八十六話 二つのSランク
朔間疑徒。
それが男の名前。歳は20代前半ほどで、茶髪で高身長な飄々とした男だった。
「ロランスが捕えられたってのは、本当かよ?」
朔間疑徒にそう問いかけを送るのは一人の剣士。
剣を携え、そして抜刀し、今にも斬りかかって来そうな形相を浮かべる英雄の一人。
「やぁ、ロイド。そして答えは本当だね」
「テメェ、人を使い捨てにする気分はどうだよ?」
剣が振り下ろされる。
しかし、朔間疑徒の身体はまるで煙が掻き消える様に剣を通り抜ける。
「ッチ!」
「俺は用心深いんだ。知っているだろ?」
「このクソ悪党が」
「それでも、君は俺を裏切れない」
兜以外の全身に鎧をまとう聖騎士の振るった魔剣を踏みつける様に、また朔間疑徒が部屋に現れる。
ロイド・B・マルクス。この世界に存在するたった六、いや七名のSランク探索者のうち一人。
そして、その男が憎しみの刃を振るった相手こそが、彼が所属するギルドのギルドマスター。
聖リント教会ギルドマスター兼最高司祭、朔間疑徒。
「ロランスは良い奴だった。頭は悪いし口は汚い奴だったが、面倒見が良くて誰よりも仲間を大切にする奴だった。そんな男にする命令があれかよ?」
「あぁ、だから御しやすかったんだ」
「俺はテメェが死ぬほど嫌いだぜ」
「知っているさ、君の俺嫌いは今に始まった事じゃ無いからね」
度し難い。
それが朔間疑徒に対するロイドの印象だった。
全く相いれない二人が同じ場所にいる理由は、ただ力という明確で純粋な最も必要不可欠な要素による理由しか無かった。
けれど、こんな喧嘩の結末はいつも同じ。
朔間疑徒の指示には何人も逆らえないのだから。
「別に君が俺を好きとか嫌いとか、そんな事はどうでもいい。君を選んだのは俺で、選んだ理由は君の潜在能力が誰より高かったからだ。だが、君の代わりは居ない訳じゃない」
「クッ…… それでロランスはこのまま牢の中か?」
「いいや、出すさ。彼にはまだ働いてもらわないといけないからね」
「だったらさっさとしやがれ」
そういうと、部屋を後にしたロイドが乱暴に扉を閉める。
一人になった朔間疑徒はソファに腰を掛け、溜息を一つ。
「はぁ…… 怖いなぁ……」
手の震えを抑える様に、まるで神へ願い請うような姿勢で蹲る。
その信仰が送られる対象を知るのは彼だけだった。
「今日はアナライズアーツとの会談だ。というか、多分ロイドはそれで呼びに来たんだろうけど、結局何も重要な事は言わずにどこかに行ってしまったし。はぁ、一人で行くとするか」
そう言って、Sランクギルドを率いるギルドマスターは着替えを始めるのだった。
総合ギルド第二会議室。
そこにはアナライズアーツ代表のギルドマスターと弁護士。
そして聖リント教会代表の最高司祭とその護衛のSランク探索者が一名。
そして、総合ギルドから蘇衣然と三名の裁判官が同席している。
特筆すべき点は二点あるが、どちらも同じ人物の装いについてだ。
朔間疑徒は聖職者の様な法衣に身を包み、そして翻訳用のバッチ型の魔道具をつけていなかった。
翻訳用の魔道具は装着者の言葉を他者へ理解させる効果を持っている。つまり、『話す側』に必要な魔道具だ。
裁判官は三名とも違う国籍の人間で、それら全てに訴えかけるには翻訳の魔道具が必要不可欠なハズだった。
けれど、彼はそれをつけていない。
「こんにちは、アナライズアーツの天空秀さん。私は聖リント教会代表を務めています。朔間疑徒と申します。それとSランクギルドへの昇格もおめでとうございます」
流暢に彼は日本語でそう話す。けれどどう見ても日本人の彼が、日本語を話す事に違和感はない。
しかし、その次は英語、次は中国語、裁判官三名の国籍毎に様々な言語を使い分け流暢に会話している。
天空秀に聴こえる言語が日本語に聴こえない為、魔道具を隠し持っているという可能性もない。
あるとすれば、普通になんの異能でも無く単純にここに居る全ての人物の主要言語全てを習得しているという可能性だ。
探索者にはあまり似つかわしくない技能の様に思える能力。
「状況が少し悪いですね」
清水咲楽が天空秀にだけ聴こえるような小声でそう呟く。
「この時点で、ですか?」
「はい。私もここに居る人全ての主流言語をマスターしている訳では無いですから」
それはつまり、状況的に朔間疑徒に限りここに居る誰に対しても、他の誰にも悟られない言葉を放つ権利を持っているという事だ。
翻訳能力に頼らずに会話できる。その意味はこの場においてかなり大きい。
朔間疑徒が裁判官の一人に何やら話しかけると、裁判官がクスクスと笑う。
そこでどんなやり取りが行われているのか、分かるのはその裁判官と朔間疑徒だけだ。それが清水咲楽には不安に感じられた。
「それでは早速始めましょうか」
今回決めなければならないのは、ロランス・モローの実刑に関する詳細とそれにギルド聖リント教会の関与があったかどうかという判断だ。
この場での裁判は、未だこの都市での法律が確立されていない為にここで探索者に対する刑法の基準に加味される重要な物だ。
だからこそ、この都市の管理を一任される蘇衣然が同席している。
「早速ですが、こちらはロランス・モローの釈放を願います。ギルドの関与に関しては否定させて頂きますが、こちらのギルドに所属する者がしでかした問題ですのでそこは謝罪致しますよ」
同じ内容の言葉を、この部屋にいる全ての人間に対して説明する。
五度手間だが、翻訳用の魔道具を持参しなければならないなどの規則は無いのだから仕方がない。
「ふざけないで下さい」
それに反論する声を上げるのは清水咲楽だ。
「彼の行いは殺人未遂に暴行です。到底容認できる事ではありません」
「そうですか…… ――では、それを証明して下さい」
そう、朔間疑徒は言い放つ。
「こちらのギルドの人員が彼の行動を証言しています」
「はぁ、探索者なんてそんな物でしょう? 結局、法律もルールもダンジョン内では意味を持たない。だったら証明して欲しい、ロランスがやったという証明を全ての人間に理解できる形で証明してみてくださいよ?」
日本語で、天空秀と清水咲楽にそう言い放つ。
その後、中国語やその他の言語でそれは丁寧に彼はこの場の全ての人間に現状を説明していく。
つまり、ダンジョン内でロランスが行った事はアナライズアーツのギルド員がそう証言しているだけで確実な証拠とは言い難いと。
「そちらにギルドに所属する魔法系の探索者数名がロランスに協力したと自白しています」
「それは、『結界を張った事に関して』であり私が今言っているのはロランスが暴行及び殺人未遂を犯した証拠を持っているのですか、という事です」
ダンジョン内には人目も監視カメラもない。
それにSランクダンジョンほど広大な大地を持つダンジョンに置いて、それを証明する手立てなど存在しない。
それは全て探索者の証言によって証明されるわけだが、それはつながりのない複数名の探索者が同じ意見を言った場合に限っての話。
同じギルドに所属する人間が何人で証言したとしても、そこには少なくない捏造の可能性が浮上する。
倉持秋渡が負った怪我に関しても、モンスターにやられた傷かロランスにやられた傷が判断する材料は存在しない。
そして総合ギルドの発見時に怪我を負っていたのはロランス・モローも同一である。
「証明する手立てが存在しない完全な閉鎖的空間。それがダンジョンという物でしょう?」
勝ち誇った表情で、日本の陣営にだけ分かる様に朔間疑徒はそう告げる。
「そんな事が許されるわけが……」
無い。そう言おうとした瞬間、その議論を終わらせる人物の声が放たれる。
「――じゃあいいよ」
天空秀は翻訳用の魔道具を取り外し、テーブルに置く。
「一度だ。次うちのギルドに何かしたらお前のギルドは全力を持って潰す」
「承知致しました。その言葉を忘れないと誓いましょう」
深々と、朔間疑徒は一礼した。
「帰りますか、清水さん」
「良いのですか?」
「えぇ、もう威力偵察は十分な筈だから」
――次有るとしたら戦争だろうからね。
「けど、俺の目はあんたの全部を見透かしている。その事も忘れない方がいい」
朔間疑徒の頬を冷や汗が伝う。
眼光が、いや圧力か、圧倒的に格上の同種を見るような感覚。
悪寒が走った。
文字通り、レベルが違うのだと悟り。
そして、帰宅後に公開された七人目のSランク探索者、天空秀のレベルを見て驚愕する他無かった。
聖リント教会のギルドマスターはSランク探索者ではない。
それは登録を行っていないからだ。
本来のレベルは聖リント教会に所属する探索者の中でも最高。八人目のSランクと言って差支えの無いレベルだった。そして、人類最高であるとも自負していた。
「上には上がいる物ですね……」
この会議が開戦の狼煙であるのか、それとも別の何かなのか、今はまだ誰も知らない。
「面白そう!」
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