3:Ward Room
勝一郎のいる異世界のレキハ村において、暗くなった後の予定というものは基本的に眠るしかない。
これは当然と言えば当然の話で、電気などないこの世界に置いて夜に明かりを灯す燃料など貴重品もいいところだ。なので、この村の人間は夕食のために起こした火が消えれば、それ以降は態々明かりを灯して仕事をするようなこともせず、わずかな見張りの人員を残して床に入り、夜明けまで眠りについてしまうのが普通だった。
ただし、それはあくまでこの世界の通常技術に頼っているが故の生活習慣である。
そんなルールに囚われない人間、たとえば、最初から“消えない明かりがついた部屋を作ることができる人間”などはこの習慣を逸脱できる。
「呆れた。あんた達、二人がかりでまだ勝ててなかったの?」
村のはずれ、諸事情あって勝一郎がわざわざ人目につかない所に作った秘密の部屋の中で、村に住むこの世界の少女、ランレイが言葉通り呆れたような表情でそう言った。
ちなみに、勝一郎がこの部屋を作った諸事情には、多分にこのランレイの存在が関係している。
「仕方ねぇだろうが。俺らだってまさか魔術をよけられるなんて思っても見なかったんだからよぉ!!」
「まさかあれを躱されるとはな……。下から打ち込んだ扉もあっさり踏みつぶされたし……」
「私にしてみれば、むしろ発動させられれば勝てると思ってたあんたたちの油断に驚きよ。まさかとは思うけどあんた達、お互いに通じた自分の力だからハクレンさんにも通じると思ってたんじゃないでしょうね?」
ランレイの痛烈で容赦のない一言に、残る男二人の雰囲気が一気に沈み込む。
三か月に及ぶ訓練のおかげで、身体能力や基礎体力に関してはある程度改善してきた二人だったが、しかし一方で技術に関してはやはり如何ともしがたいものが有った。実際、これまでのハクレンとの試合の中でも、勝一郎たちはその如何ともしがたい技術の差によって破れていると言ってもいい。
やはりハクレンに勝とうと思うなら、こちらもそれなりの技や戦術を身に着ける必要がある。
そういった意味では今回の連携は念入な打ち合わせの上での最初の試みだったわけだが、結果は見事に惨敗。土壇場で急遽組み込んだ滑走扉による移動こそうまくいったものの、発動に成功した魔術そのものが当たらないとなれば、連携で攻めるにしても作戦を根本から見直さなければならない。
「ハァ……。とりあえず俺は基礎的な力を磨くしかないか。やっぱり、“あの技”を急いで完成させないとな……。どのみち大きな奴が相手だと扉ぶつけてもあんまり効果は見込めないし……」
「そうね。あんたのあの扉は確かに便利だけど、いざ戦うとなると、そのまま使ってもあまり役に立たないのよね……」
「基本逃げ隠れ向きなんだよなこの力」
言いながら、勝一郎は自身の右手の甲に己の力の源となっている輪を噛む獅子の烙印を浮かべて、小さくため息をつく。
触れた面に隠し部屋とその扉を作る。それこそが勝一郎が【開扉の獅子】と名付けた、この世界に来てすぐに手に入れた奇妙な力の概要だった。
隠し部屋というのはこの能力の最大の特徴で、作った扉は一度閉めてしまえばその位置を勝一郎本人にしか感知できないという性質があり、一度扉を作ってそこに隠れてしまえば、少なくとも視覚に頼る限りでは外敵にその位置を察知されることがなく、隠れ潜むにはうってつけと言ってもいい能力だ。
だがこの能力、直接的な攻撃力という点を考えると途端に使える局面が減って来る。
いや、一応夕方にハクレンに対して行ったように、扉の開閉運動をある程度操れることを利用して、開く扉を直接相手にぶつけたるという攻撃手段はあるのだ。だがしかし、先ほどもあっさりと防がれてしまったように威力はお世辞にも高くなく、不意打ちで人間にぶつけるならばともかく、恐竜のような巨大な相手には威力に欠ける。
ほかに攻撃手段と言えば以前一度だけ行った扉を作った面の損傷に際して起きる、中にあるものの強制排出現象を利用した攻撃手段だが、あちらは逆に危険すぎて今のところ訓練では使えない。一応この部屋の中で何度か練習はしているが、実戦でこれを試すのは相当に先になりそうだった。
「むしろ攻撃手段っていうなら、やっぱロイドの使う魔術の方が……、ってロイド?」
「あん!?」
「なにぼぉっとしてんのよ? 話聞いてた?」
視線をさまよわせ、勝一郎に声をかけられてようやくこちらに意識を戻したロイドに対し、そばにいたランレイが目くじらを立ててロイドにそう問い詰める。
対するロイドはランレイのそんな様子に不機嫌そうに顔を歪めると、舌打ち交じりのため息とともにこちらに向き直った。
「ああ悪かったよ。別のことを考えてた。でも別に関係ねぇだろうが。俺の魔術に関しちゃお前らと話したって無駄だ。専門知識頼りの部分が多すぎて知識の無ぇおまえらじゃ碌に相談相手にもなんねぇんだから」
「……あんたねぇ。だからってそういう態度はどうなのよ? そもそもどう解決するかっていう問題なら確かにその通りでも、なにを解決しなきゃいけないかって問題なら――」
「俺が解決しなきゃいけない問題なんてそれこそ俺が一番わかってんだよ。術式の素早い展開による魔術の高速発動。そのための術式の圧縮、改良。攻撃パターンを増やすことを考えたら他の魔術もいくつか組んでみなきゃいけねぇ。それこそもっと当てやすい魔術とか、連続で使える魔術とか……、悪ぃ……」
苛立った様子でそうまくしたて、途中でロイドはハッとしたように表情を変えて立ち上がる。バツが悪そうに向かう先は、部屋の外へと続く扉のある場所だった。
「悪ぃ。今日はもう休むわ。明日も早いだろうし、今日はもう何も浮かびそうにねぇ」
そう言って、ロイドは扉のドアノブに手をかけると、自分で扉を開けて外へと出て行ってしまう。
扉は性質上、一度閉まってしまうと勝一郎にしか開けることはできないが、それはあくまで完全に閉めてしまった場合の話だ。
扉が完全に閉まらないようにラッチの部分に布の一枚でも咬ませておけば、外から扉は見えてしまうものの勝一郎以外の人間でも開け閉めして外へと出ることができてしまう。
結局その日、ロイドは自主訓練を取りやめてその場を立ち去った。
「煮詰まってんのかね。ロイドの奴……」
魔術という技術に理解の薄い勝一郎には、ロイドがどういった壁にぶち当たっているのかはいまいちわからない。畑違いどころか基本すら知らない勝一郎には、魔術とは何でもできる万能の技術に思えてしまう。
そしてそんな感覚は、この場ではランレイにしても変わらない。
「でも、あいつもあんたも、強くなることを許されてる。誰かに意見を求めれば、どうすればいいかをみんなが考えてくれる。それは私みたいな人間にしてみれば、すごく幸せなことに見えるけど……」
「……」
バツが悪そうな表情で、しかし間違っていない言葉を口にするランレイに、勝一郎は何も言えずに黙り込む。
ランレイという少女は、村の他の者達の反対を押し切って、本来男の領分である武術を独学で学ぼうとしている人間だ。
当然他の村の戦士たちからのアドバイスなど望めないし、こんな場所で隠れて訓練を行っていることがばれれば強い叱責を受けてしまう。
(うまくいかないな……)
胸の内に溜まる鬱屈とした気分を紛らわすべく、その日も勝一郎は作った部屋の中で新たなる技の開発に精を出す。
だが雑念のせいなのか、結局その日も満足のいく結果は出なかった。
部屋を出て外を歩くロイドを襲ったのは、やはりというべきか強烈なまでの自己嫌悪だった。
「……クソ。なにやってんだ俺は……」
足元を照らすために手の上に灯した照明魔術を見つめて、ロイドは何度目になるかもわからないため息をつく。
魔術の発動速度の上昇。その命題に関してはロイド自身、訓練を始めてすぐに直面した重大な問題だった。
魔術の発動速度は、そのまま術者の思考の速度に比例する。
魔術というのはマーキングスキルによって脳裏にイメージした魔方陣を空中に描きだし、それを同じくイメージで操作することによって使うことのできる技術だ。素早く魔術を発動させようと思うならば当然素早く術式をイメージする必要があるし、それをするためには同じ術式を何度も展開する反復練習か、あるいはそれに匹敵する使用頻度と慣れが必要だ。
だが日常的に使う生活魔術ならいざ知らず、ロイドにとって攻撃魔術など、これまで生活してきて使用する機会自体がほとんどなかった魔術だ。これが生活魔術、それこそ今手の上に浮かべている照明用の光球程度だったならば、ロイドであってもそれなりの速度で発動させられる自身があるが、それはロイドが幼いころからこの魔術を生活の一部として頻繁に使っていたが故の速さであって、言ってしまえばテストの答案に素早く名前を記入できるのと原理としては変わらない。
そもそもの話、ロイドの世界において攻撃目的の魔術というのは法律によって厳格に禁止された禁術だ。これもまた言ってしまえば当然の話で、平和な現代社会において他者やその財産を攻撃、破壊できる魔術など平和を脅かす害悪でしかない。当然そんな魔術、治安維持が必要な警察組織やもっと直接的な武力を必要とする軍隊ならいざ知らず、ロイドのような少し悪ぶっているだけの一般市民には縁の少ない代物だ。実際ロイドも、悪い仲間に“頼み込まれて”いなければ、態々あんな術式を組んだりはしなかった。
(今思えば、あんときもっと真剣に、もっとやばい術式を組んでりゃ、こんなことにはなってなかったのかな……)
ロイドの使う攻撃性魔術は、すべてロイド自身がグループのリーダーに“頼まれる”形でくみ上げた代物だ。元々はどれもなじみの深い生活魔術で、それをロイドが幼少期に親から吹き込まれた継承知識を用いて独自に改造したものに過ぎない。
当然その性能はあまり危険な術式を組むことを嫌ったロイドの性格も相まって非常に中途半端で決定的な殺傷力に欠け、また他の魔術を無理やり改造したがゆえに本物の軍用魔術などに比べれば複雑で無駄が多く、おかげでイメージに余計な時間がかかる。
ロイドたちのリーダーは一応満足させられたが、はっきり言って生き死にのかかった本物の現場ではいささか以上に不足を感じざるを得ない魔術なのだ。
(やっぱ今からでも、なんか使えそうな術式を新しく組んでみるか……? いや、それとも今のあの二つの術式をいじって少しでも簡潔にまとめなおすべきか……? けどそれをやると、今度は一から術式を覚え直さなけりゃいけなくなるし……)
今からそんなことをしていたらいつまでかかるのだと、そんなここ数日のお決まりの結論に到達し、ロイドは再び苛立ちを溜息と共に吐き捨てる。
ついでに言えば、この後さらに『そもそもそんな時間がどこにあるんだ?』という疑問が頭の中に浮かび上がり、いつ来るともしれない実戦の機会に不安と焦りを募らせながら、それでも訓練の疲れに負けて眠りに向かうというのがここ数日のロイドのお決まりのループだった。
今日は魔術がハクレンに通じなかったこともあって『やはり何かしなければ』という意識は普段よりさらに強かったが、しかしやはりというべきか、結局決断は後へと回り、ロイドは明日の地獄に向けて休息をとるべく家へ戻ることにした。
『これではいけない』とわかっていながら、結局ロイドには何もできない。ただただ焦燥と自己嫌悪を己のうちに貯め込み、そして戻った先でその会話に遭遇した。
「それで、二人の仕上がりはどうなのだ、ハクレン」
(――!!)
夜の静寂の中、ひそめられた声をぎりぎりで拾い上げ、その内容にロイドの心臓が勢いよく跳ね上がる。
まさしく家の中に入ろうとしていたその場所から慌てて壁へと張り付き、うるさく騒ぐ心臓を手で静止ながら、止まった思考のままでロイドは耳に意識を集中させる。
立ち聞きという行為への後ろめたささえ、この時のロイドは忘れていた。
何の意識もなく本能のままに、ロイドは自然とその行動をとっていた。
壁越しにロイドたちが滞在する家の中から、二人の男の声が聞こえてくる。一人は家主であり自分たちの指導役であるハクレンで、もう一人はこの村の戦士長だという大柄な男、ブホウだった。
「――と、こういう話は本人たちの近くでするのは不味いかな?」
「いや、かまわんよ。あの二人ならこの時間は、まだどこかで秘密の特訓でもしているはずだ」
「なんだ? あの二人はそんなことをしているのか? それはまた関心ではないか。だがそんな様子はまるで見えなかったが……」
「なに、恐らく私の虚をつくつもりなのだろう。トドモリ君の扉の力でどこかに特訓場を作れば手の内を隠しながら特訓できるからな。現にこれまでにも何度か練習している様子もなく技や連携を進歩させていたよ」
どうやら二人が夜中に抜け出して何かをしているのはしっかりとばれていたらしい。言葉の様子からするにそこにランレイが加わっていることまではばれていないようだったが、しかしロイドたちの秘密特訓はハクレンからは黙認される形で存続しているようだった。あるいは二人に関していうならば、別段止めなければいけない理由もないのかもしれない。
と、そこまで考えたところで、ロイドの頭はやっと冷静さを取り戻す。同時に何をやっているのだという自分自身への呆れが襲ってくるが、しかしその感情が行動につながる前にロイドが求めていた会話が始まった。
「それで、あの二人の仕上がりはどうなのだ?」
再び行われたその問いかけに、ロイドは飲み込む唾に喉を鳴らす。聞くべきではないとはわかっていたが、それがわかっていてなお、ロイドの足はその場をうごかなかった。
「あの二人が来てからもうすぐ百日だ。冬も終わるし、そうなれば今年の遠征に連れていく編成も考えねばならん」
「遠征、か。今回はまた随分と早いな」
「うむ。去年は獲物が多かった故今は備蓄にも余裕がある。村の人員が減っても十分に生活していける量だ。だがならばなおのこと、余裕があるうちに東方の探索と、蓄えの充実に努めていきたい。それに何より、件の異世界人なる者達のこともあるしな」
村の方針と共に出てきた『異世界人』という単語に、意外な思いさえ抱いてロイドの興味がそちらへ向かう。
確かにロイドたちは、自分たち二人が異世界人であることや、この村に来るきっかけになった謎の転移魔方陣についてハクレンやブホウに話してはいたが、はっきり言って二人のそれに対する反応は鈍く、興味をひかれているようにも見えていなかった。
だがどうやらこの二人は、ロイドたちが思っていた以上に事態をしっかりと受け止めていたらしい。
「異世界人、か。ブホウ殿は今後もトドモリやロイドのような者たちが森に現れると思っているのかね?」
「少なくともあの二人はそう考えているのだろう? 自分の世界とやらに帰る手立ても、確かそこに見出していると言っていたではないか。まあ、本当に異世界人とやらが来たとして、それで何がどう変わるかは正直分からんが」
「わからないからこそ、わかりやすい形で備えをしておきたい、といったところか。だがそれだけではないのだろう?」
どこか笑いを殺したような息遣いのその声に、ロイドは二人の今の会話が最大の理由ではないことを何となく推察する。
いや、本音を言えば最初から気づいていた。確かにこの世界の人間は“すれて”いなくてやけに人がいいが、しかしだからと言って自分たちへの利益にそこまで疎いというわけではない。なによりロイド自身が、彼らの考えを読めるほどに同じ考えを胸のうちに抱いているのだ。
「まあそうだ。本音を言えば早いうちにトドモリの作る部屋を遠征に組み込んでおきたい。何しろあれは相当に便利な輸送手段だからな。本人たちが元の世界に帰るというならそれを止められる道理はないが、しかしいつ帰ってしまうかわからないというならばなおのこと、あの部屋を使えるうちにできるだけ使っておきたいのだ」
有効活用できる個人の特殊能力を、その持主がいるうちに使っておきたい。そして同時に、その特殊能力による恩恵を残してもらえるならばその方法も模索したい。幸い、勝一郎の作る部屋は扉さえ閉めずにいれば他の者でも十分に携帯できる空間として使える代物だ。早めにその使用体制を確立しておけば、勝一郎が帰ってしまっても村はあの部屋の恩恵にあずかれる。
そんな考えがあるからこそ、ブホウは勝一郎の遠征参加を強く望むのだろう。そしてだからこそ、彼を遠征に連れていけるかどうかの、その準備の進捗を気にかけている。
ロイドが息を殺して二人の声に意識を集中させる中、しばしの沈黙の後にハクレンの『ふむ』という小さな声が耳へと届く。心なしかロイドはその声に、今までとは別の何かを考えていたような奇妙な感覚を覚えたが、それを気にする前にハクレンの声がロイドの一番知りたかったことを話しだした。
「やはりたったの三か月では教えられたことは少ないが、それでもトドモリ君に関していえば連れていくだけなら何とかなるだろう」
「ほう……。では連れて行っても問題はないのか?」
「狩りの最前線で使うとなれば多分に危険をはらむが、あくまで輸送手段として連れていくならば可能だ。逆に言えば、狩に本格的に使うのはやはり危険が大きいな。体力や膂力に関していえば年相応なまでに引き上げられたが、武術に関していえば未熟の一語に尽きる。使えるのは槍の、それも基礎だけだし、気功術に関しても【錬気功】は教えられたが【瞬気功】の体得がまだ済んでいない」
告げられるハクレンの言葉はロイドにとっても予想の範疇と言っていい事実だった。【錬気功】や【瞬気功】といった気功術のものらしき区分に関しては流石にそれらを使えないロイドにとっては理解の外の話だったが、槍の話に関してはロイド自身、勝一郎と共にハクレンからそのような見通しを聞かされている。
そもそもこの村における戦士たちは、狩に使う武器全ての基礎を一通り学び、その中から自分の得意とする武器を選び取っていくのが普通だ。
だがロイドと勝一郎は武器の『ブ』の字も知らない異世界人のド素人。そんな者達に一から、それも相当な短期間で武術を叩き込まなければならないとなれば、当然のように扱う武器に関してもそれなりに絞って行かなければいけない。
そのため二人はハクレンの得意とする武器であり、リーチが長く間合いの面でもアドバンテージが期待できる槍に絞って訓練を続けてきたわけだが、やはりというべきかこの短期間で身につけられた技術は基礎の基礎だけだった。
否、ロイド自身に関しては、気功術が使えない関係上その基礎の基礎すら怪しいが。
「まあ、トドモリ君に関していえば、最悪の場合あの扉の力で部屋の中へ避難させておくという手が使える。そもそも遠征にはどうしても女集も連れて行かねばならんのだ。危険を感じたらあの力で部屋の中に女集共々隠れていてもらえば、かえって危機的状況下でも対応しやすかろう」
「……うむ。それに関しては儂も考えていたところだわい。まあ、女集と同じ扱いというのは男としてどうかとも思うが、それですべてがうまく回るというならトドモリにはそれで“我慢してもらおう”」
「まあ、それでも何が起きるかわからないのが遠征だ。本人に力があるに越したことはないから今後も訓練を続けていく必要はあるだろうな」
彼らなりの価値観で勝一郎の身を気遣うその様子に、ロイドはどこか自身の中に苦い感情が湧き上がるのを感じ取る。だがそれを明確に自覚するその前に、ハクレンの次の言葉がロイドの中の雑念の一切を吹き飛ばした。
「それよりも問題はロイド君の方だろう。ちなみにブホウ殿は彼の処遇についてはどう考えているのかね」
「まだどちらとも決め兼ねてはいるが……。やはり、気功術が使えないというのはそれほど大きい物かね?」
放たれたブホウの言葉に、ロイドは心臓が跳ね上がる感覚と共に両手を強く握り込む。
気功術が使えない。その事実はこの世界で修業を始めたロイドが最初にぶつかった、そして同時に最大ともいえる壁だった。
この世界ではロイド以外の全員が、同じ異世界人である勝一郎まで含めてすべて、【気功術】と呼ばれる身体強化能力を使用できる。
この事実自体はロイドがこの世界に来た当初に判明していた事実ではあるのだが、しかしその後の検証で、ロイドだけは体質的にこの気功術の使用が不可能であることが判明してしまったのだ。
いや、正確には使用できないというのは少し正しさを欠く。厳密に言えば似たようなことはできるが同じ効果が得られないと言った方が正しい。
彼らの言う『気』なるエネルギーは、どうやら属性こそ違えど本質的にはロイドの世界で言うところの『魔力』と同じもののようで、彼らが気功術を扱う際に行う、『気』を体内で巡らせる行為自体はロイドにも行えるものだった。むしろ『魔力』として扱い慣れている分、勝一郎などよりも扱い自体はうまかったくらいなのだ。
だが一方で、そうして体にめぐらした魔力は、他の者達の『気』のような効果を及ぼさない。
恐らくは属性の違いが影響しているのだろう。この世界の者達や勝一郎の『気』は体にめぐらすことで肉体を強化する効果があるが、ロイドの体に潜む『魔力』にはそのような効果がなかった。それこそが、彼らとロイドの間に横たわる絶対的と言ってもいい素質の違いだったのだ。
(……んなもんどうしようもねぇだろうが……!! そもそも俺らの体は、魔術を使ううえで効率がいい【元属性】に魔力を変換しちまうように進化してんだよ。 そんな体質のことなんて、努力でどうこうなるもんでもないだろうよ……!!)
ロイドを含む“人類”の体が、魔術を使ううえで特定属性への変換効率のいい【元属性】と呼ばれる属性に魔力を変換しているというのは、ロイドたちの世界では義務教育で早いうちに習う有名な話だ。
今でこそ、その文明の発展により気にする者もいなくなったが、原始的な魔術は効果の割に魔力の消費が非常に激しく、人類はその当時の魔術の属性を扱ううえで、体内でより変換効率のいい【元属性】に魔力属性を変換できるようになることで魔術を文明にまで発展させていたと考えられている。
実際、魔術を使用するうえでは別に【元属性】でなくとも魔術は普通に発動するが、それでも使用する魔力量に関していえば【元属性】を用いて使う魔術の方が他の魔力から変換するよりも魔力の消費が少なく済むという性質がある。
『気功術』ではなく、『魔術』という文明を扱うための機能が今のロイドの体質だ。そんなものに文句を言われても、ロイドの内心には反発しか湧いてこない。
だが、ハクレンが口にしたのは、そんなロイドの反発とは違う、予想外の言葉だった。
「いや、ロイド君の場合、気功術が使えるとか使えないとか、それ以前の問題だよ」
(――え?)
言われた言葉にドキリとして、思わずロイドは背後の壁へと振り返る。
壁の向うでは、ブホウも同じくハクレンの言葉に疑問を抱いたのだろう。壁越しに野太い声が『それはいったいどういうことだ?』と問い返しているのが聞こえてくる。
対して返されるハクレンの声は、言葉にするうえでの迷いこそあれど、抱いている考えとしては非常に明瞭だった。
「彼は……、何というのかな、そう、自分が私に勝てると思っていない。やる気がないわけではないようだし、危機感もそれなりには持っているようだが、どこかで自分がうまくやることを諦めてしまっている節がある」
告げられるハクレンの指摘に、ロイドは息をのんだまま動けない。後頭部に痺れるような感覚が走り、両手の指先が冷たくなっていくのが感じられる。
同時に思い出すのは、かつて言われた誰かの言葉。
『お前さ、俺に勝つのを諦めただろ?』
『君は頑張ればもう少し先に行けると思っていたんだが』
『せっかくここまで頑張ってきてたのに』
『詰まんねぇ意地だよ、それは』
『また諦めるのか、おまえは……?』
「…………っ!!」
いつの間にかし忘れていた呼吸を再開し、ロイドは思い出しかけた言葉の数々を頭の中から振り払う。だがそうしたところで背後の壁の向うでは今もまだ二人の大人がロイドの不出来を嘆いている。
「つまりは技術面の問題以上に、本人の意気の問題だということか?」
「まあ、端的に言ってしまえばそうだろう。実際、ロイド君のそういう部分はトドモリ君という比較対象がいるからわかりやすい。トドモリ君は多少形勢が不利になったり、目論見が外れてもすぐに次の行動を模索して来るが、ロイド君の場合は――」
言われていたその言葉を、ロイドは最後まで聞くことなく、必死ともいえる全力疾走でその場から逃げ出した。
どこに行くかを考える余裕などありはしない。彼らが告げる自分の評価から、一刻も早く逃げ出したいという考えだけが、今のロイドの全てだった。
(――クソッ!! ――クソッ!! ――クソッ!! ――クソォッ!!)
内心で荒れ狂うその感情を、声として出さずに済んだのはロイドのなけなしの矜持ゆえだった。
その行動が、いったいどれだけ虚しく、無様で意味のない物であるかは、すでにロイドは経験として知っている。今更恥も外聞もなく、同じことを繰り返したいとは、もはやロイドには思えない。
それに指摘されるまでもなくわかっていたのだ。ハクレンに言われるまでもなく、ロイド自身が自分のそういう部分を心の底ではわかっていた。
(――知らない、癖に……!!)
たとえば今日の立ち合いの時、勝一郎と初めて連携を組んでハクレンに挑んだあの時に、ロイドは自身のその性質故に絶好のチャンスを逃している。
あの立ち合い、最終的にロイドの放った魔術は、ハクレンにあっさりとよけられてしまったわけだが、もっと早いタイミングで、具体的には“勝一郎が地面を扉に変えて動かし、それによってハクレンが体勢を崩したあのタイミング”で魔術を放てていたならば、流石のハクレンもああもあっさり魔術を回避できなかったはずなのだ。
ではなぜそのタイミングで魔術を発動できなかったのかと問われれば、それは魔方陣の展開速度以上にロイド自身の問題だ。
勝一郎に気付く余裕はなかっただろうが、ロイドは勝一郎がハクレンの掌底を喰らって足元に飛ばされてきた際、一度魔方陣の操作を中断してしまっている。前衛で時間稼ぎを買って出た勝一郎がやられてしまったその時点で、ロイドは一度勝負を完全に諦めてしまっていたのだ。
だがもしこのとき、勝一郎を信じて魔方陣の操作を続けていればどうだったのか。その答えをロイドは誰に指摘されるまでもなく、自分自身でよくわかっている。
(――知らないくせに!! ――知らないくせに!! ――知らないくせに……!!)
走って、たどり着いたその場所は、幸運にも村の人間がそう訪れることのない岩壁の真下だった。
誰もいない、見向きもされないその場所で、ロイドは岩壁に思い切り拳を叩きつける。
(――知らない、くせに……。知りもしない、くせに……)
堪え切れずに、熱いしずくが目からあふれ頬を伝う。食いしばる歯に呼吸を忘れ、全力の走りに疲れ切った足が失意と共に膝をつく。
震える喉から、微かに漏れ出る声がみじめに響く。
「劣ったまんま、続けなくちゃいけない奴の気持ちなんて、知りもしなくせに……!!」
口にした言葉の、なんとみじめで醜い事か。
心の一部で自身をそう自嘲しながら、ロイドはその場で声を殺してむせび泣く。誰も知らないロイドの失意が、地面にこぼれて染みていく。
ロイドが走り去った後、室内にいた二人の間に広がったのは、後味の悪い重い沈黙だった。
「よかったのかハクレン? あのような形でロイドに現状を告げて」
ブホウとハクレン。この二人はともにこの世界で武術を極めた最高クラスの達人だ。外からロイドが帰ってきた際、その気配には当然のように二人とも気が付いていた。二人が交わした会話は嘘偽りのない真実だが、同時にロイドに突きつけるべく整えられた真実だったともいえる。
「どうやら彼らの世界では違ったようだが、ここではロイド君のあの悪癖は命に関わるものだ。早いうちに直すことができなければ、いずれは彼や彼に関わる人間の命を脅かすものになるだろう。告げぬわけにはいかんでしょう。
それよりも、一つブホウ殿にお願いしたいことがある」
「なんだというのだ?」
問い返すブホウに対して、ハクレンは窓へと近づきそれを塞ぐ木戸を開いて外の空気と明かりを部屋へと入れる。月と星の明かりが部屋へと差し込み、決断を下した師匠の顔を共に戦う戦友へと照らし出す。
「今度の遠征、ロイド君もその編成に加えてくれんだろうか?」
「いいのか? どうかすると命を落とすぞ」
「どのみち私も遠征に出向くとなれば、彼ら二人を連れて行かぬわけにはいかんでしょう。それに諦め癖のあるロイド君が、一つだけ諦めずあがき続けられた局面がある。命のかかった局面だ」
「……ハクレン、それは……」
ハクレンの言わんとしていることは、ブホウにも理解できた。
ハクレン曰く諦め癖のあるというロイドだが、しかし彼はこの世界に現れたばかりのころに咬顎竜という強大な敵から独力で二度も逃れるという快挙を成し遂げている。それもどちらも絶体絶命と言える状況で、彼の性質を考えれば諦めていてもおかしくない状況でだ。直後に勝一郎がその咬顎竜を撃破してしまったためあまり注目されてはいないが、どうやらハクレンは、ロイドのその生き汚さに、己を変える糸口を見出しているらしい。
「是非にともお願いしたいのだブホウ殿。私は彼の師として、彼のあの性質を克服してもらいたい。彼が己の弱さを克服することで表へ出てくる底力を、私はこの目で見てみたい」
「……まったく、貴様は本当に容赦がないな……」
星明りが照らす闇の中で、一人の男の試練が決まる。
否、それはロイド・サトクリフ一人にとどまらない。幾人もの人間を巻き込んだ、巨大な試練の始まりだった。




