3話 Aspirin・Ⅲ
しんが出ていき、少し和らいだ空気の中でアンジャシアが口を開く。
「遺跡が発見されたのは十二年前。いったい誰がどうやって造ったのかは不明なんだけど、目的は入口に建てられた石碑に刻まれていた」
アンジャシアがそう言って蔵書検索システムを起動させ、展開したホロキーボードを慣れた手つきで操作すると、一冊の本が検出し、内容が大スクリーンで表示された。
そこに12年前の四季の黄昏が現れ、入口に堂々と立つ太く黒い石碑がズームアップされると、文面が映し出される。
――我を裏切りし、憎き愚民共よ。この身朽ちようともこの国全てを呪ってくれよう。
「何、これ……?」
「昔この国で何らかの裏切りがあったんだと思う。それらしい記述が見つかっていなくて、詳しいことは分からないままなんだ。多分政府が抹消したんだろうけど」
「政府が?」
「こんなにも遺跡を重要視している奴らだからね、何らかの関わりがあるとみてまず間違いないと思うよ」
アンジャシアの説明に、霧桐がスクリーンを眺めながら呟くと、映像が入口から更に奥へと進み、新たな石碑が四つ横並びで現れた。
「この四つの石碑にも、それぞれ文面が刻まれているんだ」
――春姫、是を以てこの国の恵みを滅す
――夏姫、是を以てこの国の大地を滅す
――秋姫、是を以てこの国の富を滅す
――冬姫、是を以てこの国の民を滅す
「これって……!」
「どうやら四季の名をもつ四人の姫を使って、この国を滅ぼすってことらしい」
その言葉を聞いて、チャンは絶句した。
まさか国一つ滅ぼすだけの力を持った者達が本当にいるとは考えられず、冗談にしか聞こえないところだが、真面目に説明してくれる二人の様子を見ると、笑える空気ではないことを悟る。
そんな時、ふとしんの言葉がチャンの頭中に蘇った。
「そういえば、政府が欲しがっている命を救ってみせろってしんさんが言ってた。信じてるというより知っているような。本当に存在するってこと?」
「四人の姫は存在する。政府の目的は彼女達だ。彼らは彼女達を手に入れることで、破滅を阻止しようとしている」
「彼女達を手に入れる?」
「初めは姫達の抹殺を考えていたんだ、酷だけど。この遺跡だって崩壊させる筈だった。けど――失敗した」
アンジャシアが指先を動かして映像を切り替えると、今度は幾つもの人影が遺跡を爆破しようと爆弾を投げ込む映像が映し出された。
それは大きな爆音と共に派手に爆発したかのように見えたが、暫くした後、煙の合間から徐々に広がり見えた遺跡はまったくの無傷だった。
「色々と手は尽くしたらしいけど、少しのダメージも与えられなかった。そして姫達も」
「やっぱり強いんだね?」
「正確には一人の姫が、だよ。密かに集められた暗殺チームがたった一人に全滅。他の三人は力の覚醒がまだだったから守られているだけだったらしい。ただでさえ十にも満たない子達だ、何も出来ないのが普通だよ」
「子供!?」
霧桐の補足に、チャンは驚いた。
「元々普通の少女なんだよ、彼女達は。四季の姫っていうのは、遺跡に眠っていた四つの玉のことで、それがどういう訳か彼女達の体内に入り込んでしまったんだ」
「それじゃ彼女達は被害者じゃないか」
「そうさ、しかも全員孤児だ。彼女達にも人権はあるけど、密かに事を進めるのは容易かっただろうね。施設を全焼させ、その場にいた他の子供達や関係者全て、襲われた。でも失敗し、彼女達を含め何人かの子達は逃げ延び、姿を消した。政府は今でも全員の消息を追っているよ」
「今でも!?」
チャンは身体を震わせた。
幼い子供達が命を狙われ、居場所を失くした。そして今なお逃げ続けている。
チャンはその凄さと、もし自分だったらという考えでゾッとしていた。
きっとすぐに見つかってしまうだろうし、そもそもそんな境遇に12年も耐えられない。
「でも、彼女達の居場所の目星はもうたってるみたいだよ」
「え?」
霧桐の一言に、チャンはハッと顔を向ける。
するとアンジャシアがそっと口を開き、話し始める。
「何年も政府の目を欺いてきてるんだ。彼女達を匿ってる組織があってもおかしくないんじゃないかってね」
「まさか、それがMINATSUKIっていう……?」
先程聞いた名前を思い出して、チャンは口にした。
すると二人の視線が少し鋭く変わり、チャンは一瞬尻込みする。
「ほぉ。君もそう思うのかい?」
「いや、まあ……」
「MINATSUKIは、さまざまな身辺警護や警備を生業としている組織で、政府の重要人物を護衛することも多いんだ。政治に関わる機密も幾つか握っているよ。だからか政府も友好的でいたいみたいだし、簡単には手を出してこない。彼女達が匿われているとすれば、こんな良い隠れ場所はないよ」
「だから政府は、遺跡と姫、そして例の施設に関するいっさいの管理、捜索をMINATSUKIに任せた。そうすることで出方を窺っているんだ」
「それじゃあ、ここにいるアン達は――」
チャンは固唾を飲んで答えを待った。
アンジャシア、霧桐、そしてしんは――
「MINATSUKIの人間だ」
*
「――何の用かしら?」
しんが本館へ戻ると、スーツ姿の中年男性がテラスで彼女を待っていた。
テーブルの上にティーセットとクッキーが用意されているにも関わらず、いっさいそれには手をつけず、震えながら椅子に座っている男性。
遠田という政府の人間だった。
しんは彼の正面の席にどっしりと座ると、行事悪く両足をテーブルの上に乗せる。
そして不機嫌な顔を彼女が向けると、遠田はどっと大量の汗を流し、しかしそれでもどうにかして威厳を保とうと必死に声を絞り出した。
「なっなっなんと無礼な!」
「言葉が通じないのかしら? 用件は何?」
「うっ……かっか館長殿に、てっ提案を……っ」
「提案?」
しんの一言であっさりと押し負け、彼は屈辱と恐怖で穴があったら入りたい思いに駆られた。
しんの気にあてられると、たとえ政府の者であっても恐怖で凍りつく。それ程の強い力と意志を兼ね備えているのだ。
特に彼女の瞳は、耐え切れない程の威圧感を与える。
遠田は悔しさで歯を噛み締めながらも、ありったけの勇気を振り絞って叫んだ。
「れっ例の少年を、こっ政府側に引き渡して頂きたい……っ!」
「誰のことかしら?」
しんが流れるようにしれっと答えると、遠田は怒りで顔を赤くする。
「あっあの少年をここへ呼んだことは分かっているのだ! 彼は貴重な存在だ、危害を加えるようなことがあっては、こっ困る!」
「あら、いつ誰が危害を加えるって?」
「かっ館長殿は……そっその恣意的に行動なさる。我々の中でも、くっ苦情が後を絶たん。銃で撃たれた者だっている!」
「言われた仕事はこなしてるし、撃っただけで殺してないでしょ? 私、鈍い奴と煩い奴は嫌いなの」
「そういう問題では……っ!」
しんの目がギロりと彼を睨んだ。
その瞬間、ゾッとする空気が遠田の背筋を流れ、彼女のもとへは続々と黒蝶が集まり、不気味な雰囲気を醸し出す。
動けなかった。一瞬でもそれから目を逸らし動いてしまったら、殺されるような気がした。
「命救われるだけ感謝しな。それがここでのルールであり、私へのマナー」
完全なる屈服を強いる目。地位や富があっても、彼女には逆らえない。
女帝の佐央しん、彼女の前では遠田はただの愚民でしかなかった。
しんは人差し指に蝶を一匹乗せ、羽にキスをすると、どこかへ飛び立たせる。
「それに危害を加えるかもしれないのは、寧ろそちらでしょ? 彼を呼んだのは保護だと言って欲しいわ」
――まぁ、いずれ遺跡へ放り込むつもりだけど。
しんは頭の片隅でそんなことを思いながら、カタンと席を立つ。
すると蝶達が彼女を囲むように羽ばき、ついていく。
「用はそれだけかしら? 済んだのなら帰ってくれる?」
「……かっ館長殿は、この国がどっどうなってもいいのか?」
「私は目的があってここにいるの。――国のことなんて知るかよ」
しんは遠田に背を向けると、テラスを出て行った。
遠田は緊張の糸が切れたようで、倒れそうになるくらいの勢いで椅子にもたれ、暫く動かなかった。
「余計な仕事が増えそうね」
仏頂面のまま、しんは足早に歩いた。
遠田が来たことで、しなければならないことが出来てしまったのだ。
――私が彼に危害を加える、か。
「ねぇ、あなたはどう思う?」
彼女は誰かに訊ねる。
それはまるで独り言のようだったが、そうではない。
しんの脳内では先程飛ばした蝶と繋がっていて、その先から声が届く。落ち着いた女の声。
「絶対にないとは言い切れません。あなたの場合、勢いで撃っちゃった、なんてことはざらですし」
「さっきのオヤジと同じって訳ね、あなたも」
「えぇ、否定しません。ですから例の案件に賛同して下さい」
以前から何か考えがあったのか、女の声はしんを促す。
しかしその提案に抵抗があるのか、彼女は言葉を濁した。
「……あんまり承諾したくないのよねぇ。面倒が増えそうだし」
「しかし、今の彼には何も出来ない。本格的に政府が動き出せば、彼は簡単に取り込まれますよ? そして使われるだけ使われて殺される」
「そうねぇ……」
しんは立ち止まると、空を仰ぐ。
――目的の為には、彼を政府から守り続けるか、政府に取り込まれる前に彼を消すか。
「……賭けって、楽じゃないわね」
その一言にどういう意味があるのか、しんは小さく笑った。
*
「さてチャン君、ここからが本題だ。君はあの遺跡に入るようだけど、中には何があると思う?」
「え?」
霧桐がクイズを出すように訊ねると、チャンは腕組みをして首を傾げる。
うーんと唸るだけで分からないのか、チャンは答えを求める視線を向けると、アンジャシアがホロキーボードを操作し、遺跡の立体図を展開させた。
するとその中枢部に四ヶ所の点滅が現れる。
「中には、姫達の力を制御する核があると考えられている」
「核?」
「彼女達は、国を滅ぼす強大な力をその身に宿さなければならない。玉の状態からみて、幼少の頃から徐々に力を流し込み、馴染ませ、成長に合わせて力の増幅を図っているようなんだ。そしていずれその身が限界に達すれば、まず脳が機能しなくなり、力の暴走によって滅びへ動く。そのコントロールをあの四ヶ所が行っているんだと思うんだ」
「それじゃ、その核を壊せば――」
「いや、それは危険だ。核を壊しても、玉の力が彼女達の中から消えるとは限らないし、反対に制御を失って力の暴走が始まる可能性もある。確実なのは、四つの核を手に入れ姫達の力を抑えることだ」
「そうすれば、彼女達を助けることが出来るの?」
説明を聞いてチャンが訊ねると、二人は深く頷いた。
そのしっかりとした返答を見て、チャンは改めて確信する。
「じゃあ、やっぱりアン達が姫達を匿ってるんだね?」
「……」
追求してくるその目に、霧桐とアンジャシアは互いに目配せすると、一層真剣さが増す双眸でチャンに訊き返した。
「チャン君、君はもし核を手に入れたらどうする?」
「え、どうするって? そりゃ、力を抑えて姫達を……」
「政府では、核を手に入れた者は高い地位を約束されるそうだ」
「……え?」
その言葉を聞いて、チャンは口を噤んだ。
「姫の力を得るってことだからね。国を滅ぼす程の力だ、政府に限らず誰でも国そのものを手に入れ、王になれる。だからあえて高い地位を与えることで、革命まがいの反乱が起こらないように抑制しているんだ」
「なんだって……っ」
「不思議に思わなかったかい? 危険な場所でありながら、なぜ他人に任せず自分の足で入るのか。破滅の阻止なんて聞こえの良いこと言ってるけど、本当は自分の欲の為さ」
「そんな……」
チャンは新なる政府の汚さを知り、沸々と怒りを覚えた。
一度は姫達の殺害を企んでおきながら、使えると知れば、道具として手に入れようとする。
完全に彼女達を人として見ていない。それが自身と重なるのか、チャンの手に力が篭った。
「入るの嫌だったけど、ちょっとやる気出ましたよ。彼女達は物じゃない、助けなきゃ」
「それじゃ君は、騎士として入るんだね?」
「騎士?」
アンジャシアの問いかけに、チャンは耳を傾ける。
「僕らはそう呼んでる。決して私欲の為に利用せず、力を狙う者から姫を護る騎士」
「――そうだね、僕は騎士になる」
チャンは大きく頷いた。
先程まではただ入ることを強要されていただけだったが、今は入る意味をしっかりと持ち、自分の意思で入るのだとそう思えた。
騎士というには、少し気恥ずかしい気もするが。
「……そう」
「それなら歓迎するよ、チャン君。ようこそMINATSUKIへ。って言っても、しんさんの補佐で来たんなら、契約上はもうMINATSUKIのメンバーなんだろうけどね」
霧桐がそう言うと、チャンもそういえばという顔を見せる。
「それで僕はどうしたら?」
「さっき適性審査を受けただろ? その結果によって、まずチャン君が四季のどの扉に入れるかを推測する」
アンジャシアが立体図の前方部を拡大すると、四つの扉が現れる。
「核はそれぞれの扉の奥に一つずつあるんだ。春の扉、夏の扉、秋の扉、冬の扉。けどどうやら相性があるらしくて、どの扉が開くかは人によって異なる」
アンジャシアはウインドウを開き、チャンの審査結果を映すと、それが立体図に反映され図中の扉が動く。
「チャン君の場合は、まず冬の扉が大きく開く。象徴する雪を見ただろ? そして象徴するものはなかったけど、辺りが夏から秋にかけての景色だったから、夏と秋が半開。春の扉は恐らく現段階では開かないよ」
「へぇ」
「ただし、これはあくまで推測で絶対じゃない。もう一度調べたら、違った結果が出るかもしれないしね。ちなみに審査の時、蛇に追われていたけど、これはトラブルを予兆してるんだ。身を潜めていた蛇の数だけ君の身に危険が迫っているか、もしくは罠に嵌めようとしている者の数なんだよ。チャン君は周りに気をつけた方が良さそうだね」
「え゛」
それを聞いて、チャンはビクリとする。
危険や罠という単語は、これから本当に待ち受けていそうで、敏感に反応してしまう。
たった今、騎士を目指すと決めたばかりなのに、幸先が一瞬で不安になった。
「あとは、体力的問題だね。見たところ瞬発力と脚力はありそうだけど、そもそも遺跡内の構造も人によって変化するようなんだ。どんなトラップが出現するのか、何が必要になってくるのか、それは分からない」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「どんなことにでも対応出来る技術を身につけるしかない」
「強くなれってこと?」
チャンは訊ねながら、筋肉のあまりつかない自分の腕を突っつく。
確かに入る前に鍛えておきたいが、それではあまりに時間が掛かり過ぎてしまう。
その間、ずっとしんが待っていてくれるとは到底思えず、チャンの中ではほぼ諦めていたが、それとは裏腹に霧桐はアンジャシアに提案する。
「アン君、そういう知り合いをチャン君に紹介してあげたら? 君ならよく知ってるだろ?」
「簡単に言うけど、会わせるにはここへ呼ぶかチャン君を出すかしかないんだよ? どっちもしんさんの許可がいるのに、どうするつもり?」
「げ」
「ならいっそ、しんさんに鍛えて貰うかい?」
「絶対嫌です!」
しんの名前が出るだけでもゾッとするのに、彼女に許可を貰ったり鍛えて貰ったりなんて、チャンにとってはもってのほかだった。
思わずむきになって反対してしまう。
そんな彼に苦笑いをしながらも、アンジャシアは口を開く。
「まぁ、交渉次第かな。何らかの条件を飲めば、あるいは」
「何らかの条件って!?」
「頑張れ、チャン君。何とかなるみたいだよ?」
「それ何とかなるっていうんですか!? ってか、交渉って僕がする訳じゃないですよね!?」
身体が前のめりになる位、問い質したい思いでチャンはツッコミを入れた。
彼女に条件をつけられたら鍛えるどころではないし、そもそも自分では交渉にならないかもしれない。
あの女帝のあざ笑う声が聞こえてくるようで、チャンは耳を塞いだ。
とその時。
「なら、これを使うが良い!!!!」
何処からか叫び声が響き渡り、その瞬間館内の照明全てが消え、暗闇が広がった。
かと思いきや、一箇所だけスポットライトがあてられ、そこに割烹着を纏ったオバサン型のロボットが現れる。
「何あれ?」
「名付けて“勝利の女神・トク恵さん”だ!」
大袈裟にテンションの高い声だった。
その声の主がロボの後ろから、サッと姿を現す。
それは、赤のタキシードにマントを翻す長身の男性。
そして、被られたシルクハットの間からうさぎの白い耳が長く生えていた。
「よく聞き給え! 吾輩は天才発明家、リチャードソンである!!」
彼は高笑いすると、大きく両手をひろげ自慢げに三人へ語りかける。
「このトク恵さんをつれて歩くだけで、誰でも勝負強くなれるのだ! どうだ、欲しかろう?」
「また変なもの造って……」
そんな彼のテンションにアンジャシアと霧桐は慣れているのか呆れ果てた顔を見せるが、初見のチャンにはついていけず戸惑いを隠せない。つい訊き返す。
「あの……誰?」
「あーあ、チャン君。むやみに話しかけちゃった」
「え?」
どうやらその一言が禁句だったのか、残念そうな顔で霧桐が呟くと、リチャードソンはそれは嬉しそうにチャンへ歩み寄ってきた。
勢いで肩を組まれ、チャンは嫌な予感を感じる。
「ふふふっ。知りたいか、若造よ! そうであろう! 詳しく知りたいであろう!」
「えっ、いや別に詳しくなんて……」
「よく聞き給え! 吾輩は数々のメカを発明し、このMINATSUKIに多大な貢献を――」
まるで酔っ払いのオジサンのように調子良く自身の話をしてくるリチャードソンに、チャンは逃げることも出来ずただただ苦笑いをしていると、突然ゴツッと硬いものが当たる音がして、リチャードソンがその場に崩れ落ちた。
見ると、その背後に不機嫌な表情で拳を握り締めるアンジャシアが映る。
「あんまり僕に恥をかかせないでくれる?」
「えっと……」
「アン君がいて良かったね、チャン君。短く済んだよ」
日常的なことなのか、アンジャシアが拳一撃で手早く仕留めたのだった。
その様子にチャンは圧巻し目を丸くする。
しかしどうして彼の恥になるのだろう?
そう思っていると、霧桐がそっとその問いに答えてくれた。
「リチャードソンはアン君のお兄さんで、いつもくだらない発明品を造っては無駄に被害を広げているんだよ。MINATSUKIにとっては貢献者どころか問題児さ。専門は生物学でメカの技術なんて皆無なのにね」
「え……じゃあなんで発明品なんて造ってるんですか?」
「兄としてのプライドじゃない? 本当にメカの技術に優れているのはアン君の方だからね。この若さであれだけの技術をもってるなんて、末恐ろしい子だよ」
アンジャシアの方を眺めながらポツリと言う霧桐に、チャンはへぇと小さく答えた。
確かにアンジャシアの方がしっかりしてそうだし、内に秘めた聡明さを持っているような気がする。
そんなことをチャンはぼんやりと思っていると、突然後ろからオバサンロボのトク恵さんが飛びついてきた。
「え、何っ!?」
「兄貴!?」
アンジャシアも驚いてリチャードソンを見ると、地面に蹲りながらも隠し持っていたリモコンで彼はロボを操作していた。
「ふふっ、一矢報いた……ぞ」
「ちょっと!! はっ外れない!?」
「……やられたね」
リチャードソンがしてやったりとニヤつき気絶する中、チャンは力一杯ロボの腕を振り解こうとするがロックされたようで外れない。
彼が必死で葛藤していると、その時トク恵さんから音声が流れ出した。
「佐央シン ト 勝負シテ 勝ツ」
「はぁっ!?」
突然意味の分からない台詞を聞き、チャンはいっそう慌てた。
本来は勝負強くなるものではなかったのか?
彼女に勝負を仕掛けるなんて、命知らずにも程がある。
「ちょっ、待って! うわぁっ!!」
しかしそんなチャンの焦りも理解されることなく、トク恵さんは早速地上から飛び上がると、ロケットのようにしんの所へ向かってそのまま外へと発進していった。
遠くの方でチャンの断末魔が聞こえ、アンジャシアと霧桐は互いを見る。
「あの状態でしんさんの所に連れて行かれたら、彼撃たれそうだね」
「何とかしなきゃ。……兄貴のメカって知れたら、僕も危ないし」
「大変だね、いつも」
「ホントうんざりしてるよ。舞依はどうするの?」
「勿論退散するよ。とばっちりは御免だし」
「そういう人だよね……」
アンジャシアが脱力した顔をすると、霧桐は心外とばかりに答える。
「そろそろ時間なだけだよ。俺にだって仕事があるんだから」
霧桐はそう言って、出口から去っていった。
*
「くうっ! 離せぇ!」
上空を飛びながら、チャンはトク恵さんの腕の中でもがいていた。
飛行中の状態で解放されても大怪我になるかもしれないが、しんの所へ運ばれ彼女に撃たれるよりは遥かに被害が軽くて済む。
何とかしんに出遭う前に脱出したいところだが。
『――チャン君、大丈夫?』
「アン?」
そんな時、トク恵さんからアンジャシアの声が聞こえた。
『今、兄貴が持ってた端末で通信してるんだ。どうやら遠隔操作出来るみたいなんだけど、解除コードが分からない。何とか解析して出来るだけ早く止めるから、それまで頑張って』
「頑張ってって言われても」
アンジャシアが何とか助けてくれようとしていることに少し気持ちが落ち着くが、チャン自身はどう頑張れば良いのか具体的な方法が分からず、完全に不安が拭えることはなかった。
しかしそれでもチャンを少しでも安心させてあげようと、アンジャシアが続ける。
『時間は稼ぐよ。今一直線にしんさんの方へ向かってるけど、行路を修正して可能な限り遠回りさせるから』
アンジャシアがそう言うとトク恵さんが更に上昇し、けれどゆっくりとしたスピードに変わり、進んでいた方向から大きく外れて飛行するようになった。
すると、普段見慣れない上空からの景色が眺望出来るようになる。
「……わぁ」
チャンはそれを見て小さく呟いた。
明るく真っ青な上空から見下ろした景色は緑が多く、そして特徴的な外観の建物が幾つも建ち、チャンは知らない施設がまだまだあることを知った。
『そういえばチャン君は、館内を一通りまわってみた?』
「いや。そもそも館内ってどの館の?」
『館内は館内だよ。今チャン君が飛んでるとこも、外じゃないんだよ?』
「え?」
『よく見てごらん』
アンジャシアに言われて、チャンはじっと風景の一点を集中して見る。
すると僅かな歪みに気付き、大規模な透明の壁が一帯を覆い囲んでいるのが見えた。
「これは……」
『中からだと分からないかもしれないけど、外から見ると巨大な一つの館に見えてる筈だよ。入ってくる時見ただろ?』
「そういえば」
チャンはここへ到着した時のことを思い出す。
それは日が完全に沈みきった夜だった為、あまりはっきりとは見ていなかったが、確かにどこまでも続く塀の向こうは、大きな館があったように思う。
『MINATSUKI第二番館・Aspirin。ここは四季の黄昏を専門的に解明する為、造られた巨大施設だよ』
「Aspirin――解熱鎮痛剤……?」
四季の黄昏による破滅を抑える、という意味だろうか?
何にしろ、ここが第2番館というなら他にもMINATSUKIの所有する施設があるということだ。
組織の大きさに圧倒されて、チャンは言葉を失った。
とその時、
「ピピピッ、緊急事態発生! 緊急着陸シマス!」
「え?」
突然トク恵さんから警報が鳴り響き、飛行が不安定になると、急降下に近い状態で地上に落ちていく。
「うわぁ! アン、どうしたの!?」
『しまった! チャン君、遺跡に……近付き、過ぎ……た』
「え?」
それを最後にアンジャシアからの通信も途絶え、訳も分からないままチャンは、ドーーン!と凄まじい音の中勢い良く不時着した。
トク恵さんがクッションとなって、奇跡的にチャンは無事ではあったが、全身強打で起き上がるのに時間がかかった。
「……いてて。いったい何があったんだ?」
暫くしてようやく起き上がったチャンは、ボロボロになったトク恵さんを眺める。
何が起こったのか不明だが、とりあえずこのロボからは解放されたらしい。だが。
「ここって……!」
次に視界へ入ってきた建物に気づいて、チャンは呆然と立ち尽くした。
――四季の黄昏に入る巨大なゲート
そういえばアンジャシアが最後に言っていた、遺跡に近付き過ぎたと。
トク恵さんが不時着したことと関係があるのだろうか?
するとその時。
――ガガガガァァッ!
大きな音をたてて、遺跡のゲートが開き出した。
厳重に閉め切られているものだと思っていたゲートが開き、チャンがビックリしていると、中から傷だらけの青年がよろめきながら出てきた。
彼は確か今朝ゲートに入っていった青年だ。
そのあまりにも変わり果てた姿にチャンが硬直していると、青年は力尽きたのかそのまま地に崩れ落ちた。
刃物のようなもので斬られたのか、パックリと開かれたたくさんの深い傷口からは出血が酷く、全身が紅く爛れている。
苦しそうな呼吸で、かろうじて生きているようなものだった。
「政府関係者は護るんじゃなかったのか……!?」
聞いていたこととは違ってチャンは戸惑い、初めて見る大量の血液に座り込む。
するとその時。
――ピピピッ!
『チャン君、大丈夫?』
トク恵さんからアンジャシアの声が聞こえて、チャンは縋り付くようにそれに駆け寄った。
「アン!」
『チャン君、良かった。怪我はない?』
「アン、これはいったい……」
『ごめんね。遺跡に近付き過ぎると、電子機器は影響を受けるんだ。何とか連絡とれてホントに良かったよ』
「いや、それよりも……」
チャンは動揺しながらも、重態の青年のことを告げようとした。
見るのも怖いが、アンジャシアにしっかり報告して一刻も早く彼を助けてあげなければ。
チャンは、トク恵さんに向いていた視線を再び青年へと戻した。
しかしその時、チャンはヒラヒラと舞う黒蝶を見つけてしまう。
「あれって……!!」
しんの遣い魔。
傷つき起き上がれない青年の周りをくるくる回っている。
――もしかして彼女は、見ていたのに助けなかったのか?
「どうして……!」
すると、その時。
『チャン君、隠れて!』
「え?」
『しんさんが来る……!』
彼女の信号をとらえたのか、アンジャシアが慌てた口調で言った。
遠回りして行き着いた遺跡の筈だったが、運悪くしんもここに来る予定だったのかもしれない。
トク恵さんが遺跡の影響を受けなかったら、早めに気づいて回避出来ていただろうに、とことん使えないロボだ。
チャンは身を隠そうと急いで立ち上がった。
だが。
「あら、彼は見捨てちゃうの?」
青年に背を向けた途端、しんの声がすぐ側で聞こえた。
チャンが振り返ると、飛び込んでくる彼女の姿。
卑猥な笑みを浮かべて、こちらに視線を向けるしんを見た瞬間、ゾクッとチャンの背筋が震えた。
――見つかった。
「こんなところで何をしてるの? もしかして、入る決心がついたのかしら?」
「……」
答えられなかった。
入る決心が出来ていない訳じゃないが、今はまだ入れない。
それに、チャンにはどうしても彼女に訊きたいことがあった。
青年の酷い有り様を見て、チャンはグッと拳を握り締める。
「しんさんこそ、これはどういうことだよ? 政府関係者は護るんじゃなかったのか?」
「ちゃんと護ってあげたわ。彼、生きてるでしょ?」
「……これで護ったっていうのかよ」
チャンはキッとしんを睨みつけると、彼女はそんな彼の反応を楽しんでか、機嫌良く言葉を返す。
「でなければ、死んでたわ。彼、随分無茶なことしてたから。ただ――」
――あまりに愉快で、ちょっと助けるのが遅れたけど。
まるでチャンを挑発するような言い方で、しんは言った。
なんて奴だ。政府のやり方も許せないが、彼女の考えも納得出来ない。
そんな気持ちが顔に表れていたのか、しんがクスッと笑いチャンに告げる。
「理解出来ないって顔ね。だったら早く中へ入って、私が納得するものを取って来なさいな。私のやり方がいかに非道で、間違っているか、あなたが証明して見せればいい」
「……中に入って取って来れたとしても、証明にはならないだろ」
「なるわ。それは、入れば分かる」
自信満々で言う彼女に、チャンは目を細めた。
彼女は四季の黄昏について、随分詳しい。それは彼女が館長だからなのかもしれないが、どうもそれだけではないような気がする。
――もしかして、彼女は……!
『チャン君、乗せられちゃ駄目だよ』
そんな時、トク恵さんからアンジャシアの声がボソッと聞こえた。
チャンを心配しての発言だったが、それがしんにも聞こえてしまったようで、彼女の目がそちらに向く。
「なるほど。チャン君をここへ連れて来たのは、あなただったのね――アンジャシア」
『う……』
名を呼ぶ声が低く、アンジャシアは黙り込んだ。
言葉を発してしまったことに後悔するが、時すでに遅く、しんの足がトク恵さんに近付いてくる。
それに気付いてチャンも何とか庇えないかと考えるが、それより早くトク恵さんが動いてしまった。
「佐央シン ト 勝負シテ 勝ツ」
「えっ!」
この時とばかりに流れて欲しくない一言が流れ、突然トク恵さんからビームが放たれた。
それは一直線にしんへ向かっていったが、彼女はあっさりと躱し、直撃した背後を静かに眺める。
そしてその目が次第にゆっくり返ってくると、徐々に殺気を募らせ、チャンとトク恵さんを通したアンジャシアに当てられた。
――まずい。
二人共それにたじろぎ血の気を引かせると、その一瞬の間にしんの姿がフッと消えた。
かと思えば次の瞬間、
――バァーーン!!
彼女の銃弾が当たったのか、トク恵さんが粉々に粉砕された。そしてチャンがそれに驚く間もなく、カチャリと背後で嫌な音がし、硝煙の匂いが漂ってくる。
「綺麗事言ってくる割に、随分なことしてくれるじゃない?」
彼女の声に、チャンの頬を一筋の汗が流れた。
「これは手違いだ。攻撃するつもりなんて、僕もアンもなかった」
「でも攻撃されたわ。当たってたら、死んでたわね?」
しんが笑顔で銃口を向け、語りかけてくる。
しかしその表情とは裏腹に、殺気がビリビリとチャンの背中を攻め、追い込んでいく。
どうせ本気で狙っても彼女には絶対当たらないと分かっていたから、寧ろ返り討ちの心配を十分にしていたが、もう手遅れだ。
自身の最期を覚悟するように、チャンはきつく目を閉じた。
とその時。
「――もうそのくらいにしてあげたら?」
いつの間に来たのか、気付けば倒れた青年の傍に霧桐が数体のロボと座り込んでいて、しんに口を開いた。
どうやら救助に来たようで、白衣を纏った霧桐はロボ達と彼を介抱し、担架に乗せる。
彼は医療チームのチーフだった。
「今回も重傷だね。もう少し何とかしてくれると助かるんだけど」
「治し甲斐があるでしょ?」
「死なせたら俺の責任じゃないか。それは凄く困るんだけど」
霧桐が手を動かしながらそう言っていると、そちらに意識が向いたのか、しんの殺気がだんだん消えていき、チャンは助かったとホッと息を吐いた。
しかし霧桐は、いつの間にここに来たのだろう?
近付いて来ているのなら、気付いても良い筈なのに。
安堵した気持ちもありながら、疑問に首を傾げるという複雑な思いにチャンは眉を歪ませた。
一方しんは興ざめしたのか銃を仕舞い、完全に破壊したトク恵さんの残骸を踏み潰す。
「後でリチャードソンとお話しなきゃね」
「え?」
「しんさんだって、ソレがリチャードソン作だって分かってるよ。アン君のとは出来が違うからね。まぁ、シメられる時は兄弟セットだから、アン君は可哀想だけど」
霧桐はそう言い、処置を終えたのかスっと立ち上がると、彼の肩から一匹の黒猫が顔を出した。
翡翠の大きな瞳をこちらに見せ、可愛くニャアとひと鳴きする。
「霧桐さんの猫ですか?」
「可愛いだろ? オミクロンっていうんだ」
霧桐は愛おしそうにオミクロンを撫でると、何かを思い出したのか、チャンの方に向き直る。
「そういえばチャン君、どうやら君に本当の“勝利の女神”が微笑んだらしいよ」
「え?」
「しんさんがね、チャン君を遺跡へ放り込む件、延期にするんだって」
「えぇっ!?」
何が起こったのか分からないが、突然の心境の変化に、チャンは驚きしんを見た。
すると彼女はつまらなさそうに呟く。
「あの子、もう話したの?」
「仕事の早い子だからね。俺にも連絡しておかなきゃならないことだし」
「えっと、どういうことですか?」
話についていけず、チャンは訊ねた。
どうして急に心変わりしたのか、“あの子”とは誰なのか。訊きたいことはたくさんある。
すると霧桐は、予想通りのチャンの反応を見てフッと笑った。
「それは本人に直接訊くといい。俺は彼を連れて行かないと」
霧桐はそう言うと、本来の目的を果たすようにロボに指示を出し、青年の担架を持ち上げさせる。
するとその瞬間、オミクロンから翡翠色の光の粒子が溢れ出し、霧桐達は一瞬にしてその場から姿を消した。
突然の不思議な現象に、チャンは目を丸くして言葉を失う。
これは瞬間移動というものだろうか。
しかし納得した。霧桐達がここへ来た時も今と同じく、瞬間移動して来たのだろう。
この館内では、何が起こっても不思議ではない。
それを思い出して、チャンは我を取り戻した。
するとしんが傍で不貞腐れたように頬を膨らませる。
「あーあ、もうちょっとからかってやろうと思ってたのに」
「……で、どういうこと?」
「聞いた通り、延期よ延期。あなたにやって貰わなきゃいけない仕事が出来たの」
しんは不本意とばかりにチャンへ、ある書類を手渡してきた。
チャンはとりあえず手に取り、内容を確認する。
「……軍事アカデミー?」
「そう。あなたにはここへ入学して貰うわ」
「……へ?」
それは本当に突然のことだった。