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お月様の涙

作者: 奏 音音♪

0、月とうさぎ


 何処までも何処までも永遠に広がる美しい銀河。キラキラと光り輝く無数の星に囲まれて、月も負けじと眩いばかりの輝きを放っています。

 ほら、月をよく見てごらんなさい。うさぎの姿が見えるでしょう? 月とウサギは大の仲良し。片時も離れること無くいつも一緒です。

 あなたは不思議に思ったことはない? 夜、星が出て月が出る頃になると、どうして眠くなるのかな―― って。それは月が魔法をかけているから。辺りが闇に包まれてしんしんと深い深い闇に包まれる頃、月は眠りの呪文を唱えます。

『リムネ― リムネ― ナンミナンミ― みんな深い深いねむりの中へ―… 』

 すると不思議なことに、大人も子供も、犬も猫も、ネズミだって起きてはいられません。みんなすやすやと眠ってしまうのです。そう、月とうさぎを除いては――


 だけど今夜は少し違っていました。何故なら今夜が年に一度どんな願いでも叶うと言われる、


――星降り祭りの夜だからです――


1、星降り祭りと光玉


 金色の折り紙を星形に折った風車かざぐるまをぶるぶると回しながら走るおかっぱ頭の女の子が、

「わたちのお星さまいっちばん輝け!! 」

 と叫んで飛び回っていますし、星形に削った石を川の水面に投げつけて、跳ねる回数を競い合う坊主頭の男の子が、

「おいらの星は五つも飛んだよ! おいらの願いをお月様に届けたよ! 」と飛び上がって喜んでいます。そのはしゃぎようといったら、子供に限らず大人までもが全く陽気になって騒いでいるほどでした。

 でも今夜は銀河が何処まで澄み渡り、カシオペヤは剣で切り裂いたようにWを刻んでいましたし、北斗の七つの星は銃で撃ち抜いたようにハッキリと見えて、それはまるで夜空に飾られた絵画のようにとても美しく、銀河を称える星降り祭りの夜に相応しいとても良い祭でしたので、誰もが狂喜になって馬鹿騒ぎするのは当たり前でした。


 そしてその声は月のうさぎの耳に届くほどでしたーー


「お月様みんな楽しそうに笑ってるね。僕とても楽しいしとても楽しみだよ。」

 今夜はうさぎにとっても、とても楽しみな日でした。

「ねえ、お月様。今夜は星降り祭りの夜。今宵どれくらい星が生まれるのかな? 」

 うさぎが目を細めてにっこりと笑ったその時ですーー・・・

 地上に小さな光がぱっと現れました。やがて光は音もなく静かに爆発して一瞬にして地上を覆い尽くすほど広がりました。

 すると光の中から数え切れないほど小さな無数の光玉が、泡のようにぶくぶくと次から次へと現れました。

 まるで生まれたての赤子のような光玉は迷うこと無く、まるで意思があって、それが当たり前のように銀河に向かって昇って行きます。

 まるで散歩でも楽しむように、ゆっくりとふらふらと揺れながら時間をかけて昇ってゆきます。それでいてどこか悲しそうにも見えて、誰かに別れを告げながら、何か別れを惜しむかのようにも見えました。

 そうして時間をかけながら銀河に昇った光玉は銀世界の住人となり、お月様の魔法によって小さな小さな美しい星になるのです。

 

 やがて無数の光玉を送り出した光は徐々に小さくなって行き、すっかり消えてなくなりました

 星降り祭りの夜、光は時間をあけて数回現れます。その夜、光が何度現れ、どれだけの光玉を生みだすのかは分かりません。ただ年を追うことにその回数はどんどん増えていきました。

 

 ようやく銀河の世界にたどり着き小さな小さな星になった光玉にうさぎは言います。

「あー 光が消えた。ちっちゃな星の赤ちゃん、これからよろしくね。」

 でも星の赤ちゃんは生まれたばかりでまだしゃべれません。うさぎの周りでキラキラと光っているだけです。

 うさぎは胸元に飾り立てた大きな宝石のついたブローチを触りながら星の赤ちゃんに自慢げに言います。

「このブローチとてもキレイでしょ? これはね。天の川で千年に一度と取れるか取れないかといわれてる七色天然石からできているの。お月様がくれたのよ。」

 そしてキレイな碧いビロードで丁寧に仕上げられた大きなフードがついたコートを広げました。

「このコート素敵でしょ? これにも七色天然石のかけらがちりばめられているの。だからこんなにキラキラするのよ。それにこの碧は天の川のあおい水とおんなじ色だわね。ふふふ。みんなお月様のプレゼントなんだわ。」

 ブローチもビロードのコートも正真正銘お月様の贈り物です。うさぎは一通り自慢話を終えると黄金色の目をキラキラとさせて呟くように言いました。

「ぼくあの光玉がとても気になるの。あの光玉はどうして生まれるのかしら? 」

 するとどこからまるで身近で話しかけられているかのようで、まったく遠くから話しかけているかのように、その優しい声は何処ともなく、うさぎの耳に語りかけるように響くのでした。

 そう例えるなら一流のオーケストラが奏でる美しい音楽をうさぎは聴いているのです。

「お前にはあの光も生まれてくる光玉も見えるのだねー この広い広い銀河の中でもあの光が見えるのはお前くらいだねー 」

「そうなの? 」

「そうさねー お前だから見えるのだよ。この銀河で誰よりも純粋で誰よりも美しい心をもったお前だからこそ見えるのだろうねー 」

「ぼく、よく分からない・・・・ 」

 うさぎは少し頬を赤らめました。美しい音色を奏でているかのようなその声が、何か笑っているかのようにうさぎには思えたのでした。

「ぼく人間界であの光玉がどうして生まれるのか確かめて見たい。それにあんなに美しい光玉を生み出せる人間に会ってみたい。」

 すると優しかった音色はとても哀しいメロディーに変わったような声になってうさぎに奏でました。

「人間ー あれは人間の世界ー 外見こそ双子座の兄弟と同じだねー 双子の兄などは時々人間のまねごとをしてー 意地悪をして楽しんだりするでしょー でもー それ以上に人間はとてもずる賢いー 顔で笑っていても心では怒っていたりー 口で良いことを言っても心ではなじっていたりー お前の大きな耳と美しい黄金色の瞳はー そんな汚い人間のウソや姿を見抜いてしまうー きっとお前の無垢でガラスのように美しい心は傷つき――  そう――・・・ そして あの光玉がなんなのかー もし知ったときー お前は今までに知ったこのない感情を知るだろうー その感情知ったならー その時お前はきっとー いや――・・・ いいー とにかく知ってはいけないー 何も知る必要はない――・・・」

 そして美しい演奏はぱっと途絶えてしまいました。

 もう美しい演奏を聴くことはできません。うさぎはまたいつ現れるかもしれない光玉のことを考えながら銀河の空をとぼとぼと歩き出しました。


2、北斗のクマ五郎と双子の兄弟


 しばらく歩くと天の川につきました。天の川では七色の毛皮を着た北斗のクマ五郎が魚をとっていました。そこでうさぎはクマ五郎に聞いてみました。

「クマ五郎さん、光玉を見たことある? 」

「なんだって? う~ん、そうさな… あー… 俺は見たことないねー その光玉やらってのはねー うー なんだろなー 」

「では人間はみんな悪い心をもっているの? ぼく人間界に行ってあの光玉がどうして生まれるのか確かめて見たいの。でもお月様は人間はずる賢くて悪いって。それで何も知る必要はないって言うの。」

「なんだって?? う~ん、そうさな・・・ あー 」

 クマ五郎は考えたり話したりするのがあまり得意ではありません。もたもたしていると頭の上から声がしました。

「そんな事はないよ。きっと人間にだって正直で優しい者はいるよ。」

 それは双子座の兄でした。

「兄さんウソはいけないよ。人間は愚か者の集団ではないですか。」

 それは双子座の弟でした。

「弟よ。お前こそウソをついている。私こそが正しいのだようさぎさん。」

「信じてはだめだよ。兄さんは人間のようにたまにウソをつくのだから。」

「それほど言うのならうさぎさんに確かめてもらえばいい。うさぎさん、あんたは運がいい。今日は七十六年に一度箒星のハリーが人間の世界に近づくときだよ。」

 うす笑いを浮かべる兄にうさぎは心配そうに言いました。

「でも双子のあにさん。人間の世界に行ったらどうして銀河の世界に戻ってこられるの? 」

 そう言ってからうさぎははっと思いました。

「あにさん、光玉をご存じですか? 」

「光玉? それはなんだうね。弟よ、おまえは知ってるかい? 」

「いいえ兄さん。僕も知らないですねー 」

「そうなんですね。光玉は年に一度の星降り祭りの夜に地上で生まれるんです。そして銀河に登ってお星様の赤ちゃんになるんですよ。 」

「あー そうだったのかい。それで先ほどから星の赤子が急に増えたのかい。」

 双子の兄は感心したようにうなずきました。そしてぽんと手をたたきました。

「つまりはこういうことだ。うさぎさんは地上でその光玉を見つけて一緒に銀河に帰ってくると、そういう段取りなんだね? 」

「はい。ぼくはもとよりその光玉がなんなのか知りたいのです。人間が悪人だだとかそんなことはどうだっていいのです。」

 すると兄は小馬鹿にしたようにふんと鼻をならしていいました。

「そうかい。だったら何も心配はいらないね。うさぎさんは念願の光玉の正体がしれて、その光玉と一緒に銀河へ帰ってくればいいのだからね。」

 兄はくくくと笑いました。すると弟があきれ顔で言いました。

「兄さんバカを言ってはいけないよ。光玉がなんなのかよく分かっていないの一緒に帰ってくるなんて。それにうさぎさんが人間に会ったらきっと大変なことになるよ。うさぎさんのように綺麗な心の持ち主が人間に会ったら! いいかいうさぎさん… う、んううう」 

 弟が言い終わらないうちに兄は弟の口をふさぎ、あまった片方の手を上に向けて言いました。

「さあさあうさぎさんおしゃべりはおしまいだ。もう時間がない。ほら、ハリーはすぐ頭の上だよ」

 兄に言われて見上げるとすぐ頭の上を彗星のハリーがものすごいスピードで飛んでいました。

「さあ、うさぎさん。行っておいで」

 にやりと笑う兄を見たうさぎは一瞬胸がドキリとしました。

「でもあにさん、ぼく、お月様に黙って行けない。」

「それなら心配いらないよ。私がお月さんにちゃんと言っておきますからね。光玉を見つけて一緒に帰ってくると言っておけばいいでしょ。」

「でも… 」

 まごまごするうさぎに兄はせかして言いました。

「さあさあ行った行った。ハリーが行っちまうよ! 」

 そしてうさぎをかつきあげるとハリーに向かってブンと投げつけました。うさぎはあたふたしながら、ケンケンッパでもするように、ぴょんぴょんぴょんぴょんと飛び跳ね、ハリーの尾っぽにがばりとつかまりました。

 見下ろすと双子の兄が意地悪そうに笑い、その隣では弟が心配そうにうさぎを見ていました。うさぎは急にそわそわとし始め落ち着きなく体を揺らし始めました。

 さっとお月様の言葉が頭をよぎったのです。


――双子座の兄は時々人間のまねをして意地悪をする――


「つまりあにさんも人間のように嘘をつくことがあるのかな? 」

 そう思うと胸騒ぎは収まらずいっそう胸が太鼓を打つようにどんどんと鳴りました。


3,彗星のハリー


 ハリーから伸びる光の尾っぽは筆で書いたようにどんどん伸びてゆき、うさぎを乗せたハリーとうさぎは双子の兄弟の視界からどんどん小さくなってゆきました。そしてまったく見えなくなってしまったうさぎを見て双子の弟は心配そうに言いました。

「兄さん。どうしてあんないい加減なことを言うのですか。僕らは外見こそ人間と同じですが心は銀河にあるのです。人間の真似をして意地悪する必要どないのですよ。」

「さあー なんでかね。うさぎさんがお月様のお気に入りだからかなー ちょっと意地悪したくなったのかもね。まあその光玉を見つけられなくてもまた七十六年後、ハリーと一緒に銀河に帰ってくるだろうよ。俺たちにしたらたいした時間じゃないさ。」

 すると弟は険しい顔つきで言いました。

「うさぎさんが人間に会ったら、人間を知ったらどうなると思いますか。きっとショックであの美しく一点のくもりのないガラスのような心は砕けてしまうに違いのないですよ。」

 すると兄は急に不安になりました。

「だ、大丈夫だよ。もし何かあればお月様が魔法でなんとかしてくれるさ。」

 すると弟はあきれたようにフーと深いため息をついて言いました。

「お月様の魔法は銀世界以外では使えないではないですか…… せいぜいちょっとした眠りの魔法を唱えるぐらい、それだって効いているか分からないでしょ? 実際寝ていない者が溢れかえっているのですから。もし人間界で魔法が効いたなら、人間は一人残らず心の美しい者達であふれかえっていますよ…… 」

「そ、それにしてたって。望んだのはうさぎさんじゃないか! 自業自得さ! 自分でなんとかするさ! きっと光玉を見つけて一緒に銀河にかえってくるさ! 」

 兄はそう言うとぶつぶつとなにかつぶやきながら、逃げるようにさっさとどこかへ行ってしましました。

「ああ、お月様はどう思うのだろうか… 」

 弟は心配そうにつぶやきました。

 

 うさぎはハリーのしっぽの上で確実に小さくり、それでも決して消えることのないお月様を見つめていました。ハリーは静かにそれでも信じられない早さで流れるように飛び続けました。

 せわしく巡る想像と相反して、無音で流れ続ける不思議な空間はいつしかうさぎの不安をすっかりかき消していきました。

 ようやくハリーが人間の世界に近い付いたとき、ハリーは流れ続ける尾っぽから一筋の七色に輝く虹のような光を地上へ落としました。それはうさぎを地上へと降ろすための七色の光の道でした。

「ハリーさん。ありがとう。ぼく光玉を見つけてきっと一緒に銀世界へ帰ってきます。」

 でもハリーは何も言いません。ただまっすぐ前を見て飛んでゆきます。うさぎはハリーの尾っぽから飛び降りると七色の道に飛び降りました。

 道はキレイな弧を描き真っ直ぐ真下に降りています。それはまるで地上に降りる長い長い滑り台のようです。うさぎはお尻をつくと迷うこともためらうこともなく光の道にそって滑ってゆきました。


4,四本足のうさぎと人間界


 光の道の先端は地上に近づけば近づくほど薄くなっています。うさぎが下る勢いはどんどん増していきついに光の道が途絶えたとき、うさぎは全身まばゆいばかりの光に包まれ、ついには流れ星になりました。

 流れ星になってうさぎが落ちたのは大きな川が流れる広い河原でした。遠くにきらびやかな光で包まれたまるで宝石箱の中にあるような町が見えます。

「綺麗だなー まるで天の川に敷き詰められた宝石が飾ってあるみたい。あれはダイヤかな? サファイアかな? それともトパーズで? 」

 うさぎはわくわくしながらとても上機嫌でした。そのときふと川に映った自分の姿を見てうさぎは驚きました。あのキレイなブローチも蒼いビロードのコートも着ていません。それに歩こうとしても二本足で立って歩くと事が出来ないのです。

 うさぎは後ろ足でぴょんぴょんと跳ねながら歩かなくてはなりませんでした。

「そうかここは銀世界じゃないからお月様の魔法が届かないんだ――・・ 」

 先ほどの上機嫌とは打って変わりうさぎは急に不安になりました。

 そうです。うさぎは初めてひとりぼっちになったのです。何かあってもお月様に助けてもらうことも出来ません。うさぎが一人で解決するしかないのです。

 でもいつまでも塞ぎ込んではいられません。うさぎは思い切って遠くに見える人間の町を目指してぴょんぴょんと飛び跳ねながら走り出しました。

 やがて遠くに見えていた小さな町は近付くにつれてどんどん大きくなり、ついには目の前で見上げるほどになりました。

「ぼくは人間界に来たんだ。」

 いくつもの大きな建物を見上げてうさぎは本当に人間の世界に来たと、いえ、来てしまったと思いました。

 大きな町の通りを沢山の人間がにこやかに歩いています。今日は星降り祭りの夜。数え切れないほどの人たちが祭り衣装に身を包み上機嫌で楽しそうに歩いています。小さな男の子が手に風車を持って走りながら叫びました。

「回れ回れ! もっと回れ! 僕の風車はプロベラになって僕の願いと一緒にお空を飛ぶんだから! 」

 その男の子と同じように周りにいる子供たちも口々に自分たちの願いをごとを叫びながら走っています。

 うさぎもなんだかとても楽しく暖かい気持ちになりました。誰かが喜ぶ姿を見てとてもうれしくなったのです。

 うさぎは心の中で人間が意地悪でずる賢い人ばかりじゃないと知ってとても安心しました。

「さあ、早く光玉を見つけないと。星降り祭りの夜にしか光玉は生まれないのだから。今夜見つけないと大変なことになってしまう。」

 うさぎは当てもなくぴょんぴょん飛び跳ねながら町の中を走り出しました。でも大勢の人間の足下をかいくぐりながら走るのは大変です。たくさんの足がまるで棒を振りまわすようにうさぎに向かってくるのです。

 避けて走るだけでもうさぎにとってはとても危険なことでした。たまらずうさぎはひとまず走るのをやめ道の片隅に逃げこみました。

 うさぎから見れば誰もが巨人です。見上げていると空がぐわんぐわんと揺れぐるぐる回りだし、それと一緒にうさぎの頭の中もぐるぐると回りだしました。


5,小さな女の子と醜い怪物


 やがて楽しそうな人間達の声がざわざわざわと羽音のように響くようになり、うさぎにはその声がだんだんと煩わしく聞こえるようになり、とても不安に感じてきました。するとその時耳ざわりな音に混じってとてもかわいらしい声が聞こえてきました。

「おはなどうでつかー きていなおはなはどうでつかー 」

 まだ片言しか話せない小さな女の子が必死になって声を張り上げ、その手に小さな赤い花をにぎりしめ、かわいらしい瑠璃色の瞳をくりくりとさています。

 女の子の身なりはとてもよいとはいえず、髪もぼさぼさで靴もはいていませんでした。女の子のお母さんは病気でもう何年も寝たきりなのです。星降り祭りの夜だというのに女の子はお母さんを助けるためにお花をつんで売っていたのです。

 まるで川のように流れていくたくさんの人の中、ひときわ綺麗な祭り衣装に身をつつんだかっぷくの良い男性が女の子の前で立ち止まり花を一本受け取りました。

 そして女の子にコインを渡すと優しく言いました。

「さあ、今日は星降り祭りだよ。これで何か買って食べなさい。」

 女の子はうれしそうににっこりと笑いました。その姿を見ると男性は満足そうに歩き出しました。

 それを見たうさぎは不安が和らぎとても暖かい気持ちになりました。しかし満足げにほほえむ男性がうさぎの前を通り過ぎたその時ときですーーーー

『あんな汚い小娘の花を買ってやったぞ。なんて優しくて愛情にあふれた人間だとみんな私を見て思ったに違いない。ああ、いい気分だ! 』

 それは銀世界のうさぎにしか聞くことの出来ないこの男の、いえ人間の心の声でした。そしてうさぎの目に映ったのは、みるみるうちに恐ろしい怪物へと変わっていく男性の姿でした。

 耳が頭を越えてとんがると目はつり上がり口は耳まで裂けていきます。うさぎは恐ろしさで全身をブルブルと震わせました。うさぎは初めて恐怖という感情を覚えたのです。

「お月様が言ったとおり人間は口にしたことと全く違う事を心の中で考えている。本当の姿はなんて醜くおぞましいのだろ。」

 人間の隠された姿に気づいたと同時に沢山の人間の心の声が、まるで津波のようにうさぎの耳に押し寄せてきました。

『汚い子。親はいないのかしら? 星降り祭りが台無しだよ。』

『あんな安っぽくて汚らしい花を誰か買うかよ。』

 沢山の汚い声がとだえることはありません。誰もがそ知らぬ顔で女の子の前を通り過ぎ、心の中でなじり罵倒していたのです。

 中にはかわいそうという声もありましたが、それはあまりに関心のうすいぺらぺらな紙のような思いでした。

 もううさぎの前を歩いているのはただの醜い怪物の群れです。うさぎは恐ろしくなって無我夢中で跳びはねました。

 どこをどう通ったのかさえ覚えていません。ただただ人間から、いえ怪物から離れたくて飛び跳ねて走ったのです。

 汚い声が聞こえなくなり辺りがしんと静まりかえったとき、気がつくとうさぎはコンクリートの壁に囲まれた細く薄暗い路地にいました。

 その先は真っ暗で、まるで墨で塗りつぶされたような暗闇が何処までも果しなく続いているようでした。


6,赤い目のカラス


 この先の向こうに行ったら永久に帰ってこられなくなるのはないかと思い、うさぎはブルと体を震わせました。その時頭の上で声がしました。

「おや、月のうさぎさん。こんなところで何をしているんだい? 」

 見上げると墨のように黒く、ルビーのように赤い目をした大きなカラスが一羽、頭の上をくるくると回っていました。

「こんなところで銀世界のうさぎに会えるとは全く光栄ですな。あなたいったいここが何処かご存知なのですかな? 」

 気取って言うカラスに緊張していたうさぎは無言のままただ首を横にふりました。するとカラスは赤い目をぎらぎらさせて言いました。

「まあ、それはそれはそうでしょうな。とりあえず着いてこられると良いでしょう。」

 そう言うとカラスは暗闇の奥に向かって飛び始めました。うさぎはどうしたらよいか分からずただただカラスの後を追いかけました。

 真っ暗な一本道をつき進んでいくと、いつしかコンクリートの壁が次第に倒れて行き、ついにはてっぺんがぴたりとひっつきました。

 そうして一本道は何処までも続く暗く長いトンネルとへと変わったのです。

 トンネルの道をさらに進むと壁が岩肌へと変わりました。

 所々壁が崩れ地層が見えています。

 地層には花崗岩や黒溶岩、それに白雲母か黒雲母のような様々な色をした岩石が並べられたように張り付いています。そして地面には孔雀石など美しい模様をした岩が、誰かに掘り出されたようにごろごろと無造作に転がっていました。

 うさぎは難なくその石ころ避けながら歩くことが出来ました。そして自分が普通に歩いてることにうさぎは気づいたのです。そう、二本の足で。

「ぼく二本足で歩いてる。ブローチもコートも戻ってる! お月様の魔法が戻ってる! もうここは人間界じゃない? カラスさんどうして? ここはどこ? 」

「さあ、まだまだ先はありますよ。まずは本来の姿に戻ったこと喜んだらどうでしょうね。さあもうすぐ、もうすぐうさぎさんの求めるものが見つかりますよ。急ぎましょう。」

 カラスは赤い目をさらに光らせうさぎを急がせました。

「ぼくの求めるもの? カラスさんは光玉が何処で生まれるのか知っているの? 」

 うさぎは驚いてカラスにたずねました。

「さあー どうでしょうね? この先を進めばきっと答えは見つかると思いますよ。うさぎさんあなたが本当に心から望むならその光玉とやらもきっと見つかるでしょうよ。ここはそういう所ですからね。 」

 なにかうさぎはとても穏やかで楽しい気持ちになり心の底から力がみなぎってくるようでした。うさぎが覚えたのは勇気、そして希望という感情でした。


7,子鬼


 本来の姿に戻ったうさぎは先ほどよりも軽やかに歩くことが出来どんどん前へ進むことが出来ました。

 しばらく歩くと足下には孔雀石などに混じって貝や葉っぱや生き物の化石が増え始めました。

 うさぎが興味深く魚の骨の化石を拾い上げまじまじと見つめていると、頭上でかつかつと岩を叩く音がして、

「ああ、それは新第三期中新世頃のヘミクルターだなあ。ずいぶんと保存のよい化石でしょう。」

 かすれたようながらがら声が聞こえてきました。けれども声はすれども姿は見えません。うさぎはきょろきょろと周りを見渡しました。

 すると天井に背丈十センチほどで頭に一本の角を生やし、小さな丸めがねをかけた子鬼が、これもまた小さなたがねとハンマーを持ってかつかつと岩をたたきながら、時折めがねを外し、ルーペを取り出し、ふむふむと顔をしかめながら岩を見つめていました。

「まったくもってここの地層は変だ。年代がさっぱりだ。鍵層などあちらこちらにバラバラで。放射性年代測定も役立たず。まったくもって困ったもんだ。 」

 子鬼はしかめっ面で乱暴にかつかつと岩をたたきながらも、

「おお! これはいい。これはいい鉱物を見つけた。このコランダムの何とも美しい赤。まるで血のようではないか。これはよいルビーが出来るに違いない。これをエゲリスの女王陛下の胸にお飾りしたらそれは美しく輝くなあ。」

 嬉しそうに笑って、にこやかに優しくかつかつと岩をたたいたりもしていました。よく見るとその子鬼は一匹ではなく何百もいえ、何万匹もいました。

 一匹がひすい輝石や紫水晶や天河石などの鉱物を見つけると、他の子鬼がむらがりその鉱物を小さなハンマーでかつかつとたたき、掘り出した紫水晶などを勢いよく天井から落としていきました。

 足下に転がる様々な石ころはこの子鬼が天井から落としていたものだったのです。そのなかには化石などもあり、

「これはイノセラムスだ。ジュラ紀から白亜紀の二枚貝だ。」とか、

「これを見てみろ。三葉虫。これこそ古生代の代表する生物だ。」とか、

「これは生痕化石だ。う〜ん、三葉虫のはいあとだなあ。」とか、

「微化石だ。大きさは数ミクロンか。有孔虫か放散中か。それか歯か骨か植物かな? 」などとそれぞれに言いながらかつかつとハンマーを振り下ろしていました。

 しばらく黙って様子を見ていたうさぎは小さな声でカラスに言いました。

「あの子鬼は何をしているのでしょうか。とても賢そうですけど? 」

「賢そう? あの子鬼がですか? まぁ、そいつらは生きていた頃に悪いことをしたよこしまな人間の魂ですよ。どこからともなく突然わいて出て、ここで鬼になってああやって珍しい石を掘り出すのです。どれくらいかわからんがね。納得するまで石を掘り出すと不意に消えてしまいますよ。」

「邪な人間の魂… なんて数なんだろう。」

 ただただ黙々と石を掘り続ける子鬼を見てうさぎはとても悲しく、そしてとても哀れに思えました。うさぎは同情という感情を覚えました。

 まわりではせわしく子鬼たちがかつかつハンマーを振り下ろす音が鳴り響き、相変わらず天井からは雨のように岩がぼとぼとと落ちていましが、うさぎはそれを上手に避けながら歩きました。

 しばらくすと遠くに小さな灯籠のような灯りが見えました。

 初め小さな石ころのようだった淡い灯りはどんどん大きく眩しくなり、その眩しさに目を細めると光はうさぎをすっぽりと飲み込みました。


8,真実の場所


 目をこすりながらゆっくりと目を開けると、そこはどこまでも果てしなく続く荒れ果てた森になっていました。するとカラスはジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)のようにそびえ立つ、くち果てた一本の巨木にとまりました。

「さあうさぎさん着きましたよ。あなた様は今まさに、さまざまな時間をかけぬけたのです!  あらゆる空間を飛び越えあるゆる時間を飛び越えたのです! 」

 うさぎにはカラスの言っている意味がよく分かりませんでした。ただこの森がうさぎの探している光玉が生まれる場所なのかが気になるだけでした。

「では時間を超えて着いたここはどこなのでしょ? ここで光玉はうまれるのですか? 」

「そうですな、まあ、そう、いうなればここはあの世でもこの世でもない。そう、真実の場所とでもいいましょうか。きっとあなたが探している光玉も、そう真実として見えることでしょうよ。」

 赤い目をぎらつかせ怪しく笑うカラスにうさぎは言いました。

「真実とはなんですか? 光玉は何処に? 」

「光玉… そうですね。しかしここは真実の場所。うさぎさんが見るのは真実です。うさぎさんの望む真実が現れるのですよ。カー 」

 カラスは空に向けて大声でひとなきすると大きな羽を広げて遠くへ飛び去ってしまいました。取り残されたうさぎは考えました。

「ぼくが望む真実… 光玉は… どこから生まれるの…… 」

 うさぎが空を見上げてまだ現れてもいない光玉を掴むように両手を高く上げたときです。

 突然空が爆発したように何かが頭の上で光り、すさまじい光線を放ちました。

 目がくらむほどの激しい光に包まれたうさぎは目の前が真っ白になりました。

 凄まじい風が吹き付け、まるで何かに引っ張られるようにうさぎは後ろに飛ばされました。

 轟音が鳴り響き、ごうごうと怒り狂う炎があたり一面を焼け野原に変えていきます。

 そしてメラメラとまるで大蛇のようにくねくねと舞い上がり怒り狂った炎は、うさぎの美しい黄金色の瞳をも真っ赤に燃やしてしまったのです。

 炎に焼かれ真っ赤になった目の為に、映るものすべてが赤く、辺りはまるで赤く深い霧に包まれているようでした。

「あの光は… 何? みんな…… みんな赤い! この世界は真っ赤だ! 」

 大声で叫び、うさぎはその場にぺたりと座り込むと両腕で自分の体を包み込みガタガタと震え出しました。

 寒くもないのに自然と歯がカチカチとなります。

 うさぎの目の前に広がっているのは真っ赤な血で染められたような、いえ、その通り赤い血で染められたそれは恐ろしい景色だったのです。うさぎは初めて心の底から恐怖という感情を知りました。


9,光玉と白装束の女の子


 すると、ちりーん、ちりーと鈴を鳴らす音が聞こえてきました。鈴の音は恐怖と絶望で弱り切ったうさぎの心の芯まで染み渡り、何とも清らかで、どのような傷心でもいやしてくれるような、そう、お月様の声を思い出すようなとても優しい優しい音色でした。

 鈴の音はだんだんとうさぎに近づき赤い霧の中に、すー と小さな顔が浮かびあがりました。

 それは金色の髪に青い瞳をした少女で、頬がやせこけたその顔から見るに、十くらいの年頃でした。

 透き通るような真っ白な肌をした少女は、白装束に身を包み手には金色の小さな鈴を持ち、何かいつくしむように、ひとつ歩くたびにちりーん、ちりーんと鈴を鳴らしゆっくりと歩きながら、少しずつうさぎにに近づいてきました。

 少女は始め何事もないように歩いていましたが、うさぎの横に来るとちらりこちらを見て言いました。

「まぁ、珍しいですわね。月のうさぎさんとは… 」

 それは何とも清らかな声で、鈴の音のように透き通るようにうさぎの耳に響きました。

「この鈴の音色は何とも美しいですね。」

 穏やかな心持ちになり、うさぎが思わず話しかけると鈴をほめられたのが嬉しいのか、少女は何とも可愛らしい笑顔を見せて言いました。

「これは『お清めの鈴』ですの。とてもよい音色でしょう。わたくしはこの鈴を持つことをまかせられましたの。全く清い魂がこの音色をたよりに集まりますから、とても大切なお役目ですの。ここへ来たのはつらいことですけどとてもよいことですの。わたくしのお国では肌の色が違うとか、眼の色が違うとか、住んでる土地が違うとか、信じている神様が違うとか、財が有るとか無いとか、そのようなことで争いますの。全くの不平等でお互いを傷つけますから。それで弱く清く美しい魂はここへ来ますから。それでわたくしも… 」

 少女はそう言うとうつむき(こうべ)を垂れました。

「生まれ落ちるところは皆まちまちですの。そのところによっては争いごとがおきますの。もちろん皆が争うわけではありませんで、わたくしたちの家族は誰も憎みませんでしたし、誰の心も盗んだり亡くしてしまうようことはしませんでしたし―― わたくしはただただおと様とおか様とあね様たちと一緒にいるだけでよいの。けれども争うものもおりますから、そのような方がわたくしたち家族の頭の上にみにくい光を落としましたの。光は大きく大きく広がってー やがて静かに静かにわたくしたち家族の心を奪い去っていきますから…… 」

 大きな光と聞いてうさぎはドキリとしました。

 先ほどの恐怖がよみがえり体がガタガタと震え出します。

 震えを止めようと腕を互いに強く絡ましても、震えは止まらずまるで心が火にあぶられたように熱くなり、呼吸と同じリズムで金槌で殴られているいように心がズキリズキリ痛みます。

 つい先ほどうさぎの頭の上で光った光線。光玉が生まれる前に必ず現れる静かな大きな光の波。そうです。うさぎは光の意味を考えていたのです。少女はうさぎの瞳をまっすぐに見つめるとすっと視線を落としました。

「光が一つ光るたび、それはもう、大きれば大きいほどにたくさんの人が逝くのですから。わたくし今でもおか様の声が頭から離れませんの。おか様は絶命寸前にわたくしに言いましたの。か細く小さく悲しい声でして、それは一言「ごめんね」と言いましたの。でもわたくしが思いますに、わたくしがこうしてむごい目にあいましたのは、もちろんおか様のせいではありませんし、ましてはおと様のせいでもございませんし、それではわたくしたちを追いやり汚らしい光を落とした人たちなのでしょうか。それともそれを命令しました将軍様なのでしょうか。でもわたくしはそうは思いませんの。もしわたくしがその方たちを憎み、その方たちの罪だと心から思ったなら、わたくしこのような清いお仕事をたまわることはなかったと思いますの。ですから… つまりわたくしが本当に罪を背負っていると思いますのは――・・・ 」

 言いかけて突然少女は何か感じたようでぶるぶると身震いをしました。

「あぁあぁ………ーーー 」

 唇をふるわせ目からは涙がなみなみとあふれ出しました。そして両手を高々と上げると鈴を思い切りよく振りながら、もう、驚喜になって何か大きな声で叫んでいました。

『ちりちりちりちりーー ん… 』

 壊れんばかりに揺らされる鈴の音は激しく鳴り響き、真っ赤な天井から小さな光がぽつぽつとひかりだしました。

 地面はからはうさぎの手のひらに乗るほどの蛍火のような光玉があふれんばかりにぽつぽつとひかり、流れ星が逆さまに落ちるように順々に飛び出しました。

 

ーーそうです。今この時光玉は生まれたのですーー

 

ーーそしてうさぎは美しい光玉の正体を知ったのです――

 

 光玉。それは絶命した美しくも儚い(けが)れのない魂だったのです。


 すると少女はもう気持ちが絶頂にまでも達し、両腕を天高く上げたままたたずみました。

 うさぎはもうぴくりとも動こうとしない石像のようにたたずむ少女を見て、言いようのない気持ちでいっぱいになりました。

 それはうさぎが光玉が何かも知らずただただ生まれることを手放しに喜んでいたからです。

 

 うさぎは罪悪感という感情を知りました。

 

 そして人間のもつ不可解な考えと、尽きることのない欲望の行き先の終末を思い胸を痛めました。

 地べたをかんかんと照らしていた蛍火のような無数の光玉がひゅんひゅんと光の残像を残しながらいっせいに飛び出して行きます。

 うさぎは光りの残像を瞳に焼き付けながら、うっすらとひかれた光の帯が残したカーテン越しに、ただただ息をするのも忘れ静かに光玉が生まれるのを見守っていました。

 光玉は悲しみを忘れるように一定の高さになると動きがゆっくりとなりユラユラと揺れながら空に、銀世界に向かって昇ってゆきます。

 それはまるで地上に残した家族に別れを告げているかのようでした。


10,知ってはいけない感情


 白装束の清らかな少女はどこまでも清く美しい魂を正しい方向へ導くお役目をしていたのです。

 うさぎが少女を見ると少女の全身がまるで夜光虫がとりついたかのようにぽつぽつと青白く光り輝いていました。

 そして少女の口元が一瞬ゆるんだその瞬間、夜光虫が飛び立つようにいっせいに無数の青白い小さな光がばらばらに散らばり、少女の姿は青白い光と共に何処へともなく消えて無くなりました。

 少女を見送るうさぎはもう立っているのがやっとでした。

 数万本の針を刺されたように激しく胸が痛み、目からは大粒の赤い涙が流れ落ちました。

 人間同士で奪い合う。それは突然にそして理不尽に。そして……  

 犠牲になるのは弱く清くどこまででも美しい魂。うさぎは今ままでに感じたことのないあまりに激しい感情に襲われ全身をブルブルと震わせました。

 

それは決して許せない思い――――――


憎しみ、恨み――――


 銀河の世界では芽生えるはずのない、芽生えてはいけない感情でした。

 そしてうさぎはその場にぱたりと倒れ込みました――――

 知ってはいけない感情。知る必要のない感情。その感情を知ったとき、うさぎの美しくどこまでも透き通ったガラスのような清らかな心が粉々に砕け散ったのです。

 冷たい風が吹きつけました。そして風は暴風となり赤い霧を一瞬にして吹き飛ばしました。

 赤い霧が消え去るとそこは人間の町でした。


十一、聖女のような少女


 星降り祭りの夜。夜だというのに昼間のように光があふれ、まるで星のように電球がピカピカと光る町並みの片すみに、うさぎはたった一人きりで横たわっていました。

 沢山の人間が通り過ぎていきますが誰一人としてうさぎに気が付きません。

 そんなとき一人の少女がうさぎの前で立ち止まりました。美しい上等な絹のような金色の髪に海のような真っ青な瞳、雪のように真っ白な肌と真っ白な服を着たまるで聖女のような少女です。

 少女は悲しそうにうさぎを抱き上げると、その頬に優しく押しつけました。

 するとそれを見ていたブタのように醜く、くぶくぶくと太ったちりちり髪の女が言いました。

「まあ、汚い。この子死んだうさぎを抱きしめているわ。ああ、気持ち悪い。ねえ、あなたもそう思うわよね。」

 するとブタのような女に金魚のフンのようにひっついていたやせこけた髪の長い女が申し訳なそうに言いました。

「うん、そ、そうね、そうだわ。全く・・・ 汚いわ・・・―― 」

 さらにガイコツのようにやせこけた意地悪そうな老いた女が嬉しそうに言いました。

「この子きっと頭がおかしいんだわ。すぐに病院に行って頭を見てもらいないさな。そうでしょう。あなただってそう思うわない? 」

 するとガイコツのような女に寄りそっていた子ブタのようにまるまると太ったずんぐりとしたおかっぱ頭の女が言いました。

「まったくだわ! こいつはきっと頭がおかしいにきまってるわ! それよりあなた。これあなたが食べたいって言ってた高級菓子なのよ。どうぞ召し上がって。」

「まあ、あなたなんて気がきくのかしら。あなたはこんなバカな子と違って本当に頭がよいのね。」 

 差し出された御菓子をむっしゃむしゃとほおばりながら女たちは笑いました。するとそれを見ていた、白髪交じりの頭をした初老の男性が言いました。

「君たち。そんな事を言うものではないよ。彼女がかわいそうではないか。」

「うるさいわね! だれよあんた! いい人ぶってんじゃないわよ! 」

 ブタのように太った女に一括された初老の男性は黙りこくってしまいました。

 すると少女は愛おしそうにうさぎの頭をなぜながら言いました。

「かわいそうに・・・ あなたたちにはこの子のほんとうの姿が見えていないのね。」

 そして少女はうさぎを抱きしめたまま立ち上がり穏やかに優しく言いました。

「あなたはそのブタのようにため込んだお肉にたくさんの怒りや妬みをため込んでははき出すのね。相手の気持ちも考えず思ったままを口にする。誰がどう傷つこうか苦しもうがかまいはしない。ただただ怒りをぶつける無知な人――・・・ 」

「な、何ですってー! 」

 ブタのような女は髪をかきむしり、怒りをあらわにして汚い言葉で叫び始めました。それでも少女は優しい笑みを浮かべたまま淡々としていました。

「ああ、あなたのその品のない荒れ狂う嵐のような気質がどこにあるのかしら。そうあなた身内の世話をしているのではなくて。きっと自分は献身的で心の優しい人だとは思ってはなくて。でもあなたは身内の世話でたまった苛立ちを関係のない人にぶつけるのだわ。そして解消するのね。そうよ罪のない人を苦しめてその姿を見てあなたは喜び満足しているの。でもあなた。あなたの身内はそんなあなたを見てどう思うのかしら。もし世話をされているのが母様かあさまだとしなら。あなたの心無い言葉で他人を苦しめているあなたを見て「私の娘は優しくて自慢の娘」だと思えるのかしら。そしてあなたは偽りなく私は良い人間だと母様にいえて。優しさや思いやりを身内に見せるのは当たり前で簡単な事よ。難しく大変なのは他人に同じように出来るかどうかだわ。わたくしあなたをとても悲しい人だと思うのよ。だってあなたを心の底から好きになる人は、身内以外いないのだから」

 それを聞いた豚のような女はわんわんと人目も気にせず泣き狂い始めました。

「そしてその後ろで申し訳なそうに私を見ているあなた。わたくしあなたのような浅ましく卑劣な人はとても嫌いだわ。まわりにこびを売って上手に生きているのね。陰でその人の悪口を言い、また片方では違う人の悪口を言う。自ら悪い行いに荷担はしない。でもね。あなたは荷担しているの。全く悪質なやり方でね。全く近くで真実を知りながら沈黙する。憎むべき沈黙者。軽べつすべき臆病者だわ。でもわたくしあなたがかわいそう。だってあなたはそうやって一生まわりのご機嫌をうかがって生きていくのだもの。」

 ブタのような女の後ろでやせた女はただだまって少女を睨みつけました。

「そしてずんぐりとしたおかっぱ頭のあなた。わたくしあなたのように下劣で性悪な人がほんとうに許せないわ。ああ、あなたには何を言っても無駄な気がしてならないの。だってあなたは全く愚かな人の子なんですもの。邪悪ににそそのかされ言われるがままにに従うんだわ。悪と分かっていても構わないの。いえ、むしろ悪につくことを楽しんでいるのよ。強いものに認めてもらうために物を配ってご機嫌を取り、全てを物で解決しようとする。世間知らずで、あらゆる知識にうとい愚かで無知な悪の僕。あなたお金を使ってとても綺麗に着飾っているけれど、どんなに高価で美しいドレスで着飾っても、あなたのその貧しくいやしい心はかくせないものなのよ。わたくしあなたがとても哀れだわ。だってあなたはそうやって一生ムダなお金を使い続けなければいけないのですもの。」

 するとずんぐりとしたおかっぱ頭の女は、激しいけんまくでおもいきり地面をけりはじめました。

「そしてあなた。わたくしをかばってくださってありがとう。あなたはとても教養があるようだわ。きっと言葉にもたけているのでしょう。あなたはそうやって言葉でうまく物事を解決しようとするのね。でも結局真実は見えていない。いえ、見ようとしないのね。それが偽りであっても解決できなければもっとも安易な方法で解決してしまう。ああ、あなたには誠の何も見えていない。何を言っても仕方がないの。だってあなたには裏切り者のの忌まわしい血が流れているのだわ。そう、裏切り者の血がね。あなたにとって裏切りは心に深く刻まれてもう消せるものではないの。愚かなる盲目の賢者。そうわたくし分かりますの。だってあなたのような卑屈な偽善者を嫌というほど見てきましたから。」

 それを聞いた初老の男性は憤慨して何か難しい言葉を並べながら、自らの正当性をうったえ始めました。

「そしてあなた。ガイコツのようなその顔… そう、まるで鬼のようだわ。あなたにはあらゆる悪が見えてならないの。ああ、もうあなたにはどのような言葉も届かない。だってあなた年をとりすぎているもの。あなたの魂はダイヤのように固くとても頑なだわ。誰の助言も戒めもあなたにとってはただの雑音でしかないの。あなた気付いてないようだけどとても醜い顔をしているのよ。心の醜さがそのまま顔に表れているのだわ。」

 少女は諦めたように目を閉じ首を左右に振りました。

「そうあなたは知るべきだわ。心から大切な者をなくすまことの苦しみを知るべきだわ。真の犠牲を知るべきだわ。だってあなたに残された時間はとても短いのだもの。ああ、あなたはこの先どう生きるかを見るべきではなく、どう死ぬのかを見るべきなのよ。残された短い時間で、誰から構わず愛されるのか憎まれるのか、どちらがいいのか考えてご覧なさい? 」

 少女は怒りで歯を食いしばり目を吊り上げるガイコツのような女と、ずんぐりしたおかっぱ頭の女の顔を交互に見ながら言いました。

「あたなには年と共にあふれる優しさや、いたわりを身内以外に使うことはしないようね。でも自分に貢いだり崇拝する人にはとても良くしてあげる。そして気に入らない人には徹底して容赦ない仕打ちをする。どんなに惨い事をしても平然と笑っていられる。ああ、なんて恐ろしいのでしょう。自分は裕福なのに他人の幸せが許せない強欲で傲慢な人。わたくしあなたのように愚劣で血も涙も無い人が本当に許せないの。でもわたくしあなた方が不憫だわ。だってあなたがとても不幸にみまわれたとき、その不幸を喜ぶ人が星の数ほどいるのだもの。」

 するとガイコツのような女はブタのような女やおかっぱ頭の女をけしかけ、これ以上ない汚い言葉で少女をなじり始めました。でも全く少女は動じません。相変わらず優しく穏やかな口調で続けました。

「今わたくしたちを見ている人たちに言っておくわ。そうただ見ているだけの罪深い人たちよ。貴方達はこのようにとても小さな王国の中でさえいがみ合い、そして悪と分かっていても、頑なになり、目をつむり、とても無関心なんだわ。ああ、あなたたちもいずれこのうさぎのようになるのよ。人はいつでも不平等よ。でも全くの平等もあるのよ。それは召されるときだわ。その瞬間は誰もが平等なんだわ。そして終わりは誰にも避けられない運命さだめですの。人は召されるわずかな時に過去を振り返るのよ。それは一瞬であってもとてつもなく長いものなの。そしてそれは楽しい記憶ではなくってよ。それは罪ですの。人をけなし苦しめた人には苦しめられた人が必ず現れるのよ。とても悲痛にみちた表情でね。亡くなる人はその表情を見て苦しむの。病気の痛みや死の苦しみではなくってよ。そしてその顔は恐怖で醜く歪んでいくの。穏やかな顔で亡くなった人は罪の浅い人。醜く歪んだ顔の人は罪深い人。そうよ。あなた方が見るのはつまりは良心。良心に嘘はつけないものよ。ああ、わたくしあなた方がかわいそう。いいえあなた方の身内のかたがね。だってそうでしょう? あなたの死を悲しむために集まっていただいた方たちにあなたの顔を見せられないんですもの。そうよ。あまりに醜くってね。そしてあなたたちのその汚れたよこしまな魂は時のトンネルへ運ばれ、醜い子鬼となってそのたえることのない欲望のままいつまでも、そうそれはもう永久に石を掘り続けるんだわ。」

 するともう辛抱たまらんとばかりに、ブタのような女やガイコツのような女が叫び声を上げました。

「あんた! ガキのくせに! いいかげんにしなさいよ! もう許さないからね! 」

 辺り構わず怒鳴り散らしながら少女につかみかかろうとしたそのときです。

「ああ!! あれはなんだ!!! 」

 誰かが夜空を指さして言いました。その声をきいてその場にいた全ての人間が夜空を見上げました。


十二、蒼い炎の墓標

 

 そこにいたすべての人が驚き、まるで氷人形のように固まってしまいました。

 

 なんと夜空一面を何千何万という数の流れ星が一斉に流れだしていたのです。

 

 それはまるで夢のようなでき事でした。どのように高価な絵画を眺るよりも、どのような美しい彫刻に触れるよりも、この美しい光景を見る事は全く価値のあるものでした。

 はじめ当たり前のように誰もがそのあまりに美しさに心をうばわれ見とれていました。でも時間がたつにつれて、少しずつ様子が変わってきました。

 どれだけ経っても流れ星の数は減ることなくどんどん増えていくのです。

 やがて空一面を覆い尽くした流れ星は、互いにぶつかり合い、おはじきのようにあちらこちらにぱんぱんとはじけ散らばり始めました。

 そしてはじかれ溢れだした流れ星が地上へと降り注いだのです。すると、

「ぎゃ、た、たすけて! 」

 あたりに悲鳴がこだましました。流れ星がガイコツのような女の頭にゴツンとあたったのです。

 そのとたん、女は蒼い炎に包まれました。

 女は驚き怯えながら逃げまどいました。しかし蒼い炎は消えません。そして女はその場にバタリと倒れ込みました。

 しばらくすると蒼い炎は消えましたが、女の髪も顔も肌も焼けただれることはありませんでした。

 蒼い炎が焼いたのは女の体ではなく魂だったのです。

 その姿を見た誰もが息をのみました。その顔は見るにたえないほど醜く歪んでいたからです。

「た、たすけて~ 」

 それを見たブタのような女が醜い腹をゆらしながら悲鳴を上げて逃げ始めました。

 その後を追うように、心にやましさのある罪深い人たちが逃げていきました。

 しかし誰であろうと、罪からもその良心からも逃げることは出来ません。流れ星はブタのような女の頭に落ち、女は苦しみ悶えながらのたうち回りました。

 その苦しみは蒼い炎の暑さではなく、また痛みでもありません。それは女に苦しめられた人たちが悲痛の表情で女を見つめているからです。

 恨みと哀れみに満ちた無数の目が女を苦しめているのです。

 そして流れ星は軽べつすべき臆病者の頭にも、また愚かで無知な悪の僕の頭にも、そして卑屈な偽善者の頭にも、ただ見ているだけの罪深い人たちの頭にも等しく平等に落ちたのです。

 町は数え切れないほどの蒼い炎が立ち上りまるで墓標のようでした。


一三、お月様の涙


 しかし流れ星や蒼い炎に包まれる人を見ても全く逃げ出さない人たちもいました。良心に嘘をつかず、良心にやましさのない人たちです。

 誰もが悲痛の面持ちで月のうさぎとうさぎを抱きしめる少女の周りに集まっていました。

 すると小さな男の子がうさぎの頭をさすりながら言いました。

「この子かわいそうに。もう死んでいるんだね。なんてきれいな服を着ているんだろう。まるでりっぱな貴族のようだよ。」

 すると少女は優しく笑いかけました。

「そう、あなたには見えるのね。そうよこの子は月のうさぎです。蒼い服には七色天然石のかけらがちりばめられているのよ。ほら、この胸もとの大きな宝石。これは天の川で数千年に一度しかとれない七色水晶石を削って作ったものなの。永久に七色に輝き続けるのよ。」

 そして目の上に手のひらをあてて優しく言いました。

「かわいそうに… とても悲しく怖いものを見たのね。こんなに目を赤くして… でももう大丈夫よ。あなたの瞳は黄金色… その瞳は全くくもりのない美しい黄金色なの。優しく汚れを知らない全く純粋な子供なのよ。」

「ええええ。私にも見えます。私は大切な一人息子を亡くしました。まだ十にもたたなかったのですよ。ああ私その子のことを思い出しました。」

 止めどものなく涙を流す女性に少女は言いました。

「大切なかけがえのないもの失った悲しみが、あなたを清らかにしたのでしょう。でもあなたの心はまるで振り子のようだわ。いつも安定していない。とても危うくどちらに傾いてもおかしくはないの。正しいと思ったら貫くべきだわ。守ると思ったら最後まで守るべきだわ。もろい心ではいつしか信頼は煙のように消えてしまうものよ。私はあなたがただの傍観者とならず、偽りに目をそむけず、また無知な暴力にも負けず、困っている方たちを助けていかれるような、そんな慈愛に満ちた人になることを心から願います。」

 すると美しく強いまなざしをした若い女性がうさぎを見て言いました。

「かわいそうに。私この子がこのような事になる前に何とかしてあげたかったわ。私この子が助かるのなら、本当にそれはもうどんなことでもしてあげたのに。そう私のこの魂さえ燃えさかる炎に捧げ、全く燃え散らしてきれいさっぱりなくなってもよいわ。」

 偽りのない後悔を目に浮かべ、うさぎに近づき口づけをする若い女性を見て、少女は少し驚いたように目を開くと、うっすらと笑みを浮かべ感心したように言いました。

「ああ、あなたにはとても強い正義が見えるわ。揺らぐことのない誠の決意。悪に決して屈しない強い心。厳正を好み厳格に判断する強い心。差別を嫌いあらゆる暴力を憎む強い人。平等を知り公平を愛する美しい人。ああ、でもきっとあなたはわたくしのどのような賛辞も受け入れないのね。なぜならあなたにはそれが当たり前でそれが真実なのだから。あなたの顔はその心と同じくなんて美しいのかしら。まるで月のように輝いているわ。ああ、あなたのような人が星の数ほどいたら人はどれだけ幸せになれるでしょうに…… 」

 少女が心から喜びの笑みを浮かべたとき、月のうさぎがきらきらと輝き出しました。光は大きくなりやがて少女をも包み込みました。少女は無数の流れ星を見ながら言いました。

「あの流れ星は涙。そして怒り。銀河の世界で唯一持つことが許された私の感情。絶えることのない炎の山で永遠と燃えさかる滅びの炎のように消えることない怒り。そう… かけがえのないものを失った私の涙ーー… 」

 ますます光はましていき誰も見ていられないほどに光輝くと、小さな無数の光になりばらばらと散らばり始めました。

 そして淡く儚い光は蛍のように無数の光となってゆっくりとふらふらと空へ舞い上がっていきました。

 空へ吸い込まれるように消えていく小さな光を眺めながら、その場にいた誰もが月のうさぎが銀河の世界へ帰ったのだと思いました。

 すると小さな光を見送る人たちの心の中に、とても清らかで、優しさに満ちあふれた、まるで音楽を奏でているような、それはそれは美しい声が聞こえて来ました。


「いつか私の魔法がこの地上に降り注ぎ…… 思いやりと優しい心で溢れる世界をーー…… 憎しみのない世界を…………ーーー 」

 

 月のうさぎの死を悲しむかのように流れ星はやむことはなくいつまでもいつまでも降り続けるのでした。

                                  終わり

 

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― 新着の感想 ―
イーハトーブを彷彿させる美しい言葉選びが印象に残りました。 ストーリーラインが見え辛いのが、難点。主軸となるキャラクターが場面毎のリアクションに終始し、指針を示さない点に物足りなさを覚えました。
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