鬼の歌声
私は絶望した。
「あなたなんか本気で相手にされるわけないじゃない!その地味な顔!地味な服装何とかしなさいよ!」そう言う、親友だった女の体を、私は台所にあった包丁で何度も何度も刺した。無意識だった。
血まみれの顔で私は彼氏だった男を睨んだ。
ゆっくりと近づき、そのまま腰を抜かす彼のことも刺した。私の心はスーッと晴れたような気がして、その後、大きな喪失感が襲ってきた。
私は一日で大切な人を二人も失った。
でもこの喪失感は大切な人を失った悲しみじゃない。
騙されているとも知らずニコニコしていた馬鹿な自分に絶望したのだ。
死のう…。一つの真っ黒な感情が私の心を埋め尽くした。
死に場所を探しているうちに人が通らない山の奥にある神社にやってきた。
神主さんもいなくて、人の手は長いこと入っていない。
自分の犯した罪を神様には謝りたかったのかな?そう思うとなんだか笑えてきた。
ここで死のう。石段に腰を下ろした。いつの間にか歩き疲れていたんだな。
空を見るといつもより星が見えた。星を眺めていると細く美しい歌声が聞こえてきた。
なんだか、鳥が遠くから鳴いているようなそんなきれいな歌声だった。虫の声が歌に合わせて鳴いているようで一つの曲になっていた。
でもどこか寂しそうな歌声。まるで「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っているような。
いつの間にか朝がやってきていた。
私は朝日で目を覚ました。なんだか家のベッドよりよく眠れたような気がする。
昨日の出来事はまるで夢だったような、そんな気がする。
* * *
おでは、この神社で一人で生きている。
何百年と長い寿命を過ごしている中で、仲間たちは死に、鬼はおで一人になってしまった。
おでの姿は醜く、人間たちはおでを怖がった。そんなおでは昼は暗いところで過ごし、夜は歌って過ごした。
歌うと自分の声が響いて、なんだか一人じゃない気がするから。
ある日いつものように歌っていると人の気配がした。
人間の女だった。
女はすやすや眠っていて、おでに気づかなかった。
おでは久しぶりに人間と会えたから隣にこっそり座り夜を明かした。
その日の夜はいつもより寂しくなかった。
朝日が昇りおでは隠れた。朝は嫌いだ。光がおでには眩しすぎて、目の奥が痛いから。
* * *
私は歌声の主を探してみようと決めた。
どうせ、もう私に居場所なんてない。死ぬ前の小さな余興。
見渡す限り人の気配なんてない。木の影、神社の裏、周りは探してみたけどいない。
少しバチ当たりだけど社の中を見てみることにした。でも扉がかたくて開かない。
もう古そうな神社だし仕方ない。
「また、夜になったら出てくるかな?」
私は夜まで待ってみることにした。
* * *
朝が来ておでが社の中に隠れると女は目を覚ましキョロキョロ周りを探している。
おでは見つからないように小さくなって息を潜めた。だっておでの姿を見たら驚かせちゃうから。
神社の裏はダメだ。あそこは隙間がある!
良かった気づいてない。
すると女は扉を掴んだ。
それはダメだ!おでは必死に扉を押さえて開かないようにした。
* * *
ただ、ぼーっとしているだけでも一日は過ぎる。
でも何もしない一日は退屈で長い。
ぼーっとしている間、私は自分の罪についてぐるぐると考えていた。あれも夢だったら良かったのに。
彼氏だと思っていた男はきっと、私の金払いが良かったから近くに置いていたんだろう。
親友だと思っていた女はきっと、ブサイクな私が彼氏を作ったことが気に食わなかったんだろう。
私にはあの時、2人を殺すしか選択肢はなかった。
後悔はしていない....。
あっ。ようやく夕日が沈む。空に真っ赤な布がかかったような景色。
もうすぐ夜がくる。
* * *
女はずーっと座って待ってる。おではずーっと息を潜める。
一日はあっという間だ。山の動物に挨拶して、その日に食べる木の実を集めてたらすぐに終わる。
でもこんな一日は初めてだ。そろそろ疲れてきちまった。
早く帰ってくんねえかな。
お。空が真っ赤だ。暗くなる合図だぞ。
* * *
私は歌声が聞こえないか耳をすませた。
あの歌声をもう一度聴きたい。私の心の隙間に入ってくれる、細く切ない声。
虫の鳴き声がする。歌声は聞こえない。
やっぱり夢だったのか....。私にはこれから何の希望もない。
私は立ち上がり、覚悟を決めた。
* * *
空が暗くなった。虫たちの声もする。でもまだ歌えない。
おでは女が帰るのをじーっと待った。女が立ち上がった。
帰ってくれるのか?
月明かりに照らされた女の顔は暗かった。おでと同じで寂しそうだ。
そんな女を見てると元気づけたくて歌ってた。おでの声は弱いけど精一杯、元気づけたくて。
「そこにいるの?」
「いねえ!」
しまった!つい応えちまった!女はおでの隠れてる社に近づき扉を開けようとする。
「やっ。やめてくれ!おで恥ずかしいんだ!」扉を必死に押さえた。
「そ。なら良いわ。歌、続けて」
女はすとんと座っておでの歌を聴いてた。
おで、人間に歌うなんて初めてだ。
* * *
昨日の歌は夢じゃなかった。夢じゃないのに、夢の中のような綺麗で澄んだ声。
月明かりが優しく照らしてくれて、ここは特等席。
この歌声を聴いている瞬間だけは、嫌なことを忘れられるような、そんな気がした。
気づくと朝がきていた。ござの上に寝かされていて、近くには食べられそうな木の実がたくさんあった。
恐る恐る食べてみると甘酸っぱくて美味しかった。
今夜も歌ってくれるかな?
* * *
女はずっといた。
おでは聞いてみた。
「こんなとこにいて寂しくなんねえのか?」
「良いの。ここが最後の場所だって決めてるから....」
言葉の意味はわかんなかったけど、やっぱり寂しそうだった。
でも、おでが歌ってる時は、少し笑ってるように見えた。
* * *
私は聞いてみた。
「どうして見られるのが恥ずかしいの?」
「おで、醜いから」
「そう。私も自分の顔大っ嫌い」
「おでにはわかんねえけど、笑った顔、好きだど」
「慰めなくて良いから」
* * *
おでが歌ってると、女が話しかけてきた。
「私ね、あなたの歌を聴いている時だけは嫌なことを忘れられるの。でも、嫌なことが多すぎて生きているのが辛くなっちゃう。人間の寿命って長すぎるよね」
女が消えちまうような気がした。
「そんなことないど!」
気づいたら扉を開けてしまっていた。
女は驚いた顔でおでを見てる。
おではすぐ扉を閉めて隠れた。
その日はもう歌えなかった。
次の日おでは女に手紙を書くことにした。怖い思いをさせちまったから。
もう来てくれねえかもしれないけど。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、何度も書いた。この苦しい気持ちが無くなるように....。
* * *
まさか鬼だったとは思わなかった。
暗くて見えにくかったけど、角が生えていて大きな体をしていた。
でも今さら彼が私を襲わないことくらい知ってる。
なのに驚いてしまった。彼を傷つけたかな?
謝りに行かないと。
神社には紙が置いてあった。紙にはたくさんのごめんなさいが書いてあった。
そして『おでは誰も怖がらせないように遠くに行く。嫌なことはたくさんあると思うし寂しいこともいっぱいだ。だども生きて』
* * *
女がいた短い時間は、おでのからっぽを埋めてくれた。
おでは、もう寂しくねえ。でもまた歌うよ。
おめえが楽しく過ごせるように。
* * *
月明かりが差す牢屋の小さな窓。そこから彼の歌が聴こえる気がする。
彼の細く綺麗な声。
その声は何だか、ありがとうと言ってくれているような気がした。




