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nachuring story・・・0009 忘却の催眠

 小さな間接照明が、柔らかくカーテンを照らしている。

東三郎は椅子に座っていた。


 目の前には催眠療法士の加地が控えている。

 「本当に記憶を『曖昧に』にするんですね」

加地は意思確認のため、問いかけた。東三郎はゆっくり頷いた。


 「完全に消さなくていいんです、ただ鮮明過ぎる記憶を・・・ぼかす、あいまいに・・・したい」


 「彼女の顔や声が、蘇る?」

 「はい、夜、夢を見ます ライブの夜花束を渡し、告白した、"ファンとして受けとめる"って言われ、それが繰り返されるんです」


加地はカルテに、何か書き込みながら言った。

 「感情の熱が強いほど記憶は深く刻まれます、それを和らげる方法はあります」


 「お願いします」

深く長く呼吸し、カウントダウンとともに、東三郎の意識は、ゆっくり内側に沈んでいく。


 「あなたの心の中に"鍵付きの部屋"を想像してください そこに彼女との記憶をひとつずつ箱に入れてそっと閉じ込めていきます」


東三郎は想像する。

プールサイド・揺れる髪・水の反射・ジャズの声・泳ぐ姿。

午後の光景を箱の中に収め一つずつ鍵をかける。


 「あなたは忘れたいですか?」加地の声が遠くで聞こえる。

 「それとも"忘れなくても平気"になりたいですか?」

その言葉に東三郎の眉毛が反応し動いた。

意識の奥底で、何か引っかかった。

 "忘れたくて来た、ここに"そう、思っていた。


でも、自分がしていることは、「記憶を残すためのレプリカ作りしている」ような気もしていた。



 「彼女は俺の中に残ってて、善い、"今"、邪魔しない形で、心に居てくれたら、それでいい」

 催眠の空間で、彼はハッキリ呟いた。


加地は小さく頷き、最後の言葉をかける。

 「では、"やさしく しまっておきましょう"」


 その瞬間美佐子の顔が、ふわりと揺れた。



あの夜の白いステージ衣装、水面の煌めき、すべてが抽斗に収まっていく。



 けれど消えてしまうわけではない。

どこか心の一角に"佇む彼女"として残ったまま施術が終わり、東三郎は、ゆっくり目を開ける。

 加地が言った。

 「愛を忘れることはできません、愛の重さを変えることは可能です」


 その夜、東三郎は、久しぶりに夢を見なかった。代わりに浮かんだのは紫陽花の包と「今度は私を見て」と言った真理子の声だった。


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