七十九話 愉快で狂気な男
結界の破壊を感覚的に読み取った耶散が、破壊の波動の開始地点、つまり敵がいる方向へ視線を向け武器を構えた。
それを見た秋渡も、同じ様に鞘から剣を抜き構える。
一人の男が、速いとは言えない歩行速度でゆっくりとこちらへ歩いて来ていた。
銀色の金属の靴をカツカツと鳴らすその男は、武器を構える二人をまるで愚かな子供でも見る様な視線で眺めていた。
金髪のヨーロッパ系の顔立ちの男。武装以外は高そうな服と装飾品を幾つか身に着けている。
腕と足の装備に比べて、胴の装備は軽量の物が使われている。
(近接戦闘系、速度重視、武器は見えない……。なんだこいつ、分かるのは敵だって事位だ。じゃなきゃ、こんな殺気を放つ訳が無い)
倉持秋渡は、天空秀や峰岸紅蓮とは違う裏技無しでレベルアップしてきた生粋の探索者だ。
その頭には探索者としてのセオリーがしっかりと刻まれている。けれど、そんな彼でも対人の経験は多いとは言えない。
装備や仕草から相手のクラスとスキルを分析するが、収納などのなまじ例外と普通の物として理解している事から考えなければならない可能性が肥大化している。
考えは纏まっているとは言い難かった。
(マスターが居ればな……いや、今それを考えても仕方ないか)
――それでも、秋渡は自分がここに居る理由を正確に把握していた。
「何の用ですか?」
剣を抜き放ち、男とトーマの間に挟み入る様に前に出る。
「テメェに用はねぇよ。用があんのは、そこのガキとその亀だ」
「それを聞いて、俺がここをどくと思うか?」
「思うぜ」
その瞬間、男が地面を蹴った。
「ッチ……」
その速度が圧倒的で、けれど自分を狙った物では無いと悟った瞬間、秋渡の身体は殆ど無意識に動いていた。
振り向き、トーマへ伸びた男の手に剣を振りぬく。
「はっ、カスみてぇな力だなぁ!」
しかし、剣戟は男がつけた籠手に弾かれる。
そのまま、流れる様に拳の嵐が秋渡に降りかかる。
圧倒的な連撃速度、その全てを撃ち落とす事など不可能で、既に敵の攻撃範囲内に居た秋渡には距離を取る事もできなかった。
「集中結界、セヌリアス」
秋渡と男の間に半透明の魔力障壁が展開される。
「脆い能力だ」
一撃、二撃、三撃で結界が吹き飛ばされる。
「なっ、範囲を犠牲にした一面特化の集中結界が一瞬で……!?」
秋渡には驚いている暇はない、拳はまだ止まっていない。
「炎魔剣ッ!」
魔石剣に炎が灯る。
秋渡のためだけに紅蓮が作り上げた炎に対する最大限の耐性を持ったその魔剣は、炎を宿すという特性を完全に補完している。
――バーニングフェニックス。
それは、『炎の鳥型モンスター』から魔石を吸収した事で入手した炎を発生させる武器能力。
炎魔剣との相乗効果により、秋渡の持つ技の中で最も効果範囲と威力を持つ技が完成する。
「ぶっ飛べ!」
薙ぎ払う様に振りぬかれた剣から、広域の炎が舞い上がる。
秋渡から男へ向けての九十度が焼け野原になるような高熱の一撃。
「温い炎だ」
男は、腕を交差させ防御しただけで、少し身体が火照った程度の影響しか受けずに済んでいた。
秋渡の頭に既に結論は出ていた。
「ゼニクルスさん、転移で逃げましょう」
「「無理だな(でっしゃ)」」
「私のじゃない結界が展開されてる……」
空を見上げれば、そこには耶散の物よりも広範囲に謎の結界が構築されているのが見えた。
半透明な魔力物質である治癒士の結界魔法の上から、二重に展開された魔法の効果は単純。
魔法的な出入りの禁止。つまり、転移魔法の無効化だ。
「悪いが、お前らを逃がす気はねぇんだよ。アナライズアーツ」
(俺たちを知って攻撃して来た。しかも用意周到な様子だ。って事は、今まで監視されてたのか……)
気が付かなった。それは秋渡や耶散のミスでは無く、相手の優秀さという話だ。
男は笑う。不敵に不遜に、まるで弱者を甚振る加虐思考の殺戮者に見える。
(アナライズアーツ、マスターは警戒しろって言ってたが下っ端なら高が知れた戦力だ。そもそも、Sランクである俺の相手になる探索者なんて要る筈がねぇんだよ)
戦力は足りず、逃走の手立ては奪われた。
けれどまだ、剣士の焔は消えていない。
「俺たちのギルドを知ってるって事はうちのマスターの事も知ってるんだろ? マスターの目から逃れる事はできないぞ」
「クハッ、なんだそりゃ俺を脅してんのかよ? この俺様を?」
何にも分かっちゃいねぇな、と男は続ける。
「今、世界の支配者は俺が入ってるギルドだ」
――階位の呪縛。
男はスキルを発動する。
その効果は、秋渡の身体に如実に表れた。
身体が前に倒れたのだ。
「階位の呪縛はレベル差に比例して相手の自由を奪う」
10違えば逃走を止める。
30違えば魔力感知を作動させなくする。
50違えば攻撃を止める。
70違えば力を込められなくする。
90違えば五感を奪う。
100違えば呼吸を止める。
魔力による干渉不能な腕が、相手の自由を奪っていく。
「レベル差70ってとこか? お前じゃどう足掻こうが勝てねぇよ」
「逃げろ……」
秋渡は身体が動かない事を悟った瞬間、思考を切り替える。
(まだ道は残ってる。俺がここで食い止めれば……)
「いいんですね?」
逃走を促すその言葉の意味をゼニクルスだけが悟っていた。
「あぁ、頼みます」
(あいつが最初からこの力を使わなかったのは、俺たちの中で誰が最も面倒かを把握するため。だったら、この能力の欠点は対象を複数人選べない事)
「何するつもりか知らねぇが、何もさせねぇよ」
再度、男の手がトーマへ伸びる。
(レベルアップの抜け道、生産職の可能性、これ以上アナライズアーツに先を越されるわけには行かねぇ。正直うちのマスターの警戒は二年半近く音沙汰の無いギルドに対してやりすぎだとは思ったが、こんな亀を見せられて、止めねぇ訳にもいかねぇよなぁ?)
「させるかよ!」
(これはマスターから受けた指令だ。それにきっと、俺の代わりよりトーマの代わりの方が少ないのだろう)
「だから、命を賭してでも、護るんだよ。それが俺の恩返しだ」
――身体は動かず、力を込める事すらできない身体でも、まだ俺には炎が残っている。
「熱風機動」
スキル『炎纏』と魔石武器に込められた『バーニングフェニックス』を合わせ、剣を推進装置の様に扱う事で身体を無理矢理空へ飛ばす。
身体に密着した爆弾が爆破されるような激痛と共に、秋渡の身体が浮き上がり、無理矢理に男へ突撃する。
(やっぱ身体動かねぇ。だったらもう一発)
剣の側面を爆破させ、無理矢理剣を振るう。
纏った熱量が、一瞬スキルを無効化し秋渡の拳に剣を強く握り込ませた。
「おせぇ、よえぇ、カスみてぇなお前がどんだけ剣を振り上げたって、俺の前じゃゴミクズなんだよ!」
それは炎を纏った剣。
しかし、男にとってそれは、たった炎を纏った剣程度でしかない。
籠手で剣を受ける。火傷の一つも負う事は無く、そのまま突っ込んでくる秋渡の顔面に拳が突き刺さる。
「死ねよクソガキ」
拳が振りぬかれ、秋渡の身体が煙を上げながら中を舞った。
「うっせぇよ、バーカ」
「クソがぁああああああ!!」
吹き飛ばされた秋渡は笑う。
吹き飛ばした男は忌々しいと声を荒げる。
そこには、既にトーマの姿どころか二人以外の誰も居なかった。
――予想外が一つ。それは今しがた釣り上げられた亀の存在を、男が何も知らなかった事。
―――
「――マスター、私は先に行きます」
「――全く、敵わないな……」