躊躇と愛情
茶色い薄手のトレンチコートで汚れた服と傷のついた手を隠して今日も落ち葉のようにゆらゆらと...
電車に揺られ色づく山から街へ、
上京する人はこんな気分なのかしら。
騒がしく行き交う電車、
酒とタバコと吐瀉物の臭い、
クラクションを鳴らし合う車とバイクそして排気ガス。
今なら空気が綺麗ですねって意味が分かる気がする。
『上京する人はやめた方が良さそうね』
駅から降りた先には家電量販店から買物をして出てきた見るからに幸せそうな家族連れを見かけた。
子供が有名人を見るかのような目で私を見ている。
『サインでも書きましょうか?』
子供は怯え逃げるように父親の後ろに隠れた。
知らない間に有名人になったみたい、それもそうか...
『あっ、うちの子がすみません』
子供が何か失礼な事をしたと思い母親が深々と頭を下げた。
『謝るのは本当に悪い事をした時だけで良いのよ』
そう言い残して帽子を深々と被りその場を去った。
◆4人目HN:ほいにゃママ@育児奮闘中
備考:夫別居中
SNSであげた自撮り画像のなかには番地プレートが貼ってある電柱や車のナンバープレートなど居場所が把握できるものが写り込んでいるだけでなくご丁寧に自分の家や子供まで晒していたので特定は容易だった。
承認欲求が強いとこうもあっさり特定できるのかと思えるほどに。
...先程の家族連れを見てからなのか少し躊躇していた。
次の殺す相手には子供がいる。
残された家族はどうする?
不憫に思い道連れにするのか?
心に傷を残したまま生かすのか?
何もしていない人間にまで手をかけるのか?
もし私がタバコを吸えるならカートンで吸いたい気分。
まずは話を聞いてそれから考えよう...
家に押し入ろうとも考えたが都合の良い事に私の彼に誹謗中傷をしていた母親は夕暮れの公園で子供を遊んでいるのを見ながらベンチに座っていた。
私はその母親の横にゆっくりと腰掛け落ち葉で遊んでいる子供を見つめながら独り言のように語り出した。
『あなたの誹謗中傷で彼が死んだの、私は理由を知りたくて来ました。教えてくれますか』
右手に握っていた果物ナイフを見て母親は一瞬逃げる素振りを見せ腰を浮かせたが子供の姿を見て逃げ切れないと悟ると再びベンチに腰をゆっくりとおろし俯きながら語りだした。
『家庭での不満があってストレスの捌け口にしたんです...
私の貯金を切り崩して生活してるのに夫はギャンブルと女遊び。あの子を育てながらなんで私だけ我慢しなきゃいけないのか、耐えきれなくて結局夫とは別居したけど頼れる親も居ないのに私一人で働きながら育てていく不安、周囲の目を気にしながらの人付き合い、
言う事を聞かず声を荒げて泣き叫ぶ子供。
なんかもう全部嫌になっちゃったのよ、ほんと全部。
誹謗中傷は皆やってるから私もいっかなって思って...
一回で終わらすつもりだったの、
でもやってみたら気分が軽くなって貴女の彼をサンドバッグにしてストレスを解消してしまったの。
ごめんなさい、今の私にはそれしか言えない。
もしお願いを聞いてくれるならうちの子だけはどうか見逃してほしいの。
我儘で言う事も聞かないし私を怒らす事しかしないような子だけど
私の大切な...本当に大切な子なの...』
母親は大粒の涙を流しながら懇願してきた。
旦那に不満があるのなら、その場でさっさと離婚すればいいじゃないか。
子供に不満があるのなら、さっさと施設に預ければいいじゃないか。
関係のない家庭事情を理由にお前は私の大切な人を傷つけ殺したのか...
右手のナイフを強く握り足元の落ち葉を強く踏みにじった。
やるせない、ただやるせない。
そんな気持ちしかでなかった。
私はゆっくり立ち上がり深い溜息を一回、そして
大きく息を吸い
振り返りざま母親の左胸をナイフで刺しベンチに横たわらせた。
『ねぇ、ママどうしちゃたの?』
子供がかけ寄り私の左袖を引っ張ってきた。
右手に持ったナイフをそのまま...
...懐に忍ばせ、
子供が母親の姿を見れないようにそっと抱きしめた。
この子にとってかけがえのない大切な人を私は奪った。
いつかこの子も私と同じように殺しに来るのだろうか。
殺されるのが怖いんじゃない。
私と同じ道を歩むのだろうかと思った、それだけ。
むしろこの子になら殺されても構わないとさえ思えた。
筋が通ってると思ったから...
まっすぐ見てくる綺麗な瞳を濁すことなく私を殺してくれるだろうか。
横たわる母親を尻目に子供の頭を撫でた。
『...ママは疲れて眠ってるみたい、向こうで遊んでおいで』
『うん、わかった。』
走り去る子供の背中に小さく手を振った。
『大きくなったらまたおいで』
私怨で動き不幸をばら撒いてゆく私は誹謗中傷している人間より悪質で醜く映るだろう。
このはらわたの奥底にある醜悪な心の最後をどうか見届けてはくれないか。