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24:Sickroom

 全身にだるさと筋肉の痛み。咳とのどの痛み、そして頭痛あり。熱は計測機器がないため測定できなかったが、それでも三十八度以上はゆうにあるのではないかと推定される。

 とは言え、とりあえず現状見た限りでは、ヒオリを襲った症状はただの風邪のようだった。

 現在ヒオリは水を入れる皮袋に氷を詰めた氷嚢を頭にのせられ、ロイドのマントの表面に作られた部屋の中に寝かされている。できればいつも使っている故に物がそろった勝一郎のマントの方に移動させたかったのだが、なんの意図があったのかロイドがそれを差し止めてこちらのマントの部屋の方に寝かせることとなったのだ。どうやら夜になって徐々に熱が上がってきたらしく、今はもう見て分かるほど顔が紅潮している。


「ったくよぉ。お前具合悪いならなおのことおとなしくしとけよ。なに無理して仕事とか探してやがんだ」


「そうだよ姉ちゃん。客観的に見ても、今はそれほど無理しなくちゃいけない状況じゃないんだから」


「で、でも……」


 宥めて寝かしつけようとするソラトに対して、ヒオリは熱に浮かされた顔で弱々しくも抵抗を見せる。


「こんな大変な、場所なのに……。みんなで力を合わせて、頑張らなきゃいけないのに……。お姉ちゃんだけ寝てるなんて、できないから……」


「ちょっ、姉ちゃん。いいから寝てないと」


「ったくなんなんだよお前は……」


 言いながら、頭の上の氷嚢をとって起き上がろうとするヒオリを、ソラトが押さえつけて強引に押しとどめる。同時に、ロイドがヒオリの手から氷嚢を奪い返し、その頭にもう一度乗せようとして、


「ちぃっ、だいぶ溶けちまってるな。ショウイチロウ、悪いが氷、新しいのを頼むわ」


「お、おう。わかった」


 氷嚢を受け取り、勝一郎は言われた通り新しい氷を取りに、一人自分のマントの部屋の中へと入り込む。

 壁に並ぶ植物の収納スペースを素通りし、その端に作った【冷凍室】へと入り込むと、先ほど氷を作るべく床に作っておいた部屋の様子を確認した。

 現在、氷嚢用の氷はロイドが海水から生成した水を、勝一郎が【冷凍室】で冷やすことで作っている。具体的には【冷凍室】の床に数センチ角の小さな部屋を作り、そこに水を注いで【冷凍室】の冷気で凍らせるという方法だ。氷ができたら後は氷の型につかった部屋の扉を閉じ、勝一郎の魔力で部屋を消滅させれば、できた氷が室外に強制排出されて簡単に回収できるという寸法である。

 手際よく氷を回収し、新しく氷を作る仕掛けだけ施して部屋を出る。四人のところに戻ってロイドに氷嚢を手渡すと、ロイドはそれを、どこか難しい顔で横たわるヒオリの額に乗せた。

 その様子が少し気になったが、しかしそのあと少しして、ヒオリは抵抗を無意味と悟ったのか、あるいは単純に弱った体が睡眠を求めたせいなのか、勝一郎の見ている前で、穏やかな寝息を立てて眠りの中へと落ちていった。


「ったくよぉ。おいガキ、お前の姉ちゃんのこの強情さはなんなんだ。まさかいつもこうなんじゃねぇだろうな?」


 眠るヒオリに毛布代わりの布をかけなおしながら、ロイドがソラトにそう問い詰める。どうやらロイドの推測は当たっていたようで、ソラトは黙って、小さく頷くことでその返事とした。

 どうやらヒオリは、元の世界でもこんな性格だったらしい。


「まあ、でもよかったよただの風邪で。これならまあ、少し休んでればなんとか治るだろう」


 何となく場の空気を変えた方がいいかと思い、勝一郎は努めて明るい雰囲気で、そう発言する。

 若干話題を求めての苦し紛れの感はあったが、しかし一方で勝一郎自身の偽らざる本音でもあった。危険な病気ならばともかくただの風邪ならば、寝かせておけばそのうち治るだろうという認識が、勝一郎の中に確固としてあったのだ。

 だが直後、そばにいる残りの三人が、そろって深刻な顔をしていることに気が付いた。特にそれが顕著だったのは、意外なことにランレイとロイドの二人である。


「確かにいまんとこただの風邪みたいに見えるけどよぉ、だからってあんま安心できる状況とは言えねぇと思うぞ」


 怪訝な顔をする勝一郎に対して、意を決したようにロイドが先ほどの難しい顔を向けてそう言い放つ。


「なんだよおっさん。なにか姉ちゃんの症状に気になるところとかあるのか?」


「いや、そうじゃねえよ。けどな、そもそもコイツが本当にただの風邪かどうかなんて、この場の誰にも判断できやしないんだぞ」


 言われて、ようやく勝一郎も思い出す。確かに自分の世界でも、風邪によく似たヤバい病気というものがいくつも存在していたことを。


「まあでも確かに、仮にただの風邪だったとしても、状況をあまり楽観視できないって言うのは同感かな。俺たちの世界や、たぶんおっさんやショウイチロウの世界なんかは医療体制が充実してたから風邪なんて寝てれば治る病気だっただろうけど、この世界には医者も薬もないわけだし……」


「加えて言うなら、そもそも俺らが今いる状況が最大の問題だ。この野生のど真ん中で病人が発生。隠れて寝込める場所に関してだけなら心配ねぇが、それでも周りは危険生物だらけのこの状況……。もしもそのガキやショウイチロウが倒れるような事態になったら、それだけで俺らは一気に全滅の危機だぞ」


 確かに、この危険な環境で動けない人間が増えれば、それはそのまま五人全員の危機につながりかねない。特に今この旅の根本を支えているのはソラトと勝一郎の二人の特殊な能力だ。この二人が行動不能などと言う事態になったら、回復するまでどこかに隠れているしか取れる手段がなくなってしまう。


「とにかくだ。医者がいない以上、この場はにわか知識だけで対処するっきゃねぇ。薬なんてないからこの場は今やってるような対処療法で面倒を見る。……いや、それだけじゃ足んねぇな。ショウイチロウとソラト、おまえらはしばらくこいつには近づくなよ。こいつの面倒はしばらく俺とランレイで見る」


「……隔離ってことか?」


 そんな大げさな、と言う感覚がどうしてもぬぐえなかったが、当のロイドはそうは思っていないらしい。


「当り前だろうが。今言ったばっかだろ。お前ら二人が倒れたら俺達全員の命に関わんだよ。それに俺なら殺菌消毒系の、感染予防用の魔術にも心得があるから、着替えとかの面倒だけランレイに任せて後は俺が何とかする」


「……そうね。二人は近づかない方がいいのには私も同感だわ。一度着替えさせた方がいいだろうし、とりあえずは三人とも一度外に出ていて」


 ロイドの言葉にランレイが賛同し、勝一郎はソラトと顔を見合わせながらも部屋の外へと歩き出す。

 このとき、はっきりと言ってしまえば勝一郎は、ヒオリのかかった“ただの風邪”を舐めていた。自分たちの世界でたいしたことがなかったからと言って、医者のいないこの世界で病気というものがどういう意味を持つのかを、まったく考えていなかったのである。

 そしてもう一つ。もしもこのとき、風邪を引いたのがヒオリだったという事態の深刻さについても勝一郎は理解しておくべきだった。仮に理解できていたならば、数日後に起きるある事態は避けることができたかもしれないのだから。







 回る。目が回る。いや、回っているのは目ではない。頭を軸にして体が回っている。プロペラのようにぐるぐる回る。いや、それも違う。重力の方向が分からない。背中の方に下が有るかと思えば、自分が寝ているその場所が天井で、自分が上だと思っている場所が下なのだとも思えてくる。重力の方向があいまいだ。自分がいったいどんな場所に寝ているのかと、そんなことさえも今の感覚ではわからない。ただ、世界が自分を中心に回っているような気味の悪い感覚を延々と観測して、ようやく少女、羽衣燈織は自分がどこかで寝ているのだと気が付いた。

 気付いて、だんだんと意識がはっきりして目を覚ます。

 眼を開ける。まぶしさに目を細める。とても目を開けてなどいられない。頭の中で鐘でも打っているように、がんがんと言う衝撃が痛みとなって少女の小さな頭を襲う。

 殴られているようだ。誰だ殴っているのは。痛いんだからやめてほしい。そう思って殴りつけるような頭の痛みの原因を探り、直後にそれが自分の血流であることに気が付いた。血の流れの衝撃が、今の少女にはこんなにも痛い。これを止めるためには、はて一体どうすればいいのかと、ぼんやりとした頭で考えて、ちょうどそのときそばにいた誰かがヒオリの目覚めに気が付いた。


「なんだ、目ェ覚めたのかよ」


「覚め、ました……」


 頑張って返事をする。声がおかしい。自分の声ではないようだ。頭も痛い。聞こえた声と話した声が頭に響く。だが話しかけられたのなら応えなければ。

 そう考えて、ぼんやりした視界で声の主の姿を探すと、意外と傍に自分達とは顔立ちからして違う、別の異世界から来たというロイドと言う男が座っていた。少し視線を動かしてみても、他に部屋の中には人がいるようには見えない。


「あ、れ……。ソラ君や、他の皆さんは……」


「あいつらなら外に出したよ。下手に風邪が広まってもまずいから、ランレイもお前を着替えさせた後外に行かせた」


「そう、なんですか……?」


 それを聞いて、ヒオリは内心でわずかに慌てる。

 大変な旅だというのに、いつの間にか自分は随分と足を引っ張ってしまった。

 寝ている場合ではない。早く自分も何かをしなくては。


「――も、もう大丈夫です。少し寝たらよくなりました」


 慌ててそう口にして、ヒオリはなんとか起き上がろうと己の腕に力を込める。


「――あ」


 だが身を起こそうとして、頭を少し持ち上げただけで見える視界がぐるぐると回る。頭が重い。体も重い。普段は自分を地面につなぎとめてくれているだけの重力が、今は無慈悲にヒオリの全身を圧迫し、その体を地面に押さえつけ、押しつぶす。

 それでも何とか重力に抗い、身を起こすべく己の服に能力を使おうとして、


「おいテメェ何してんだ。そんな熱で起き上がろうとしてんじゃねぇ」


 そばに座るロイドに肩を押さえられて寝床に押し倒され、それだけでヒオリの体は重力に敗北した。

 もう一度起き上がろうと体に力を込めるが、体はまるで力を使い果たしてしまったかのようにまったく動いてくれない。


「――ったく」


 頭のそば、起き上がろうとした拍子にずり落ちたらしい氷嚢をロイドが回収し、中の水と氷を入れ替えて再びヒオリの頭に乗せる。どうやら床に何らかの収納スペースがあるらしく、氷や水はその上で入れ替えられていた。恐らくだが、この白い部屋と同じくあのショウイチロウと言うもう一人の男性が作ったものなのだろう。


「――う、あ……」


 冷たい氷嚢を額にあてがわれ、それによって先ほどから続く頭の痛みがわずかに和らぐ。

 さすがにヒオリ自身もここまで来ると自分の体調に理解がおよぶ。どうやら自分は本格的に動けなくなってしまったらしい。となれば、今はせめて自分以外の人に迷惑をかけないようにしなければならない。


「……あ、の――!! もう、大丈夫です。ありがとう、ございました」


「……何が大丈夫なんだよ。良いからテメェはおとなしく寝てろ。もっと毛布が必要なら用意できっぞ。何せショウイチロウの扉の力の関係で、俺らの荷物には結構な量の布が用意されてっからな。……それでも食うものがいるか? 一応病人でも食えそうなもん、途中でお前がとった果物とかなら見繕ってあっけど」


「……いえ、そうじゃ、無くて……」


 言葉を発するたびに頭の中で響く音に顔をしかめながら、それでもヒオリは必死で自分の懸念を訴える。


「風邪、うつっちゃい、ますから……」


「その心配ならいらねぇよ」


 言うと、ロイドは自分の手の上に魔方陣と呼ばれるものを浮かべ、魔術と言う彼の世界の不可思議な技術を披露する。浮かび上がった魔方陣は数瞬してひときわ強く光ると、その光を周囲に散らすようにして消滅した。

 その後、薄い消毒液の香りが病床のヒオリの鼻を突く。


「この通り消毒系の術式なら覚えが有んだよ。ついでに言や、うがい用の魔術なら七歳で覚えさせられた。俺の世界じゃ、感染症予防の魔術なんざガキでも知ってる、学校で教わる常識だ」


 さすがに驚いた。魔術と言う、よくわからない能力ともまた違う力については聞いていたが、彼の世界ではこんなことが普通にできるのかと素直に感心する。

 だが感心してもいられない。このままでは本当に、自分は何もできないまま、世話を受けるだけの存在になってしまう。

 だが意識だけでどんなにあせっても、ヒオリの体は満足に動かない。おとなしく目をつぶっていれば頭痛こそ収まるが、感覚はいまだ重力を見失ったままだ。


「……でも、外の、皆さん、の……、迷惑にも……な……て……」


 薄れる意識の中でも往生際悪くそう口にして、それでもヒオリの意識は抗いがたい眠りの中へと飲み込まれていく。

 ただ、最後に耳に届いた呟きだけが、堕ち行くヒオリの意識を追って来てぶつかった。


「いいんだよ。どうせ俺らなんていなくても、あいつがいれば一人で何とかしちまうんだから」


――それは困る。


 言葉にできないまま、薄れる意識と理性の中で、ヒオリの心が反発の声を上げる。


 ――だってそれじゃ、私は――


 声にならないその声を聴く者がいたのなら、それはまるで。


 ――お姉ちゃんでいられない……!!


 まるで、悲鳴のような声だった。


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