小学生にしか見えない同級生がめちゃくちゃ絡んでくる話
「ねえねえ、セミ取り行こー、セミ取り」
虫取り網でばっふばっふと何度も俺の頭を捕獲しながら、隣の席に座る吉野渚は言った。
「やだよ。外暑いし、蝉取りなんて子供じゃあるまいし」
七月に入ったこともあってか、今朝のニュースでは各地で真夏日になるだろうとお天気お姉さんが言っていた。その言葉と違わず、太陽が南中した昼休みはうだるような暑さだ。
「えー、行こうよー。せっかくのセミ取り日和なのにー」
紙パックのいちごミルクをちゅるちゅるとストローで飲みながら、吉野は言った。
「蝉取り日和なのかは置いといて、俺は行かないからな。そもそも、奴らは残りの短い命を燃やして鳴き続けてるんだ、捕まえるなんて酷なことはしてやるなよ」
「ぶーつまんないのー」
俺の言葉を正論と思ったのか、吉野はそれ以上反論することもなく、頬をぷくっと膨らませてつまらなさそうにした。
吉野はこんな風に、ことあるごとに高校生とは思えないような子供っぽい遊びを提案してくる。
まあ、見た目が見た目なだけに吉野の台詞はそこまで現実と乖離したものではない。その身長は恐らく一四〇センチ前半か、もしかするともっと低いかも知れないうえに、絵に描いたような幼児体型なのだ。
制服を着ていなければどこからどう見たって小学生にしか見えない。
「……あのさ、セミ取りを否定されたからって俺を捕獲する遊びに全力を注ぐのやめてくれる? あ、こら、痛い痛い、髪っ、髪引っかかってるから!」
蝉取りを却下されたことにへそを曲げたのか、吉野はさっきよりも俺を捕獲する遊びに力を入れているようだ。虫取り網の網目に俺の髪の毛を引っ掛けても全く気にすること無く、網を上下させ続けている。
「むー」
不貞腐れて腕を止めたタイミングで、何とか髪を救出する。吉野は体の前で虫取り網をゆらゆらとさせながら、俯きがちに口を尖らせている。
「遊びなんて、他にもっとあるだろ? 海とか、プールとか、高校生なんだから青春を楽しめよ」
「だって、セミ取りしたいんだもん」
「もんって、あのなぁ」
「それに、この身体で水着なんて着たらみんなに笑われちゃうよ」
「うっ、それは……」
否定できない。確かに吉野ほどの幼児体型ならば、それをコンプレックスに思ってしまうのも無理はないだろう。胸のところに『なぎさ』と書いてあるスクール水着を着ればそれなりの需要はありそうだが、それはまた別の話。
重要なのは自分が自信を持てるかどうかという点だ。コンプレックスとはそういうものだろう。
「そうだっ、じゃあクワガタは? クワガタならいいよね、寿命も長いし!」
「確かにそうだけど、そういう問題じゃないんだよ。俺はもうそういうのは卒業したんだ」
「卒業? って、どういうこと?」
吉野はそう言って、くりくりとした大きな瞳で不思議そうに俺を見ながらこてんと首を傾げた。
その様子からは嫌味を一切感じない。恐らく本当に分からないのだろう。
「そういう、虫を取って楽しむ遊びを俺はもうしないってことだ。大体みんな、小学生で卒業するものなんだよ」
「そうなの? でも、なぎさは楽しいよ?」
「吉野にとってはそうなんだろ。俺はもうしないってだけで」
「えー……楽しいのに……」
吉野は残念そうにしょんぼりと肩を落とした。その様子に多少の同情はするが、趣味嗜好が違うのだから仕方がない。
「とにかく、この話はこれで終わりだ。他を当たってくれ」
「……はーい」
吉野は俺の方に向けていた膝を黒板側に戻すと、折り畳み式の虫取り網を鞄にしまって机に顎を乗せた。退屈そうに足をぷらぷらさせている。
俺は吉野から視線を外し、なんとなく教室の中を見回してみた。他の女子は数人のグループを作って机を囲み、昼食を取りながら談笑している。虫取り網を持ってセミの話をしている女の子なんて他に居る訳もない。
吉野渚という少女は異質だ。自分に対する他者の評価を意に介さず、我が道を突き進んでいる。本人に言わせれば、自分が楽しいと思うことをしているだけなのであろうが。
それは中々できることではない。故に、俺は吉野に一目置いているところがある。突っぱねることなく彼女と会話をするのもそういう思いがあるからだ。
しかし、他の人間も俺と同じような考えを持っているわけではない。
例えばあんな風に、吉野を見てくすくすと笑っている奴もいる訳で。
「せみっせみっせみ~」
笑いものにされていることに気付くことも無く、吉野はご機嫌に歌っている。
その様子に苦笑しつつ、できれば今の吉野がこれからもそのままで居て欲しいと、俺は何故かそう思った。
「あっ! 魚は!? お魚ならいいよね!? 虫じゃないし!」
思い出したようにぐるりと首を回して吉野が俺を見た。その目は俺が提案に乗らないという未来など映っていないのか、一切の濁り無くキラキラと輝いている。
「まあ確かに虫じゃないけど……」
「じゃあ決まりっ! 明日は一緒に川であそぼっ!」
「お、おい、まだ遊ぶなんて一言も言って無いぞ?」
「関係ないもん! ひろたかはなぎさと一緒にあそぶの! これはけっていじこうなの! 拒否権は無いの!」
「ええっ……なんて横暴なやつなんだ……」
「ふふふっ! 楽しみ!」
俺の言葉なんて聞いちゃいない。吉野は楽しそうに笑みを浮かべて、陽気に「さっかな、さっかな、さっかな~」と謎の歌を口ずさみながら身体を揺らし始めた。
一方的に取り付けられた約束もとい決定事項とやらなのだから、別に反故にしたって構わないとは思う。
しかし、吉野の様子を見ているとそんな気力も失せてしまった。それに、勝手に約束を破ると後で面倒臭いことになりそうだし、別に土曜日は特に用事があるわけでもない。
そんなわけで、俺は吉野に付き合って遊ぶことに決めた。
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その日の放課後だった。掃除当番として指定された区画を掃除し終えた俺は、ロッカーに掃除用具を片付けて昇降口に向かっていたのだが、そこでこんな話を耳にする。
「ねぇ、吉野さんのことどう思う?」
「どうって?」
「ほら、ちょっとイタくない?」
下駄箱から靴を取り出しながら、二人の女子生徒が話していた。同じクラスの田代と川中だ。昼休みに吉野を笑っていた奴。
「わかる。ぶりっ子っぽいし、子供じゃないんだからって思う」
「だよね。今日の昼休みも、相馬くんに向かって一方的に話してたみたいだし」
「相馬くんかわいそうだよねぇー。……私だったらあんな迷惑掛けないのになぁ」
「あれあれ? 川ちゃんもしかして相馬くんのこと好きなのー?」
「ちょ、そんなんじゃないってば、もう!」
笑いながら、ぱたぱたと駆けて行く。下駄箱の陰に立ち尽くしていた俺は、ハッと我に返り周囲を見回した。
そして安心する。どうやら他に誰も聞いていなかったらしい。
こんな会話、吉野が聞いていたらどう思うだろうか。
別に田代と川中が悪いやつだとは思わない。誰もが友達とするような、クラスメイトに対するイメージの共有。俺だって、吉野に抱いているイメージはそんな感じだ。
だが、どうにもしっくり来ない。吉野は悪い子じゃない、ということを俺は知っている。確かに一方的に話しかけて来るけれど、彼女の会話には嘘偽りが無い。
ただ純粋なだけなのだ。
下駄箱から靴を取り出して、外に出る。まだまだ明るい夏の空の下、じりじりと肌を焼かれながら歩く。
蝉の声は否応なしに耳に入って来る。熊蝉と油蝉に、ひぐらしが声を重ね始めていた。
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「とりゃあー!」
翌日の土曜日、午前十時。吉野は豪快に網を川の中へと突っ込んでいた。
「あんまりはしゃぎすぎるなよー」
日陰で涼みながら、俺は吉野に一応注意喚起した。浅瀬で遊んでいるとはいえ、水を舐めない方が良い。
「ひろたか、お父さんみたーい!」
「誰がお父さんじゃ! ……というか、結局水着着てるのな」
昨日は水着を着たら笑われるとか言っていたが、吉野はちゃっかり水着を着ていた。しかも俺のイメージ通り、胸に『なぎさ』と書かれたスク水だった。
「川に遊びに行くって言ったら、お姉ちゃんにこれ着て行きなさいって言われたんだー。男はこういうの好きだからって」
「選択としちゃ間違ってないけど、ニッチなジャンル攻め過ぎだろっ! 似合ってるけど!」
お姉さんは慧眼の持ち主のようだが、性別は疑わしい。中身がおっさんなんじゃないかと思える。
「えへへ、ありがとっ。あ、見て、魚取れた!」
バシャバシャと水音を立てながら、吉野は十五センチほどの魚を網で捕獲したようだった。水を汲んだバケツを吉野のもとに持って行く。
「おお、すげぇな! 結構デカい」
「よいしょ、ほっ」
吉野はバケツの上で網をひっくり返して、魚をぽちゃりと水の中に入れた。尾びれで水を叩きながら、魚が勢いよくバケツの中を泳ぎ回る。身体の側面に鮮やかな青緑とピンク色の模様がある魚だった。
「綺麗な魚だな」
「うん! オイカワって言うんだよ?」
「へぇ。吉野は物知りだな」
「えっへん! すごいでしょ?」
自慢するように胸を反らして『なぎさ』の文字が横に伸びる。
「図鑑でも読んだのか?」
「うんっ。図鑑読むの好きなんだー」
「そっか。そういえば俺も、昔はよく図鑑読んでたっけ」
小学生の時分は食い入るように図鑑を眺めていた。まだスマホも持っていないころだ、情報の入手経路が少ない分そういった情報は主に本から手に入れようという思考回路だった。
しかし、いとも容易く情報の海に飛び込むことが出来る今となっては、図鑑には見向きもしなくなった。一枚一枚の写真や豆知識に目を輝かせることは無くなり、とにかく短時間で情報を集めることを優先するようになった。
「昔かぁー。じゃあ、今はもう読んでないんだね」
「まあ、そうだな」
「そっかー」
そう言って吉野が俺の隣にしゃがんだ。二人でバケツの中を優雅に舞うオイカワを眺める。
何を話そうか。そんなことを考えていると、吉野が先に口を開いた。
「みんなどうして大人になっちゃうんだろう。子供で居ることって、きっとすごく大切なことなのに」
「え……」
吉野の横顔を見る。長い睫毛を伏せてオイカワを眺める様子には、どこか慈しみのようなものが見て取れた。
「クラスのやつに何か言われたのか?」
恐る恐る口にする。昨日のような会話を吉野も耳にしたことがある、もしくは直接的に何か言われたことがあるのではないかと危惧したからだ。
「みんながこそこそ話してるのはいっつも聞こえてるよー。ねぇ、ひろたか。虫取り網を持って走り回るのって恥ずかしいことなの? 昔はみんなやってたのに。……今は、なぎさだけひとりぼっち」
吉野は寂しげにそう言った。いつもの姿からは想像も出来ないほど弱々しい姿だ。
「……みんな、大人もどきなんだよ。俺含めてな。子供のくせにカッコつけて、背伸びして。いつの間にか手に入れた色眼鏡で、歪んだ世界を見てるんだ」
「色眼鏡? なぎさはまだ持って無いの?」
「たぶんな。ああ、でも別に持って無くても困らないから。というか、持たない方がいい」
「そうなの?」
「そうなの」
立ち上がって、空を見る。照り付ける太陽は、今日も一番高いところを目指してぐんぐん昇り続けていた。
色眼鏡なんかじゃ直視出来る訳もない。遮光板でもない限り、目を焼かれてしまうだけだ。
「さーて、俺も魚取ろうかな」
伸びをしながら言う。すると、吉野が勢いよく立ち上がり、キラキラと輝く顔で俺を見た。
「やった! もう一本網あるから、貸したげるね!」
「頼む。どっちが大物取れるか、勝負だな」
ニヤリと笑ってみせると、吉野はわくわくした様子でぶんぶんと両手を振り回す。
「ふふっ、負けないもん!」
そう言って、吉野は嬉しそうに駆け出した。
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月曜日の放課後のことだ。靴箱に行くと、田代と川中が居た。今日も話題は吉野についてらしい。こんなに吉野のことを話しているなんて、実はあいつのこと好きなんじゃないか、この二人。
「それでさー」
「ちょっと、川ちゃん」
「え? あっ……」
俺の存在に気付いた二人が、そこでぱたりと会話を止める。
前回とは違って隠れることはせず、俺は二人が話していようがお構いなしに自分の靴箱に手を伸ばした。靴を引っ張り出して代わりに上履きを入れる。
「あ、あの……相馬くん?」
靴を履いていると、川中が遠慮気味に声を掛けて来た。どこか心配そうに、自分の髪をくるくると指に巻いている。
「ん? なに?」
「えっと……さっきの会話、聞いてた……?」
「吉野がイタいって話?」
「っ……」
「そんな秘密を聞かれた犯人みたいな顔するなよ……」
苦笑しながら、川中と田代の顔を交互に見る。川中は顔面蒼白気味、田代は「あちゃ~」とでも言いたげに頭に手を当てている。
「その、あれは、そのっ」
「そんなに深刻に考えなくていいよ。別に川中たちが言ってることに間違いは無いと思うし、嫌な奴だなんて思わないから」
「え……?」
若干涙目だった川中が俺を見る。俺が泣かせてしまったみたいでなんだかばつが悪いな。
「ただ、これだけは知って欲しい。吉野は二人が思ってるよりもずっと良い子で、面白い奴だよ。今度話してみるといい」
「えっ……あの……」
「じゃあな。また明日」
言いたいことを言った俺は、川中の話を聞かずにさっさと昇降口を出た。我ながら少し勝手だとは思うが、これで川中は悶々とした気持ちで今夜を過ごすことになるだろう。
それで、吉野のことをよく考えてみるといい。考えて、吉野に逆恨みするようならそれまでの人間。少しでも吉野に謝ろうとか、話してみたいと思える気持ちがあるならば、そうして欲しい。
蝉の声を聴きながら、今度は蝉取りに付き合ってやろうかと検討しつつ、俺は校門を出た。
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「せみっせみっせみ~」
両手を広げくるくると舞いながら、麦わら帽子を被った吉野はあぜ道を軽い足取りで進んで行く。最後尾を歩く俺の前では、夏の暑さにへばりかけの女子二人が弱音を吐いていた。
「ちょ、ちょっと、なぎさ、もうちょっとゆっくり行こ?」
川中が息を切らしながら吉野に訴える。吉野はその声に振り返ると、川中の元まで引き返してきた。
「ごめんね、川ちゃん、しろちゃん。なぎさわくわくして速く歩き過ぎちゃった……。もうちょっとゆっくり歩くね」
「ああっ、もう可愛いなぁ! えい!」
「ふわぁ!」
川中はその豊満な胸に吉野の顔を埋めた。その表情はどこか恍惚としている。
「川ちゃん、新しい扉開いちゃったみたい」
息を整えた田代が俺の隣に立った。吉野と川中の様子を苦笑気味に眺めている。
「まさかこんなことになるとは思ってなかったよ。吉野を好きになってくれとまでは言わなかったんだけどなぁ」
夏休みに入る前のことを思い出す。あの下駄箱の一件以来、川中たちは吉野を知る努力をしてくれた。翌日の朝、さっそく声を掛けて来たことには驚いたものだ。そして、あれよあれよという間にすっかり吉野のことを気に入ってしまった。
「仕方ないよ。なぎちゃん可愛いから」
「まぁ確かに」
「あたしらもする? あれ」
「ああ、そうだな……って、うぉい!?」
「あはは、何その反応っ。川ちゃんほどじゃないけど、あたしもけっこうあるんだよ?」
田代はそう言って、胸元を強調するように腕を組んだ。
「か、からかうなよ。俺にそんなこと言うなんて、田代も新しい扉開いちゃってるんじゃないのか?」
「ふふっ、そうかも?」
艶めかしく笑って、田代が上目遣いで俺を見る。こいつ、実はかなりヤバい女なのではないだろうか……。
「ちょっと、美菜ー? 何してるの?」
川中がジト目で俺と田代を見る。田代は何事も無かったかのように、「なんでもないよー」と言って川中の元に駆け出した。
時刻は正午過ぎ。南中した太陽は容赦なく俺たちを見下ろし、行き場を失った影は足元で大人しくしている。
「行こっ、ひろたか!」
麦わら帽子が良く似合う少女が言った。暑さなんて感じさせない清々しい笑顔だ。蝉たちよ、この笑顔に免じて少しだけ遊びに付き合ってくれ。
俺の声が届いたのか、蝉の声が一際大きくなる。そのことに気付く訳も無く、ご機嫌に舞う少女はせみの歌を歌いながら、新しく出来た友達とあぜ道を進む。
変な縁だと思いながら、俺は彼女たちの背中を追った。
俺のリュックサックに古びた図鑑があることは、恥ずかしいからまだ言わないでおこう。




