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お地蔵さん、異世界へ! ~無口だけど誰より優しい守り神になります~

 かつてこの国――まだ江戸時代よりも前、戦が絶えず、人々が貧しくも慎ましやかな生活を送っていた時代があった。その時代を生きた一人の男がいた。名も知られず、身分も高くはなかったが、その男は誰かが苦しんでいれば持てる限りの力を尽くして助ける優しい心を持っていた。やがてその男は病で倒れ、そのまま静かに息を引き取った。しかし、彼の死後に残された『思い』は人々によって祀られ、お地蔵さんとして町外れの祠に安置されることとなったのである。

 このお地蔵さんは丸みを帯びた柔和な顔に、鮮やかな赤い前掛けがかけられていた。古来より人々は、お地蔵さんにわらじを履かせ、時折おだんごや季節の果物、萎れかけた野の花を供えていた。お地蔵さんはずっとそこで、雨の日も風の日も、冬の雪深い日もただじっと、訪れる人々の願いを静かに受け止めてきた。

 時が流れ、幾世代を経てもお地蔵さんはそこにあり続けた。町が少しずつ発展し、道路が整備され、家々の形が変わっても、お地蔵さんだけは変わることなくそこにいた。町の年寄りが通りかかれば手を合わせ、小さな子どもがおやつのお団子をお供えしていく。そうして人々の心の支えとなりながら、お地蔵さんは悠久のときを過ごした。

 ――その日もいつものように、お地蔵さんは赤い前掛けを風になびかせながら祠の中に佇んでいた。昔と比べ、供え物の数は減ったが、それでも毎朝欠かさず挨拶に来る老婆や、通学路の子どもたちが小さなお菓子や花を供えてくれる。その心遣いに、お地蔵さんは変わらぬ慈悲をもって見守り続けていた。

 ところが、ある夜更けのこと。その日は月が雲に隠れ、闇が地面を覆いつくすほどの暗い夜だった。ふと、お地蔵さんの周りがぼんやりと青白い光に包まれたのだ。まるで何者かが灯した灯火のように、祠の中に不思議な輝きが満ち始める。お地蔵さんは長い沈黙の中で戸惑いを覚えた。動くはずのない石の体が、心なしか微かに震えるような感覚さえある。

 光がいっそう強くなると、お地蔵さんの体がふわりと浮き上がる。今まで感じたことのない浮遊感――それはかつての人間だった頃の記憶を、遠い昔の夢のように呼び起こす。けれどもお地蔵さん自身、すでに数百年以上もの時を石像として過ごしている。自分が「かつては人間だった」という事実でさえ、はるか昔の出来事として、微かな感覚のかけらしか残っていない。

 やがて光は祠の屋根や柱から溢れ、町の暗闇を切り裂くほど眩しくなった。そして、そのまま一瞬のうちにお地蔵さんの姿を呑み込む。次にお地蔵さんが目――正確には見えないはずの石の瞳――で捉えたのは、見慣れない風景だった。

 そこは、日本の里山とは全く異なる異世界だった。




 お地蔵さんが降り立ったのは、荒涼とした石畳の広場だった。黒っぽい石で敷き詰められた地面がどこまでも続き、その先には牙をむくような岩山が連なっている。そこここに枯れた草木が立ち枯れのように生え、空は薄い灰色で、どんよりとしている。

 周囲を見渡しても、祠はおろか人家らしきものすら見当たらない。ただ、遠くの方に小さな集落のような建物が見えるきりだった。お地蔵さんは気づけば、赤い前掛けを風に揺らしながらその場に立っている。

 無論、もはや日本ではないことは、お地蔵さんにも薄々感じ取れていた。空気が違う。独特の気配――とでもいうのだろうか、不思議な雰囲気が漂っている。だが彼の心は動揺しながらも、すぐに「ここで弱っている誰かはいないか」と周囲を気遣おうとする。彼はかつての記憶――戦や疫病で苦しむ人々を見捨てられなかった自分自身を、体が覚えているからだ。

 しかし、遠くから奇妙な声や足音が聞こえ始めた。複数の人影が、こちらに向かって小走りでやって来るようだ。近づいてくるのは、荒れた外套を身にまとい、腰には剣を差した男たち。それぞれに杖や弓矢を持つ者もいる。一見して冒険者や傭兵のようにも見えた。ごつごつとした革鎧やプレートアーマーの断片を身につけた彼らは、警戒心むき出しの目でお地蔵さんを睨みつける。

「おい、あれが動いたのか?」

「まさか……ストーンゴーレム? こんなところで?」

 その声を聞いた瞬間、彼らの緊張は一気に高まったようだった。彼らにとって、動く石像は危険な怪物かもしれない。ゴーレムと呼ばれる存在が、この世界では人間に敵対することが多いのだろう。もちろん、お地蔵さん自身に敵意はない。けれども、彼らの警戒する眼差しは、それをまったく信じていない。

 冒険者たちは武器を構え、先頭にいる男が怒鳴り声を上げる。


「こいつ……魔法で突然現れやがった。危険だ、やっちまえ!」

「いや、見たところ動きが鈍そうだ。まずは様子を見るんだ」


 お地蔵さんはただ佇んでいるだけ。しかし、このままでは誤解されかねない。とはいえ、お地蔵さんは言葉を話せない。かつて人間だった頃の記憶はあっても、長い年月を石像として過ごしてきたため、声を発する術は忘れ去ってしまった。それでもなんとか身振りや心の働きかけで、敵意がないことを伝えようとする。

 冒険者の一人が慎重に近づき、棍棒のような武器でお地蔵さんの体を突いた。しかし、石像にしか見えないそれは全く身じろぎしない。どうやら反撃もしてこないとわかると、彼らの警戒心は多少緩んだ様子だった。


「……おい、やっぱりただのゴーレムじゃないのか? 動くって聞いたが、こいつは動く気配がないぞ」

「いや、油断するな。ゴーレムは命令がなけりゃ動かないこともある。黒幕がいるのかもしれない。ひとまず村に報告しよう」


 彼らはお地蔵さんの周囲をぐるりと取り囲むように観察し、何やら専門家らしき人物を呼んでいる。しかし、そのまま放っておかれては困る。お地蔵さんは自分が危険ではないと示したくても、どうにもならない。困惑のまま、時間だけが過ぎていく。

 すると、地面がわずかに揺れはじめた。遠くの荒地から低くうなるような声とともに、巨大な魔物が姿を現したのだ。体長は三メートルを超え、黒い毛を逆立てた熊のような獣。鋭い牙と爪を持ち、赤黒い瞳をぎらつかせている。冒険者たちは「くそっ、こんなときに魔獣が現れやがった!」と慌てて体勢を立て直す。

 お地蔵さんは、その魔物の殺気をありありと感じた。血走った目はまさに獲物を狙う凶暴な獣そのもの。冒険者たちは武器を構えるが、魔物は岩のように固い皮膚に覆われているらしく、下手をすると返り討ちにされる危険がある。戦いの空気が張り詰める中、お地蔵さんは自分がこの世界に飛ばされる前も、戦乱で苦しむ人々を助けたいと願った姿がふと蘇る。誰かが危機に瀕しているなら、護るのが自分の役目だ、と。

 すると――お地蔵さんの石の両腕が、ぎぎ、ときしむように動いた。冒険者たちは一斉に息を呑む。石像が動いた。ただのゴーレムだと思っていたはずのそれが、彼らの目の前でゆっくりと体を動かし始めたのだ。

 魔物が雄たけびを上げて冒険者の一人に飛びかかろうとしたその瞬間――お地蔵さんが前に進み出て、まるで壁のように身を挺するように立ちはだかった。ごう、と恐ろしい風切り音と共に魔物の巨体が、お地蔵さんの胸に激突する。衝撃で石の体にひびが入るような痛み――痛みを感じるはずのない石像であるのに、お地蔵さんは「痛い」という感覚を微かに思い出していた。

 しかし、命を救うためならば。それがかつてから変わらぬ意志だった。お地蔵さんは一歩も退かず、魔物の体を両腕で受け止める。強烈な力がぶつかり合うが、魔物も体勢を崩して、地面をえぐりながら転がった。冒険者たちが息を飲み、攻撃のチャンスとばかりに一斉に武器を振り下ろす。魔物は猛抵抗を試みるも、お地蔵さんに阻まれた一瞬の隙が命取りとなり、冒険者たちによって仕留められた。


「助かった……」

「おい、こいつ、ゴーレムなのに俺たちを護ったのか?」


 冒険者たちは信じられないものでも見たかのように、動くお地蔵さんを見つめる。お地蔵さん自身は、無事に人が救われたことに安堵したように、再びじっとしたまま立ち尽くした。その胸元には大きな爪痕が残り、所々に欠けが生じていた。

 冒険者たちはしばらく言葉を失い、険しい表情のまま顔を見合わせていた。やがてリーダー格の男が渋い顔で呟く。 「……このゴーレムは、もしかすると害意がないかもしれない。だが、村の判断を仰がないといけない。おい、お前たち、今すぐ村長と神官に連絡を頼む」

 こうして、お地蔵さんはこの異世界において「ストーンゴーレム」として扱われ、冒険者たちによって一旦村へと連行されることになった――。




 冒険者たちが連れてきた村――そこは高い塀に囲まれ、木造やレンガ造りの建物が並ぶ、ささやかながらも人々の生活が感じられる場所だった。畑を耕す者、家の前で洗濯物を干す者、子どもたちが元気に走り回る声がこだまする。お地蔵さんのいた日本の町と比べると風習や建物の形こそ違うが、人々が営む暮らしの温かみはどこか通じるものがあるようだった。

 しかし、お地蔵さんが村の門をくぐると、そこにいた住民たちはぎょっとして後ずさりした。子どもを抱えた母親は不安そうな表情で足早に逃げていく。周囲から「ゴーレムだ……危険だ……」という声が聞こえてくる。異世界においてゴーレムという存在は、普通ならば誰かが魔術で操ったり、古代遺跡の番人だったりと、脅威と結びついていることがほとんどらしい。

 冒険者たちも決してお地蔵さんを信用しているわけではなかった。ただ、魔物から救われた経緯があるので、むやみに破壊するのはためらわれる。お地蔵さんは、村人たちに危害を加えるつもりなど全くない。しかしその石の外見と無口さは、どうしても人々の恐怖心を煽ってしまうのだった。

 村の中心には教会に似た立派な建物があった。ここでは神を祀る儀式や村の重要な会議が行われるようだ。そこに呼び出されたお地蔵さんは、村長と数人の神官らしき人物、そして冒険者たちに取り囲まれる形で詳しい事情を聞かれることになった。もっとも、お地蔵さんは話せない。問いかけに対してただ沈黙し、時折ゆっくりと首を振るか、かすかに手を動かす程度でしか意思を示せない。


「我々の世界ではゴーレムといえば、人間が敵意を抱かせると凶暴化するケースが多い。安全のため、封印するべきかもしれません」

「いや、魔物を防ぐ力も持っているなら、有効活用できないか?」


 神官たちや村長らが議論を交わす中、決め手に欠ける。そこへ、外で様子をうかがっていた子どもたちが興味本位で近づいてきた。中でも、まだ十歳にも満たないくらいの小柄な少年が人垣の隙間からひょこっと顔を出す。彼の名はアルムといい、両親が早くに亡くなり、教会が運営する孤児院で暮らしている子だった。


「ねえ、これ……ホントにゴーレム? なんか、みんなと変わらない人みたい……」


アルムはそう呟くと、石像の赤い前掛けをまじまじと見つめる。そのとき、お地蔵さんは小さく首をかしげた。石の顔立ちに明確な表情はないはずなのに、アルムにはどこか優しげな印象が伝わってくる。

 周囲の大人たちはアルムに「危ないから近寄るな」と制止するが、アルムは怖がる様子もなく、お地蔵さんの近くまで歩み寄った。彼は思い切って手を伸ばし、赤い前掛けに触れようとする。すると、まるで子どもをあやすように、お地蔵さんがそっと頭を下げた。

「あっ……」 アルムはその動きに驚いたものの、怒られなかったことにほっとしたようで、安堵の笑みを浮かべる。そしてお地蔵さんの台座にすわり込むようにして小さく囁いた。


「君、声が出せないんだね。でも……僕はわかるよ。きっと、悪い子じゃない。僕の知ってる悪いゴーレムは、こんなに優しい目、してないと思う」


 そう言ってアルムはにっこり笑う。その表情を見て、お地蔵さんは昔、子どもが供えてくれた団子や花を思い出していた。その子どもたちの無垢な好意に感謝しながら見守っていた、あの日々。そんな柔らかい懐かしさが、今まさに胸を満たす。言葉を発することはできないが、「ありがとう」という思いが確かに石像の内から湧き上がってきた。

 アルムはお地蔵さんの前掛けについていた小さな柄を見つけ、どこか異国情緒のあるその刺繍に興味津々だった。それはかつての日本の草花を模した細工だ。お地蔵さんの前掛けには、時折誰かが刺繍を施してくれていたことがある。その伝統が今も残っていたのかもしれない。

 そんな二人の不思議な交流を目の当たりにした村長と神官たちは、少し困惑していたが、子どもに害を及ぼす様子がまったくないことを確認すると、厳重に監視したうえで、一時的に村の外れにある古い納屋にお地蔵さんを置いておくという決定を下した。お地蔵さんを“ゴーレム”として村に入れておくのは不安だが、むやみに破壊するのは忍びない――そんな複雑な心境のようであった。

 こうして、お地蔵さんは当面の間、村はずれの納屋で保管されることになった。それが、アルムとの本格的な交流の始まりだった。




 村のはずれにある納屋は、かつて倉庫として使われていた古い建物で、壁板もところどころ剥がれている。しかし、屋根だけはしっかりとしていて、風雨をしのぐには十分だった。お地蔵さんは人の手で運ばれ、そこに安置されることになる。

 もちろん、お地蔵さん自身も自力で歩けたのだが、なるべく村人を混乱させないためにと、大人たちが台車で運んだのだ。村長たちとしては、少しでも“制御できるゴーレム”という体裁を保つ意図があったのかもしれない。お地蔵さんにしてみれば、人々の恐怖や不安を少しでも和らげたいという思いから抵抗せず運ばれるままになっていた。

 納屋に移された後、お地蔵さんの前には簡素な木の台が置かれ、その上にパンや果物などが供えられた。ただし、それは人間が「ゴーレムにも何か食事が必要なのかもしれない」と考えて置いたものに近く、実際にはお地蔵さんは食事をとるわけではない。それでも、お供え物を見ると、お地蔵さんは人々の気遣いを感じ取った。

 そこへ、ひそやかな足音が納屋の外から聞こえてくる。誰かがこっそりと入ってきたようだ。顔を覗かせたのは、やはりアルムだった。まだ幼いが、器用に扉の隙間から入り込んでくると、お地蔵さんの正面に立つ。

「やっぱり、ここにいたんだね。大人たちが『危険かもしれない』って言ってたけど……僕はそうは思えないよ」

アルムは周囲を気にしながら、小さな袋を取り出した。その中にはパンの切れ端や、森で摘んできた野の花が入っている。「これ、僕が食べかけのパンなんだけど、少しだけ置いとくね」と恥ずかしそうに笑いながら、お地蔵さんの台座の前にそっと置いた。

 そう、この世界にはお地蔵さんという概念がない。だから、石像に食べ物や花を供える風習なども存在しない。しかしアルムは、自分の育った孤児院で教わったのか、誰かに感謝するときは花を捧げたり、食事を分け合ったりするという習慣を大切にしていた。あるいは、アルムが本能的に感じ取ったのかもしれない。このお地蔵さんには何かを“供える”という行為が、しっくりくるのだと。

「君は、きっとすごく優しい力を持ってるんじゃないかな。だから、あの冒険者の人たちを助けたんだよね」

アルムはそう言いながら、お地蔵さんのまん丸い顔の部分を、まるで仲間を見つめるように覗きこむ。お地蔵さんもまた、アルムに向けてゆっくりと首をかしげる。その動作だけで、無口な石像の心が伝わってくるように感じられた。

 アルムは続ける。

「僕、両親がいないんだ。もう何年も前に病気で亡くなって……教会の孤児院に預けられて。大人たちはみんな優しいけど、やっぱり寂しいときがあるんだ。学校もあまり通ってないから、読み書きは苦手で……。でも、君みたいに堂々としてて、誰かを守れる存在になりたいって思うんだ」

 その言葉に、お地蔵さんは胸が締め付けられるようだった。お地蔵さんも生前は、病気や貧しさに苦しむ人々を目の当たりにして、自分に何ができるのかと悩んでいた。大きな力はなかったが、できる範囲で施しや手助けをしていた。だから、アルムの気持ちは痛いほどわかる。孤児院での寂しさや、自分には何もないと思い込みながらも、誰かの力になりたいと願うその純粋さ。それはかつての自分自身と重なる部分があった。

 だが、お地蔵さんは言葉を持たない。ただ、そのまま静かにアルムの話を受け止めるしかない。アルムはそんなお地蔵さんの沈黙を「理解してくれているのだ」と感じ、ふっと表情を和らげた。まるで昔からの友達のように、お地蔵さんに親しみを抱いているのが手に取るようにわかる。


「また来るね。明日は何かもっと美味しいものを持ってくるから……」


アルムはそう言い残して、ささやかなお辞儀をして納屋を出て行った。お地蔵さんはその小さな背中を見送りながら、ぎこちなく頭を下げ返す。なぜだろう。心の奥が、あたたかい灯火で照らされたように感じられた。

 それからというもの、アルムはほぼ毎日、こっそりと納屋を訪れては、お地蔵さんにささやかな供え物や花を置いていった。会話というほどの会話はできないが、アルムが今日あった出来事を話し、お地蔵さんが静かに聞き、時に首をかしげ、時にかすかにうなずく。それだけで二人は通じ合えるようになっていた。

 とはいえ、村の大人たち――特に教会の神官や冒険者の一部は、まだお地蔵さんを信用しきれていない。


「ゴーレムは予測不可能」

「いつ暴走して村を襲わないとも限らない」

と、警戒の目が向けられていた。アルムは大人たちに「このゴーレムはいい子なんだよ!」と主張しても、真剣に取り合ってもらえない。むしろ危険な行為だと咎められそうなので、あえて隠れて通うことにしたのだ。

 静かな納屋での二人の穏やかな時は、徐々に心を通わせていく。アルムはお地蔵さんの動く姿を間近で見る数少ない存在となり、お地蔵さんはいつしかアルムの笑顔を守りたいと願うようになっていた。目立った行動はできないが、誤解を解くためにも、少しずつでも人々の役に立つことを示したいと思っている――そんな、ささやかな希望の芽が、納屋の片隅で育ち始めていた。





 ある日のこと。アルムがいつものようにお地蔵さんの元を訪れると、村の神官の一人が納屋の前で腕を組んで待ち受けていた。年配の男性で、頬のこけた厳つい顔つきが印象的だ。名前はクーリスという。以前からゴーレムに対して強い警戒心を抱いており、納屋に近づく者がいれば注意しようと、張り込んでいたらしい。


「アルム、そこにいるゴーレムに近づくなと、何度も言っておるだろう。もし暴走したら、どうするつもりだ?」

「でも、彼はそんなことしません! この前だって人を助けたんです。何もしないでただ置いておくなんて、かわいそうだよ……」


アルムは必死に訴えるが、クーリスはまったく聞く耳を持たない。むしろ神官として、村や教会の平穏を脅かす存在を放置できないのだと、正義感をむき出しにする。


「いいか、アルム。ゴーレムというのは誰かが魔術で操っていないと、自分で考えて動くことなどありえん。あれが動いたというなら、何者かが裏で糸を引いている証拠だ。悪しき術士がいるのかもしれん。お前も騙されているんだ」

「そんなことない! 彼は……彼は、本当に優しい人なんです!」


 アルムはそう反論するが、クーリスの頑なな態度は変わらない。ゴーレムを『人』と呼ぶアルムの言い方にも、眉をひそめた。村長はまだ中立的な立場を取っているが、教会の神官の多くはゴーレムを危険な存在と見なす。ましてや、異世界から突然現れた謎の石像であればなおさらだ。クーリスはなおも厳しい口調で言う。


「これ以上勝手をするなら、孤児院から追い出すことも考えねばならんぞ」

「そ、そんな……」


アルムは言葉を失う。追い出されるというのは、つまりこの村での居場所をなくすことを意味する。幼いアルムにとっては死活問題だ。それでもお地蔵さんを放っておくことはできない。アルムは悔しそうな表情で唇を噛みしめながら、一度その場を立ち去ることしかできなかった。

 納屋の中からそのやり取りを見ていたお地蔵さんは、アルムの顔に曇った悲しみを感じ取っていた。自分の存在が、アルムを追い詰めているのかもしれない。何とか誤解を解きたいが、言葉を持たないお地蔵さんはうまく意思を伝えられない。石像としての宿命が、こんなにももどかしいものだとは思いもしなかった。

 それからしばらくして、クーリスはお地蔵さんの姿を納屋の中まで確認しに来た。隙があれば破壊の術式でも使おうとしているのか、神官が使う聖具を携えている。彼は警戒しながらお地蔵さんの石の表面を調べ、呪文のようなものを唱える。お地蔵さんはただされるがまま、動けないふりをしていた。なまじ動いてしまえば、さらに警戒を強められるだろう。


「くっ……よくわからん。魔力の反応はあるが、まるで神聖なものと邪悪なものが入り混じっているようだ」


クーリスは焦りをにじませながら、お地蔵さんのひび割れた部分や前掛けをしきりに調べる。だが、彼には理解できないはずだ。お地蔵さんはただのゴーレムではなく、かつての人間の魂――しかも、長い年月と人々の信仰心を受けて神仏に近い存在となり、慈悲の力を宿している。異世界の理では簡単に分類できない存在なのだ。

 クーリスは小さく舌打ちすると、ひとまず納屋から出て行った。だが、その表情はますます険しくなっている。下手をすると近いうちに、教会の上層部に危険なゴーレムとして報告し、本格的に排除の手段を模索するかもしれない。そうなったらアルムにも被害が及ぶだろう。

 お地蔵さんは、胸が痛むような気持ちになった。

人を助けたいと願っているのに、それが仇となってしまうのはあまりに悲しい。自分が黙ってこの村を出れば、アルムは無事でいられるのかもしれないが、それはそれで村の守り手を失わせることにもなる。そして、どこへ行けばいいのかもわからない。

 そんな板挟みの状況の中、お地蔵さんは夜の納屋で、じっと動かないまま考え続けた。

かつての日本でも、戦乱で苦しむ人々を救いたいと思いながら何もできなかった時期があった。そのときは、せめて雨風を防ぐ祠に住むことで、人々が少しでも安心して手を合わせられる場所になれた。その延長が、お地蔵さんとして祀られる道だったのだろう。ならば――ここ異世界でも、自分は何らかの方法で、この村やアルムを守る力になりたい。

 暗い納屋にうっすらと差し込む月明かり。その中で、お地蔵さんの石の表面に刻まれたかすかな模様――蓮の花の彫り物が、かすかに光を帯びたように見えた。それは彼の中に眠る守りの力が、静かに呼応している証かもしれない。




 翌日、村の外れに人だかりができていた。どうやら物見櫓に立っていた見張りが、遠方に一団の魔物らしき影を発見したというのだ。それも複数。荒野を越えて村を襲いに来るのではないかと危機感が漂っている。こうした魔物の集団襲来は滅多にないことらしく、村全体が慌ただしくなっていた。


「どうする? 冒険者は一部しか残っていないぞ」

「依頼して呼んでいた冒険者たちも、他の地域の魔物討伐に行ってしまった後だし……」


 村人たちは動揺を隠せない。そんな中、神官のクーリスや村長らは聖堂に集まり、対策を協議した。村にある程度の戦力はあるが、相手が多数なら守りきれるかどうかも怪しい。さらに問題なのは、今回の魔物の中に「知能の高い者が混じっているかもしれない」という点だ。単なる野生の獣ならまだしも、組織的に攻撃を仕掛けてくるとなると厄介だ。

 それでも村の門を閉ざして守りに徹するのが精一杯。クーリスをはじめ神官たちも防御結界を張る準備を進めていたが、その魔物の数が多いようなら、どこまで効果があるかはわからない。そんな混乱の中、アルムは落ち着かない心持ちで孤児院の一室に閉じこもり、外の様子を気にしていた。


(こんなとき、あのストーンゴーレム……彼は何を思ってるだろう……)


 しかし、大人たちにとってはゴーレムは危険な存在。戦力に加えてくれるとは考えにくい。自分が「ゴーレムにも手伝ってもらおう」と提案したところで、真面目に取り合ってもらえるはずがない。むしろ、下手なことを言って、自分が孤児院から追い出されるのは嫌だ。アルムは焦りと不安に揺れながらも、何もできない自分がもどかしかった。

 そうしているうちに、村の周囲には緊張感が漂い始めた。物見櫓からは「魔物が近いぞ!」という報せが入る。大人たちは武器を手に取り、門を固め、子どもたちや老人はできるだけ安全な建物に集められた。いよいよ戦いの火ぶたが切って落とされるのか――と、誰もが息をのむ。

 ところが、先に動いたのは魔物のほうではなかった。まさかの侵入者が現れたのだ。村の裏手の崖沿いから潜り込むように、数人の男たちが姿を見せる。髪を角のように結い上げ、狂気じみた笑みを浮かべている。彼らは山賊か、あるいは魔物に通じる邪悪な集団なのか。とにかく、外からの警戒が魔物に向いている隙をついて、村の内部に入り込もうとしたらしい。

 兵が外に集中している今、村の内部は手薄。しかも、男たちの中には魔術を操る者がいるようで、村人が気づいたときには光の閃光が走り、小規模な爆裂が起こった。建物の一つが炎上し、悲鳴が上がる。大混乱に陥る村の中、男たちは手当たり次第に盗みや破壊を繰り返し、さらに子どもや弱い立場の人々を人質に取って、村長たちを脅してきた。

「お前らが無駄に抵抗するなら、こいつらの命はないと思え!」 荒々しい声が響く。連れ去られた子どもの中には、孤児院にいたアルムの姿もあった。アルムは必死に逃げようとしたが、力の差は歴然。暴漢の腕に乱暴に掴まれ、口を塞がれてしまう。


「んぐっ……!」


叫び声すら上げられないアルムは目に涙を浮かべながら、頭の中で(助けて……!)と必死に叫んでいた。そして浮かんでくるのは、納屋にいるお地蔵さんの顔。まるで神様のようにすがる思いだった。

 村人たちはアルムたちを救おうとするが、相手は魔術や奇襲を駆使してくる。さらに今も外から魔物が押し寄せてくるかもしれないという二重の恐怖にさいなまれ、思うように動けない。クーリスや冒険者たちも、どう対処すべきか混乱していた。


(くそ……こんなときに、中から賊が侵入するなんて……!)


村長とクーリスは顔を見合わせ、完全に想定外の事態に対応できず苦悩を深める。それでも何とか人質を救い出そうと試みるが、魔術使いの男に防がれ、怪我人が出てしまう。

 そんな中――外れの納屋にいたはずのお地蔵さんが、ゆっくりと動き出した。騒ぎを聞きつけたわけではない。お地蔵さんはアルムの心の叫びに、何か胸の奥が突き動かされるように感じていたのだ。わずかに震える石の体。割れ目から差し込む光のような力が、再びお地蔵さんを守り神として奮い立たせる。

 お地蔵さんは両足を踏み出し、納屋の扉を静かに押し開く。そして意を決したように、村の中心へ向かって歩き始めた。かつては台車で運ばれただけだったが、今は自らの意志で確かな足取りを見せる。その石の足裏が地面を踏むたびに、どすん、どすん、という低い音が村の大気を揺らす。

 不意にその姿を目にした村人たちは、「ゴーレムが……!」と驚いて後ずさりした。クーリスも思わず呪文を構える。だが、お地蔵さんはまっすぐ、まるでどこかを目指すように歩を進めていく。その先には暴漢たちが捕らえた子どもたちの姿がある。アルムもその中にいるはずだ。


「お、おい! 何をする気だ、貴様!」


魔術使いの男が警戒して後退しながら攻撃の魔法を放つ。すると、青白い光弾が飛び、お地蔵さんの身体を直撃する。石の欠片が飛び散り、前掛けに焼け焦げができるほどの激しい衝撃。しかし、お地蔵さんは怯まない。一歩、また一歩と前進し続ける。表情はないが、その存在感からは“どんな攻撃にも屈しない”という意志が伝わってくる。

「くそっ、こいつ……なんなんだよ!」

男たちは動揺し、人質を盾に取ろうとする。アルムは小柄ゆえにさらに掴まれやすかった。腕をがっちりと捕まれ、ナイフを突きつけられる。


「近寄るな! こいつを殺すぞ!」


 お地蔵さんはそれを見ても足を止めなかった。人質を傷つける可能性がある――普通なら躊躇するだろう。だが、お地蔵さんはやはり守りの神。ゆっくりと手をかざすように掲げると、蓮の花が刻まれた石の胸元が薄く発光する。すると、お地蔵さんの周囲を柔らかい光の膜が包み込むように広がり始めた。

 その光はじんわりと空間に浸透し、男たちが握っているナイフや武器から力をそぎ取るかのように、鈍く落下させる。まるで人を傷つける殺意だけを和らげるような、不思議な力。アルムを人質に取っていた男もナイフが手から滑り落ち、「な……なんだ……腕が動かない……」と戸惑う。

 その隙を逃さず、冒険者たちや村の有志が一斉に飛びかかり、男たちを取り押さえる。魔術使いも混乱の中で呪文を唱えようとしたが、その手から魔力が抜けるように働かず、なすすべなく捉えられていった。


「アルム!」


大人たちが駆け寄り、アルムは無事に男の腕から解放された。恐怖に震えていたアルムは、安堵の息をつきつつも、お地蔵さんの方向を見る。そこにはまだ柔らかな光をまといながら、静かに立ち尽くすお地蔵さんの姿があった。


「……助けてくれたんだね。ありがとう……!」


アルムは涙を滲ませながら駆け寄ろうとする。しかし、その瞬間――。

 遠方からけたたましい咆哮が響いた。魔物の群れが、ついに村の外壁を突破してしまったのだ。侵入者の混乱に乗じてか、あるいは村の守りが手薄になったタイミングを狙ったのかもしれない。もしくは、この賊たちと魔物が共闘していた可能性すらある。いずれにせよ、今まさに村が最悪の危機にさらされていることに違いはない。


「大変だ! 魔物どもが門を破ったぞ!」

「ひとまず人質は取り戻したが、このままじゃ……」


 村の人々は再び騒然とする。お地蔵さんは、その場に残ったアルムの姿を確認すると、小さく頷くように頭を下げてから、今度は猛然と村の門の方へと走りだした。いや、正確には走っているのかどうか怪しい。石像らしい重々しい足取りではあるものの、不思議と速い。ゴーレムが突進しているかのような迫力だ。


「ま、待って! 危ないよ!」


アルムや村の人々が呼び止めても、お地蔵さんは振り向かない。まるで「村を守るためには、もはや一刻も猶予がない」とばかりに行動を起こす。その石の背中には、かつて戦火から人々を救えず、自らの命を失った男の無念と、今こそ誰かを助けたいという強い願いが宿っていた。





 村の門付近は、すでに魔物たちがなだれ込んできていた。体毛のない灰色の狼型の魔物が数頭、鋭い牙をむいて人々を追い回している。さらに翼の生えたコウモリのような生物が低空飛行で村の屋根を突き破っている様子も見える。お地蔵さんが駆けつけた頃には、あちこちから火の手が上がり、叫び声が飛び交っていた。

 お地蔵さんは周囲を見渡し、まずは危機に晒されている女性や子どもたちのもとへ向かう。狼型の魔物が怯える子どもに飛び掛かろうとしたその瞬間、お地蔵さんが間に入り込む。硬い石の体に牙を突き立てられても、びくともせず、逆に魔物を弾き飛ばす。お地蔵さんの中に眠る慈悲の力は、単に防御力を高めるだけでなく、敵の攻撃を和らげる力もあるのだ。

 それでも魔物の数は多い。冒険者たちも奮闘しているが、すでに体力や魔力は疲弊している。村人の中にも武器を手に立ち向かう者はいるが、圧倒的に数が足りない。どこかで大きな爆発音が響き、建物の一つが崩れ落ちる。火の粉が舞い散り、煙が立ち上る中、お地蔵さんの体はすすと傷で黒く汚れていく。

(……もっと力を。もっと、大勢を守るための力を)

 お地蔵さんの胸に刻まれた蓮の模様が、一層強い光を放つ。幾度となく、この世界で攻撃を受け、耐え続けてきたダメージが限界に近い。それでも、お地蔵さんの心は揺らがない。かつての日本でも、戦災や疫病で苦しむ人々のために、祈りとともに祀られ続けた。その思いが結実したのがこのお地蔵さんという姿。ならば今も、助けを求める人がいる限り、自分は守らなければならない。

 魔物の群れが最後の総攻撃を仕掛けようとする中、お地蔵さんは両手を合わせるような仕草を見せた。その瞬間、赤い前掛けがひときわ強い光に包まれ、周囲にあたたかい気流が生まれる。それはやがて衝撃波のように広がり、村に散らばる魔物たちを一斉に弾き飛ばしていく。光のバリアが人々を取り囲み、魔物の牙や爪が届かない。

 アルムや村人たちは、その光景を目の当たりにして言葉を失った。まるで神話の奇跡。お地蔵さんが放つ慈悲の力は、一切の殺傷を伴わないにもかかわらず、魔物を寄せ付けず、人々を守る。そこにあるのは守護という強い意思――誰一人見捨てないという、石像とは思えないほどの情の深さ。その姿に、クーリスをはじめとする神官たちも、いまや完全に度肝を抜かれていた。

 しかし、あくまでもお地蔵さんの力は守りに特化しているようだ。魔物を倒すわけではないため、根本的な脅威の排除には至らない。そこで冒険者や村人たちが息を吹き返すように一斉攻撃を仕掛け、魔物を少しずつ追い返していく。まるで陣形を組むように、お地蔵さんの後方に立って守られつつ、矢や魔法を放つ。狼型の魔物は混乱し、次々に倒れていく。コウモリ型の魔物も警戒して飛び去った。

 そして、やがて魔物の群れは完全に散り散りになり、残党は森の彼方へと退却していった。村の門付近に積み上げられた魔物の亡骸や、崩れ落ちた建物の瓦礫が戦いの激しさを物語っている。満身創痍の冒険者たちや村人たちはそれでも、かろうじて命をつなぎ止めた。

 決定的だったのは、ストーンゴーレム――お地蔵さんが張ってくれた守りの結界だった。それがなければ、もっと多くの犠牲が出ていたに違いない。人々は口々に「あのゴーレムが助けてくれた」「本当に味方だったんだ」と感嘆の声を上げる。

「お地蔵さん!」 アルムは駆け寄り、お地蔵さんの石の体に触れる。すると、そこには大きな亀裂が幾つも走っていた。戦闘の中で衝撃を何度も受け、内部の力を限界まで使い果たしてしまったらしい。お地蔵さんの石肌からは、小さな破片がぽろぽろと落ちている。前掛けもボロボロだ。


「いやだよ……! 動かなくならないで……! まだ、お礼もちゃんと言ってないよ……」


アルムは涙ながらに必死に呼びかけるが、お地蔵さんの動きは次第に鈍くなり、膝ががくりと落ちて地面に片膝をつく。そして、大きく胸をそらすように天を仰ぐと――石の姿に戻ったかのように微動だにしなくなった。先ほどまで光を放っていた胸の模様も、完全に輝きを失っている。

 アルムだけでなく、周りの大人たちや冒険者、神官たちも駆け寄った。誰もがお地蔵さんを囲んで、その目に敬意と畏敬の念を浮かべている。クーリスすらその場に膝をついて、慌てて聖具を手にかざした。ゴーレムと断じていたが、ここまで命がけで村を守ってくれた存在を無下にはできない。何とか助けたいと思ったのだろう。しかし、いかなる呪文を唱えても、お地蔵さんはただの石像へと戻ってしまったかのように固まったままだ。

 その静寂の中、アルムはお地蔵さんの前掛けの裂け目をそっと握りしめ、涙をこぼす。胸いっぱいに溢れるのは“ありがとう”という気持ち。言葉では言い尽くせないほどの感謝と悲しみが、少年の小さな体に押し寄せていた。





 戦いの後、村は大きな被害を受けたが、幸いにも人命の損失は最小限に抑えられた。それもこれも、お地蔵さんが張った守護の結界のおかげだ、と人々は口をそろえる。教会や村長は「このゴーレムは危険どころか、村の救い主だった」と認め、以前のように排斥する動きは鳴りを潜めた。

 お地蔵さんはあれ以来、まったく動かなくなった。村の人々はその石像をどう扱うか議論した末、村はずれにある小高い丘に、きちんと祠を建てて安置することを決めた。納屋ではあまりにも無骨で申し訳ないし、村の守り神として改めて祀りたいという声が大きくなったのだ。かくして、お地蔵さんは再び祠の中に座して、人々を見守る形となった。

 赤い前掛けも新調された。破れた部分を繕うだけではなく、村の仕立て屋が丁寧に仕立て直し、蓮の花の刺繍を残しつつ、新しい布で補強したものだ。首にかけられたそれは、凛とした美しさを漂わせている。お地蔵さんの身体の亀裂は大工や石工たちの手で簡単な修復が施されたが、完全に元どおりにはならなかった。それでも村の人々は、「この傷こそが、私たちを守ってくれた証だ」と大切に考え、そのまま祠に安置した。

 アルムは毎日のように祠を訪れ、お地蔵さんの前掛けをかるく撫で、花や食べ物を供える。その姿は、かつて日本の町で人々がお地蔵さんに手を合わせていた光景とまったく同じだ。アルムはまだ幼いが、その心には確かに敬いと感謝が根付いている。


「ストーンゴーレムさん……聞こえてる? 君の呼び方だけど、遠い昔の伝説に国を救った英雄でオジゾーという人がいたらしいんだ。だから、村の中には君のことをオジゾーと呼ぶ人もいるよ。だから、僕もそう呼ぶね。オジゾーさんありがとう。いつか僕も強くなるよ。もっと勉強して、戦い方も覚えて……。次に同じような危機が来ても、みんなを守れる人になるんだ。君が守ってくれた村を、ずっと大切にするから……」


 そう呟くアルムの声は、祠の中で小さく反響する。お地蔵さんは再び動き出す気配を見せない。それでもアルムはわかっていた。この石像はきっと心を持っていて、今も優しく村を見守ってくれているのだと。だからこそ、毎日顔を見せに来ている。そのうちに、他の子どもたちも一緒に手を合わせるようになり、いつしか偶然にも日本と同じく『お地蔵さん』という名前が村に定着していった。

 クーリスをはじめ教会の神官たちも、最近はお地蔵さんを神の遣いの一種として扱うようになった。ゴーレムとは違う、何か聖なる力を持つ存在だという認識に変わりつつあるのだ。もっとも、まだ神学上の議論は多々あるらしく、あれこれ説を唱える者もいる。それでも、かつてのように破壊や排斥を叫ぶ者はいなくなった。

 村の風景には少しずつ活気が戻り、壊れた建物の修復も進められた。人々はお地蔵さんの祠に花を供えたり、折に触れて感謝の祈りをささげたりするようになる。そうして日常の営みがまた始まり、季節がめぐっていく。日に日に緑が芽吹き、陽光が村を包む頃、お地蔵さんの前掛けはほんのりと日に焼けて、さらに深い赤色に染まっていた。



 ある晴れた昼下がり。アルムはいつものようにお地蔵さんの祠を訪れ、手作りのパンを供えた。お地蔵さんは石像のまま、静かに座している。その丸い顔には、やはり柔和な雰囲気が漂っているように見える。アルムは軽く頭を下げ、それから笑顔で語りかける。


 もちろん返事はない。それでもアルムは構わない。話したいことがいっぱいあるからだ。まるで石像が相槌を打ってくれているかのように、アルムの言葉は止まらない。そしてふと、少年はお地蔵さんのひび割れた一部をそっと撫でるように触れた。


 その瞬間、気のせいかもしれないが、ほんのかすかに石像の体が振動したように感じられた。アルムは一瞬はっとして、お地蔵さんの顔を見上げる。だが、やはり石像に表情はなく、ただそこにあるだけ。しかし、何かあたたかいものがアルムの胸に広がっていく。

 アルムは笑顔になり、「また来るね」と言って祠を後にする。長い廊下を抜け、村はずれの道を歩きながら、ふと遠くの空を見上げた。今は澄み渡る青空だが、いつまた異世界の不思議な風が吹き荒れ、どんな事件が起こるかわからない。それでも、この村には“守ってくれる存在”がいる。だが、アルム自身も誰かを守れる存在になりたいと強く思っている。

 その思いを胸に、少年は力強く地面を蹴って走り出した。風が頬をかすめ、太陽の光が彼の背中を照らす。村の至るところでは人々が再生のための作業を続け、笑い声や掛け合う声がこだまする。お地蔵さんは、そんな日常を見守るように、祠の奥でじっと微笑んでいる。

 ――こうして、お地蔵さんは異世界においても『人々の守り神』として、その地に祀られ続けることになった。動く姿を見せることはほとんどなくなったが、それでも毎日のようにアルムや村の子どもたちが供え物を届けに来る。大人たちも手を合わせる。時には旅人や冒険者も「噂のゴーレム様か」と見に来るが、皆一様にその優しげな石像を見て、心安らぐのだという。

 人々を救いたい――その一念で石の身体へと宿った昔の男が、遥か時を超え、海を越え、異世界にまで届いた慈悲の心。今もお地蔵さんは、やわらかな笑みをたたえたまま静かに佇み、彼方の空を見つめている。

 きっとまた、いつか誰かが困難に直面したなら、お地蔵さんはそっと手を差し伸べるのだろう。その思いは、アルムをはじめとする村の人々にしっかりと受け継がれていく。人の数だけ苦しみがあり、その分だけ慈しみがある。あたたかな余韻は、お地蔵さんとともに、この地で静かに息づいていくのだった。


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