囮のお菊
「お菊ちゃん、どうしよう。藤吾がいなくなった。3日前お寺からいなくなったの!」
「お、落ち着いて、弥生ちゃん。私も一緒に探すから」
弥生の親は流行り病で亡くなり、親のない他の子供達と一緒に町の寺院で暮らしていた。親戚に引き取られる者もいたが、だいたいが他の子供を養う余裕などないので、寺の仕事を手伝いながらそこに身を寄せていた。
弥生は15才になり寺を出て、大きい八百屋で住み込みで奉公しだした。
3つ年の離れた弟と離れるのは辛いけれど、懸命に働いて共に暮らせることを夢見て。
月に数回ある休日に寺に行けば、藤吾がいないことを教えられたと言う。普段から寺の掃除を頑張り、年下の子を面倒見る良い子だったそう。
弥生の容姿は、年相応よりも幼く見えるほど可愛らしい。いわゆる童顔である。
その弟も親譲りの整った顔で、女子に人気があったらしい。
勝手に外に行くことはない藤吾だから、拐かされたのではと住職から言われたそう。
そこでは住居と最低の飲食は提供されるが、自らの修行もあるので常に子供を見ている訳ではない。
奉行所(八丁堀)に届け、寺でも捜索はしたが、未だ見つかっていないと言う。
唯一の肉親である藤吾が不明となり、弥生は泣き腫らしていた。お菊にとっても、弥生は幼い時からの友人だ。とても放っては置けないのだ。
「お父ちゃん、捜査はどうなっているの? 藤吾は弥生ちゃんを置いて何処にも行かないよ。きっと悪い奴らにつかまったんだ。早く助けてあげてよ」
「ああ、俺もそうしたいよ。清さんと捜査はしているんだが、今一つ手がかりがねえ。目撃情報の一つでもあれば良いんだが……」
「そんなぁ。どうしたら良いの?」
この地域はわりと平和だが、地方に行くと人不足で奉公と言うなの人身売買が行われていると言う。
特に鉱山や農業などには人が集まらないそうだから、拐われた子は労働力として使われそうだ。
けれど最近の行方不明者を辿ると、誰でも良いような感じではなく、見目の良い男女の子供が狙われているようだ。
特に藤吾は目元がキリリとして、まるで歌舞伎役者のようだと囁かれることもあった。
女の子も涼やかな目元で、口が小さい美人が狙われていた。
余所者が急に来ても彼らを狙うのは難しく、近くの大人が手を貸していると思われた。その洗い出しが困難なのだ。
何処で聞き込みをしても、当たり前だが尻尾を出す者は居なかった。
このまま時間が経てば、拐われた人が移動させられてしまうだろう。
「こうなれれば、囮を使って現行犯で捕まえるしかない。でも囮なんて危険が付きまとうこと、誰にもやらせられない。夜回りを続けるしかないか? それとも若い岡っ引きにやらせるか? ああ、どうすっかな!」
源が一人呟くのをお菊は聞き逃さなかった。
(可愛らしい囮か。一番若い岡っ引きの政さんは、大きくて熊顔(強面)よ。犯人も近寄らないわ。もう時間もないなら……)
「お父ちゃん、私が囮になるよ。私なら小柄だし、まだ子供に見えるでしょ?」
その言葉に源は目を剥いた。
「だ、駄目だ、絶対に。お前が怪我でもしたら……。俺は反対だ!」
明らかに憤っている様子だが、それは心配からだとすぐに分かった。
けれど丁度、源の住む長屋に現れた清次郎も、会話に参加して来たのだ。
「おおっ、お菊ちゃんが囮ならすぐに犯人が現れそうだ。もう4日が過ぎた頃だ。下手をしたら焦れた犯人が、子供を殺して逃げるだろう。それだけは避けねばならん。是非お願いしたいな」
行きなりやって来て勝手なことを。
源は清次郎を睨み付けた。
いつも世話になっている、特別源に目をかけてくれる清次郎を。
「睨んでもここは退かんよ、源。お前だとて時間切れになることを恐れているだろ。絶対にお菊ちゃんは守るから、頼むよ!」
「っ、でも、でもよぉ……。ああ、もう、分かったよ。その代わり俺は犯人を追わねえからな。俺はお菊から目を離さない。それで良いなら」
「ああ、それで良い。改めて協力をお願いするよ」
「任せてよ、清次郎さん、お父ちゃん」
「っ、(人の気も知らないで、この馬鹿)」
「そうと決まれば、篭を担いでお寺に行こう。源は離れて付いて行くんだよ。俺達同心も周囲で隠れて尾行するから」
源とお菊は、何故お寺に行くのかと疑問だった。
「お菊ちゃんは弥生ちゃんに、こっそり話しても良いよ。もし彼女が来たいなら、一緒に連れてきても許可するし。それからいろいろと作戦を伝えるよ」
「ありがとう、清次郎さん。弥生ちゃんをちゃんと励まして来るから」
「うん。そうしてあげてよ」
身分が低い平民の捜索に感謝するお菊と、にこやかに返事をする清次郎。
源だけは清次郎の笑顔に胡散臭さを感じていた。
奉行所がこんなに簡単に同心を動かす筈がない。
“きっと何かある”と直感を告げていた。
◇◇◇
夕日が沈みそうに傾いた時、お菊は篭を背負ってお寺へ移動する。中には長屋の善意で作った、お寺に寄付する手拭いがたくさん入っていた。
長屋とお寺は近いから、団子屋での仕事を終えたお菊が頼まれて持ってきたと言う設定だ。源と暮らすお菊は住む込みでないので残業がなく、普段からいろいろと頼まれやすいのだ。
寺に到着後、こっそり弥生に今回の作戦を伝える。
弥生を慰めそして帰ろうとした時、桶で水を運ぶ寺の下働きが目に入る。
「六兵衛さん、こんばんは。ご苦労様です」
そして踵を返すと、後ろから濡れた手拭いを口に当てられた。とっさのことに手をバタバタ動かすも、意識がすぐに遠のいた。手拭いには眠り薬が仕込まれていたようだ。
彼を止めようとした弥生が声を出すも、腹に拳で殴られ踞った。
「く、痛っ、な、なんで、六兵衛さんが……」
「あんたが煩いからだよ。あんたも俺を馬鹿にしてたんだろ? 坊主にもなれず、5年も下働きの奉公に出されてんだ。その金は幼い弟妹に使われ、俺は働き損だよ。もう我慢は嫌なんだよ!」
(ふ、ふざけてるわ。家族の為に働くことが嫌だなんて。きっと5年は、弟妹が成人になるまでの期間でしょ? 彼のいた農村は、水害で被害を受けたと聞いたわ。事情があってここに来た筈なのに……。ここは農村より食事も良いと聞いたわ)
殴られて力が入らず、何とか会話をして人が来るのを待つが、今日に限って誰の姿も見えない。
「助けを期待したのか? 残念だな、今頃はある方からの差し入れで、みんなは本堂に集まっている。こんな裏庭には来ないさ。今日でここを去るから、お菊のついでにお前も連れて行ってやるよ。ふへへっ」
イヤらしいその顔は、人が良さそうないつもの六兵衛とは別人に見えた。これが本性なのだろうか?
呻くことしか出来ないも、せめてお菊を逃がそうとして、体を引き摺りながら六兵衛の足に腕を回した。
少しでも時間稼ぎをする為に。
「諦めろ、弥生。痛い目に合うだけだぞ。止めろ、鬱陶しい!」
ゲシゲシと弥生を足蹴にする六兵衛は、細い目をつり上げ暴言を吐き続けた。
そうして意識をなくした弥生とお菊を担ぎ、お寺の物置に二人を運ぶ。
口を手拭いで縛り、腕と足も紐で縛り上げた。
その後何事もなかったように水桶を風呂釜へ運び、水が溜まった後に薪に火を着けた。
いつも通りに沸いた風呂は、位の高い僧侶から入浴していく。彼はその間ずっと火の番をするのだ。
弥生は藤吾を探し、時々寺の周囲を探していたから、部屋に居なくても不審がられていなかった。
お菊はもう、とっくに帰ったと思われていた。
◇◇◇
夜間みんなが寝静まった後、六兵衛が物置に訪れた。
「生きてるか? 死んでると売れないからな。お前達は漬け物樽に入れて運んでやる。丁度船が出るから、弟にも会えるだろう」
手足の自由が奪われた娘達は、樽に入れられ荷台で夜の道を運ばれる。
ガタゴト、ガタゴトッ。
六兵衛の背には風呂敷が背負われ、夜逃げの準備もされていた。
「へへっ、もうすぐ江戸ともお別れだぜ! 俺は自由に生きるのさ」
夜の闇に紛れ人が殆ど通らぬ道は、酷く静かで肌寒かった。
◇◇◇
船着き場には船が二艘。
男が二人ずつ乗り込んで、周囲を警戒している。
「遅かったじゃないか、六兵衛」
「へい、三郎さん。予定外の子供も連れて来ましたんで、取り分多めに下さいよ」
「予定外? 親が探すんじゃないのか? 騒ぎになるのはごめんだよ」
「たぶん大丈夫ですよ。こいつの父親は、毎夜同心と呑みに行くので朝帰りでさぁ」
「そうか、ならまあ良いか」
「おっ、可愛い子じゃないか。これなら高値がつくぞ」
「でしょう。俺もそう思いまして。そろそろ同心も動きそうなので、俺も江戸を出ます。賃金弾んで下さいよ」
「ああ、お前はよくやってくれたよ。それに潮時だった。……じゃあ、浪人さんよろしくお願いします」
そこに現れたのは、頬に刀傷のある人を斬り慣れている手練れの武士だった。
「今日はずいぶんと弱そうだな。楽な仕事だ。」
「ギャアー!!!!! な、何これ、え、これ、血、何で…………」
ズバッと腹部に深く一刺しす浪人は、そのまま患部を抉り引き抜いた。混乱の六兵衛はその場に仰向けに倒れ、腹部を押さえ呻いた。
「ど、どうして? お、俺、仕事、した、のに…………」
三郎は首を横に振り、睥睨した。
「仲間を平気で裏切る奴なんて、そうそう信じられんよ。お前も一回で辞めとけば良かったのに。罪悪感もない奴はすぐに同心にゲロッちまうだろ?
お前は同じ平民で、弱い立場で、同じ場所に住む奴を裏切ったんだ。切羽詰まってもいない癖に」
なら同じ目に合うのも、しょうがないって思えるよな。
三郎は樽を船に乗せ、浪人と共に櫂を動かした。
六兵衛を残したまま…………。
次の瞬間、周囲から出て来た人々が二艘の船を囲う。
「御用だ、御用だ。観念しろ!」
そこには源と、清次郎と、清次郎の仲間の同心達だった。
その瞬間、浪人が船から水場に降り、同心に斬りかかった。
「俺が相手をする。かかってこい!」
「な、何を。もう諦めろ!」
「一応忠告したからな。参るぞ!」
両腕を真上に構え、向かってくる剣を受けたのは清次郎だ。
「俺の剣を受け止めるとは、さすがだな。だがあっさりは死なんよ。参るっ!」
「負けるか! くっ」
カキン、カキンッと、火花が散る。
どうやら浪人はかなりの怪力でもあるようだ。
剣技は清次郎が上でも、押される力が強くかわしながらでは分が悪い。それでも…………。
「くそっ、ちょこまかと傷を付けやがって。殺す!」
「ふふっ、致命傷は無理でも、斬りつけられて痺れるだろう? 血も滴ってるし、動きはさらに鈍ってるぜ!」
的確に距離を取りながら斬りつけ、その動きを見切り始めた清次郎が有利となっていた。
その間に犯人の確保に走る他の同心達と、三郎を逃がす為に同心に向かう犯人達。
「三郎さん、あんただけは行ってください!」
「だが、お前達は」
「あんたなら、家族を任せられる」
「そうだ。俺達にはあんたしかいない。頼んだぞ!」
「くっ、すまんっ」
六兵衛と話していた恐らくこの中の主犯は、隙をつき地に上がり走り去っていく。
「待て、待て」
叫ぶものの、残された犯人も存外に強く後を追えない。
浪人とまみえた清次郎は、多くの傷で相手を削りついに剣を手から落とさせた。それと同時に同心が縄で手首を固定した。
「クソッ、こんなところで。何でお前みたいな剣士がいるんだよ!」
「はぁはぁ、褒め言葉ありがとうな。でも俺も結構へばってるんだ、ふうっ」
同心達が犯人を捕らえている時、源は一直線に樽へ向かう。
「お菊、お菊ー。無事かー?」
一つずつ樽の蓋を開け、どんどん人を救出していく。
その目が血走る必死の形相は、樽を開けられた者も小さく悲鳴をあげた程だ。
そしてお菊に出会えた時には、滂沱の涙で彼女を抱き締めたのだ。
「良かった、無事で。心配した、会えるまで生きた心地がしなかった。よがったぁ、うっ、うわぁ」
その涙に安堵したお菊も泣いた。
堰をきったように。
「ごめんね、お父ちゃん。でも私、藤吾も弥生ちゃんを助けたかったの。ごめんね、うわ~ん」
抱き合う二人をそのままに、他の樽は同心達が開けていった。多少衰弱している者もいたが、命に別状はないようだ。
捕まった犯人はおそらく死罪、斬首になるだろう。
◇◇◇
「お姉ちゃん。ごめんね」
「なんも。あんたが悪いんじゃない。六兵衛のせいだろ?」
「うん。寝ている間に知らない場所にいて、逃げたら殺すって脅されて。恐かったよ。うっ、うっ」
「生きていて良かった。本当に、うわぁん、ぐすっ」
お菊と源は落ち着いてから、弥生達を見て安堵した。
他の子供達もお寺や丁稚に出ていた、親が傍にいない子供達だった。
今回は美形の子供ばかり。
その中でも「やっぱり美形姉弟だわ、弥生ちゃんと藤吾」と思うのだった。
「お菊ちゃん、ありがとう。大事な弟が戻って来れたのは、お菊ちゃんやお菊ちゃんのお父さんのお陰だよ。すごく格好良いね」
「そうかな? ありがとう、お父ちゃんを褒めてくれて。格好良いって言ったら、きっとすごく喜ぶよ」
嬉しそうに微笑むお菊を見ながら、弥生も漸く体から力が抜けた。恐怖を乗り越えられたのは、お菊のお陰なのだ。
無鉄砲だけど優しい友人に感謝し、けっして裏切らないことを誓うのだった。
◇◇◇
江戸時代。
捕らえられた犯人達は石抱きや笞打ち等で尋問にて、自白を引き出し、その後裁決が行われる。
中追放(刑罰)以下は町奉行が刑を確定したが、重追放以上は老中、遠島以上は将軍の裁決が必要だった。
しかし南町奉行が片切進之介だった際は、事前に老中と将軍により裁決後書類の委任を受け、囚人となる者達に片桐から告げることになっていた。
◇◇◇
無事に帰ったお菊と源だが、今後も清次郎の依頼で囮捜査や潜入捜査を任されることになる。
源は嫌がるのだが、今まで夜に出歩いていたのも調査の一環だと知り、お菊が前のめりだったのだ。
「私もお父ちゃんの役に立ちたいの」
「危険なことは辞めてくれよ。頼むからさ」
「僕の協力者も同行させるから、大丈夫だよ」
「そんな問題じゃねえ。少しの危険も嫌なんだよ」
「源さんったら、過保護だね」
「違うぞ。普通の女子供には、捜査は永遠に関係ないだろ?」
「危険を防ぐのも、自らを守ることになるだろ?」
「極論だろ。犯罪に近づく方が危ない!」
「協力費も出るよ。結構良い値段だよ。この間の誘拐事件の時も良いお値段だったでしょ?」
「うん。それはありがたかったよ、清次郎さん」
清次郎の顔はいつもと比べ不自然に感じた源と、金勘定で何も気づかないお菊。
(確かに。丁銀(34匁約161グラム)1枚だったもんね。初めて見たよ、銀貨なんて。うふふっ。これでお父ちゃんに着物と浴衣を縫ってあげられるよ)
※金1両(小判1枚)は、銀60匁、銭10貫文(1文銭を10000枚):慶応年。
「勘弁しろよ、清さん。俺があんたに協力しているのは何の為だと思ってるんだ。知ってるだろ?」
全てはお菊を幸せにする為に、賃金を貯めていたのだ。
清次郎は口角をあげて「ああ、勿論」と返した。
その後は二人で酒屋に行き、朝まで呑み明かしたのだ。清次郎の頬に殴られた痕が付いていたとか、いないとか。
「僕が嫁に貰えば、少しは安心か? どこかの家の養女に入って、武家の娘としてなら結婚できるぞ」
「馬鹿野郎! 誰がおめえみたいな、胡散臭い野郎に可愛い娘をやれるか! どうせお菊を利用して囮捜査とかさせる気だろ? 真っ当な男としか結婚なんかさせねえ。お前は却下だ。帰れ!」
「男前だし、金はあるし、お菊ちゃんはもう好きかもよ。なんてね」
「そんな、趣味悪く育ててねえ。黙りやがれ、バチンッ」
「痛ってえ。酷いぞ、源さん! 嘘っ、もう寝てるよ、この人。この状態で寝落ちなんて! まあ、良いや。僕もつい本音が出ちゃたし。お菊ちゃんのことは、本当に気になってるんだけどね」
源を背負って長屋に向かう清次郎は、この父子のことを考えて心が温かくなっていた。
「血の繋がりなんて、関係ないよな。良い親子だよ」