表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

守られ姫は王子を迎えに行く

作者: かも ねぎ
掲載日:2026/05/17


 使用人の手によって扉が開けられる。

 

 王城サロン。


 並んだ窓から差し込む光。

 それはまるで夢の続きのように、淡い白に部屋を包んでいた。

 

 衣擦れの音。


 ティーテーブルについていた青年が立ち上がる。


 裾に異国の刺繍が施された白銀地のフロックコート。

 真っ白なクラヴァットは、高く結ばれている。

 光を透かすシャンパン色の髪。

 誰もの目を惹きつけてしまうほどの神聖な気配。


 ――隣国の王子、アルベルト。


 彼の理知的な瑠璃色の瞳が、わずかに見開かれる。


 父王に伴われて部屋に入ってきたのは、

 ――この国の姫、セレーネ。


 彼女はゆっくりと顔を上げた。

 

 美しく結い上げられた蜂蜜色の髪。

 その後れ毛が、細い首筋をそっと撫でる。

 

 品よく光を弾く、翡翠の髪飾り。

 光沢のある白金色のドレス。


 何も触れたことがないかのような、華奢な指。

 白い頬はわずかに染まり、長い睫毛の影が落ちている。

 若葉色の瞳は、星を宿していた。

 

 ただそこにいるだけで、空気がやわらぐような気配。


 彼女は、その蕾のような唇を、ほんのわずかに開けた。


 瑠璃色と、若葉色が、ただ静かに交わる。

 

 風にそよぐ葉も、

 空を渡る雲も、

 時を止めたその一瞬。


 ――二人は、恋に落ちた。


 父王はかすかに口角を上げると、王子の背後にいた騎士に目配せをし、静かに部屋を出ていく。


 扉が静かに閉まる。


 王子の騎士ローウェンは、アルベルトの背にそっと触れた。

 アルベルトはハッとして息を呑むと、セレーネにゆっくりと歩み寄る。


 ブーツが床をかすかに打つ。

 光の粒が揺れ、それを舞わせた。


 王子は姫に跪く。

 そして、手を差し出した。


 その指先を、セレーネは静かに見つめる。


「……セレーネ姫。

 あなたに初めてお会いできるこの日を、心待ちにしておりました。

 お美しい方。

 どうか、私の妻になっていただけませんか。

 ――生涯、あなたをお守りします」


 アルベルトの瞳に、頬を染めたセレーネが映り込んだ。


 姫は、彼の手に、そっと指先を添える。


「……はい」


 白い光が、夢にまどろむかのように、部屋を包み込んでいた。


---


 公爵邸。


「姫を本当に隣国王子にやるつもりか。

 ――勿体ない」


 沈みこむような男の声。

 葉巻の甘苦い香り。

 

 毛足の長い絨毯は音を吸う。

 厚いカーテンは締め切られ、外界の空気を阻んでいた。

 燭台の炎は、壁にゆらりと影を作り出している。


「陛下は何も分かっておられない」


 男達は湿った笑い声をあげた。


「我が家門こそ姫にふさわしい」


 公爵の言葉に、男達はみな一様に頷く。


「従順で使いやすい姫です。それを外に出すなんて……」

「……家門に年頃の男はいたはずだ。それをあてがえばいい」

「あの頑固な陛下をまずは説得しなければなりますまい」


 公爵はグラスを軽く傾け、琥珀色を舌で味わうように眺めた。

 

「邪魔だな」


 公爵のそばに、黒装束の男が跪く。


 派閥の男達は、黙ってそれを見ていた。

 言葉を挟めるものなど、ここにはいない。


「行け。――絶対にしとめろ」


 落とされた声。


 黒装束の男は頭を下げると、そのまま素早く部屋を離れた。


 誰かが息を呑む。 

 蝋燭の火が、一度だけ揺れた。


---


 夜半。

 

「ローウェン!」

「殿下!」


 アルベルトとその騎士ローウェンは、背を向けあった。

 その周りを黒装束の男達が囲っている。


 開け放たれたバルコニー。

 細い月は、部屋に僅かな明かりしかもたらさない。


 荒い息遣いだけが、闇の中に落ちていた。


「私も……いくらかは仕留めた」

「……数が多いですね」

 

 アルベルトの息は既に浅い。

 夜着姿のまま、彼は暗殺者達と向き合っていた。


 闇に目が慣れようと、沈み込んだ部屋の隅には沈黙が霧のように這っていた。

 

 その時、ローウェンがアルベルトを押しのけ、斬り上げる。

 温い血液が頬にこびりついた。


 低いうめき声。


 アルベルトは咄嗟に身を引いた。

 軋む音。

 床に刺さる暗器。

 夜着の裾が、切られる。


 毛足の長い絨毯の上には、既にいくつかの亡骸。


 再び、剣を構える。


「息が上がってきた……」

「……殿下」

「こんなところで死んでたまるか」

 

 ふと、光が差し込む。


 アルベルトも暗殺者たちも、

 思わず視線を向けた。


 開いた扉。

 場違いなほどに、優雅に部屋に入ってきたのは、セレーネと彼女の騎士二人。

 

 蜂蜜色の髪を一つに高く結んだ姫は、ゆっくりと顔をあげた。


 長い睫毛に縁取られた若葉色の瞳は、闇を吸い、まるで深い森のよう。

 

 彼女の背後にいた背の高い男騎士は長剣を抜き、床についた。

 

「姫?」


 暗殺者の一人が声を上げる。


「まさか、麗しい王子様を夜這いに来たのか」


 暗殺者たちからは、嘲るような笑い声が上がる。


「放っておけ。どうせ何もできまい」


 暗殺者達は、突然の闖入者に気を取られているようだった。

 アルベルトとローウェンは再び背を向け合うと、闇の中を見渡す。

 

 セレーネは無表情だった。


 彼女は後ろに向かって手を差し出す。

 背後にいた女騎士がその手にダークダガーをのせた。

 くるりと回し、逆手に持ち直す。

 

 呼吸が落ちる。


 刃がかすかな光を、一瞬だけ弾いた。


 彼女はそのままの表情で、床を蹴った。

 低く構え、姿は闇に溶ける。


 その刹那――

 彼女は暗殺者の前に低く立ち、心臓を突き上げた。


 鈍いうめき声。


 ダークダガーを引き抜き、血がその白い頬に散る。


 衣擦れの音。

 彼女が、立ち上がる。


「姫が……!?」

 

 彼女は、振り返る。


「この……!」


 踏み込む。

 壁を蹴り、影のように背後へ回った。

 首に腕を回し、全体重をかける。


 骨の折れる、鈍い音。


 倒れかけた暗殺者を蹴り飛ばし、

 扉の前で待機していた男騎士の前へ。

 

 男騎士は、長剣をまっすぐに下ろした。


 くぐもった音。


「あれは本当にセレーネ姫か!?」


 不利を悟った暗殺者の一人が、バルコニーへと走った。


 セレーネの女騎士が、そこに立つ。

 彼女は、にっこりと笑んだ。


 短い悲鳴があがる。


 部屋の中央では、軽い足音。


「姫!」


 アルベルトが叫ぶと、セレーネは振り向く。

 そのまま鋭く切りつけた。

 うめき声をあげ、顔を抑える暗殺者。


 男は倒れずに踏みこたえるも、

 背後には、いつの間にか女騎士。

 背を刺され、結局そのまま倒れた。

 

 セレーネは身を低くし、さらに床を蹴った。

 姿が、再び闇に溶ける。


 白刃。

 暗殺者の剣が振られる。


 ローウェンがアルベルトを庇う。


 二人の目の前に、影。

 姫はローウェンの前に立つと、一度だけその後ろのアルベルトに視線を向けた。


 すぐに視線を外し、前を向く。

 瑠璃色の瞳は、ただ彼女を追う。


 そのまま低く飛んだ。

 暗殺者の剣をダークダガーで流し、交わす。

 その次も、避ける。

 蜂蜜色の髪が流れる。


 身体の向きを変え、

 暗殺者の肩を鋭く突いた。

 ダークダガーを引き抜く。


 男がバランスを崩したところを、後ろから髪を掴んで引き倒す。


 男を踏むようにして乗り、上から心臓をついた。


 刃を、引き抜く。


 浅い呼吸。

 かすかな月光。


 ゆったりと歩いてきた女騎士に、セレーネは汚れたままのダークダガーを手渡した。


 立ち上がり、軽く手を払う。


「……みんな、お喋りが大好きなのね」


「……セレーネ姫」


 アルベルトの声に、セレーネはゆっくりと彼を振り返った。


 彼女の白い頬も、

 蜂蜜色の髪も、

 ナイトドレスでさえ、

 血に塗れていた。


 だが、彼女は柔らかく笑んだ。

 咲いた花を見つめる乙女のように、それは可憐に。


「……おやすみなさい」


 甘やかな声。


 踵を返す。

 彼女の騎士たちが、その背についた。


 扉が閉まる。

 

 部屋には、闇と静寂が、落ちた。


 血の気配だけが、重く残る。


 駆ける足音が近づいてくる。

 城の護衛騎士たちが、やっと駆けつけたのだ。


 アルベルトは、静かにその場に立ち尽くしていた。


---

 

 翌朝。


 帰国の挨拶のため、王子アルベルトは謁見の間の絨毯を歩いていた。

 

 居並ぶ貴族。

 暗殺者を送った公爵も、何食わぬ顔で並んでいた。


 アルベルトとローウェンはその男を黙って見据える。

 奥歯を噛みしめるローウェンをアルベルトはちらと振り返り、小さく首を振る。


 王の前に立つ。


 その時、背後の扉が開いた。


 アルベルトも、貴族たちも静かに振り返る。

 

 謁見の間の扉。

 淡い緑のドレスを纏ったセレーネ姫は、その場でカーテシーをしていた。


 ゆっくりと姿勢を戻し、アルベルトを見つめると、淡く微笑む。


 まるで昨夜の出来事が、夢であったかのように。


 彼女は、玉座まで伸びる赤い絨毯の上を静かに歩いた。

 後ろには女騎士と、背の高い男騎士を従えている。


 彼女の足が止まる。


 公爵の前。

 

 セレーネ姫が公爵の男を見上げた。


「おや、姫。どうされましたか?」


 肌に粘りつくような声。

 歪んだ口端。


 彼女は一度、男騎士を見た。

 彼は頷いた。


 ――突然、

 姫は騎士の剣を引き抜いた。

 腰を落とし、公爵の心臓を突き上げる。


 鈍いうめき声。


 一気に長剣を引き抜く。


 血が舞い、男が倒れた。


 セレーネ姫は、騎士に剣を返した。

 彼は剣を受け取ると、汚れを落として鞘に戻す。


 カチリ――かすかな金属音が謁見の間に響いた。


 ――静寂。


 王は、笑んだ。


「この国の膿を潰したか」


 セレーネ姫は頷く。


「細かいものは、父上に任せます」


 父王は苦く笑った。


「……良かろう。

 さて、褒美に何を望む」


 若葉色の瞳は、まっすぐに王を見る。


「白馬の王子様との結婚を」


 王は軽やかに笑った。

 この場に、血の気配など落ちていないかのように。


「すでに決まっているだろう」


 セレーネ姫は、にっこりと笑む。


 彼女は、ゆっくりと歩いた。


 呆然としている、アルベルトのもとへ。


 白銀の王子、彼の前に跪く。

 

 セレーネはそっと、手を差し出した。


「白馬の王子様。

 お迎えにあがりました。

 お慕いしています。

 どうかわたくしを、あなたの隣に」


 アルベルトは、瑠璃色の瞳を見開く。

 遅れて、ふっと笑った。


「どちらが“王子様”なのだか。

 ……姫。

 あなたは、本当にそれでいいのか」


 セレーネはその美しい瞳を見つめた。


「あなたがいい」


 アルベルトは柔らかく笑むと、少しだけ腰をかがめ、彼女の肩に触れて姫を立たせる。

 そして、自ら片膝をついた。


「セレーネ姫。

 私をどうかあなたのおそばに」


 姫は、華奢な指先を静かにその手にのせた。


「……はい」


 彼女の頬も、ドレスも、血で汚れている。

 だが、その微笑みは、聖母のように美しかった。


 高窓から差し込む光が、ただ、二人を照らしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ