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彼女と初めてたくさん過ごせた三日間を終え、今日からまたいつもの日常に戻る。
打撲した肘と尾骨はまだ響くが支障はなさそうだ。
ふと俺に迷惑をかけたと涙を流した彼女を思い出し、頬が緩む。
上司にも一応報告したが、任務から退く程ではないと判断され俺は執務室へと向かった。
「おお、ユイゲル。帰って来たか」
「はっ。三日も休暇を頂き、誠にありがとうございました」
丁度執務にかかろうとなさっていたウェイブ様に挨拶をする。ウェイブ様は俺を見た瞬間、笑みが溢れられた様に見受けられた。
仕えている身としては大変嬉しい。
「もっと休んでも良かったんだがな。
それで?ちゃんと口説いてこれたのか?」
「……?」
高揚した気持ちになった瞬間、ウェイブ様からおかしな言葉を聞いた気がしてじっとしたまま目を見開く。
「お前が休みを取りたいなんて、大方家の事だろう。でも今はバーンズ家で何か起こったとは、特に聞いていない。
という事は、だ。違ったか?」
そしてそのまま取り掛かろうとされるウェイブ様に俺は何も答えられずしばし立ち尽くす。
実はここに来る前に上司にも同じ様な事を言われたのだ。
俺ってそんなに分かりやすい男なのだろうか。
「…詳しい事は言えませんが、目下進行中、という状況です」
ちら、とウェイブ様がこちらを見る。
そして口を開けて笑った。
「そうかそうか!ま、頑張れよ!」
俺は思わず頬が熱くなりそうなのを咳払いして誤魔化す。
まだ相手を聞かれなくて良かった。
あなたの弟君の元婚約者ですなんて、中々に言いづらい。
「あいつも、せっかく我が儘を通したんだからお前みたいに頑張ればなあ…」
すると突然、ウェイブ様が憂いた様な表情をされ独り言の様に呟かれた。
その真意を問う程の立場ではない俺は、ただ聞くことしか出来ない。
だけど何かが引っ掛かった。
「じゃ、帰って来て早速で悪いんだが今日はアデルに付いてて貰えるか。
また子守になってしまう様で悪いが、庭園で遊びたいそうだ。頼んだぞ」
「はっ」
そしていつも通りの表情に戻ると、ウェイブ様は俺に指示を出す。
了解のポーズをとった俺は、執務室を後にした。
「ユイゲル!待ってくれ!」
アデル様の部屋に向かっているとウェイブ様専任の同じく近衛騎士である、ケリーさんがこちらに向かってくる。
俺の五年先輩だ。
「これ、ユリ様に渡してほしいと、ウェイブ様から」
ユリ様はウェイブ様の正妃様だ。そしてアデル様の母親でもある。その為俺がアデル様の元へ向かうという事はそこにユリ様がおられるという事だ。
俺はケリーさんから一つの紙切れを受け取った。
「…お前、ウェイブ様が憂いてらっしゃる理由、知ってるか」
そして静かな声で問われる。
「…いえ。やはり、何かあるのですね?」
俺達はウェイブ様に仕えている以上、やはり尊敬の念を持っている。
その為主の感情には人一倍敏感だ。
そしてそれを皆で共有する事が暗黙の了解だった。
「あまり大きな声で言えないんだが…どうやらサルエラ様が塞ぎ込んでしまわれたらしい」
思わず息を呑む。
彼女のおかげで一歩進んだ筈の二人は、また立ち止まってしまったらしい。
「恐らく、例の噂だろう。
どんな理由があるのか知らないが、リリー様の時とは違って何もお触れはないし、暗に認めている状況だ。
ケビン様も毎日部屋に通っていらっしゃる様だがここ一週間部屋に篭りっぱなしで、式の日取りも決められないらしい」
“いつもの如く、これは内密にな”、ケリーさんはそう言うと再びウェイブ様の元へ戻って行った。
これはあくまで俺の考えだが、リリー様の時と違って国王様が動かれないのは、彼らへの禊なのではと思う。
あの四人が仲良くしていた事が知られている以上そんな噂が流れてもしょうがないし、本人達も覚悟していたのではと思うがいざそう囁かれてしまうと、しんどいものがあったのだろうか。
とにかく、もうリリー様とはちゃんと折り合いを付けた筈だ。彼女がまた憂いてしまわない様、この話は内密に、かつ一日でも早く進展する事を祈ろう。
それから約二ヶ月が経った。
俺は非番の度に彼女の乗馬練習に付き合い、日々上達していった。
思っていた通り彼女はとても勉強熱心で、練習以外の日も乗馬に関する本を読み漁り、乗馬経験のあるヒックスに色々聞き出してイメージを膨らませていた様だ。
正直思っていた以上に早い段階で、独りでゆっくりの速度なら馬を操るまでになっていた。
「……ふう…な、何とか一周出来たわ…」
「すごいです。リリー様。
努力の賜物ですね」
すかさず称賛すると彼女が満更でもない顔で微笑む。その笑顔が可愛らしくて、思わず俺も笑みが溢れた。
彼女はするりとイーグルアイから降りると手綱を持って牧草地のエリアに連れて行き、近くの木に縄を縛る。
「すっかり馬の扱いにも慣れましたね」
「本当?あなたのおかげよ」
そう話しながら俺達も近くのベンチに腰掛けた。
「もう少し距離を延ばせるようになったら、あなたが言っていたせせらぎの素敵な川へ行けるかしら」
「…ああ。そうでした」
そういえば当初の目的はそうだった。
彼女とこうして定期的に会える事が嬉しすぎてすっかり頭から抜けていた。
「忘れていたの?あなた。
全てはそこから始まったというのに」
「…申し訳ございません」
何故か残念そうに言う彼女に言葉とは裏腹に嬉しくなる。
彼女の中で、少しは俺という存在は大きくなったのだろうか。
「まあいいわ。
ここから遠いの?やはりもうちょっと上達すべき?」
「そう、ですね。
ゆっくりの速度で行くとなると、小一時間はかかるかと。それと、出来れば踏み台なしで昇降が出来れば尚良いですね」
「分かったわ。頑張る!」
すぐに前向きな姿勢で取り組もうとする彼女は本当に美しい。
俺ももっと支えてあげねばと気合を入れる。
すると、ふと彼女が憂い気な瞳で遠くを見た。
「リリー様?」
「私ね、その川へ行けたらある物と決別しようと思うの」
「決別、ですか。一体何と…」
しかしその言葉は彼女がこちらを向いてにこりと微笑まれて続けられなかった。まだ内緒、という事だろうか。
「本当は独りで行くつもりだったのだけれど、尊敬するあなたにも見届けて欲しくて。いいかしら」
「勿論、です…」
何かは分からないが、彼女がそう望むのだから俺はそれを叶えるだけ。
どちらにせよ、独りで行かせる訳にも行かない。
それから彼女はより真剣に取り組み、俺も精一杯サポートした。