2:Barrack Room Lawyer
季節は巡る。
たとえ住む世界そのものが違っていても、どうやら季節の移ろいというものは変わらないらしい。
勝一郎がこちらの世界に来たときは、すでに葉が落ちてさみしかった森の景色も徐々に緑を取り戻しつつあり、ついでにこの世界に来てすぐ、勝一郎の人生でも類を見ない世紀の大伐採を行った頭も、最近はある程度の毛髪を取り戻していた。
外見的にも元通りと言えば元通り。とは言え、この世界に来てすぐ頬に負った一文字の傷は結局白く残ってしまったため、顔立ちだけは日本にいた時よりも若干猛々しくなってしまっているのだが、しかし結局のところ、猛々しくなったのは顔だけだった。
「俺たちは実は異世界じゃなくて地獄に落ちたんじゃなかろうか」
地面に二人そろって転がり、暗くなり始めた空を眺めながら、勝一郎は隣で倒れるロイドに向けて、ふとそう呟いた。
勝一郎たちがこの世界に放り出されて、およそ三か月、八十七日が経過した。これが日本であればまだ冬の終わりごろであるはずだが、この世界の季節は進みが早いのか、あるいはこの地域が温暖な気候なのか、すでに気候はすっかり春めいてきている。
さて、およそ三か月、冬の間の平和な異世界生活の中で勝一郎とロイドが何をしていたかというと、それはただ『修行』の二文字である。
ある時は全身筋肉痛になるまで体を苛め抜き、ある時は与えられた槍をひたすら振り回し、ある時は『気』と呼ばれる力を操る訓練をし、ある時は森の中の悪路をハクレンに追い回される形で走り回り、ある時は命綱なしでロッククライミングを敢行する。
悲鳴を上げた回数は数知れず、食ったものを吐き戻した回数も数知れず、そして気を失ったことも数知れない。
ところで、人体には超回復という性質がある。
これは、筋肉には一度ボロボロになるまで酷使すると、今度は同じような酷使にも耐えられるくらい強く再生するという性質で、そのため、一度体に絶大な負荷をかけた後は、それによる筋肉の損傷の再生が済むまでは筋肉を休ませたほうがトレーニングの効率がいいという、スパルタンなトレーニングを受ける上で唯一救いとなる理屈である。
ところがこの世界には運悪く、気功術なる人体活性技術が存在してしまっていた。
【爪】【筋】【感】【血】の四つの性質からなるこの技術は、体内にある【気】なるエネルギーを使って肉体の様々な機能を向上させる技術で、特に今回問題だったのが最後の【血】の気功術。すなわち、怪我の治りなどの自然治癒力を強化する気功術が存在してしまっていたことだった。
要するに、トレーニングで限界まで酷使した筋肉を、気功術の修行によって素早く超回復させて、一切無駄な時間を挟まずに次の修行に移れるという、大変合理的で大変つらい、休む余地などみじんもない修行が勝一郎たちには課せられることとなったのである。
おかげで、ここ三か月の間勝一郎たち二人は、夕方になるといつも半死半生。それどころかここ二週間ほどは一日の最後にハクレンとの試合が追加され、そこで一撃入れられなければ長大なるマラソンまで追加される形となったため、それらすべてを終えるころには二人は燃え尽きた灰の塊のように倒れ伏す毎日を送ることとなっていた。
「……なあ、普通こう言うトレーニングって、続けてればそれ相応に慣れて楽になっていくもんじゃないのか?」
「……知るかよそんなもん。つうか、修行項目があとからあとから増え続けてんのに、楽になる要素がどんだけあるってんだよ」
暗くなる空を見上げて、動かない体にどうにか気功術をかけながら、勝一郎は唯一動く口だけでそばに倒れるロイドとそんな会話を交わす。そばに倒れるロイドの方はその体質上気功術が使えないため、代わりに自前の魔術でなにやら自身の体の回復を図っているようだった。視線を向けると足首の周りに展開された術式から水の塊が生まれ、それがふくらはぎを包んで蠢いているようで、どうやら水の魔術によって足を冷やすなりマッサージするなりしているらしい。
「……そもそも無茶だろ……。俺程度の奴にこんな……」
「ん? なんか言ったかロイド?」
「――っ、なんでもねぇよ!!」
なにか聞かれたくないことを口にしていたのか、勝一郎の質問にロイドがそう言いながら起き上る。
居候先であるハクレンの家へと歩き出すロイドにつられるように、勝一郎の方もどうにか動けるまでに回復した我が身を起こすと、同時に近くを三人の人影が通りがかるのに気が付いた。
同時に、向こうでも足を止めたこちらに気付いたのか、細長いシルエットを持つ少年と、同じような身長でありながらこちらはがっしりとした体格の少年が声をかけてくる。
「おやトドモリ殿、今帰りですかな」
「だいぶしごかれた、か」
ボロボロの勝一郎を見て細長い少年、ソウカクがやけに高い声で、大柄なウンサイが太い声でそれぞれそう口にする。こちらの二人はどうやら森の中で薪となる樹木の伐採作業を終えてきたようで、二人は背中に薪を背負い、大きな斧を担いでいた。
そしてそんな二人の後ろから、彼らよりも一際小柄で、しかし一番鋭い雰囲気を持つ少年が、二人を観察するように視線を動かしながら近づいてくる。
「どうやらその様子じゃ、今日もハクレンさんに勝てなかったようだな。まったく、もう冬も終わりだってのにこれか」
顔をしかめ、頭が痛いと言わんばかりの表情で、その少年・エイソウはそんな言葉を漏らす。
大柄な二人に比べると背も低く、身長と手勝一郎たちと同じかそれより低い彼だが、しかしその外見に反して彼はこの村の次の戦士長となることがすでに決定している人物だ。
それは言いかえれば、彼が村の若い世代の者達の中では最も高い実力があるということを、すでに村中に認められた猛者であることを意味している。
「しかしですなエイソウ殿、勝てなかったと言ってもハクレン殿はこの村でもブホウ戦士長殿に次ぐ実力者ですぞ。あの方から一本とるのは我々でも相当に困難なこと」
「それでもお前らだって十本やりゃ一本はとれるくらいの実力はあるだろうが。それをこいつらときたら、二人がかりでもう何十本やってると思ってやがる。言っとくが魔獣どもはこいつらが強くなるのなんて悠長に待っちゃくれねぇぞ」
勝一郎たちに変わり抗弁するソウカクに対し、エイソウは動じることなくそう言い返す。そしてソウカクに対して悪いとは思うものの、勝一郎自身はそんなエイソウの言うことの正しさをきっちり理解していた。
何しろ勝一郎は、この世界に来たばかりのころにこの世界の厳しさというものを身を持って体験している。
その時は運とこの世界に来て手にした【開扉の獅子】の力によって辛くも命を拾ったが、一歩間違えれば死んでいたような、あんな戦い方を続けていれば命がいくつあっても足りないだろう。
もちろん、ここでハクレンに勝てたからと言って、それで絶対に命を落とすことがなくなると考えるのはただの油断だ。人とこの世界の魔獣、勝一郎の世界では恐竜と呼ばれるような存在では戦い方が大きく違ってくるし、それゆえハクレンとのあの立ち合いも実力以上に度胸や勘を養うという意味合いの方が大きい。
だがそれでも、ここでなんとかハクレンに一撃入れるだけの実力をつけておければ、少なくとも力不足によって命を落とす確率は格段に下げることができるはずなのだ。
こちらの成長の遅さを案ずるエイソウの物言いにも、自分たちの命を心配し、それを次代の戦士長として己の責任として負っている彼の責任感を思えば尊敬すらできるほどだ。
「ありがとな、ソウカク。でもまあ、俺が強くならなくちゃいけないってのはどうしようもない事実なんだ。明日こそ、せめて一撃くらいハクレンさんに入れられるように頑張るさ」
「はっ、わかってんじゃねぇか。とは言え、あんま人と戦うことにばかり慣れすぎるなよ。俺たちの本当の相手はあくまで人じゃなくて魔獣共なんだ。強くはなったが人としか戦えない戦士になったんじゃ意味なんてねぇぞ」
「それについてもわかってる」
エイソウの忠告に、勝一郎は意識して真っ直ぐに向き合い頷き返す。至らない自分を何とかすると、そんな決意を一つの動作にいっぱいに込めて。
「わかってんならそれでいい。オラ、お前らも飯だ。明日も早いんだ、とっとと食って休むぞ」
そんな勝一郎の意識が通じたのか、エイソウはわずかな笑みをその口元に浮かべた後、他の二人にも声をかけて踵を返し、村の中心部へと歩き出す。
それを追うように自身も歩き出した勝一郎は、しかし歩き出す先を当初行こうとしていたハクレンの家から、エイソウたちの向かう村の中心部に変えてしまったことで気づき損ねてしまった。
疲れ切りながらも力強い会話を交わす勝一郎の様子を、先に戻ったはずのロイドが遠くから見つめていたことに。
「……くそ」
日が落ちて、すでに誰にも見えなくなった暗がりで、ロイドの口元が悪態にゆがむ。
結局ロイドは、その後勝一郎たちの後を追うでもなく、当初の目的通り一度ハクレンの家へと戻ることにした。
季節は巡る。時は流れる。時に人を大きく成長させながら。時に固めた覚悟を挫折に切り崩しながら。
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