小鈴の嫉妬
呉服屋の愛娘の小鈴は、不機嫌に顔を歪めていた。
「何ですって! あの女と弥助さんがホタル狩りに行ったですって。……どうしてなの? 私が誘っても断った癖に……」
先日お菊と弥助が一緒に出掛けたことは、あっと言う間に噂になっていた。
幼い時から交流のある二人だから、そんなこともあるだろうと思う者から、清次郎がいるのにズルいと嫉妬する者まで様々だ。
弥助は、八谷7番組を担当する火消しの一員で、彼の父は大将と呼ばれる火消しと大工の頭である。中々人気のある優良物件で、儚げな顔を好む者も多い。
表では器量良しで人気のある彼女だが、時々ストレスの解消とばかりに、働きに来ている女中をまるで道具のように叩きつけていた。
それを知る者は、小鈴の様子を見て震える。
(ああ、どうか被害がありませんように。あっても軽くで済みますように)
そんな願いが出るほど、過去に酷い折檻をされた者もいた。
その時の被害に合った者は、殴られていた女中を庇い代わりに殴られてクビにされていた。
「お前に何が分かる。何も知らない癖に。弥助さんが知らない女に笑いかけていたのよ。私にはそっけない癖に。悔しいわ!」
通りがかりに知人と世間話をしただけで、このような有り様である。彼女の親の呉服屋夫婦でさえ持て余し気味だった。
今までは可愛い娘の為に、いろいろと配慮していたが、さすがに人間はどうにも出来ない。
同じ平民だが、相手は金で動くような人物ではないし、娘の容姿にも関心がないようなのだから。
それに先祖代々続く歴史ある呉服屋に、もしも婿にするなら、火消しよりも番頭が出来るような、店を切り盛り出来る者が望ましい。
力仕事が中心の弥助は、見るからにそのような作業が向いていない気がした。
そろそろ諦めると放置していたのに、嫉妬で使用人を傷つける娘に閉口する父親、二平だった。
「小鈴の我が儘だが、これ以上は放って置けないな。使用人から苦情が出ているんだ」
「私もそう思いますわ、旦那様。……すいません、私の教育不足で。昔は些細な我が儘だったのに、最近は弥助さんに夢中で、言うことを聞いてくれなくて…………」
「……お前だけのせいじゃないよ、お滝。しょうがないよ、初恋だろうからね。まあ、どうしてもね。
けれどもう大人になるのだから、分別をつけて貰わないと。
あの子は七海との茶会で、『威厳のある晴海様と立派なお屋敷で暮らせているのに』と、武家に嫁いだことを憂う彼女を責めていたそうだよ。
彼女だとて家との繋がりで嫁ぎ、小鈴に弱音を吐いただけなのに。
どうにも人の気持ちに疎くなったものだ。
一度見合いの席をもうけよう。
そして利害が一致すれば、婚約させてみようかと思う。
あれも一応は商家の娘ゆえ、利害を無視出来ぬであろう。七海にも諫言くらいだからな」
二平は小鈴に付いて行った使用人にその詳細を聞いて、見合いのことを考えていたのだ。
「他の平民よりも裕福なのも、家の商売があってこそ。
小鈴の着物、簪、化粧品、全てが親の金で揃えたもの。
小鈴が稼いだものは、何一つない。
頭は悪い娘ではないから、理解出来るだろう」
娘は可愛いが、家の利益は最優先だ。
妻のお滝は隣国の染め物問屋で、二平とは家の益のある政略結婚である。
利益を無視すれば、家の衰退を招くことだろう。
「そうですね。よく話をすればきっと、分かってくれますわね」
「……そう願うよ。もし見合い相手が嫌であっても、今後のことを考えるきっかけにはなるだろう。
駄目な時は養子を考えねばなるまいな。
もう、あの子もそんな年になってしまった。
月日が流れるのは早いものだ…………」
娘を愛していても譲れない線引きがある。
そうやってみんな、生きて行くのだから。
◇◇◇
その時小鈴は丁稚の文次(8才)に小遣いを渡し、お菊の様子を探らせていた。
お菊は清次郎との約束で、情報を得る為の捜査に参加していた。
それを知らない文次なので、見たままを小鈴に伝える。
「お菊さんは、清次郎さんと出かけていた。
酒場で一緒にご飯を食べていたよ」
「二人きりで? それってもう、不貞じゃないの? 弥助さんに誘われていた癖に! それとも、もう弥助さんのことはどうでも良いってことなの?」
一応は変装していたお菊だが、町人風の服を着た清次郎が美形過ぎて、彼を良く知る文次にはバレていた。
男ばかりの場所だから、彼を知らない者ならそれほど気にもしないだろう。
同心服の真面目な印象とは違い、町人の服を着崩した彼は口調もくだけて色気さえ感じられた。到底同一人物とは思えないほどに。
文次が分かったのは、始めから尾行したからなのだ。
けれどそのニュアンスを説明出来るほど、彼の語彙力は高くなかった。
完全に逢い引きしていると思う小鈴は、お菊にそれを聞く為に彼女の家へ訪問するのだった。
清次郎も偶然そこにいて、丁度良いとばかりに小鈴は詰め寄るが、逆に追い詰められる彼女だった。
「へえ。じゃあ小鈴さんは、私達の話した内容も聞いていたのですか?」
いつもは優しい清次郎が、鋭い雰囲気で小鈴に詰め寄る。清次郎にすれば、公にされては困る調査中なのだ。
その時の彼らの周囲には、同心や岡っ引きもいる大捕物だ。彼女からその話が漏れて、相手に警戒されては大問題となる。
「ちょっと、脅しても無駄だからね。私は見てないけど、丁稚の文次がちゃんと見たんだから!」
「文次ですか? じゃあ、彼と話さないとね。
ねえ、源。呉服屋の二平と文次を呼んできてくれない?
今すぐに!!!」
話しているうちに、怒声とも聞こえるほど声を荒げる清次郎に、一同が身をすくませた。
「行って来ます。お待ち下さい」
走り去る源に「私も連れて行って」と手を伸ばすも、無情にも清次郎に肩を掴まれ阻まれる。
「小鈴さんにはここにいて貰わないと。詳しく聞き取りをさせて貰うよ。良いね?」
そこにはもう、冷たい微笑みをした清次郎が、逃がさないと目で語っていた。
それには免疫のあるお菊さえ少し顔が強ばったのだから、小鈴がどれほど恐怖したかは分からない。
ただ乗り込んで来た勢いは、何処にもなかった。
そんな小鈴から、助けを求められる眼差しを向けられても、仕事モードの清次郎には口出しは出来ないでいた。
町の平和に繋がる大切な事だと、今ではお菊も知ってしまっているから。
蒼白い顔の小鈴は両手を握りしめて、恐怖で震えていた。
(もう許して。何なのよ、この尋問するような感じは。
二人はただ、逢い引きしてたんじゃなかったの?
お父様まで呼ぶなんて、どうなってるのよ!?)
到底口を開く雰囲気ではなく、逃がさないという清次郎の眼力は、まるで人喰い虎にでも睨まれたようで。
その後に二平達が到着するのだが、清次郎に見つめられたままの彼女にとっては、永遠にも感じる恐ろしい時間だった。