6話 アカデミー・Ⅲ
そういえばアンジャシアは言っていた、アカデミーは大変な場所だと。
それはつまり彼もここへ通ったことがあり、内情を把握していたということではないだろうか。
「アンが……?」
けれど先程の女子生徒の記憶を見る限りでは、同級生のような気兼ねない関係に見えた。
――彼女に訊けば、分かるだろうか?
そんなことを授業に入ってからも、チャンは机に向かいながら考えていた。
ちらっと教室の右側を一瞥すると、そこに先程の女子生徒が座っている。
まさか同じクラスだったとは気付かず、知った時はチャンも驚き稔に彼女のことを訊ねたが、彼はどういう訳か何も教えてはくれなかった。
――疫病神には関らない方がいい
彼はそう言った。
そういえば突っ掛ってきた男子生徒も同じようなことを言っていた。
――彼女は何故、疫病神と呼ばれているのだろう?
すると、その時。
――プルルッ
教室の内線端末が鳴り出し、教官がそれを開くと何やら話をし出した。
そしてそれを終えると、教官が前を向き直り、口を開く。
「セバス。授業はいいから、すぐに第一医療室に行ってくれ。健康診断をするそうだ」
「え? はっはい」
突然の呼び出しに少しビックリしたが、前もって書類を貰っていたせいか、チャンはそれほど慌てず席をたてた。
ただ授業中になるとは思わず、周りの注目がひしひし伝わって辛いが、その分足早に歩き教室を後にする。
途中、例の女子生徒を見ながら。
「えっと、ここか」
第一医療室に着くと、チャンは少し小さめの声で、失礼しますと扉を開けた。
様子を窺いながら室内に入ると、こちらに背を向け窓辺の席に座っている男性が見える。
白衣を纏い、後ろ姿がどことなく霧桐に似ているなと思っていたら。
「やぁチャン君、来たね」
「霧桐さん!?」
彼本人の顔がこちらを振り返り、チャンは驚いた。
「どうしてここに?」
「俺が医療科のチューターだからね。週三で俺もこっちに来てるんだよ」
「チーフなのに、いいんですか?」
「それを言ったら、しんさんだって館長だろ? 大丈夫、俺は一日中いる訳じゃないし、アン君がいればあっちの状況は分かるから」
「……結構あっさりしてるんですね」
重要危険物を管理している割に、危機感があまり感じられずチャンが拍子抜けしていると、霧桐が続ける。
「それに健診するのが俺じゃないと、君も困るだろ?」
「まぁ、そうですけど」
「診断書、適当に書いとくよ」
「えっ、健診しないんですか?」
「館で審査されただろ? あの時に一通りの君の情報は計測済みだからね」
「……じゃあ、ここに来る意味ないじゃないですか」
「形は大事だよ。やったって報告をしなくちゃいけないからね」
だからといって、わざわざ授業中に呼び出すのもどうかと、チャンは思った。
彼もしんに似て、案外いい加減なのかもしれない。
「ところで、どうだい? アカデミーは。虐められてないかい?」
「……」
「おやおや、早速か。それじゃ、仕事の方は?」
「そのことで、ちょっと霧桐さんに訊きたいことがあるんですけど」
「訊きたいこと?」
楽観的な口調で話していた霧桐とは違い、チャンは真面目な顔で訊ねる。
「アンは、ここに通っていたことがあるんですか?」
「アン君? どうしてそう思うんだい?」
「彼と親しくしていたかもしれない女の子を見つけたんです、三つ編みをした……彼女は今、皆から疫病神って呼ばれてます。霧桐さんは知らないですか?」
「うーん、そうだねぇ……」
チャンはじっと霧桐を見た。
別にアンジャシアを疑うつもりはないが、気になる。
特に彼に通ずる者がこのアカデミーにいると知れば。
姫について、何か関係しているかもしれないという考えは、チャンの中で否めなかった。
すると霧桐は、穏やかな様子のまま口を開く。
「心当たりがないこともないけど……その子から直接訊いたのかい?」
「いえ、そういう訳じゃ……」
まさか記憶をよんだとは言えず、チャンは言葉を濁した。
そんな姿を霧桐は訝しく見つめてくるが、あえて追及は避けたのか、ただ質問に答える。
「確かに、アン君は以前このアカデミーに通っていたよ。けれど彼には幾つか欠点があってね。それが不運にも重なってここに居られなくなった」
「欠点?」
また新たに複雑さを醸し出す言葉が出てきて、チャンは首をひねった。
真面目でしっかり者のあのアンジャシアに欠点とは、いったい何なのだろう?
すると霧桐が、急に真剣な目をしてチャンに言った。
「気になるのなら、その子と話をしてみるといい。ただし、周りには注意するんだよ?」
「え」
「しんさんや俺と繋がっていることが知られれば、君は窮地に立たされることになる。何せここには政府関係者が山のようにいるからね、君から姫の情報を探り出そうとあらゆる手段を使ってくるだろう。そのせいで姫達を巻き込みでもしたら――しんさんはどうするかな?」
「どうするって、まさか……!」
「容赦なく遺跡へ連れて行く。その後どうなるかは……分かるよね?」
――口封じ
チャンは直感した。
決して攻略出来ないと知った上で入れる。
しんなら、何の躊躇いもなくそうするだろう。
そのことにチャンが動揺していると、追い討ちをかけるように霧桐が言った。
「そういえば君、仲良くしてる子がいるみたいじゃない――春日部 稔君、だっけ?」
「え……?」
「彼は一番ソレに近いんじゃないかな?」
まさか彼の名前が出るとは思わず、チャンから血の気が引いた。
初めて声をかけてきてくれ、普通に接してくれる。
友と呼べるような者は彼ぐらいなのに、このまま一緒にいると彼が危ない。
するとチャンの中で、霧桐の目が脅威に変わった。
「忘れちゃいけないよ、チャン君。君は見られているということを」
――政府からも、MINATSUKIからもね
それからチャンは、沈黙のまま教室に戻った。
暗い顔の彼を心配した稔が声を掛けてきてくれたが、チャンは笑って誤魔化す。
仲良くするのは悪くはないが、深く関わらせてはいけない。
軽率な行動が、相手の命に大きく影響するのだ。
そう考えると、例の女子生徒に声を掛けることがチャンにはどうしても出来なかった。
結局、何の収穫もないまま一日が終わり、寮の部屋へと戻る。
情けない自分にがっかりし、このままだとまたしんに厳しいことを言われそうだと思いながら、チャンがベッドにダイブすると。
「……すぅ……」
「――ん?」
隣のベッドから微かに寝息が聞こえ、チャンはチラッとそちらを見た。
「……しんさん、また入り込んで」
前日に引き続き、今日もまた勝手に上がり込んで、その上疲れていたのか彼女は気持ち良さそうに眠っていた。
更にはタンクトップに短パンという露出の多い格好で、首にはタオルが掛かり、若干髪が濡れている。
明らかにシャワーを浴びた後で、それを証明するようにシャンプーの香りが仄かに鼻をかすめ、チャンの頬はうっかり紅潮した。
「……ホント勝手なんだから」
仮にも男の部屋なのにと文句を言ってやりたいが、当の本人は夢の中。
そのせいもあってか、チャンは無意識のうちにしんをまじまじと見ていた。
ずっと戦っていたであろう彼女の身体は思ったよりも細く、無防備な寝顔だけ見てると、脅威となる力を持っている姫にはとても見えなかった。
――力がなければ本当に普通の女性、なのに……
チャンの手がつい彼女に伸びる。
――もしこの手で彼女の身体に触れてみたら、どうなるのだろう?
相手の記憶をよむ能力が自身にあるかもしれないことを思い出し、チャンの手はゆっくりとしんに近付く。
――彼女の記憶をみるのは怖いが、知りたい。もしかしたら、他の誰のよりも一番……
心臓の音がやけにバクバクと響き出したように思えた。
そもそも彼女に触れること自体が恐怖であったが、今は好奇心が勝り、ついにその手がしんの肩に触れる。
「……ぁ、スベスベ」
ちゃっかり肌の感触を堪能しつつも、チャンはその時あれっと思った。
――記憶がよめない……?
やはり都合良くいつでも見られる訳ではないのか、気付けばただ普通に触れているだけの状態となっていた。
「……何、やってるんだ僕は」
「ホント、いい度胸よね」
「わっ!」
いつの間に目を覚ましていたのか、ニヤニヤしたしんがじっとこちらを見つめていて、チャンは思わず飛び退き背にしていた自分のベッドに倒れ込んだ。
「……いつから起きてたんだよ?」
「《しんさん、また入り込んで》からかしら」
まさに初めから狸寝入りだったことを知って、チャンの顔は火がふきそうになるくらい真っ赤になった。
「性格悪いだろ!」
「あら、勝手に触ってきたのはあなたの方でしょ? いくら私が魅力的だからって、寝込みを襲おうなんて紳士にあるまじき行為よね」
「~~~っ!」
返す言葉もなく、チャンは撃沈した。
確かに下心が全くなかったとは言えない。
良い香りのする髪に誘われ、スタイルの良い身体に何も感じなかった訳ではないのだ。
しかし、触れた目的はそれではない。
チャンにとって、それだけははっきり主張したかった。
が。
「何か言いたそうね?」
「……」
どう言って良いのか、分からなかった。
彼女の記憶をよみたかった、と言うのも変な気がするし、能力のことを話して良いのかもチャンは躊躇った。
しかしそれすら見透かされていたのか、しんは身体を起こしながら口を開く。
「そんなに力を試したかったのかしら?」
「えっ」
「私の記憶をよんでしまえば、他の姫の正体も分かるものね。でもまだまだ、甘いわ」
「……やっぱり知ってたんだ。僕の力のこと」
何となく感じ取ってはいても、今まで確証がなかった為に切り出せなかったが、たった今はっきりとした返事を聞き、チャンの迷いは消えた。
――やはり自分には、特別な力がある。そしてそれを彼女も知っていた
「それじゃあ、僕が何者なのか知ってるんだな? 教えてくれよ」
「嫌よ。私に何のメリットもないじゃない」
しんはツンと拒むと、鋭い瞳でチャンを見る。
「知りたければ、自分で探りな。もしくは力ずくで私を征してみるか」
「またその話か」
「四季の黄昏から核を取ってこればいい。そうすればたとえ私の核じゃなくても、私の全てはあなたのもの。そういう賭けよね?」
しんはそう言うと、チャンのベッドに移り入り、至近距離から彼の顔を覗いた。
女帝と恐れられる彼女の双眸が、すぐ側でギラリと光る。
奥が深過ぎて何を考えてるのか分からない、ゾクゾクする。
「私の何もかもをあなたは支配出来る。私を跪かせることは勿論、私が知っているあなたを洗いざらい吐かせることだって出来るわ。知ってる? 政府では騎士のことを主人って呼んでるのを」
「何だって……」
チャンは勿論知らなかった。
確かに政府が騎士と呼ぶには違和感がある。
主人という呼び方にチャンは納得してしまった。
――決して許してはいけないことなのに
チャンはしんを見つめた。
目の前のこの姫を手に入れたら、きっと全てが力で思い通りになる。
獣耳を必死で隠さなくても良くなるし、欲しいものは何でも手に入る。
――地位、富、名誉。そう、何でも……
政府に限らずチャンまでもが喉から手が出る程欲しい存在だった。
――けれど……
「やめろっ、僕は主人になんかならない」
チャンはしんの身体を押し退けた。
甘い誘惑に負けたら、政府と同じになってしまう。
チャンが目指しているのは、主人ではなく騎士なのだから。
「だいたい僕は苛々するんだろ? 本当に核を取ってこられるなんて、思ってない癖に」
「でも、あなたは取ってくる気があるんでしょ?」
「それは、そうだけど……」
「なら政府より期待しても良いと思わない?」
しんは何処か企むような笑みを見せた。
彼女の考えていることは、いまいちチャンには分からなかった。
ただからかってるだけなのか、それとも本当に騎士になることを期待しているのか。
――だけど、どうしてだろう。もし核を選べるのなら、しんの核を取って来たいと思っている
――それ程、彼女を見返したいのだろうか?
それからまた昨日と同じくして、めぐむがしんを連れ帰る為にやって来た。
去り際に何か言いた気な視線をめぐむはチャンに向けるが、無言のまま扉を閉める。
これでようやく一人になり落ち着いたのか、チャンはふぅと息を吐くと、天井を眺めた。
――明日はいよいよ実践の授業がある。途中からの参加だが、ついていけるだろうか?
彼の中で幾つか不安要素が浮かび上がったが、逃げる訳にはいかない。
チャンはぎゅっと握り拳をつくるとそれを掲げた。
――何としてでも強くなって遺跡を攻略するんだ。そして彼女の核を……
昨夜とは違い、妙なやる気が出たように思えた。
しんが自分の過去を握るキーパーソンと分かったからなのか、それとも彼女が僅かにでも自分に望みを持ってくれているかもしれないと、心の何処かで期待しているからか。
どちらにせよ、彼女の言葉一つで大いに振り回されていることにチャンは気付くと、途端に頭の中で先程のしんの肌の感触が蘇り、頬を赤らめた。
「……だからって、あれは反則だろ」
――そもそも今日はいないって言っていなかったか?
またしんが来たら、今度こそ追い出してやろうとチャンは心に決めた。