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油断

 そのあとは栗原が私に話しかけてくるのではないかとびくびくしながら過ごした。人の多い教室で女装がどうのという話をはじめられたら堪ったものではない。彼の声はとても大きい。

 こんなことが起こるまで彼とは必要最低限の連絡の会話しか交わしたことがなかったが、それでも彼の声がうるさいことは知っている。彼の大声にクラスの数人が反応を返し、それがそのままこのクラス数日の話題になるという流れは何度も見た。

 その話題に自分の話が上るのは絶対に嫌だ。他人の不幸話や失恋話で何度となくうまい弁当を食って来た身ではあるが、自分がその立場になるのをよしとはしない。身勝手だろうか、いやそんなことはない。私は地味に生きていたいのだ。


『諸君、さっそく本題に入りましょう。問題は栗原に話しかけられた場合どう切り抜けるかです』

『話しかけられると悟った瞬間にトイレに席を立つというのはどうでしょう』

『却下。それでは次の休み時間に話しかけられるでしょう』

『ではどうしろというのですか』

『彼に話しかけられたら何かを言われる前にどこか人目のないところへ連れ出してしまえばいい』

『そんなことをしたら余計に目立つじゃあないか』


 一限の英語の終わり際に始まった脳内重役会議は紛糾し、結局結論は出なかった。我が社の重役はあまりに頼りない。今日の内容を理解するか否かには「不要」との結論を早々に下したくせに、重要な案件にはまともに取り掛かれないのだ。

 私は重役たちに頼ることを諦め、腹を括ることにした。あるいは「まあどうにかなるだろう」という希望的観測に頼ることにしたのだ。

 しかし折角私が覚悟を決めたというのに、休み時間になっても栗原は話しかけてこなかった。「いや、安心するのはまだだ。他の用事があったに違いない」と死角なく気を引き締め続けていた私も、二限後、三限後の休み時間が終わるころには「栗原はそもそも私に興味など持つはずがないのだ」と考えを改めるに至った。そうして私は油断したのである。




 四限目は芸術の時間だった。

 さて私が通うこの高校、芸術科目は選択制である。音楽、美術、書道から好きなものを選べるのだ。しかし音楽を選ぶのは音楽的センスのある奴、美術を選ぶのは美術的センスのある奴で、そうでない大多数は書道を選ぶ。すると書道教室の椅子の数という物理的限界から先生は人数を調整せざるを得なくなり、選ばれし者が音楽やら美術やらに飛ばされるのだ。

 私は飛ばされた先である美術室で、自ら美術を希望したあかりと仲良く授業を受けた。美術の先生は筆の勢いと画面の紛雑さを是とする人であったので、大人しく座って手本通りの字を書かされるよりよほど私向きの授業であったかもしれない。

 今日は次の作品に向けてのアイデアをスケッチさせられた。あかりは私から見ても小ぎれいでさっぱりとしたいいアイデアを何個も描いていたが、先生からのチェックを貰いに行くたびに何かとケチを付けられていた。「シンプルイズザベスト」などという言葉は通用しない相手である。一方私が描いた個性的という以外に特長のないようなスケッチが褒められたりするので、「芸術というのはあまりに深い」と私は真剣な顔で唸るのであった。門外漢にもほどがあるので、それらしく呟くにもこれが限界だ。

 終業のチャイムが鳴って、私たちは広げたクロッキー帳を片付ける。絵具バッグと筆箱を手に、さて教室に帰って弁当だ、とあかりに声を掛けると彼女は申し訳なさそうな顔で私を見上げる。はて何事か。


「どうしました、あかりお嬢さん」

「ごめん、今日は一緒に食べらんないわ」

「おや、どうして?」

「生徒会の話し合いなんだって。ほら、夏休み終わったら体育祭でしょ?」


 体育祭、なんと高校生らしい響きであろうか。中学時代は運動会だった。


「あれ?生徒会の任期っていつまでなん?」

「前期の生徒会は実質体育祭の運営係みたいね。文化祭はほら、文化祭実行委員がいたから結局手伝いで終わったし」

「なるほどー」


 私はふんふんと頷いて見せたが、理解していたわけではない。生徒会をしているあかりを応援はしているものの、生徒会そのものに何ら興味はなかった。無関心な生徒であるが、あかりに言わせると「歯向かってこないだけ協力的」とのことだったので、心の中でアーメンと呟いた。生徒会が圧倒的権力で生徒をいじめるのは漫画の中だけで、実際は教師と生徒との間で板挟みの中間管理職のような心労が絶えない立場らしい。


「じゃあ、今日は一人で食べるわ」

「うん、そうして。悪いね」

「いやいや、がんばってきてくれたまえ」


 あかりは既に弁当を持って美術室に来ていたようで(あかりの計画性の高さがうかがえる、ここから生徒会室に行くまでに教室を経由するとかなりの遠回りなのだ)、我々は美術室で別れ、そのまま教室に向かった。


 特別教室は、校舎の端っこに配置されるのが常だ。美術室は二階の西側の隅にある。ついでに言うと音楽室は五階の東で書道教室は四階の西にあり、更に言うと階段は東と西と中央の三か所にあり、我々一年生の教室は五階にある。

 ここまで説明すれば、この後何が起こったか、賢明な読者にはすぐに予想がつくだろう。私は階段を二階分上がったところで声を掛けられた。




「あ、まひろんじゃん」


 急に声を掛けられたので、瞬時には自分が呼ばれていると認識できなかった。名前じゃなくてあだ名というのが余計に認識しづらさに拍車をかけている。行く手を塞ぐように立つ栗原が呼ぶのは背後にいる別の人物かとも思ったが(それなのに返事をしてしまったらとても恥ずかしい)、しかし私は彼と目を合わせてしまった。目が合ってしまうと流石に人違いとは言えなくなる。それに彼が朝、あだ名がどうとか言っていたのを思い出した。

 彼の姿を見て初めて彼が書道選択であったことを知った。右頬に薄く墨が付いていてまるで小学生のようだ。知っていたらこのルートはとらなかった。一階にある自販機でジュースを買いに行って時間を稼いだはずだ。


「……栗原」


 私が呟くと栗原は嬉しそうな顔を浮かべた。脳内で「げっ……」という声があがった。顔に出ていないだろうか。


「お昼一緒に食べない?」


 続いた言葉に私は自分の不運を呪った。なんてことだ!あかりがいれば彼女をだしに断れたのに!

 しかし彼が件の問題を忘れていないのであれば、いずれ決着を付けねばならなかったのだ。仕方ない、と私は彼に向き直った。


「いいよ。弁当教室にあるけど」

「俺も教室だよ。一緒に取り行こ」


 教室に向かう途中、私は「付いてるよ」と自分の右頬を指し示した。しかし彼は墨まみれの手で左頬を触るので、うっすらとしたひげが反対側にまで広がった。

 私は痺れを切らして声を出した。


「そんな手で擦ったら逆効果だろ」

「へへ、習字やるとどうしても付いちゃうよね」

「いやいや、周り見てみ。顔黒くなってるの栗原だけだから」


 水道の前で歩調を緩めると、彼はテヘへとばつの悪そうな顔で笑って顔をじゃぶじゃぶと洗った。私が教室に入って弁当を持ち出して戻ってくると、彼は濡れた頭をぶんぶんと振っているところだった。まるで犬のようだ


「ワックスとか付けてたんじゃないの?髪まで濡らしちゃっていいのか?」

「ああっ忘れてた!ぐちゃぐちゃじゃん!恥ずかしい!」


 教室に駆け込んだ彼はタオルを頭に乗せ、派手なピンクの容器を手に持っていた。運動部らしい細いタオルだ。校章がこの高校のものではないので中学のときのものなのだろう。


「ちょっと待ってて!ていうか食べるの時間かかるなら先行ってていいよ!」

「いや、私は早食いだけど……栗原、自分の弁当は?」

「うわ!」


 そもそも食べる場所も決めてないのにどうやって待ち合わせるというのか。

 栗原は慌てて教室に戻って弁当を取りに行った。この学校、男子トイレと女子トイレが別々に存在している。男子トイレの前でいつまでも佇む女生徒など不審な目で見られるのが関の山。さっさと場所を決めて私は先に行こう。


「栗原、部室でいい?」

「え、俺部員じゃないけど」

「どうせ誰も来ないよ。大丈夫、そういう部活だから」


 一応鍵もかかっているけど、その管理はあまりにずさんである。普通、部室の鍵は職員室と顧問の手元に一つずつらしいが、しかし我が写真部にはどこから湧いてきたのか分からない合鍵があった。そしてそれは今我が手中にある(関係ないけど「我が手中にある」ってフレーズめっちゃかっこいい)。

 そう、言い忘れていたが私は写真部に所属している。世の中には毎日真面目に撮影をするような写真部もあるのだろうが、我が部は数ある文化部の中でも平均部員帰宅率が九割を超える選ばれしエリート帰宅部だ。ここまで帰宅する部活は他にないんじゃないだろうか。だから活動する人間なんかほとんどいないし、合鍵を借りに部長に声を掛けたら厄介払いのように喜ばれた。

 部室というのも、全校生徒に「入ったことのない部屋アンケート」を取ったらTOP5には入ると言われる暗室だ。中からカギが掛けられる上に、外から中が見えないので後ろめたいことをするのにととてもいいのだが、昨日はカギを掛け忘れた。ちょっと位置をずらしてさっさと済ませる予定だったとはいえ、油断していたという以外にない。ああ、本当にタイミングが悪かった。思い当たる節がないので前世の行いが悪かったに違いない。


「じゃあ先行ってるね」

「あ、待って。暗室の前のトイレって男子トイレだったよね」


 私が先に行こうとすると、栗原がトイレから慌てて出てきた。私は淡い記憶を辿る。毎日通う部室ではないから周辺情報があいまいになりがちだ。


「うーん、多分」

「じゃあ、そっちで直すわ」


 そんなわけで私は肩から上がやたら濡れている栗原を連れて、暗室のある二階まで歩く羽目になった。栗原はそんな濡れ鼠状態でも知り合いとすれ違うたびに誰彼かまわず声を交わすので、私は気が気じゃなかった。もし「これは秘密なんだけどね……」などと信用ならない前振りと共に私の捏造された秘密を明かされてしまったら、多分間違いなく三週間は引きこもる。その間宿題をしなくて済むかもしれないと悲しい打算が生まれたが、あまりに不毛だ。

 元々長かったが(教室と暗室は校舎の対角線上に位置するのだ)、いつも以上に長く感じる道を歩いて暗室に辿り着き、栗原はトイレに消えた。数分後ワックスの甘い匂いをさせた栗原が戻ってくると、間違って乱入してくる生徒がいないよう中から鍵を閉め、私は栗原に椅子を差し出し座るように促した。


「ここの中って、こんな風になってるんだ」

「ああ。ここ入ったことない生徒は多いと思う。悪いね、整頓されてなくて。そこの上に載ってる書類適当に避けて食べて」

「あ、ここでいい?」

「うん」


 栗原は遠慮がちに書類を隅にどけて、丸椅子に腰かけた。初めて入る部屋に若干緊張しているのだろう。私は昨日の経験から彼に主導権を与えてはいけないと学んでいる。栗原が大人しくしている今がチャンスなのだ。


「さて栗原。話をしよう」


お久しぶりです。前回の投稿から半年以上たっていることに気付いて慌てて続きを執筆しております。

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