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「リリー様、ご気分はどうですか?」

「ええ、とっても良いわ!」


先導してくれている彼は振り返りながら、私の返事を聞いてにこりと笑った。


やっと川へ行ける日がやって来た。

彼の求めるレベルまでなんとか到達し、父からも承諾を得た。

正直昨晩はワクワクして眠れなかった。

心配しそうだから彼には内緒。


一応駆ける事も出来るのだけど、安全のために焦らず行こうという事になった。

それにこんな並木道、駆けるなんて勿体無いくらい素敵だ。


木が囲う様に並んでいるため風の通り道になっていて、初夏の心地よい風が頬を撫でる。いけない事と分かっているけど、思わず目を閉じる時間が長くなる。

彼の屋敷が所有している、何もない広い牧草地で駆けるのも気持ちいいけれど、これはまた違う感覚だ。


「あなたが気分転換になると言った意味がよく分かるわ!とても素敵な道ね!」


表情は見えないけれど、彼が微笑んでいる事が雰囲気で分かる。

きっと目的地の川もさぞ素敵なのだろう。


ふと、彼が乗っている馬にかけられたトランクケースに視線を移す。

私がそれを持って来た時、彼は一瞬不思議な顔をしたが何も聞かずにいてくれた。


別に彼なら聞かれてもいいのだけれど、きっとそうしないだろうと分かっていた。

彼の優しさに私は甘えたかった。だから一緒に来てもらう事を選んだ。


でもあの庭園での会話を聞いていた彼が、あのトランクケースの中に入っている物を見たらどう思うかしら。

軽蔑するかしら。幻滅するかしら。

正直分からないけれど、きっと彼はそんな事を思う人じゃない。そう信じている。


やがて道は逸れて行き細くなって来た。

すると微かに水の気配を感じ始め、水が流れる音が聞こえてきた。


「リリー様、もうすぐですよ」


そう彼が言って数分後、私達は開けた場所に出た。


「素敵…」


目に飛び込んだのは、木漏れ日できらきら光る川面。

山の中の上流域にも関わらず、さらさらと流れは穏やかで、そんなに近づいていないのに魚影が見える程透明だ。


「ここに馬を休ませて下さい」


しばし見惚れていた私に対して彼は着々と進める。

川に程近い砂地の木に馬を縛り、私もそれに倣った。

頭を何回かぶるりと振った馬達は川の水を静かに飲み始める。

私はここまで運んでくれた事に感謝しながら、イーグルアイをそっと撫でた。


「近くに平らで大きめの岩があるのです。

そこで休みましょう」


そう言って彼が腕を差し出す。

さすが騎士。ナチュラルに私をエスコートしてくれる様だ。私は彼の腕を掴む。


その瞬間、懐かしい感覚が蘇った。目の前にいる彼が一瞬あの人の面影と重なる。

思わず暗い感情に飲み込まれそうになって彼の腕を強く握った。


「どうされました?」

「何でもないの。躓きそうになっただけ」


久しぶりにプライベートな空間で男性にエスコートされたからだろうか。

頭から追い出す様に歩く。


「ここです」


彼の言う通り、座るのに丁度良さそうな岩が川の近くにどんと佇んでいた。

二人でそこに腰掛けすぐに彼が何かを取り出す。

それは白いハンカチに包まれていた。


「あ!もしかして!」


思わず声をあげると彼が恥ずかしそうにその白いハンカチを広げた。


「サンドウィッチです。お口に合えばいいのですが…」


彼はいつもこうして手作りした軽食を持って来るらしく、私もぜひ食べたいと懇願していたのだ。


「その…本当にこんなもので良かったのですか?」

「勿論!美味しそう!

お腹空いちゃった、早速食べてもいい?」


ええ、とおずおずと差し出す彼の手からサンドウィッチを受け取る。私が普段食べているものよりもパンも具も分厚く、正に男の人の料理、といった感じだ。

私はそれを恥ずかしげもなく大きな口で齧り付いた。


「っ!」

「ど、どうでしょう」


分厚いのに欲張りすぎた。精一杯もぐもぐと咀嚼して、彼の方へ勢いよく向く。


「とっても美味しいわ!」

「…よ、良かった…」


心底ホッとした表情を浮かべた後、彼も同じ様に齧り付き始めた。

さすが男の人。私よりも大きな一口だ。


「すごく分厚いベーコンね。食べ応えがあるわ」

「別に得意ではないのでどうしても厚く切ってしまいがちで…食べづらくてすみません」

「それがいいの。本当、おいしい」


何度もそう褒めながら食べ進める。別に少食の分類ではないと思うけど、結構なボリュームだったので一つでお腹いっぱいになってしまった。

一方彼は流石とも言うべきか、あっという間に3つも平らげていた。


それから私は自分で持ってきたイチゴを摘む。彼にも勧めて二人で川を見つめながら、イチゴを食べながら、他愛のない話をしていた。


「本当に素敵なところね。

すっごく晴れ晴れとした気持ち」


そう言いながら体を伸ばした。胸いっぱいに森の香りがする新鮮な空気を入れる。


「…リリー様、その」


その時、彼が少し目を泳がせながら私に問うた。

ちらりと泳いだ目線は私の傍に置いてあるトランクケースへと注がれている。

やはり気になっている様だ。


「これでしょ?

ごめんなさいね、無駄に引っ張っちゃって」

「…いえ。余り触れてはいけないと思っていたのですが…」

「いいの。そう思ってあなたについて来てもらったの。あなたは優しいから」


そう言いながらトランクケースを開けようと手を伸ばしたのに一瞬止まってしまう。

何を躊躇しているのか。


これと決別する事を決めたのは私。

彼と一緒に来る事を決めたのも私。


何故か気にかけてくれている彼に甘えられる内に甘えたかった。

私は意を決し、そっとトランクケースを開いた。


「これは…」


彼の目が驚きで見開く。

さすがに分かった様だ。およそ簡単には手に入ることが出来ないであろう上質な布で作られたそれは、眩しいくらいに純白で、やはり美しい。


「…そう、ウェディングドレス。

彼との…ケビン様との結婚式で着る予定だった、ね」


彼との婚約を解消したのは、式の一ヶ月前。これは当たり前に完成していた。

どこぞのデザイナーが手がけた、どこぞの一級品。

この素敵なドレスを着て彼の横に立つんだと、あの時はこんな事になるとは知らずに胸を躍らせていた。


「前代未聞の出来事でみんなこのドレスの存在なんてすっかり忘れていてね。

かく言う私もその一人なのだけれど、全て終わってから気付いたの。このドレスが、私のクローゼットに掛けられたままだという事に」


これを知っているのは私と、世話をしてくれている一部のメイドだけ。

そして今、彼も加わった。


「ずっと考えてたの。どう手放そうかって。

誰かに捨ててもらうか、売ってもらう事も出来たけど…このドレスの美しさを前にすると躊躇してしまって…」


ああ、私。見栄を張ってる。そうではないじゃない。


このドレスは、私の未練だ。

どんなに追い出そうと、忘れようとしても、心の中でずっと燻っていた苦しみだ。


裏切られたのに。もう戻ってくる事なんて絶対あり得ないのに、彼と過ごした5年間が何度も蘇ってはどこかで期待した。あの時間は、それくらいかけがえのないものだったから。その事に、彼も気付いてくれないだろうかと。


「お手伝いします」


既に目が霞み始めた時、彼の真っ直ぐな言葉が耳に届いた。

手に取ったドレスを握る。


「…ありがとう。

この素敵な川を見て、確信したわ。このドレスを手放すのに相応しい。

お願い、私の手を握っていて」


彼は言い切る前に私の手をとり強く握ってくれた。

あの人とは違う、硬くて厚い手。すごく安心する。


それから二人でゆっくり近づき、川岸にしゃがむ。

さらさらと流れる川にドレスを浸した。


「…さよなら」


そして、手をぱっと離す。

私の望みでシンプルなデザインだったそれは、沈む事なく見事に水面に浮いてさらさらと流れて行く。

緑の世界に、異質に浮かび上がる白。二人でじっと、それを見送る。


その時、彼の指が私の頬をさらりと撫でた。

何故だろうと見上げると、彼は穏やかに微笑んでいた。


「…リリー様は、本当にケビン様の事を愛してらっしゃったのですね」


涙が出ていた。

気付かない程に、自然に、ぽたりと。


「…うん」


これで、あの庭園で彼らに見栄を張った事がバレてしまった。あの人に対する想いは憧れなんかじゃない。立派に愛だった。愛していた。


私は彼の胸に顔を埋めた。何の関係性もない異性の胸を借りるなんてはしたないけれど、もうそれくらい許して欲しかった。

彼は何も言わず、私を優しく抱きしめた。



ーーーーーーーーーーーーーーー


川の冷たい水を両手で溜めて、顔を濡らす。

相変わらず目が腫れぼったいけれど、何回かやる内にましになった気がした。


「どうぞ」

「ありがとう」


彼から手ぬぐいを受け取り顔を拭う。


「ふう、冷たくて気持ちいい」

「丁度山の上の雪解け水が流れてきている時期ですからね。

そうだ、リリー様。運試ししませんか」


突然の提案に首を傾げる。


「運試し?」

「はい。こちらに来て下さい」


疑問に思いながらも彼について行く。


「あそこを見て下さい。

岩に囲まれた窪みの様な所があるでしょう」


そう言われて目を凝らすと、反対側の川岸に確かにその様な物が見える。


「願い事をしながらあそこに石を投げるんです。

そこに入ればきっと叶うっていう、まあ、運試しというか、願掛けとでも言いましょうか」

「あなた、いつもそんな事しているの?」


普段しっかりとした彼からは想像できない随分と子どもっぽい提案に思わず驚く。

でも、私の心は既にワクワクし始めていた。


「ここに来る時は、私も何かリセットしたい時ですので、帰る前にこうやって願掛けするのです」

「でも、入らなかったら?」

「入るまでします」

「…それってどうなの?」


と、矛盾点に突っ込んでいる内に彼がひゅっと慣れた手つきでそこに石を投げた。

そして見事にその窪みへと吸い込まれる様に入ったのだ。


「嘘!すごいわ。結構な距離があるのに、流石ね!

それで、何を願掛けしたの?」

「そうですね…」

「…後から考えてもいいの?」


随分と緩いルールだ。再び突っ込んでしまう。

しばし考え込んだ後、ようやく彼が口を開いた。


「ケビン様が、どこかに足の小指をぶつけて悶絶します様に」

「…っ!!」


思わず吹き出す。


「いいわね…それ」


溢れる笑いを堪えながら、私も足元の小石を手に取る。そして思い切り投げたが、全く届かなかった。


「…入るまで出来るのよね?」

「ええ」


それから彼に教わりながら、ただひたすら投げ続けた。

その間も彼はひょいひょいと入れては、あの人に小さな呪いをかけて行く。私は時折お腹を抱えて笑いながら、何度も挑戦した。そして


「…!入った!!!」

「リリー様!お見事です!」


ついに成功する事が出来たのだ。


「それで、何を願ったのですか?

結婚式の時に盛大に躓きます様に、とか、寝室に蜚蠊が出ます様に、とか」

「ふふふ…そうねえ…」


入れる事に夢中になりすぎて考えていなかった。

どうやら後からでもいいらしいので、じっくり悩む。

彼のおかげで大方の小さな呪いはかけてしまったのでかなり満足していた。となると、


「幸せになれます様に、かな」

「え、まさか…」

「違うわよ!私よ!私!」


どうやら彼の頭はすっかり毒されてしまった様だ。

私は呆れながら小突くと、彼は大袈裟によろけた。


「もう…分かってるくせに」

「はは…すみません。

でも、こんな所で願わなくたって、リリー様は必ず幸せになれますよ」


ふざけていた空気から一変、また真っ直ぐな目と言葉を向けられる。

その時、じんわりと私の頬が熱くなった。


「そうかな」

「ええ、勿論です」


そう言って、にこりと彼が微笑む。

その笑顔が私の心臓をきゅっと縮ませた。


そして静かに実感する。私、この人の事が好きだわ。


「ねえ、帰りに寄り道してもいいかしら」

「良いですが…どこに?」

「途中で思い切り駆けられそうな所があったの。

折角だし、いいでしょ?」

「それは良いですね。では行きましょうか」

「ええ」


私はまた彼の腕に掴まり、この素敵な川を後にした。

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[一言]  ちょっとお待ちになって!  寝室の呪い、恐ろしすぎませんこと!? 全然小さくないですわよ!  呪いがこちらに飛び火しましたわ! ぷんぷんですわ! 漢字がわからなくてついググってしまって、き…
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