はじまり
彼と目が合ったとき、「間違えた」と強烈に思った。
さてこの森山真尋、我が人生たった十五年を振り返っても間違いだらけであるが、この場合何が間違いだったのだろう。
兄貴の部屋でたまたま胸パッドを見つけてしまったことか。
それをスポーツブラの隙間にぐいぐい詰め込んだことか。
さらにはそいつのズレを直すために、更衣室ではなく部室にこもったことか。
ひとつひとつに対する説明と弁解は後でしよう。だが多分答えは「全部」だ。どれかひとつでも間違えなければこんな目に遭うこともなかった。
私と目が合った彼、クラスメイトの栗原透は、わかりやすく狼狽してふらつくように二歩下がる。
本当にベスト……いやワーストタイミングだったのだ。まさにパッドを胸に詰めなおしている最中で、右手は左胸に、左手は取り出したパッドを持っていた。
「ごめん!!!」
悲痛な声であった。もし私が「キャー」と黄色い悲鳴を上げて、そこを偶然誰かが通りかかったならば、彼は変態の汚名を背負って生きる羽目になっていたのだ。力もこもる。
むしろ更衣室に行かなかった私の方に非があるのだから、謝らなくてもいいんだ。気にしないで。と言うために開いた口からは、慌てて別の言葉が飛び出した。
「だ、誰にも言わないで!!」
「い、言わないよ」
気付けば彼はとっくに扉を閉めていたようで、その扉越しに声がする。
私は急いで右胸にパッドを詰めると、その場に放ってあったシャツとブレザーを着なおした。うまく捕まえて、今日の内に謝罪と言い訳をするためである。出来れば口封じもしておきたい。
つまり私は口数の多いイケメンというものを信用していないのだ。
扉を開ければ、彼はまだその場に残っていた。ほんの二分ほど前に扉を閉めたときと寸分違わぬ場所に、さっきより幾分か落ち着いた表情で立っている。
「ご、ごめんね、さっきはあの」
「大丈夫、こんなところで服脱いでた私が悪かったんだし……」
「ホームルームの後、しばらくして数学係がノート返却してきたんだけど、真尋ちゃんすぐ帰っちゃったし、でもさっき見かけたから追いかけてきただけで、本当偶然」
「いや、うん。偶然ってことは分かるよ。今から教室に取りに行くから、教えてくれてありがとう。で、さっきのことなんだけど」
「大丈夫、絶対誰にも言わない。死んでも言わない」
「本当に?」
「本当、絶対本当。命賭ける」
たかが同級生との約束に、「死ぬ」とか「命」とか言い出す軽さが余計に疑わしいのだ、と口に出しかけてやめた。冷静に考えれば自分は加害者側である。
貧乳を気にして胸パッドを詰めてきたというのがあまりにも格好悪いだけで、これ以上言及するほどのことでもない。ましてや、命賭けるなど。
「でもさ、誰にも言わないってことは、知ってるのは俺だけってこと?」
「……まあ、そうなるけれども」
そう答えると、栗原はふにゃりと泣きそうな顔をした。そんなに同級生の秘密を背負ったことが重いのだろうか。
「あのさ、俺でよかったらいつでも相談のるから」
「……ん?」
「いや、俺なんか全然役に立たないかもしれないし、ま……森山さんにもきっと事情があるんだと思うけど、一人より二人の方が何とかなったりするから!別に変な意味じゃなくて!」
女子の胸パッドにこれ以上変な意味があるだろうか。
「ごめんね、栗原くん。さっきから話がよくわからなく……」
なってきたんだけれども。
そう告げると栗原は視線をきょろきょろと三往復させ、それから手招きして私の耳に口を近づけると、一層小さな声で囁いた。
「だって森山さん、男なんでしょ?」
だから、俺、親友として頑張るよ。
そんなセリフに、やはり「間違えた」と強烈に思った。
のっけから下品ですみません