薬屋と冒険者、二つの顔を持つ日々
新しい住まいに引っ越してから数週間が経った。まだ不慣れな部分もあるが、一人でやっていくという実感が、私の心に小さな達成感をもたらしている。
1階の店舗スペースには手つかずの薬棚や古い薬瓶が残されているが、少しずつ片付けながら薬屋を始める準備を進めている。調合台の設置は終わり、薬草を整理するための棚も何とか整えた。薬棚の掃除をしていると、黒い毛並みが美しいカイがふわりと棚に飛び乗った。
「カイ、そこ危ないよ。棚が揺れるから降りて。」
そう言いながら彼を抱き上げると、彼は不満そうに短く鳴いた。
「手伝ってくれるなら歓迎だけど、邪魔だけはしないでね。」
私は笑いながら彼を降ろし、作業を再開した。
薬屋を始めるにはまだ準備が必要だった。調合スペースはほぼ整ったが、備品の調達や新しい薬草の確保、さらに薬棚に残された古い薬瓶の整理もしなければならない。近所の人々からも、「薬屋さんはいつ開店するんですか?」と聞かれることが増え、それに応えたいという気持ちが強くなる。
「リナさん、この前いただいた風邪薬、本当に助かりました。おかげで子どもが元気になりましたのよ。」
先日薬を渡した近所の女性が訪ねてきた。
「それは良かったです。でも、まだ薬屋として開店するには準備が足りていなくて……。」
「それでも、何かあれば相談させてくださいね。」
そんなやりとりを繰り返すうち、薬師としての仕事が少しずつ増えていった。風邪薬や消化促進のハーブティー、簡単な湿布薬など、求められるものをその場で作ることもある。2階の調合スペースでは、マティアからもらった薬草が大活躍しているが、それもいつか使い切ってしまうだろう。
「もっと薬草の調達を考えないとね……。」
新しい調合レシピや仕入れ先の検討も含め、やるべきことが次々と浮かんでくる。
薬屋の準備だけでなく、冒険者としての仕事も怠らない。Dランクに昇格してから、受けられる依頼の幅が広がり、少し難しい仕事も舞い込むようになった。
最近受けた依頼は、山奥で希少な薬草を採取するというものだった。依頼内容を見たとき、私は迷わず引き受けた。薬屋を始めるためにも、薬草の知識を増やすのは良い経験になると思ったのだ。
ギルドで依頼の準備をしていると、サイラスが心配そうな顔で声をかけてきた。
「リナ、その採取依頼、簡単そうに見えて意外と危険らしいぞ。道も険しいって話だ。」
「大丈夫よ。薬草を見分けるのは得意だし、危険には気をつけるから。」
そう言って笑ってみせたが、実際に山道を歩き始めると、その険しさに少し後悔した。
しかし、苦労の末に目的の薬草を見つけ出し、それを手に帰る道中、私は自分が少し成長したように感じた。調合台に新しい薬草を並べながら、その鮮やかな緑に思わず笑みがこぼれる。
「これでまた良い薬が作れるわね。」
カイは棚の上からじっと私を見つめている。何か言いたげな目つきだが、彼は喉を鳴らしているだけだった。
薬屋の準備と冒険者としての活動を両立する日々は、忙しい。しかし、不思議と苦しさは感じない。それどころか、次々とやるべきことが見えてくることで、自分が成長しているという実感が湧く。
そんなある日の夜、調合作業を終えた後、私はカイを膝に乗せて窓辺に腰を下ろした。街外れの静かな景色に、月の光が静かに降り注いでいる。
「カイ、今日も忙しかったけど、充実してたわね。薬屋としても、冒険者としても、もっと頑張らなきゃ。」
彼は私の言葉に応えるように軽く頭を擦り寄せてきた。
私は窓の外を眺めながら、これからのことを考えた。
薬屋として地域の人々に信頼されるようになるためには、まだまだやるべきことがある。冒険者としての依頼をこなしながら、薬師としても一人前になる――それは簡単な道ではないが、確かなやりがいがあると感じていた。
「明日もきっと、忙しいわね。でも、大丈夫。私ならやれる。」
小さく呟きながら、私はカイの温もりを感じ、静かに目を閉じた。