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ある娘の涙

「どうして、そんなこと言うのよ? 好きだって言ってくれたのに!」


「文句なんて言わないで欲しいな。俺は役者だ。

 それも二枚目のな。

 少しの間だが、良い夢見れただろ?

 あばよ! あははっ」


「く、悔しい。信じていたのに…………。

 うっ……遊女が夢を見たのが悪かったのよね。

 でも、酷い……」



 泣き崩れるお炎に、言葉をかけられず見守る周囲も悲しい思いをしていた。

 お炎は美しい儚さを持つ美人で、誰にも優しかった。


 だから仁平を知る者達は、彼だけは止めておけと忠告もしていたのに。

 けれど当時の彼女は、その言葉を聞き入れられなかった。



 江戸歌舞伎でまだ駆け出しの役者仁平に、遊女は悲しい恋をした。

 吉原に売られた時も、純潔を失っても泣かなかった彼女は、彼との別れに号泣した。

 泣いても泣いても、涙が止まらぬほどに愛していたのだ。


 美しい(かんばせ)で姿も整った、少し乱暴だけどいなせな話し方の恋しい男だった。



 お炎は生家の農業が大不作となり、貧しくて食べることに窮する家族の為に、吉原に売られて来た。

 江戸に来た時は、16才の生娘だった。

 真面目な子で無駄遣いもせず、もうすぐ年季も明ける予定だった。


 ※年季が明けるとは、年季奉公の期限が満了すること。

 遊女などの奉公人の場合、年季が明けることで、自由の身になる。



 家族とて生きる為に、涙を飲んで彼女を送り出したのだ。それほど大きな借金は、家族とて背負わせていなかった。生きる為の最低限の金額だったが、それすらも家族には捻出できない金額だった。


 女にとって体を売ることは、周囲からは貶めて見られる。

 美しくても、嫁の貰い手もないだろう。

 そこは狭い村だから、若くても後妻くらいしか望まれず、吉原あがりと言われ続けるだろう。


 それを分かっていても、お炎は納得して遊女となった。

 弟妹が多く畑も小さい農家だから、10才にも満たない子供やお炎が丁稚に出たとしても、さらに幼い子供が生き残れなかっただろう。

 それくらいならば生きて欲しいと願った美しい長女のお炎が、スカウトに来ていた人買いに身を託したのだ。



 そのお炎に甘い言葉を吐いて、金をせびり借金を負わせ「俺が売れたら、見受けする」と囁き、金持ち女を見つけてお炎を捨てた仁平。

 いつもお炎に、「1000両役者になれれば、そこまででなくても売れる役者になれば、遊女の見受けくらいどうにでもなる」と、言い続けて来た彼なのに。




 だが彼は、お炎以外にも同じようなことをして恨まれていた。

 お炎は彼を信じていたから、悪い噂を聞き流していたが、被害者は他にも多くいたらしい。


 その中でも人買いの彼、伝治(でんじ)は、仁平をすごい形相で睨み付けていた。




◇◇◇

 人買いでも非道な者もいるが、お炎を買った伝治(でんじ)は良心的で、中抜きせずに適正な額で取り引きする数少ない者だった。

 彼の生まれも、浜辺の貧しい漁師の子供だったから、早々に丁稚として奉公に出された。

 特に父親が賭博で借金し、返済の為に彼の姉も遊女として売られて行った。

 年の離れた大好きな姉の生死は分からず、何十年も心配して行方を探している。


 丁稚を勤めあげた彼が、人買いの手伝いをしているのは、そんな訳もあった。

 彼の母親は姉が売られたショックで寝込み、すぐに儚くなった。娘を売るくらいなら、自分が遊女になると父親に訴えたが、何度も何度も殴られて罵倒された。


「ババアなんぞ、誰が買うか! お前は黙って俺の言うことを聞け!」

「おっ母を殴らんで。私行くから、だから……。

 うっ、うっ……。おっ母、伝治、元気でね」


「ダメだぁ。おっ母は、お前を不幸にしたくて生んだんじゃねえ。大事な子供なんだ。行くなぁ! 行かんでけろ! 頼むぅ、うっ、うっ、うわぁ」


「はよう、連れて行ってくれ。こいつが行かんと、俺が殺される。家長の命の方が大事だろが!」



 家にお金も入れず、何が家長か!

 母親と子供達は思ったが、女子供に逆らうことは出来なかった。

 伝治は父親を殴りたかったが、力では到底敵うはずもなく、母親が自分を庇って殴られる未来しか見えなかった。だから唇を噛みしめ、手を強く握りしめて去っていく姉を見ていた。



 寂しい笑顔を浮かべて人買いに着いていく姉に、伝治は悔しくて仕方がなかった。

 力のなさに情けなくて泣いた。

 母親ももう殴られてボロボロで、でもずっと姉の背中を見つめて泣いていた。


「こんなことなら、あの子と死んでしまえば良かった。

 どんなに苦しい思いをさせるか考えたら、まともじゃおれんよぉ。うっ、うっ……」



 父親は姉が逃げないように、ずっとこのことを黙っていた。もし知っていたなら、母親と逃げるなり自害するなりしただろう。


 女はこの家にとって、父親にとって、道具でしかなかった。


 父親は力が強く、仕事をすればそれなりに儲けはあったのに、働くのが嫌いで博打をする人だった。

 母親も両親が決めた結婚だからと逆らえず、奴隷のように従ってきた。

 母の内職や浜辺に姉や伝治で雑用(コンテナ洗いや包丁での魚の内蔵取り)を行って、やっと生きていける状態。

 余った魚も時々貰え、その煮付けは大切な栄養源だった。

 それもお金を入れない父親は、文句を言いながら食べていたのだ。酷いものである。



「子供達がいるから生きられる」と言った母親は、姉が売られた後に伝治に謝っていた。

「おっ母はもうダメだ、頑張れねぇ。伝治ごめんな。

 弱いおっ母でごめんな。

 お前は大人になったら逃げろ。男なら江戸で仕事があるって聞いたから……」


 

 食事が取れなくなって、一月もしないうちに亡くなった母親。

 父親の機嫌で殴られていたし、姉の時は酷かったからそういうことも原因だったかもしれない。


 顔だけは良い父親は若い嫁と再婚し、すぐに伝治を丁稚に出した。7才で10年という長い年季だったが、父親の側に居たくなくて、それを文句も言わず受け入れた。


 可哀想だと憐れまれたが、他人の声などどうでも良かった。彼は両親共に器量が良いので、余計に庇護欲を誘ったのかもしれない。


 それをある程度の年齢で知った彼は、時々それを利用しながら世間を渡る術を身に付けていった。

 成長するごとに女性に声をかけられることも増え、女あしらいを覚えていく。

 丁稚先のお嬢さんや女将さんにも、時に秋波を送られたが丁重に断り、それが店の旦那にも気に入られてクビにならずに年季も明けた。


 その旦那に紹介して貰ったのが、人買いの商いだった。

 美形の伝治には、桐箪笥を扱う家具問屋の客寄せになって欲しいとも考えたが、娘の二人いる父親は心配の方を取った。

 伝治の悲惨な生い立ちは知っているが、家を継がせる婿には力のある商人か武士の伝手が必要だった。

 この業界も江戸に残るなら、強いコネが必要なのだ。

 競合の激戦区に店があるのだから。



 元より婿など考えたことのない伝治だから、仕事を紹介して貰えるだけで御の字だった。

 彼の目的は姉を見つけること。

 もし亡くなっていれば、線香をあげてやりたいとずっと思って生きてきた。 


 でも……。

 生きていたなら母親の墓に一緒にお参りして、無事を喜びたいと僅かな希望も持っていた。


 


 そんな彼が娘のように見守るお炎に、仁平は泥をかけた。

 姉と境遇が重なる可哀想な少女。

 自分の幼い時から比べれば、給金も流通も良くなり、特に江戸の町は仕事も多くて活気に溢れているのに。


 農村部は未だに昔のままで、悪い代官が幅を利かせているのだろう。

 伝治も江戸に来てから数十年を経て、世の情勢にも詳しくなった。

 人に揉まれ、騙されたり理不尽にも合いながら、処世術を学んだ。だからある部分の情報には強い伝手もできていたのだ。


「何故何十年も経っているのに、お炎のような存在が未だに出るのだ。お上は、将軍は何をしているんだ!」


 怒りの矛先は幕府に向いていた。

 声に出さずとも、怒りは常にあった。



 そして仁平が、女達に何をしているかもおおよその調べがついた。

 ある意味でお炎は、伝治がいたから被害が少なかったと言っても良い程度だ。

 少ないといっても借金は増え、年季は多少延びたがある意味自業自得の部分は否めない。


 夢を見るのは仕方がないが、仁平は顔の良い悪魔寄りで、出来れば会わせたくない類いの男だった。



「あいつは女を騙して売っている疑いがある。

 人買いどころではない、生涯の自由を奪うようなやり方で。

 これはくそガキの悪さで済まされない悪辣さだから、ちょっと手出しさせて貰うぜ」


 その後も情報屋を頼り、伝治は仁平の調査を終えていた。

 


 そんな(伝治)の動きを見守る人物が、側にいることを彼はまだ気づいていなかった。




◇◇◇

 それは清次郎に指示を出され、『神かくし事件』と言われ調査していた源だ。


 清次郎達もこの件が、他所から来た人拐いだと調査を続けていたのだった。


 若い娘ばかりがある日突然に消える事件は、娘の親や親族、許嫁から奉行所に苦情が寄せられていた。

 公にならぬよう秘密裏に。


 例え貞操が失われていても、生きて帰って来て欲しいとの希望からだった。

 若い娘の拐われた末路など、容易に想像がつくと言うものだが、それでも生存を望む者がいるのは、源や清次郎にとっても救いだった。



 その調査先に現れた伝治に、源は取り合えず話を聞こうと思った。


「済まないが話を聞かせて欲しいのだが。少し付き合って貰えるかい?」


 元盗賊の鋭い観察眼と、叩き上げた愛想笑いで(伝治)を目で捉える源に、伝治はあっさりと情報を伝えた。


 平民のことだから放置かと思ったのに、真面目に動いている源と清次郎のことを知っていたからだ。


 (伝治)は源に協力させて、上層部にいる悪い奴を探ろうとしていた。


(こいつらが女達を助け出せても、悪党の悪い奴らはきっと逃げ切るだろう。だから仕上げは俺がしてやる)と、殺る気に満ちていた。


 彼だとて仕事上、命に関わるやり取りが幾度かあり、死線をくぐり抜けてきたのだ。

 娘を売ると言って、金だけを奪おうとして襲いかかってきた来た者や、娘を移送中に奪おうとしてくるならず者達、親が金を受け取った後に自害しようとする娘を静止する為に負った傷など、立て続けの時は暇もないほどだった。 


 勿論、悔しい思いを何度かしてきた。


 そんな経験から武術を習い、防御を身に付けた後は攻撃もある程度熟せるようになった。

 当初は悪漢から逃げていた伝治も、今なら一対一でならば手傷を負うことはまずない。

 正当防衛で殺めた者も、両手の指では足りなくなった。

 遠方に出向く時には、馴染みの護衛もできたくらいだ。


 その護衛も友人となり、多くの屍と秘密を共有して今、伝治は江戸にいるのだ。



 私刑を模索する彼だが、果たしてうまくいくのだろうか?…………。





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