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生きる為に抗う

「捕まるのが分かっていて、人の金子(きんす)に手を出したのだろう? 何をされても不満はないだろうね?」


金子(きんす)とは、お金のこと。この際は財布。



 お梅は同心に捕まった。

 北町奉行の管轄での話だ。


 その美しい女は昔、家出をした武家の娘で、名をお梅と言った。




◇◇◇

 数年前の彼女は歩き疲れ、忘れ去られ古ぼけた神社の(やしろ)に辿り着いた。


 何も持たず家を出たので、金も貴重品もない。

 暗い社の中で膝を抱え、空腹を誤魔化して夜を迎えていた。


「お母様。お腹がすいたよ。もう……辛いよ……私はお母様の所に行きたいよ」




◇◇◇

 お梅の母は産後の肥立ちが悪く、彼女の弟か妹を宿したまま亡くなってしまった。お梅が12才の時だ。


 その後数年で迎えた妻には、嫡男となる弟が生まれ、お梅の居場所は次第になくなっていく。

 後妻はお梅と年が違わない。

 倍の差のある男に嫁ぐことは、本当に嫌だった。

 おまけに、裕福でも美男でもなく、娘までいると言うのだから。

 不満に思えど口には出せない後妻は、親に逆らうことなど出来ない。何か言おうものなら、殴られるだけだから。

 兄弟姉妹が多く、平民に毛が生えたような立場の武士家では、これでも僥倖と言われる嫁ぎ先だった。



 けれど自分と同じような年で、父親に可愛がられるお梅を見ると、無性に悔しくなった。


「私は父親に、あんな顔で微笑まれたことはない。

 着物だっておさがりのおさがりで、摩りきれたら縫ってツギハギのを着てさ。

 神様は私なんて見ていないんだ。きっと何をしても……」


 そう思うと辛くて苦しくて、お梅が嫡男を苛めたと嘘を吐いていた。

 お梅が父親に叱責を受けるのが、楽しくなっていく。


 繰り返すうちに使用人も、お梅の父も、お梅のことを持て余すようになった。

 最初はただの嫉妬だと思っていたが、跡継ぎに何かあれば洒落にならない。


 苦労してきただけあり、周囲を欺く技を身に付けて来た後妻は、けっしてお梅のことを悪く言わない。


「きっと、お寂しかったのでしょうね。私が至らないせいなのでしょうから、許してあげて下さいね。お梅さんを責めないであげて」


「可愛い坊っちゃんが苛められたのに、奥様はお優しい」

「次期当主に嫉妬を向けるなんて」

「幼子に何てことを。性格が歪んでいるな」


「わ、私は、何もしていないわ。どうして酷いことを言うの?」


 冤罪にただただ泣くお梅は、大事にされていたことで反論する術がなかった。その裏で楽しげに口角を上げる後妻は儚げな美人で、人心を掌握した。お梅の体に溺れていた父親さえも。



「……反省しないのなら、もう物置小屋から出るな。もう少し賢いと思っていたのは、どうやら親の欲目であったようだ」



「酷いわ、お梅さん。この子の腕に火傷が……。火鉢の棒でも当てたの? 可哀想に…………」


「もう許せねえ。お嬢さん、少し反省して下さい」

「坊っちゃんから離れてくだせえ」


「何もしてないわ。信じて…………うっ、うっ」



 こうしてお梅の父がその後出張で不在の間、彼女を物置小屋に閉じ込めることになった。また馬鹿なことをしないようにと。

 ホコリやカビの酷い、狭い場所に押し込められたお梅は、その暗さや異質さからパニックに陥った。


「出して、出して、お願い、暗いのは嫌っ!!!」


 そのうちに後ろ戸の一部の板が外れた。

 もうだいぶん古びていたせいだろう。


 食事も持ってくる使用人もおらず、放置されていたお梅はそこから逃げ出した。


「誰も信じてくれない。私はもう要らない子なんだ」


 飛び出しても行く場所もない。

 いっそのこと行き着いた神社の社で、朽ち果てようと思ったが空腹には勝てずに膝を強く抱えた。




 そんな彼女に気づいたのは、朽ちたと思われた神社に参拝に来ていた爺だった。

 満月に照らされた社から僅かに物音がして、声をかけたのだ。


「おや。虫がないておる。ほほっ、これは腹の虫かのう?」


 何とも暢気な声だった。

 社を開けた爺は金兵衛(きんべえ)と言い、スリの大親分だった。

 彼は15才になったばかりのお梅を、家に連れ帰った。



◇◇◇

「お前、あのまま死ぬ気だったのかい? わしは余計なことをしたかね?」


 お梅には、自分がどうしたいか分からなかった。

 けれど空腹に耐えられず、金兵衛に出された食事に口を付けた時、涙が溢れた。


「死にたい訳ないわ。けれどみんなが、私のやっていない罪を被せて、責めるんだ。お父様まで。

 ……だからもう、家に居られなくて」


 金兵衛は優しく囁く。

「お梅。お前はやっていないと言わなかったのかい? 

 そのまま受け入れたのかい?」


 お梅は激しく横に首を振る。

「言ったよ、何度も。でも、義母のことばかりをみんなが信じて、私を疑ったの。

 ずっと信じて来たのに、悪い夢のようだったわ。

 お父様にも頬をぶたれたの…………」


 そうお梅は訴えた。

 けれどその声は小さくオドオドしていて、とうてい要点も纏まっていなかった。

 周囲から見れば、言い訳をしているように思えただろう。


「……そうか、頑張ったのだな。じゃあもう、そこには戻らんでも良いのかの? 捨てられるか?」


「……捨てる? 私が。私は逃げたのに…………」



 彼女は自分を見てくれない、責めてくる家にいるのは限界だった。

 でも我慢さえ出来れば、衣食住には困らなかった。



 迷っている様子を眺める金兵衛は、さらに囁く。

「わしは慈善事業が出来るほど、金もその気もない。

 わし自身が何でもやって生きてきたからの。

 弱い者が搾取されるのを、身に染みて知っている。


 もしここにいるなら、お前には食事の代わりに出来ることをしてもらう。

 勿論ここを出て行って貰っても構わない。

 けれど家に戻らんのなら、一人でいれば拐かされてすぐに娼館にでも売られるだろうな。


 でもある意味、ここも同じかもしれん。

 わしの仕事が手伝えるようになるまでは、ここに住む仲間達に時々、夜伽(よとぎ)を望まれるかもしれん。


 なんせ、みんなで協力して稼いだ金で、生きているからのう。

 悪いことも、そうでない仕事もしている。

 ここに住むのは、わしが育ててきた孤児ばかりだからの」


 ※夜伽(よとぎ): ここでは寝所で、女が男の相手をすることの意味になる。




◇◇◇

 武家のお嬢様であるお梅は、料理も選択も出来ない。出来ることは裁縫くらいなものである。

 なまじっか中堅の部類だから、使用人は比較的多くいた為だ。


 お梅は迷った。

 武家の娘ならば、嫁に行くなら純潔が必須だ。

 ここでそれを失えばもう、嫁ぎ先は限られるだろう。


 そんなことを考えて、思わず失笑したお梅。


「私は、死んでも良いと思って社に隠れていたの。

 ほんの少し希望も持っていたけど、周囲を探しに来る者はいなかった。

 金兵衛さんとこの家に来る時も、家の者が私を探す様子もなく、町は平和だったわ。

 死んでも生きていても同じなのでしょうね。

 だから、私もここで生活させて下さい。

 悪事だってやってみせますわ」



 それは単純な思いつきで。

 だって何かあれば、堪えられなければ、今度こそ死を望んでも良いと思えたから。


 ここで家への未練を切ったのだ。



 金兵衛は頷いて笑った。


「ずいぶんと思いきったな。そうか、そんなに家は嫌なのか? ならここで暮らすと良い。

 わしらは基本はスリで、他は何でも屋をしているんだ。

 屋台の手伝い、荷運び、繕い物、髪結い、芸者などを引き受けながら、周囲と同調してな。

 いろいろな情報を集めながら、時々大物の財布を狙うような生活だ。

 これを聞いた今、普通に逃がしてやれないよ」



 お梅はもう、腹を括っていた。

 家にはもう帰らない。


 だから………………。

「私が話せるのは生家のことと、その周辺の地理くらいね。

 お金になる手伝いが出来るまでは、私の体を使ってもらっても構わないわ。

 でも可能なら、最初に金兵衛さんに抱いて欲しいわ」


「こんな爺で良いのか? 顔の綺麗な男も若いのもおるぞ」


 彼女は首を横に振り、金兵衛が良いと言う。


「助けてくれた金兵衛さんに、お願いしたいんだ。

 貴方が居なければ、あのまま力尽きていた。

 あの社は中が見えないし、もし数日後に捜索しに来ても衰弱して動けなければ見つからず、そのまま死んでいたと思うの。


 あの時、腹の虫が聞こえると行って、家に連れ帰ってくれたから、私は生きているのだもの」


「分かった。大切に頂こう」



 そう言って彼女を抱いた金兵衛は、そのままお梅を内縁の妻として、他の男には触らせなかった。


 お梅は15才、金兵衛は56才と、親よりも孫に近い年であった。

 彼に賛同している仲間達は、最初は警戒したが一月経つ頃には祝福にまわった。


 この家にいるのは元孤児や奴隷のように酷使されていた子供を引き取った、金兵衛の善意で生かされた者ばかりだった。

 皆、彼に感謝している者ばかり。

 金兵衛がスリなどの犯罪に手を染めたのも、彼らを育てる為だった。


 金兵衛は元旗本の子息だった。

 政争で負け冤罪を被せられて没落し、連座で処刑されるところを逃がされた生き残り。

 彼は自分を助けてくれた、元家臣であった義両親のように人を見捨てられない質だった。


 本当ならば、とうにない命を生きている。



 いつか罰せられようとも、悔いはないと思いながら。


 彼はもし奉行所の目が向いたら、自分を置いて逃げろとみんなに言っていた。それが自分の望みだと微笑んで話していた。


 そんな彼を置いていけないことを、彼は理解できていないけれど。


 そしてお梅も、その一人だった。


 彼女は、彼女の後に入った仲間を庇う為に、自分がやったと岡っ引きの前に出た。

 そこで(たたき)の罰を負ったのだ。


 ※たたきとは、江戸時代における軽い盗みに対する刑罰。

 棒で尻を叩く刑罰で、軽微な盗みに対して科せられた。初犯は50敲、再犯は100敲が一般的。




◇◇◇

「女将さん、すみません。私が失敗したばかりに」


 ふらつくお梅に、若い少女が泣きながら駆け寄った。

 北町奉行所でも庇ったことを知りながら、責任者が庇うならとお梅を罰したのだ。


 泣いていたのは13才のお麗だった。

 親に捨てられた彼女は、仲間の一人に最近拾われて金兵衛の家へ来た。


 平民の中には貧しくて、軽犯罪を犯す者が少なくなかった。この少女は恩を返そうとして、田舎と同じ感覚で仕事をしようとし、都会(江戸)で捕まってしまったのだ。


 彼女は、丁稚先の旦那に無理矢理手籠めにされ、江戸に逃げて来たそうだ。その間は飲まず食わずで、酔った男の財布から小銭だけ拝借し、馬車に乗る路銀を稼いだらしい。

 お麗とて平民だから、根こそぎ取ることは出来なかったそう。


 江戸に来てスリ損なったのは、金のありそうな仕立ての良い服を着た男だった。どうやら北町奉行所の密偵だったらしい。運が悪いことである。



「良いんだよ、あんたはまだ子供なんだから。仕事は服の仕立てを手伝って貰うからね。頑張るんだよ。良いね」


「はい、分かりました。ありがとう、女将さん!」



 お麗はここで捨てられないように、スリをしようしたようだ。捨てるような者はいないのだが、今までの生活で不安があったのだろう。


 何故かこの家の者は、同じような不幸を持つ者に敏感なのだ。


 金兵衛は、お梅の行動を責めも褒めもしない。

 ただ労るだけだ。


「痛かったろう、尻と足。薬をぬってやろうな」

「……痛かったです。でも薬を塗って頂くのは、恥ずかしいです」


 妻となっても恥じらいの消えないお梅は、頬を染めて金兵衛に伝えた。

 ほっほっと笑って、「そんな余裕があるなら、まあ良かった」と流したのだった。


 その後に泣きながら薬を塗るのは、お麗だ。

 奉公先で手を出された理由は、幼くして人気芸者のように整った顔をしていたからだろう。


「お麗は三味線を習えば、人気が出そうだね」

 そう言って笑うお梅は、25才になっていた。


 金兵衛は子が出来ぬように、お梅に内緒で避妊の茶を飲ませていた。自分が先に死んだ時に、彼女が困らぬようにと。


 子がいない彼女は、年若い子を自分の子供のように可愛がっていた。



 自らの子に火鉢の棒を当てて、火傷をさせたお梅の義母とは大違いである。そのことを子は覚えており、義母を恐れるようになるのは当然のことだった。

 数年越しで義母の悪事は、つまびらかになるのだ。







 そんな彼女達が利用される出来事が起こるとは、この時は誰も思っていなかった。



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