果てしない忙しさの中で
ギルドの掲示板に向かうたび、リナは貼られた依頼書の文字に目を走らせた。冒険者ランクがCに上がった今、彼女に挑戦できる依頼の幅は広がっていた。危険度の高いものや複雑なものにも躊躇せず手を伸ばすリナの姿は、ギルド内でも信頼を集めていた。
「リナさんなら安心だよ。彼女、ほんと頼りになるから。」
後ろから聞こえる声にリナは軽く振り返り、微笑むだけで返事をした。嬉しくないわけではない。ただ、その声がどこか遠く感じられる自分がいた。
「リナ、おめでとう!ランクアップだな!」
サイラスが明るい声で話しかけてきた。彼の笑顔はいつものように屈託がない。
「ありがとう。でも、まだまだこれからだわ。」
リナはいつものように笑顔を浮かべて応えたが、心のどこかで何かが空回りしている感覚を覚えていた。
その後もリナはギルドの依頼を次々とこなし、薬屋の仕事にも没頭した。店内には新しく手に入れた薬草や調合器具が整然と並び、訪れる客たちの相談に応じながら薬を調合する日々。冒険者たちからの評判も上々だった。
「リナさんのポーション、本当に効くって評判ですよ!」
笑顔でそう話しかけられるたび、リナの胸は少しだけ温かくなる。
しかし、どこかで焦りを感じていた。休む暇なく依頼を受け続ける自分の姿に、かつて父親に闇の仕事を命じられていた頃の感覚が重なっていく。ただ結果を求められ、こなすだけの日々。
「このままじゃダメだ……。」
自分にそう言い聞かせるものの、休むという選択肢がリナの中にはなかった。
その夜、薬棚を整理していたリナは急に身体が重くなり、調合台に手をついて深く息を吐いた。
「ちょっと疲れただけ……。」
自分にそう言い聞かせながら、リナは手元の材料を使い栄養剤を作り始めた。湯気の立つ液体を一気に飲み干し、目を閉じる。
(これでまた頑張れる……。)
そう思いたかった。しかし、重さは消えず、胸に漂う空虚さもなくならなかった。
翌日、ギルドに立ち寄ったリナの様子を見て、サイラスが声をかけてきた。
「リナ、最近顔色悪いぞ。ちゃんと休んでるか?」
「……大丈夫よ。ちょっと疲れてるだけだから。」
笑顔を作ろうとするリナだったが、サイラスはじっと彼女を見つめて言った。
「嘘つけ。無理してるだろ。」
その言葉にリナが返す間もなく、視界がぐにゃりと歪んだ。ギルドの騒がしい空気が遠ざかっていき、足元が消える感覚に襲われる。
「リナ!」
サイラスの声が聞こえたのが最後だった。
気がつくと、リナは薄暗い部屋の中で横たわっていた。柔らかな布団の感触と、遠くから聞こえる低い声。目を開けると、サイラスが心配そうに彼女を見下ろしていた。
「リナ、ようやく起きたか。」
「……私……?」
喉が乾いて声が掠れる。サイラスはため息をついて、リナの額に手を当てた。
「倒れたんだよ、ギルドで。どれだけ無茶してたんだ。」
「でも……私が頑張らないと……。」
リナは弱々しく言葉を紡ぐが、サイラスはきっぱりと言った。
「バカ。倒れてどうするんだよ。お前一人で全部抱え込むなって。」
その言葉にリナは目を伏せた。彼の言葉が心に刺さり、目頭が熱くなる。
その夜、リナはカイを膝に抱きながら、自分の心を見つめていた。
(私は何をしているんだろう……。)
父の影が頭をよぎる。あの頃と同じように、ただ結果を出すことだけに囚われていないか。リナは小さく息をついた。
「カイ……私、もう少し休んでもいいのかな……。」
カイは小さく喉を鳴らし、リナの膝の上で丸くなった。その温もりに、リナはほんの少しだけ気持ちが軽くなるのを感じた。
(もう少し、自分を見つめ直してみよう。)
そう心に決めたリナは、深く眠りについた。




