4話 アカデミー
民間軍事組織――MINATSUKI。
表向きは、様々な身辺警護を生業としている警備(警護)会社であるが、裏では政府の下、四季の黄昏に関する情報漏洩を防ぎ、一切の警備、管理を任されている。
その為、必要な施設の設立、直接戦闘や要人警護の技術を養う軍事教育などの軍事的サービスをも行っていた。
その教育を受ける訓練生は皆、四季の黄昏について学び、自らが入り核を持ち帰ることを目的としている。
それが大変な名誉であるものと考えていた。
「軍事アカデミー? 僕が?」
しんの言葉を聞いて、チャンは驚いた。
ついさっきまで遺跡に入るよう脅されていたのに、突然手のひらを返したように延期となり、何がどう転がってか学校へ通えと言われたのだ。
しかも普通の学校ではなく、軍事教育を専門的に行う学校へ。
「すでに警護学科への編入手続きは完了済みよ。明日からよろしくね」
「よろしくねって、警護学科!?」
それは本当に突然のことだった。
軍事アカデミーには、警護学・機械工学・医療・経済の四つの学科があり、全寮制だという。
チャンはその内の警護学科に入り、即寮生活を始めなければならない。
ただそれだけの簡単な説明だけ聞いてゲストハウスの部屋に戻されたチャンは、明日の準備をするでもなく、ぐったりとベッドに転がった。
昨日来たばかりで、もともと荷物の整理もまだしていない。
準備も何もなかった。
「……なんだよ。遺跡に入れって言ったり、アカデミーに入れって言ったり」
――たった一日でこんなにコロコロ変わるのか、あの人は。
チャンはしんのことを考えながら、ブツブツと愚痴をこぼす。
するとそんな時、コンコンとドアをノックする音が聞こえ、申し訳なさそうに開かれた扉からコソッとアンジャシアが顔を覗かせた。
「チャン君、今いいかい?」
「アン?」
チャンが身体を起こすのと同時にアンジャシアが入ってきて、パタンと扉を閉める。
そんな彼の表情が明らかに疲れきっていて、しんの仕返しにあったのだとチャンはすぐに気がついた。
「……大丈夫?」
「平気だよ。これでもいつもよりは軽いんだ、ハハ」
「大変なんだね、いつも」
お互い乾いた笑いを済ませ、はぁと溜息を吐く。
「それで、どうしたの?」
「明日からアカデミーだろ? いろいろ教えてやれって、しんさんが」
「……しんさんが?」
嫌な名前を聞いてチャンは眉を歪めた。
どうせ自分で説明するのが面倒だから彼に任せたのだろうが、どうも彼女の名を聞くだけで何か裏があるように思えて仕方なかった。
警戒心がむき出しの顔をチャンがすると、アンジャシアは困ったように笑う。
「気持ちは分かるけど、ちゃんと聞いてね。あそこは大変な場所だから、ホントにちょっとしたことが命取りになるんだ」
「大変な場所?」
それからチャンは、色々アンジャシアから話を聞いた。
すべて頭に入ったかは若干不安があるが、とにかく油断ならない場所に行くことを徹底的に叩き込まれたように思う。
次の朝、朝食を済ませたチャンは霧桐の車で出発し、流れていく外の景色を重い気分で眺めていた。
「浮かない顔だね?」
「良い気分にはなれませんよ」
運転しながらも優しく話しかけてくれた霧桐の言葉を、チャンは適当にあしらう。
これから悪いことが起こるとしか思えないのだ、ウキウキした気持ちになれる筈がなかった。
「そうかい? 君には執行猶予が延びた上に、存分に鍛えられる場が与えられた。ラッキーじゃないか」
「はぁ、それだけなら良かったんですけど」
「仕事のことだろ? 仕方ないさ、君も雇われてるんだから」
――しんの補佐として。
その単語を聞いて、チャンは再び溜息を吐く。
「アカデミーでの彼女はチューターだからね。実際来るのは週二日らしいけど、しっかりサポートするんだよ?」
「あの人が生徒を教えられるんですか?」
「別に一般教師みたく授業する訳じゃない。主な内容は、優秀な生徒の物色みたいなものだからね」
「それってつまり、騎士候補として四季の黄昏に連れて行くってことですよね?」
霧桐のそれを聞いて、チャンはいっそう気が滅入る思いにかられた。
まるで自分の代わりを探しに行くみたいで嫌になる。
「アン君から聞いて分かってると思うけど、くれぐれも余計なことは話さないようにね」
霧桐が念を押して彼に言い、チャンの中で昨夜のアンジャシアの話が思い出された。
“――あのアカデミーの生徒は、大半が政府関係者や上流家庭で育った子達なんだ。つまりは身分を気にする者が多いってこと。君はしんさんと舞依の紹介で入ることになる。君には分からないだろうけど、周りからすればそれは凄いことなんだ。目をつけられると厄介な者が多いから、出来る限り、隠し通すんだよ”
「……ホント皆、勝手なことばかり言って」
難題ばかりが押し寄せ、チャンの両肩がガクッと下がる。
ただでさえ授業についていけるか心配なのに、色々なことに気を配らなければならない。
中でも一番の問題は、身体のことである。
誰にも獣耳を見られる訳にはいかない為、指定の帽子を被ることになるが、それがどこまで通用するか。
頭を抱えたまま、チャンはアカデミーの寮へ到着した。
来賓用の駐車スペースに車を停めて、チャンが降りるのを確認すると、霧桐は運転席から窓を開ける。
「大きな荷物は後から部屋に届くから、とりあえず君は部屋に案内して貰いな」
「霧桐さんは戻るんですか?」
「仕事があるからね。それにこれ以上はマズイだろ?」
「そうですね」
どうやらMINATSUKIの霧桐 舞依は、一目で分かってしまうらしい。
確かに、四季の黄昏を専門的に学ぶ場なのだから、Aspirin館所属の彼はさぞや有名人であろう。
出来る限り大人しくしていようと、チャンは一人で男子寮へと足を進ませる。
「それじゃ頑張って。もし万一のことがあったら、その時はすぐしんさんのところに行くんだよ」
「嫌ですよ。あの人のところが一番危ないでしょ?」
「いや。きっとここでは、君にとって一番安全な場所になる」
去り際に霧桐は意味深な言葉をチャンに残すと、そっと窓を閉めて車を発進させた。
小さく消えていくそれを眺めながら、チャンは深く帽子を被り直す。
「……絶対、一番危ない場所の間違いだ」
*
チャンが寮内に入ると、すぐに一人のメイドが視界に入り、彼を待っていたのか頭を下げ近づいてくる。
「チャン・セバス様ですね? お部屋にご案内致します、こちらへどうぞ」
まさか寮にメイドがいるとは思わずチャンが驚いていると、メイドは手際良く彼の荷物を持ち、部屋へと向かっていった。
チャンがそれを追いながらキョロキョロと見渡し歩くと、ポツポツと生徒が行き交い、外へと出て行く。
どうやら登校時間らしい。やはりここに霧桐がいなくて正解だったとチャンは思った。
あちこちから生徒の視線を感じる。
編入生というだけで、酷く目立つのだろう。
「セバス様、こちらがお部屋になります」
二階へ上がり暫く歩くと、メイドがある一室の扉を開け中へと促す。
チャンが入ってみると、広さ十五畳くらいのワンルームに二つずつ机とベッドが置いてあり、チャンは驚いた。
まさか二人部屋なのだろうか。
「セバス様に現在ルームメイトはおりませんので、こちらをお一人でお使い下さいませ」
「あ、そうなんだ」
良かった、とチャンは心の底からそう思った。
もし他の生徒と同じだったら、獣耳を隠し通せる自信がなかったのだ。
ホッとチャンが安堵していると、メイドが制服と一通の手紙を彼に手渡してきた。
「ご支度が整いましたら、お呼び下さい。セバス様は初登校ですので、車でお送り致します」
「あ、はい。宜しくお願いします」
メイドはお辞儀をすると、静かに出て行き扉を閉めた。
さすが政府関係者や上流家庭の子息達が通う学校だ。
贅沢だなとチャンはつくづく思いながら、早速制服に着替え始めた。
「そういえば、この手紙は何だろう?」
着替えを終え、チャンは一緒に渡された手紙を手に取り、じっくり眺める。
何だか、何処かで見たような封筒の気がする。
チャンは訝しく思いながらも、封筒を開け中の手紙を読んだ。
“――アカデミーに着いたら、私の所に来なさい。 しんより”
しんからの手紙だった。
やはりそうかと、チャンから溜息が漏れる。
もう何度、溜息を漏らしているだろう。
場所も書かれていないのに、何処へ行けというのか。
チャンは捨てるように手紙を机に放ると、鏡で確認しながら帽子をしっかりと被り、部屋を出て行った。
手紙から黒蝶が飛び去って行ったことも知らずに。
*
それからチャンは車でアカデミーへと向かい、担任教官に連れられ教室に入った。
警護学科は学年で三クラスずつあり、一クラス男女三十人程度だった。
チャンはその内の二年A組に入り、これから授業を受けることになる。
「今日から皆と一緒に勉強していく、チャン・セバス君だ。仲良くするように」
教官が紹介してくれ、チャンは当たり障りなく挨拶した。
大勢の注目を浴びることなど初めてで緊張したが、これからのことを考えるとすぐに吹き飛んでしまう程の軽いもの。
チャンは一通り生徒の顔を見回して、窓側の一番後ろの席についた。
所々からヒソヒソと声が聞こえ、早速どこまで情報が漏れているのか心配になる。
すると。
「なぁ、チャン・セバスって本名か?」
隣の席から、男子生徒が小さな声で訊ねてきた。
見たところ、上流家庭の坊ちゃんというよりはチャンに近しい一般人のような雰囲気を放っている男子だが、油断出来ない。
「えっと、君は?」
「俺、春日部 稔。ニホン人の名前じゃねぇし、お前ハーフか?」
「……まぁ、一応そんなとこ」
図々しい奴、チャンはそう思って適当に答えた。
大体この名前に関して、あまり触れられたくないのもある。
しんが勝手につけた名前なのだから。
それから何事もなくHRが終わったが、一時限目が始まる前の休み時間になって、稔の質問が飛び交った。
ニホンと何処のハーフなのか、親は何の仕事をしているのか、どうしてこんな中途半端な時期にやって来たのか、彼の質問は絶えなかった。
それにどうやって返答しようか困りながらチャンが周りにちらっと目を向けると、やはり気になるのか、皆の視線がこちらを向いているように思えた。
――まずいな。
あまり目立ちたくないのだが、しかし生徒達の情報は欲しい。
予想通りの難題に直面してチャンが頭をかかえていると、
「なぁ、いつまで帽子被ってんだ?」
一番触れられたくない質問が、ついに稔の口から出てしまった。
「えっと、これは……」
まだ良い理由を考えていなかったチャンは、目をおよがせ戸惑う。
どうしよう、早く何とかしなければ疑われてしまう。
「暑いだろ? 取れよ、変に目立つぞ?」
稔はそう言って、チャンの帽子に手をかけようとした、その時。
「――チャン・セバス君というのは、君のこと?」
何処からか声がして稔の手が止まり、二人はそちらを向くと、入口の扉で一人の女子生徒がこちらを見ながら立っていた。
前下がりのショートボブの髪を静かに揺らし、他の生徒の間をすり抜け、姿勢良く歩いてくる。
すると周りは一斉に彼女に注目し、しかし彼女は見向きもせず真っ直ぐチャンのところへやって来た。
「おい、“睦月の姫”だぜ」
「睦月の姫?」
稔がこっそり呟き、チャンの耳に入る。
しかしそれが彼女の耳にも届いたのか、少し不愉快そうに目を細め、けれどそれに触れることなくチャンに話しかけてきた。
「君が編入生のチャン君だね?」
「うん、そうだけど……君は?」
「医療科二年の睦月 さとる。君に渡すよう預かった書類を持ってきたんだ」
「書類? 医療科から?」
不思議に思いながらチャンはそれを受け取り見ると、そこには《健康診断の案内》の文字。
「ここでは医療科のチューターが行うようになってるから、君も受けるようにって」
「あ、そういうこと」
何か都合の悪い質問をされるのではないかと密かにヒヤヒヤしていたが、何事もなさそうでチャンはホッとしていると、ふと用紙の下にメモ紙が隠れているのに気付いて、こっそり読む。
“――しんさんが怒ってるから、早めに手を打たないと大変なことになるよ”
チャンはギクリとして彼女を見た。
そういえばアカデミーに着いたが、しんの所へ行っていない。
それどころか彼女とこのさとるという生徒の間にはどうやら交流があるらしく、催促のつもりでここへよこしてきたとも考えられた。
もしかして、前日しんと霧桐が話していた“あの子”というのは彼女のことだろうか。
チャンは苦い顔をするが、さとるは特に表情を変えることなく用を終えて教室を出て行った。
帰り際に、ある生徒を一瞥しながら。
「……お前、睦月の姫と話せるなんて、今日は良いことあるんじゃね?」
彼女の姿が見えなくなり、緊張していたのか稔がフウと息を吐きながら口を開く。
「睦月の姫って、何?」
「あの格式高い睦月家の令嬢だろ、知らねぇの?」
「睦月家?」
あからさまにキョトンとするチャンに、稔は呆れたような顔をした。
その瞬間、周りの生徒も聞いていたのか、白けた様子で徐々に視線が消えていく。
「やっぱお前、ただの一般人か。まぁセバスなんて聞いたことなかったし、よくここに入れたよな」
「えーと、まぁ。知り合いの紹介で入っただけだし」
さすがエリート校だと、チャンは思った。
アンジャシアが言っていた通り、チャンの身分を皆気にしていたのだ。
しかしどうやら彼らの期待に添えられるような身分ではなかったらしく、興味を削がれてしまったようだった。
これで質問攻めに遭うことはないだろうとチャンは思ったが、今度は見下されたような雰囲気になり、情報収集がやり難くなってしまった。
だがそこはとっつきやすい性格なのか、稔が話してくれる。
「睦月家は皆月家の右腕って言われる程の名家で、このアカデミーの運営も睦月家がやってるんだ」
「皆月家?」
「おいおい、そこからかよ。MINATSUKIを設立した名家だろ、まさかMINATSUKIも知らないとかって言わねぇよな?」
「それは一応知ってるけど」
「睦月家の活躍は凄いぜ。アカデミーの運営もそうだが、特に警備・警護に関しては群を抜いてる。警護学科に入ってるなら、それくらい知っとけよな」
稔は自慢げにそう言った。
とすると、もしかしたらAspirin館にも睦月のメンバーがいたのかもしれない。
チャンはそんなことを考えながらも、ふと疑問に感じたことを訊ねる。
「けどさっきの子は、医療科だって」
「姫は特別なんだよ。所属は医療科だが、全部の科を履修してるし」
「全部!?」
「しかも全部首席。チューター達は彼女の取り合いらしいぞ」
稔の言葉につい最近聞いた単語を見つけ、チャンはハッとした。
チューター――確か警護学科は、しんだと聞いている。
「チューターっていうのは、MINATSUKIからそれぞれの学科に派遣されてくるんだが、各学科の二年生から二名ずつ優秀な生徒を選りすぐって特別に教育するんだ。選ばれた生徒はほぼ確実にMINATSUKIに入れたり、四季の黄昏に挑戦できたりするって話だから、皆躍起になってその枠を狙ってる。――ただし」
「ただし?」
「残念なことに、警護学だけは別だ」
急に神妙な面持ちに変わり、稔が悩ましそうに腕を組む。
「うちのチューターは、とにかくいい加減なんだ。選ぶ生徒も自分が気に入るかどうかで判断して、しかも教育なんて一切しない。好き勝手に扱き使って終わりらしい。選ばれた生徒のほとんどは欝になってアカデミーから去るって話だ」
違うな、チャンはすぐにそう思った。
彼女が選んだ者こそが四季の黄昏へ入ってしまっているんだ。
だからそれ以降、誰の前にも姿を現さない。
チャンはそんな実態を知りつつも言えない悔しさに、唇を噛み締めた。
――皆、知らないんだ。四季の黄昏が本当はどれだけ危険なものなのかを
「本当に許せない人だ」
「だろ?」
稔が一人で話し続けている側で、チャンは脳裏にしんのほくそ笑む顔を思い浮かばせた。
そうなれば、彼女の補佐で来たチャンは自動的にその枠にはめられているということになる。
早く手を打てと脅されてもいるし、どのみち彼女のところへ行かなければならない。
なら、せめて居場所を明確にしておいて欲しかったと、チャンは思った。
しかし授業後の休み時間が何度かやって来ても、稔が何かと話し掛けてくるので、なかなかしんを探しに行けない。
そしてついには昼休みに入ってしまい、チャンは結局彼の案内で食堂へ向かうことになってしまった。
「――チャン、ここが食堂だ。どうだ、凄いだろ?」
チャンが一般人だと知って図に乗り始めているのか、食堂について早々に稔が鼻を高くして威張る。
確かに学校の食堂というよりは何処かの高級ホテルのというべきか、想像より遥かに豪勢で上品な広い食堂だった。
「いつもビュッフェスタイルだから、あのテーブルから自由に取ってくるといいぜ」
稔はそう言って、生徒達が一際集まる中央のテーブルを指差す。
そこはライブキッチンになっていて、シェフ達が生徒達の目の前で調理して常に熱々の料理を振舞っていた。
「へぇ」
やはりただの学校ではないと、チャンはつくづく思った。
しかし普通なら喜んで食事に向かうところだが、今のチャンには食欲よりしんのことが気にかかっていて、何とか抜け出せないかと頭を捻らせていた。
「どうしたんだ、チャン。取りに行かねぇの?」
「……えっと……」
いつまでも足を動かそうとしないチャンを見て、稔が訊ねる。
――早く行かないと、もういつ彼女の方から出向いてきてもおかしくない。
チャンとしては、出来る限り公衆の面前で彼女と遭遇したくないのだ。
特に今は、他の学科や学年の生徒も集まる食堂にいる。
ここで会えば、一斉に自分の存在を知らしめることになってしまう為、大変好ましくないことだとチャンは思い、食事を取りに行くのを躊躇っていた。
すると。
「おい、編入生」
近くで男子生徒の声がして、チャンは振り返った。
見ると、上品な制服を着ている割に、何処か柄の悪そうな雰囲気をまとった二人組の男子がニヤニヤしながらこちらを見ている。
「どうしたよ? あまりに次元が違い過ぎて、足がすくんだか? これだから一般人は嫌だよな」
今朝の話を聞いていたクラスメイトなのか、明らかに見下した態度で笑っていた。
――感じ悪い奴ら。
チャンは思ったが、しかし前日からもっとタチの悪い人物を知っているせいで、それ程気に障ることもなく無表情でいると、今度は稔に向かって男子生徒は口を開く。
「おい、春日部。お前もこんな奴のお守りしてんじゃねぇよ。政府の親父さんが泣くぜ?」
「政府……!?」
それを聞いて、チャンはビクッとして稔を見た。
そういえば彼のことを訊いていない。
まさか政府の息子と関わっていたなんて、早速厄介なことになってしまったとチャンは顔を顰めた。
「別に、俺の勝手だろ」
「誰かの紹介で来たらしいが、こんな奴を連れてくるなんてろくな奴じゃねぇよな。ま、こんな奴と絡もうなんて思うのは、せいぜい小心者のお前くらいだぜ。お似合いなんじゃねぇの?」
稔のことも見下しているのか、二人の生徒は馬鹿にしたように言う。
対して稔は、言い返せないのか俯いてしまっていた。
――いつもこんなことを言われているのだろうか?
「やめろよ、お前らにそこまで言われる筋合いはないだろ!」
チャンは途端に仲間意識がわいたのか、咄嗟に間へ入って稔を庇った。
――仲良くするのに、地位や身分なんて関係ないのに。
「チャン……」
「おい、一般人が俺らに指図してんじゃねぇよ」
「身の程を知れってぇの」
二人はチャンの態度で頭にきたのか、彼の胸ぐらを掴みにかかった。
こんなところで問題を起こしたくはないが、チャンにはどうしても彼らの考えが気に入らなかった。
しかし、その時。
――ヒラ。
黒蝶が彼らのもとへ舞い降りた。
急に気温が下がったように、寒気がする。
これは――!
「双方とも、そこまでにしましょう。ここは食堂ですよ?」
耳にした声はチャンが思っていた者とは違い、さとるの姿がそこにあった。
黒蝶とこの冷たい空気は、てっきりしんのものだと思っていたチャンは拍子抜けすると同時にホッとする。
――いくらあの人でも、堂々と出ては来ないか
男子生徒も、さすがに睦月の姫相手では何も言えないのか、渋々とチャンを掴んでいた手を放し、その場を去っていった。
それを確認するように見送ると、さとるはチャンに近づき言う。
「チャン君。健診のことでチューターから話があるそうなんだ。食事の前で悪いんだけど、来てもらえるかな?」
「え、うん。でも……」
チャンは曖昧な口調で稔を見ると、彼は察したのか、気にせず行って来いと手を振ってくれた。
*
「……で、やっぱりこうなるのか」
「当然。私を何時間待たせたと思ってるの?」
チャンは食堂から出ると、すぐに個室へと案内され、有無を言わさず押し込まれたかと思えば、笑っていない目で笑う、恐怖の名に相応しいしんとのご対面をさせられた。
何が健診の話だ?
医療科のチューターなんていやしない。
食堂に現れたのはさとるでも、黒蝶がついている時点で気づくべきだったのだ。
とはいえ、薄々勘付いてはいたのだが。
「僕に何の用? 今後の話?」
「まずは私に対しての礼儀作法を教えてあげたいところだけど」
しんが皮肉を口にするが、それを抑え込むようにさとるが途中で話に割り込む。
「そんな無駄なことに、貴重な時間を費やさないで下さい」
まさか機嫌の悪いしんに、これほどまでにはっきりと意見できる人物がいたとは思わず、チャンはさとるに面食らうが、そんなことなど気にも止めず、さとるは彼に向き直って話しかけた。
「チャン君、改めて自己紹介しておくよ。僕は睦月さとる、MINATSUKI・アカデミー間の情報伝達管理を任されてる。これから君がするべきことも把握しているよ。時間があまりなくて手短かに伝えることになるけど、よく聞いて」
やはり彼女もMINATSUKIに通じていたことを知り、チャンも何とか納得して話を聞くことに頷く。
「まず生徒として、しっかり技術を磨くこと。そしてしんさんの補佐として――四人の姫を見つけ出し、彼女らをAspirin館へ収容して欲しい」
「え?」
ほとんど説明も受けずに来たのもあるのか、後者の内容がまったく理解出来ず、チャンは即座に訊き返した。
「どういうこと? 彼女達はMINATSUKIで保護してるんだろ?」
「テストよ、あなたのね」
するとしんが口を挟み、チャンに告げる。
「勿論私達は、誰が姫なのか知ってるわ。けど実力を見る為に、あなたが自力で姫を見つけ出し、あの館に集めるの」
「なんでそんなこと……? それに無理だろ。僕が見つけられるくらいなら、とっくに政府が見つけてる」
「それは違うよ、チャン君」
明らかに不可能に近いというのに、どういう訳かさとるは自信満々にそれを否定した。
真剣な表情で、チャンに伝える。
「寧ろ、君にしか見つけられない。その為に君はここへ呼ばれたと言っていい」
「え?」
「これはMINATSUKIの中でも一部にしか知られていないことなんだけど、数ヶ月前に姫が一人――脱走してる」
「なんだって!?」
「最終的に君には彼女を探し出して貰いたいんだ、しんさんと一緒にね」
さとるの話に、チャンは返す言葉がなかった。
結局のところどういうことなのか分からず、それからの時間を使って、チャンはゆっくりと整理していくしか出来なかった。
つまりは脱走した一人の姫を探し出す為にこのアカデミーで技術を磨き、他の三人を見つけることでそれが身に付いたかを判断され、パス出来れば本格的に姫の捜索を任されるということか。
授業中そればかり考えていて、チャンの顔はずっとしかめっ面になっていた。
そのせいもあってか、稔は近寄っては来ず、十分過ぎる程頭を悩ますことが出来た。
本当は、四季の黄昏に入る為の技術を磨きに来た筈なんだが、やはりそれを考慮されてここへ連れてこられた訳ではなかったことだけは、チャンは納得した。
――やっぱりしんさんの都合によるものだったか。
結局そうこうしている内に今日の授業が終わり、チャンは寮へと帰る。
途中、稔の視線が気になりはしたが、どういう訳か、午前中とは違い妙な距離感を感じて彼はチャンから遠ざかっていったように思えた。
一人で自室に戻ると、チャンは帽子を脱ぎ捨てベッドに横たわる。
彼の中で、引っかかることがあった。
さとるはどうしてあんなにも出来ると思っているのだろうか。
彼女とは今日会ったばかりで、しんや霧桐からの情報でしかチャンを知り得ない筈なのに。
「……もしかして、僕の知らない僕を知っている……?」
記憶喪失である自分を思い出して、チャンはそんな考えを過ぎらせた。
もしそうなら、送り出してくれた施設の院長の言葉にも合点がいく。
――あなた自身のことが分かるかもしれません。
「……睦月 さとる、かぁ。いったい何者なんだろう?」
「知りたい?」
「…………えぇっ!?」
一人でいる筈の部屋に別の声が聞こえて、チャンは驚きでベッドから転げ落ちた。
そのせいで頭を打ち、それを摩りながら身体を起こすと、もう一方のベッドに寝転がっているしんを見つける。
「どうしてあなたは、いつもいつも突然現れるんだ!? だいたい男子寮だろ、ここは!」
「いいじゃない。誰も使ってないんだし、もったいないでしょ?」
「もったいなくない!」
毎回のことながら、神出鬼没の彼女にチャンがまいっていると、しんが楽しそうに足をバタつかせながら訊ねる。
「ところで、姫って聞いてピンとくる子いた?」
「まだ探す気にもなってないんだけど。……でもここに僕を連れてきたってことは、生徒の中にいるんだろ?」
「生徒だけとは限らないわよ? 教官かもしれない」
「ふーん……まぁ一人はピンときてるけど」
チャンは億劫に思いながらもきちんと答えると、しんは目を輝かせてウキウキしながら再度訊ねてくる。
「へぇ、誰?」
すると。
「――しんさん」
彼は面と向かって、しんにそう言った。
彼女がそっと目を細める。
「……何故、そう思うのかしら?」
「何故と言われても……気配からして普通じゃないし、強いし、色んなこと知ってるし。当時十にも満たない歳って聞いたから、今はだいたい二十歳前後かなって」
「うーん、理由としてはちょっと弱いけど、まぁいいわ。疑ってるというより確信してるようだから」
しんは彼の表情を見ながら呟いた。
チャンの何処にも一切迷いは感じられず、それどころか当然のように口を開く。
「十二年前、一人で暗殺部隊を潰滅させた姫っていうのが、あなたなんだろ? もっと言えば、多分あなたは政府にさえも――正体を隠していない」
チャンは言い切った。
そもそも暗殺部隊を一人で潰滅させる程の力があるなら、隠れる必要もないような気がしていた。
他の姫を護る為とも思ったが、それこそ安全な場所に匿い、自身は目立って動き回った方が良いように思えた。
騎士をむかえなければ、彼女達には黄昏の暴走がやって来てしまうのだから。
そう考えると、まさにしんは当てはまるのだ。
彼女はそんなチャンの考えを読み取ってか、静かににんまりと笑った。
「えぇ、そうよ。正解。四季の黄昏を知る者のほとんどは、私のことも知っているわ。あぁ良かった、あなたが馬鹿じゃなくて」
「あの館にいるのは、他の姫達を護る為?」
「自分の為よ。あそこにいれば、とりあえず政府も直接は手を出して来ない。私が館にいた方が向こうも都合が良いようだしね。ま、出して来たら潰すけど」
「都合が良いって?」
「一ヶ所に留まらせてた方が監視しやすいでしょ? それにあそこは危険物を収容しておく場所でもあるから、私も同じと思ってるのかもね」
しんはそう言うと、可笑しそうにほくそ笑む。
けれどチャンには決して笑えるものではなく、寧ろ眉を歪めてムッとした。
彼女程の力があっても、物として見られている。
それが許せなかったのだ。
けれどそんな彼の様子の方がしんには気に障り、声のトーンが下がる。
「どうしてチャン君がそんな顔をするの? いいじゃない、私がどういう風に見られたって。私を嫌ってるんでしょ?」
「それは、そうだけど……」
「あなたって甘いのね……だから苛々する」
しんが目をつり上げると、途端に空気が変わりチャンはゾッとした。
いつもの緊迫した冷たい気配。
「クズにどう思われようが、知ったことじゃないでしょ? そんなこといちいち気にする奴は弱い証拠、己の信念を持たない半端な奴だわ」
「そんな! 僕はただ……っ」
「その上、誰からも良く思われようと下らない綺麗事を並べ、時に同情し正義振る。あなたはその典型ね、だから言葉に重みが感じられない。そして思うんでしょ、“どうして僕がこんな目に?”って」
「……っ!」
「八方美人も大概にしないと、悪い大人達に簡単に利用されるわよ?」
彼女の鋭い視線が、チャンの痛いところを容赦なく突き刺す。
何も言い返せなかった。
それ程までにしんの言うことはもっともだったからだ。
――悔しい
するとそんな時、コンコンとノック音が響き“失礼します”と言う声と共に扉から今朝のメイドが入ってきた。
しんは顔だけを上げ、そちらを向く。
「あら、めぐちゃん」
「しん様。ここはアカデミーの寮ですので、あまり気配をとばされると気づく生徒もおります。お気を付けて」
彼女とも見知っているのか、しんは身体を起こすとゾワゾワする気配をすんなりと消した。
「はぁ、面倒臭いわね。これでも抑えてたつもりだったんだけど」
そう愚痴をこぼし、しんはチャンに向かって言う。
「あなたにも紹介しておくわ。この子は螢火 めぐむ、睦月家の人間よ」
「睦月家……!?」
その名を聞いて、チャンは思わずめぐむをじっと見つめた。
長い髪をだんごのように一つにまとめ、メイド服に身を包んだ大人っぽい少女。
睦月の者ならば、それなりの実力があるのかもしれない。
彼女はチャンに頭を下げると、しんに向かって言葉を告げた。
「しん様、お車が到着しましたので、お早くお越し下さい」
「もうそんな時間? 分かったわ、すぐ行く」
めぐむはもう一度頭を下げると、静かに扉を閉め去って行った。
しんは面倒臭そうにゆっくりとベッドから立ち上がると、チャンを見る。
「それじゃ私、館に戻るわ。明日は私いないから、くれぐれも問題を起こさないようにね」
しんはそう言い残すと、めぐむの後を追うように部屋から出て行った。
あなただけには言われたくない、チャンはそう言いたかったが声に出せず俯く。
――八方美人、か。まさにその通りだ。
チャンは壁に背中を寄せると、ズルズルと下へ座り込んだ。
悔しい。彼女の言うことは間違いであって欲しいと何処かで思っているのに、いつもストレートに的を当ててくる。
けれど。
――それと同時に思い知る、彼女の強さを。
誰にも負けない屈服しない、心の強さをしんは確かに持っていた。
これまでずっと戦ってきたのがよく分かる。
そしてこれからも。
――畜生。あれだけ酷く言われたのに、憎み切れない。
「……ホント、悔しい」
チャンは泣きそうになる瞼を右腕で覆い隠し、暫く動かなかった。