八十五話 海底神殿
「どうして、君がここに居るのかしら?」
宝石亀、そう呼称される巨大生物の周辺地域は現在立ち入り禁止となっている。
転移先を調べる為だ。それを取り仕切っているのは迷宮都市であり、その長である蘇衣然だった。
俺は彼女に手を振る様に挨拶する。
まだ転移してなくて安心した。これから調べに行くって感じかな。
「こんにちは。少し俺の見解を伝えようと思って」
「鑑定士の見識ですものね、それは確かに聞く価値があるわ。けれど、今君がこんな場所に居ていいの?」
「どうしてですか?」
「聖リント教会、なんてギルドと一悶着あったそうじゃない。その話し合いが近々予定されていた筈だけど、その準備はいいのかしら、と言う意味よ」
あぁ、その事か。
確かに話し合いで何を話されるかは少し気になるが。
「良いですよ。その件は優秀な弁護士に任せていますから」
「そう。変わったわね」
俺は腰に携える刀を押さえ、一礼した。
貴方にそう言って貰えるのが一番嬉しい。
「君、少し付き合いなさい」
「良いんですか? 新マップの探索なんて権利を俺に融通しても」
「そもそも危険度を測るための物よ? 君以上の適任がいるかしら。でも、内部で手に入れた物の所有権は……」
「えぇ、要りませんよ」
「物分かりの良い子は嫌いじゃないわ」
同行が決定し、俺は蘇衣然率いる麒麟ギルドの精鋭と共に海底神殿へ移動する。
やはり、俺の予想通りそこは『海底神殿』と言って差支えの無い裏ダンジョンだった。
「ここが海の底なんて信じられないけれど……」
「でも深海ですよ」
「何故分かるのかしら」
「透視のスキルがあるので」
岩壁程度なら透視でどうとでもできる。
天井に対して発動すれば、確かに視界は海を捕えた。
今俺たちが居る場所は、宝石亀が釣り上げられた丘の真下に位置する地点だ。
「それ、他人のプライバシーを侵害するような使い方をしたら捕まえるわよ?」
「しませんよ。緊急時以外は」
「それならいいのだけど、けど若い男がそんな約束守れるのか疑問だわ」
「そりゃ考えた時もありますけどね、俺の周りの女性はバレた時の報復が怖い人ばかりなので」
「確かに、君の周りの女性は皆強そうだったわね。じゃあ、私のでも見ておく?」
「っ……!」
何言ってんだこの人。
「あはは、嘘よ。でも安心したわ、君の力はまだ心を見透かす程では無いみたい。それとも、見透かそうと思えば見透かせるのかしらね?」
横目で、確認するように俺の眼を見る。
そんな視線には慣れている。鑑定のスキルが芽生えた時点で、俺の眼下に立ちたくないという人は一定数居た。
俺の通っていた総合ギルドの職員に文句を言われた事もある。だから、もう笑って答えられる悩みと言うにも馬鹿らしいものとなっている。
「できませんよ。本当に」
「試してごめんなさい。謝るわ」
「いえ、確かに他者から見れば俺の力は嫌悪されて当然の物ですから」
「そう。……でも、今私は君の力のお陰で助かっている。それは事実よ」
この人は優しい人だ。
故に橘さんを殺した人だ。
だから恨んでなんていない。ただ強かっただけなのだから。
「ありがとうございます」
海底神殿ダンジョンを進んでいくと、徐々に足元に水か流れて来た。
少しづつ嵩が高くなっている様に感じる。
「このダンジョンに出現するモンスターの系統、そして追加でこのダンジョンのギミックが一つ分かりました」
「え?」
剣を抜く。
既に俺たちは囲まれている。
ここに生息するモンスターは距離の概念を突破し、別空間に存在している。
それをモンスターだけが越える事ができる。
転移門の役割を果たすのはこの水だ。
水が反射する光、そして差す影の形状がおかしい。
この影はまるで巨大な――
「魚って訳か!」
土竜の如く水面から顔を表した魚類モンスターの狙いは最後尾を歩いていた蘇衣然。
知能が高いのか姑息なのか知らないが、最後尾を狙うと言うのは確かに良い戦法だ。
しかし、全方位を完全に見切れる俺が居なければ話だがな。
剣閃が魚の胴を捕える。
装甲はそれほどでもない。無強化の俺の斬撃でも通用する手合いだ。
「水自体が空間系のギミックを持っています」
「助かったわ、そしてトラップって事かしら?」
「俺たちは今海上を歩いていると考えた方が良い。影を見れば突撃のタイミングは把握できるので、カウンターで仕留めて下さい!」
蘇衣然だけでは無く、ここに居る全ての人員へ声が届くように張り上げた声で叫ぶ。
「聞いたわね、敵は下よ!」
彼女の言葉も有って、すぐさま部隊の意識は統一される。
仕掛けが分かってしまえばこんなのはただの初見殺しだ。
敵モンスターの性能は、熟練の探索者相手に通用する物ではない。
探索者たちは難なく魚型モンスターを倒していく。
ドロップ、つまり死体の活用方法だが、身は普通に魚のそれだから刺身や焼き魚にして食べられるし鱗はそれなりの武具の素材になりそうだ。
それから数時間ほど探索を続けたが、特殊個体や追加のギミックやトラップは見られなかった。
少なくとも、このダンジョンのこの階層に関しての戦力把握は滞りなく行えたという事だ。
「大丈夫? 昔は交戦能力なんて最低限だったのに強くなったみたいね」
剣術はロランスに初めて使ったし、彼女が知らないのも不思議はない。
俺の剣術をほめながら、彼女は高等な回復術式を発動させ俺の傷を定期的に癒してくれていた。
ほぼ全ての攻撃を見切れるとは言っても、多少の傷を覚悟しなければ受けきれない様な波状攻撃が幾つかあった。
「平気ですよ。それにポーションも幾つかありますから無理に回復魔法を使わなくても」
「何かしら、私の医療が薬品に劣るとでも言いたいのかしら」
「い、いやそういう訳じゃないですけど……」
「だったら黙って治癒されてなさい」
「はい……」
それで、数時間の探索を経て問題が一つ。
俺たちは現在、一つの両開きの扉の前に腰を据えていた。
「この中のモンスターの事も見えるの?」
「えぇ、Aランクが十数体、Bランク以下が百に迫る勢いでうようよしてます。フロアは円形の何もない広い部屋ですから、一種のボス部屋って奴ですね」
「なるほど、この戦力で挑んで勝てるかしら」
「勝てないとは言いませんが、安全とは言い難いですね。水中に潜むギミックも健在みたいですし」
「なるほど、では引き上げましょうか」
それが当然と言う様に蘇衣然はそう宣言する。
普通なら利益と不利益を天秤にかける場面。そして、誰も到達した事がないダンジョンの攻略など、他にない利益の筈だ。
いや、それを決断できるからこそ都市長なんて立場に選ばれる人材なのだろう。
「そうですね。俺もそれがいいと思います」
直ぐに攻略する必要性は何もない。
安全を確保できるのならするべきだ。ギルドマスターとしての経験が俺とこの人では天と地の差が存在する。
見習うべき点だな。
「撤退します」
ある程度のマッピングと威力偵察を済ませた事で、海底神殿の情報は全ての探索者に開示されると同時に一階層への立ち入り許可のある探索者全てが海底神殿の探索権を手に入れる運びとなった。