで愉しみで!  愛し恋に焦がれ!

 歪み狂うほどに――楽しくて仕様がない!



 作家としての本能が煩悩が叫ぶ! 吼える! 悲鳴を上げ絶叫する!


 また愉快で痛快で刺激的で壊滅的に良い物語が生まれそうだ!

 嗚呼腕が鳴る! 嗚呼筆が乗る!



 いやはや――これだから人生は辞められん!




「ふははひゅ――はーっ……はーっ……」




 生まれて初めて、腹の底から笑った私は呼吸を整えながら、机に寄りかかる。

 随分体力を浪費したために、休養を求めてくる体を椅子に落とし、緩慢な手つきで日誌を広げた。手近にあったペンを握る。


 奇妙なものを見る憐れみにも似た目で私を見てくる旧友には、先程私が知った未来は明かさないでおこう。


 そちらの方が劇的で、喜劇的で、最高に面白い。




「頭沸いたのか、お前……」




 先刻の歓喜の余韻が残り、まだ自然と笑みが顔に浮かぶ私を、いっそゴミを見るような清々しい眼差しで窺ってくる旧友に、クラス日誌へ修正を加える私は微笑む。




「私は元より狂っているだろう?」


「……そういや、そうだったな」




 愛想もなく薄く口を開いた旧友は、私から目を外すと、再び虚空を見つめ始めた。

 闇だけをひたすらに映すその瞳は、けして人間らしい感情に揺れる事はない。

 人形より作り物染みて。

 絶望した人間より闇に覆われた、彼の瞳。



 私は生気を感じられない彼の眼に一週間後、誰より爛々とした光を灯すことを想像し――その時にようやく待ち望んだ世界革命の瞬間が訪れることに、ぞわぞわと背筋を震わせながら。



 凡庸な日常を、書き綴る。



 ――数多の人間を巻き込み、億千の物語が引っ掻き回される。


 そんな時をこの手で記せる瞬間に、想いを馳せながら。





<了>

○あとがき○




突破衝動企画第六弾は、『学園キャラ』をお題に書かせていただくものでしたが、一身上の都合で投稿が遅れて申し訳ございませんでした。


相変わらず文章力が低い気がして、なかなか上達していない気がして自己嫌悪に陥りつつある、文群です。


今回の題材は『学園キャラ』ということで「ひゃっふうぅぅぅぅぅ!」とあらぶりながら書かせていただきました。

今回も前回よろしく、行き当たりばったりで書いたために、最初は三ページあたりで済むと、当初抱いていた予想がやはり覆されました。

どういう事か原因を特定できません。検便みたいな検査とかできないんでしょうか、これ。

あ、やっぱ無理ですか無茶言ってすいませんでした……。



今回はこれまでの学園ものシリーズで出てきたキャラクターを、一気に出してみました。

これにより岩原、古河、龍堂寺、寄戸、軒島の設定が明るみになりました。ついでに余計な人のも明るみになりました。ああ鬼月は良いとして。

注連縄、識井双子兄妹は別のクラスなので今回は脇役とさせていただきました。


なので今回の主役は岩原組なのですが――なにやら不穏なフラグが建ったようです。全く続きとか考えてないけど。

主人公とか殺し屋とか邪神とか幽霊とかまた出て来そうですね。



作家さんがまた爆笑してますけど、彼は放っておいても問題ないかと。あくまでも彼は『作家』であり『観察者』なので。気にしないでください。

今回は彼が主役のはずなんですけどね。



ああ、『恥将』?

彼は中田くんのために一生懸命なんじゃないかな? うん、リア充リア充。



最後に。当企画に参加してくださった皆様。および制作に関わってくださった方々。リア友である雪野様。今回もテストだなんて素晴らしい苦行を執り行ってくださった学校関係者の方々。検便を行ってくれる方々。そしてカルピス原液のようなキャラしか出てこない短編を閲覧してくださった皆様へ、心からの感謝を!


ありがとうございました!





<完>

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