愚か者の嘘
「いいかい?自分が愚かだなんて思っちゃいけないよ。」
「自分で自分の事をそう思っていたら、行動も生活も人生もそうなっていってしまう。」
「それに大変なのは友達や家族だよ。」
「私の友達は愚か者なんだ。私の子供は愚か者なんだ。そう思いたくなくてもあんたがそう思ってしまっていたら周りからはそう見えちまうのさ。」
「だから、いいかい?自分が愚かだなんて決して思っちゃいけないのさ。」
「………。」
「いいかい?自分が愚かだなんて思っちゃいけないよ。」
あれは、私が小学生の時だったろうか。
公園で友達と遊んでいるとベンチに座ってよく私たちにお菓子をくれる老婆がいた。
当時の私たちはお菓子目当てでその老婆に懐いていたが、老婆は笑顔で色んな話を聞かせていてくれたのを覚えている。
その中で私の中で心に刺さった言葉があり、今でも覚えている。
「いいかい?自分が愚かだなんて思っちゃいけないよ。」
「自分で自分の事をそう思っていたら、行動も生活も人生もそうなっていってしまう。」
「それに大変なのは友達や家族だよ。」
「私の友達は愚か者なんだ。私の子供は愚か者なんだ。そう思いたくなくてもあんたがそう思ってしまっていたら周りからはそう見えちまうのさ。」
「だから、いいかい?自分が愚かだなんて決して思っちゃいけないのさ。」
「………。」
私は大人になった今でもこの老婆の言葉を思い出す。最後の言葉だけ思い出せないし、今となってはその時一緒にいた友達、年齢なんかも正確に覚えてやしない。
それなのに私の心に刺さった言葉は忘れてはいない。
社会に出てからは競争は良くある事だ。仕事上での成果の競争、趣味のスポーツでの順位争い、誰が先に結婚するかの競争、まぁ、最後のは良し悪しあるかもしれないが。
自分の事を愚か者だと思うと本当に自分の動きが悪くなるのは実際に感じていたし、この言葉を大切にして生きてこれた。
でも、無理だった。
就職した会社では成績も良く遅くまで残って人一倍頑張っていたつもりだ。
それなのに周りと給料は同列に並び、自分の負担ばかりが大きくなっていった。
それなら、私は愚か者になるまいと退職をして自分で起業してやるぞと息巻いたものだ。
しかし、結果は駄目だった。
貯金していたお金は底をつき、稼ぎも増えやしない。
自分の怠惰な感情と何をしていいのかわからないという気持ちが毎日のように襲ってくる。
わからないわからないわからないわからない。
行き詰った頃、ふと老婆に会った公園に行きたくなった。
正確な歳月はわからないがもう30年近くは経っているだろう。
30年前で老婆だったんだ、今もいたら凄い歳老いているだろう。
けれど、会いたかった。会って話をしたかった。
私が公園に着くとそこにはあの老婆らしき人物がいた。
桜の咲く公園の中、ポツンとあるベンチに座っていたのだ。
私と老婆しかいない公園。
恐る恐る近づいて、老婆の横に座ると、不思議そうにこちらを振り向いた。
記憶に残っていた老婆よりも更に皺が増えて、痩せ細っていた。
「どうしたんだい?」
その声を聞いた瞬間にこの人があの時の老婆だと確信した。
「覚えていますか?私の事、昔よくあなたからここでお菓子を貰っていたんですよ。」
「うん、そうだったかねぇ。覚えちゃいないよ。」
老婆は素っ気なく答える。
私の記憶の中の老婆はもっと優しく微笑んでくれていたはずだ。
気まずい雰囲気になってしまい、前方の桜の木を眺める私。
「私は愚か者だからねぇ。もうすっかり昔の事が思い出せないのさ。」
「家族の事も、友達の事も、この公園での事も。」
私は老婆を見る事ができなかった。
かなりのご高齢だ、記憶が悪くなっているのも仕方がない。
けれど、何よりもこの老婆から、「私は愚か者」だなんて言葉を聞きたくなかった。
この約30年間の間にこの老婆に何があったのだろうか、私が大切にしていた言葉は何だったのか。
途端に悲しくなってしまった私は、地面を見ながらこの老婆に語った。
「自分が愚かだなんて思っちゃいけないですよ。」
「自分で自分の事をそう思っていたら、行動も生活も人生もそうなっていってしまう。」
「それに大変なのは友達や家族の方です。」
「私の友達は愚か者なんだ。私の子供は愚か者なんだ。そう思いたくなくても自分がそう思ってしまっていたら周りからはそう見えてしまいます。」
「自分の大切にしている人を悲しませたくないでしょ。」
「これは昔、あなたから聞いた話です。」
そう言った私はゆっくりと老婆の方を見る。
すると、驚いた表情をしてから老婆はふてぶてしい感じで語る。
「もう、友達も家族もあの世にいっちまったさ。残されたのは私だけ。ただ愚かな私がいるだけさ。」
辛い話に私はまたも地面をじっとみてしまう。
「でも、私がまだいます。」
ポツリと自分の口から出た言葉に自分でも驚く。
少しの静寂の後、老婆は近くにある杖を手に持ち立ち上がると私の方を見てこう言う。
「そうさね。」
一瞬見せたその顔は、昔みたいな優しい微笑みだった。
「あんたはどうなんだい?愚か者じゃないのかい?」
正直、戸惑った。
自分で言っておきながら、今の私は自分で自分の事を卑下している。
けれど、この時は言うしかなかった。
「私は愚か者じゃないですよ。」
それを聞くと老婆は微笑み、ポケットからお菓子を取り出して私に渡してから公園の出口へ歩いていく。
昔よく貰っていた懐かしいお菓子だ。
老婆を見送ると私は一息つく。
「頑張るかぁー。」
口から漏れていたその言葉は桜の花びらと共に空へと舞い上がる。
言葉やお話の力って偉大ですよね。
自分の中で留めた言葉を糧に努力できたり、相手に言った嘘を本当に変える頑張りができたりと。
この作品はそんな思いを詰め込みました。