風邪をひいたときの記憶
リナが目を覚ましたとき、全身が重く、頭の中はぼんやりと霞んでいた。布団をしっかりと巻き付けても寒気が収まらず、肩を小刻みに震わせる。喉は乾き、身体の芯が冷え切っているようだった。
「……寒い……。」
掠れた声が自分の耳にかすかに届く。部屋には誰もいない。リナは必死に動こうとしたが、手足は鉛のように重く、思うように身体が言うことを聞かない。初めて一人暮らしで体調を崩し、彼女はどうしていいのか分からなかった。
そんなとき、足元で柔らかい気配が動いた。視界の端に黒い影が滑り込み、布団の中に潜り込んでくる。
「……カイ……?」
リナの掠れた声に反応するように、彼の小さな体がそっと寄り添う。ふわふわとした毛並みと温かな体温が、冷え切ったリナの身体にじんわりと伝わってくる。喉を鳴らすカイの低い音が耳に心地よく響き、ほんの少しだけ安心感が広がった。
「……ありがとう……カイ……。」
カイはリナの頬にそっと顔を擦り付け、さらに身体を寄せた。リナはその小さな温もりを感じながら、再び瞼を閉じた。
次に目を覚ましたとき、カイは布団から抜け出し、部屋の扉の方へと駆けていった。普段のんびりとした彼が、何かに駆り立てられるように動く姿にリナは少し驚く。
「カイ……どこに行くの……?」
震える声で問いかけたが、カイは返事をすることなく、扉の下をくぐって姿を消した。リナは再び全身の寒気に襲われ、布団を深く被るしかなかった。
◇
しばらくして、扉をノックする音が響いた。
「リナ、大丈夫か?俺だ、サイラスだ。」
「ミリアも一緒よ。開けてもらえる?」
リナはその声に驚き、ふらつく身体をなんとか布団から起こした。カイが彼らを呼びに行ったのだろうと直感的に感じたが、身体は思うように動かない。
なんとか扉を開けると、そこには心配そうな顔のサイラスと、籠を抱えたミリアが立っていた。
「カイが駆け込んできたから何事かと思ったら……お前、顔色がひどいぞ。」
サイラスが眉を寄せて言うと、リナは精一杯笑顔を作ろうとした。
「そんな……大したことないわ。ただ少し……疲れてるだけ……。」
彼女の声は弱々しく、すぐに身体がふらついた。サイラスが慌てて彼女を支える。
「無理するなよ。何してたんだ?」
「部屋が汚れてたら落ち着かなくて……少し片付けを……。」
リナが弱々しく答えると、サイラスは大きく溜息をつき、ためらうことなく彼女を抱き上げた。
「何してるの!? 降ろして!」
「バカ言うな。今は休むのが一番だ。」
サイラスはそのままリナをベッドに運び、そっと布団を掛け直した。顔を赤らめるリナを横目に、彼は厳しい口調で続けた。
「お前が無理して倒れたら、俺たちまで困るんだぞ。」
ミリアは籠からスープの入った小鍋を取り出し、火にかけ始めた。
「これ、野菜たっぷりのスープよ。少しずつでいいから飲んで、体を温めて。」
スープの湯気が部屋に広がり、温かい香りがリナの冷えた身体を癒していく。スプーンを口に運ぶと、スープの味が身体の芯に染み渡った。
「……美味しい……ありがとう……ミリア……。」
「リナさん、今は何も考えずに休むことだけ考えて。」
ミリアの言葉に、リナは涙ぐむような微笑みを浮かべた。カイはベッドの足元で丸くなり、静かに喉を鳴らしている。その姿を見てサイラスが呆れながらも笑った。
「カイが一番頼りになるじゃないか。お前、いい相棒を持ったな。」
リナはカイの頭を撫でながら、ふわりと笑った。
「……本当に、ありがとう……カイ……。」
◇
その夜、リナは静かに眠りについた。夢の中で見たのは、幼い頃の自分だった。熱を出して布団に横たわる幼いリナ。家族は誰もそばにおらず、ただ時間が過ぎていく。
窓辺に置かれた小さなシロップの瓶。それを誰が置いたのか、幼いリナは知らない。ただ、その甘い薬に救われた記憶が、彼女の胸に深く刻まれていた。
目を覚ますと、窓辺に銀色の猫が座っていた。その瞳は深い闇を思わせる色をしており、まっすぐにリナを見つめている。
「あなた……?」
リナが呟いた瞬間、猫は音もなく消え、その場には小さな瓶が残されていた。
リナはふと笑みを浮かべる。
(もう大丈夫。私にはみんながいる。)
布団の中で温もりに包まれながら、リナは静かに目を閉じた。




