仁平
「ほお、中々に整った顔をしておる。
この娘は町民か? 親が騒いだのではあるまいか?」
「この娘は呉服屋の針子でございます、阿部様。
俺の歌舞伎の愛好者で、時々食事に行く仲でしたが、深い関係とは思われていないでしょう。
……ただ、もうすぐ親の決めた相手と、結婚すると言っていました。
その男が不細工の年寄りだそうで、最後に夢が見たいと迫ってきたので……。
きっと嫌がって、逃げたとでも思われているでしょう」
「……悪い男だな。そこは断るのが筋だろうに。
平民は貞操が緩いのか? 年寄りに売られるような結婚だから、女も構わないと思ったのかの?
まあ、良い。
女は若ければ価値が付くと言うものだ」
「に、仁平さん。この人は誰? ここは何処なの?」
眠らされて連れてこられた針子のお紀代は、手足が縄で括られたことに、目が覚めてすぐに気づいた。
「申し訳ないね、お紀代さん。君は遠くに売られるんだ。
でも心配しないで、ご両親には結婚が嫌で逃げると手紙を届けておくから」
「な、何を言っているの? 仁平さん。売るって何?
冗談はよして!」
怯えるお紀代の足縄を、阿部が解いて体にのし掛かる。
「嫌、やめて、仁平さん助けて! こんなのイヤぁ!」
「暴れるな、女。これからこれが、お前の仕事になるのだからな。
仁平にもタップリ仕込まれたのだろう?
それを俺にもしてみろ。
抵抗すれば、痛い思いをするぞ!
まあ、それも一興だがな。
ぐへへっ、すべらかな肌に、大きい乳だ」
お紀代は帯を解かれ、肌が顕になった。
手首の縛めだけはそのままで、碌に抵抗も出来ない。
「イヤよ、どいて、助けて仁平さん、あっ、やだぁ」
「ははっ、嫌がる方が燃えるな。素人はこれだから良い」
仁平の方に手を伸ばして救いを求めるお紀代だが、目を合わせても彼は動かない。
「ごめんね、お紀代さん」
「そ、そんな、あっ、くっ、うぅっ、嫌あああああ!!!」
阿部は見捨てられたお紀代にほくそ笑んだ後、無理矢理口づけをして、大きな乳房を揉みほぐし…………。
逃げられない彼女の体をまさぐりながら、絶望の表情を浮かべるその体に、何度も己の昂りを解き放ったのだった。
◇◇◇
仁平と話すのは南町同心の阿部。
婿入りした世襲の下級武士。
いつも婿入り先の家族に、「早く出世しろ。もう一人子供を作れ」と圧をかけられていた。
※江戸の町奉行に仕える同心(町同心)は、定員が南北それぞれ100名(幕末には140名)で、主に警察的な職務を担当する。
そんな彼が与力の岩本の下で、江戸の町を巡回したり、事件の捜査や犯人の捕縛に携わりながら、女性の人身売買に関わっていたのだ。
歌舞伎役者の仁平をエサにして。
「まったくバカバカしい世の中だ。昔のように戦もなく、毎日毎日嫁と姑に嫌みを言われて生きるだなんて。
今や俺の地位は、生まれた息子より低い。
そんな時に岩本様に声をかけて頂いた。
男をバカにする女など、みんな不幸になれば良い
アハハハハッ」
そんな阿部を見ながら、仁平も頷く。
彼は幼い時稚児として、僧侶の男色の対象としてある寺に売られていた。
大人になった彼は寺から出され、美しい顔から歌舞伎小屋の下働きになった。
その歌舞伎小屋の経営者も男色家で、彼の生活にはそれほど変化はなかった。
時にはその顔ゆえに、臨時で舞台に出されることもあった。その時ばかりは仁平も、人として扱われている気がして、気分も僅か高揚した。
だが歌舞伎役者の家系でも弟子入りもしていない者が、大きな役など貰えるはずもなく、チョイ役であっても非難された。
経営者の男だと知られ一応納得されるが、勿論周囲には蟠りもあった。
役者もピンキリで、千両役者の逆で三文役者と呼ばれる者もいる。出番もなく貧乏な者もいるからだ。
三文とは、江戸時代以前に使われていた通貨単位で、一文銭3枚のことで、非常に価値の低いものを指す言葉。
そんな役者達は自分のことを棚にあげ、仁平を蔑んだ。
「さすが体を使って舞台にあがるだけある。恥も外聞もないから、ほんに楽しげだこと」
「俺も体を差し出せば、役を貰えるのかのぉ?」
「「「ハッハッハッ」」」
仁平は美しさに加え演技力もあった。
生まれが歌舞伎家や弟子入りできる身分なら、きっと大物役者に名乗りをあげただろう。
「ははっ。でしたら、そうされてみてはどうですか?
経営者の若杉様は、新しい若者を探していると聞きました。推薦しておきますか?」
「い、いや、それは……」
「私は止めておく」
「「私もまだ……もう行く」
「ふふふ、残念ですね」
人あしらいなども仁平には苦でもない作業だ。
だからこそ、女性も騙されてしまったのだが。
時おり彼が見せる陰のある姿は真実で、彼は自分でそれに気づいていない。ふと見せる悲しげな横顔だけは、誤魔化しようがなかった。
そんな飽き飽きした日常は、阿部の誘いを受けて変わっていく。自分を寺に売った母親を憎み、身分を蔑む者達に、ささやかな復讐ができると思って。
幸か不幸か、経営者の若杉のことは外部には知られていない。
複数の歌舞伎小屋がある中での悪い噂は、集客に響くからだ。
知っているのは役者達と舞台関係者だけだ。
女達だとて、男色(仁平はその行為が好きではなくとも)として飼われていると知れば、近づくこともなかったかもしれないのに。
仁平はそれも愉快に思いながら、女達を騙していった。
狙われた女達の中には、いつも彼を貶める言葉を発したり、下働きの仕事をする彼に汚れた衣類を投げてよこす者の縁者もいた。
洗濯は男でも重労働であるのに、わざと汚してくることも多々あった。
「これも洗っておけよ。綺麗にな。ふははっ」
「勿論です。わざわざ持って来て下さり、ありがとうございます」
時には。
「幼い時に親に売られらしいぞ。それも寺に」
「じゃあ、あいつは。そうか……何だかやたら色気があると思ったら、そう言うことか。随分と女形が似合うからな。フヘヘッ」
「きっとそうですね。辛い経験も役に立つものです」
「けっ、気にもしてねえのか。面白くねえな」
微笑んで答えれば、毒気も抜かれていく男達。
歌舞伎の仕事場は、男尊女卑のせいか男が殆どだった。
小さくても仁平に積み重なる毒は、確実に彼を追い詰めていったのだ。
もう、いつ死んでも良いと思えるくらいに。
だから仁平は止めない。
女達を、彼を囲う悪意ある者達を、自分と同じように貶める為に。
彼だとて刑の重さを知っているのに。
「早く捕まえに来ないと、また女が不幸になるぞ。
この世は搾取される者は搾取され続け、富める者はさらに富む。
生まれた瞬間に決まっているんだ。
ならば不幸になった女も、生まれた時にその不幸はきまっているのかもな? はははっ」
その声音は自虐的にも、悲愴にも聞こえた。
◇◇◇
源と清次郎、伝治は、仁平の元に向かっていた。
同心の阿部や与力の岩本が作りあげた、拐った女達を江戸から逃がすからくりを解いた後で、彼らの捕縛も済んだ為、もう仁平に逃げ場はなくなった。
後は捕縛した彼が、何処まで秘密を知っているか、聞くことになるだろう。