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元悪役令嬢、毒を以て毒を制する  作者: セピア色にゃんこ
第1章 悪役令嬢、家出する
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月明かりの門出

冷たい夜風が頬を撫でる。

屋敷の重厚な扉がゆっくりと閉まり、その音が静かな庭に響く。

振り返らず歩き出した私は、背後に広がる庭園の花々がぼんやりと視界の端に映るのを感じた。

それでも、私の目は前を向いていた。


「これが自由……皮肉なものね。」


吐き出した言葉は、夜空に溶けて消えた。

月明かりだけが、私の歩む道を静かに照らしている。



屋敷の門を越えると、質素な馬車が待っていた。

紋章のない馬車は、アルベルト家の誇りを切り捨てた私自身のようだった。

執事がランタンを掲げ、静かに一歩進み出る。


「お嬢様、こちらをお使いください。」


彼の声は穏やかで落ち着いていたが、その瞳の奥には微かな悲しみが宿っていた。

私は一瞬、彼の手元のランタンに目をやる。

その灯りは暖かく、冷えた私の指先まで届きそうだった。


「お父様のご意向ですか?」


私が問いかけると、彼は短く頷いた。


「はい。お嬢様の行き先までお送りするよう、旦那様からの指示です。」


馬車の扉に手をかけながら、一瞬足を止めた。

執事の顔には何の感情も浮かんでいない。それでも、長年仕えた彼の目が言葉以上に多くを語っているように感じた。


「……ありがとう。」


彼の手元のランタンが静かに揺れるのを見届け、私は馬車に乗り込んだ。



馬車が静かに動き出し、蹄の音が夜の静寂を切り裂く。

窓の外に映る景色は、ぼんやりと揺れ続けていた。

私の胸には、奇妙な冷たさが広がっている。


「婚約破棄……悪役令嬢……。」


冷たい言葉たちが、耳の奥で繰り返される。

王宮の華やかな光景と、そこに響く嘲笑が頭をよぎる。

あの夜、私は王子のそばで微笑む新しい恋人の瞳を見つめた。

怯え、戸惑うようなその瞳――。


(私は、何を間違えたのかしら……。)


王子のために尽くした日々。

裏で手を回し、彼に害をなす者を排除する。

それはアルベルト家の務めであり、私の婚約者としての役割だった。

だが、その努力が彼の心に届くことはなかった。


「結局、私は彼にとって冷たく非情な存在だったのね。」


静かに吐き出した言葉は、馬車の中に吸い込まれた。

胸に押し寄せる痛みは、冷たく、どこか空虚だった。



街の外れに差し掛かった頃、馬車が緩やかに停まった。

御者が振り返り、短く言う。


「ここでよろしいので?」


「ええ、大丈夫です。」


静かに答えると、御者が荷物を降ろし始めた。

その手つきは丁寧で、まるで私の心を気遣うようだった。


「お嬢様、どうかお気をつけて。」


その言葉に、私は少しだけ微笑んだ。

「ありがとう。」

感謝の言葉が自分の声に乗ったのを感じた瞬間、胸に小さな暖かさが生まれた。


御者の馬車が遠ざかり、夜の静けさが戻ってくる。

私の目の前には、ひっそりと佇む小さな宿屋が見えていた。


宿屋の扉を開けると、温かな光が私を出迎える。

受付に座っていた年配の女性が顔を上げ、柔らかな笑みを浮かべた。


「いらっしゃい。旅のお方かい?」


「ええ、一晩泊めていただけますか?」


女性は快く頷き、鍵を渡してくれる。


「寒かっただろう。部屋を準備してあるから、ゆっくりしておいき。」


その優しい言葉に、胸の中に溶けるような暖かさを感じた。

鍵を受け取り、案内された部屋に入る。

シンプルな木製のベッドと小さな机。

窓の外には、澄んだ月明かりが広がっている。


「……これで、本当に自由になったのね。」


呟く言葉に、どこか虚しさが混じっている。

それでも、ベッドに腰を下ろした瞬間、全身の力が抜けるような安堵が広がった。



しばらくして、軽いノックの音が響く。

扉を開けると、女将が湯を張った桶を持って立っていた。


「うちには風呂はないけど、身体を拭くだけでもさっぱりするだろう。」


その気遣いに、胸がじんわりと温かくなる。


「ありがとうございます……お世話になります。」


部屋に戻り、桶の湯にタオルを浸して顔を拭く。

湯の温かさが、冷え切った体を少しずつ癒やしていく。


窓辺に立つと、月明かりが私の顔を照らしている。

今の私は、どこへ向かえばいいのだろうか――。

その問いが浮かんでは消えた。


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