六十話 神域と死王
草原は水浸しになっていた。
「なるほど、これが太平洋沿岸の東アジアを襲った津波ですか」
「ぬぅ……」
無傷で男は立っていた。
その護衛の元探索者の死体も全て残っているし、棺桶も傷ついた様子はない。
しかし、身体へのダメージは無くとも周りに居たモンスターたちの死体が水によって流されてしまった。
どうやって防いだのかは謎ではあるが、しかし戦力は大幅に削られていた。
「人間、たかが六体で何ができる?」
一人の操縦士と五人の死体。
それが、橘修柵が持つ全ての戦力となってしまった。
相手はダークエルフよりも更に格上の魔力を漂わせる存在。
分が悪いかに思われた。
「はぁ……確かに少し状況が悪い。そもそも時間を掛け過ぎました。これでは探索者たちが追いついて来るかもしれません」
「援軍があるという話か?」
「いいえ、さっさと終わらせようと言う話です」
大津波によって戦争染みていた大規模な戦いは終わり、本来の迷宮攻略の様な少数同士の戦いが始まろうとしていた。
「僕は魔王でも構わない」
それは、能力を発動させるための詠唱。
発動された力の名は『変質』。
自分と自分が支配する存在を変質させる。
融合、分解、変形、自在だ。
それを使い、残った五人の元探索者を自らの肉体を合成する。
「その姿で、我が身を人間と宣うか小僧」
おどろおどろしい存在が顕現する。
泥でできた龍の様な四足獣。身体全身がスライムの様に動き続け、既に人間としての原型はどこにもない。
「グォオオオ!」
腹の底から響くような恐怖を感じさせる咆哮が響く。
彼に合成されているのは五人分の肉体だけではない。
五人の探索者が吸収していた死体たちの質量も備えている。
ドラゴンゾンビ。
爛れといっていいのかすら曖昧な流動的な肉体を持つドラゴン。
セブン・レッドの龍化と比べてもその歪さは比較にならない。
その存在を生物と認めてはならないと、誰もが叫ぶような。
今の彼を彼と認識できる者は誰も居ないような。
「くっ、神気解放!」
神のオーラがモンスターのその身に宿る。
「聞き取る知性や耳があるかは知らぬが、儂はアールブ。我が子の仇、取らせて貰うぞ」
青年の様な見た目の彼だが、言葉遣いから感じられる年齢はもっと上のようにも思える。
特徴と言える特徴は、耳がダークエルフほどでは無いが少し尖っている程度だろうか。
アールブの青い瞳が泥の龍を見据えていた。
「ウォオオオ!」
その咆哮が応えなのかは定かでは無いが、少なくともアールブにその鳴き声の様な物の意味を認識する事はできなかった。
「流水魔法」
アールブがそう唱えると、水が発生しその身に薄く纏われる。
あらゆる物理的な衝撃を受け流す効果のある強化魔法だが、相手は巨大なドラゴンだ。
その質量に対してどれほどの意味があるかは分からない。
「神水刃」
腕に水の刃を生やし、そこに神気をコーティングする。
その刃を相手に向ける。
「ぬぅ!」
水の刃が拡張され、泥の龍の巨体を貫いた。
「はぁ!」
泥の龍を斬裂くために身体を捻り、腕を上に振りぬく。
「水剣流、昇り太刀」
真っ二つ――とはならなかった。
確かに、その刃は泥の龍を切裂いた。
しかし、その身体は即座に一つに戻ろうと動き始める。
「不死身か貴様……」
忌々しくアールブはその様子を見る。
勝てる算段はついていなかった。
(だが、儂は齢十も行かない小僧を死地へ向かわせたのだ。自らが死地へ向かう事に、どれほどの恐怖があろうか)
アールブは、あらゆる殺害を試みた。
水の鞭を細切れにし、高圧の水流で吹き飛ばしてみたり、潮吹きに見立てた水柱で浮かび上がらせ落下させてみたり。
しかし、その全てが無駄に終わる。
そして、泥の龍が動き始めた。
「ォオオオ!」
鈍間な動きにアールブは脅威を感じて居なかったが、変身したにも関わらず一切攻撃をしてこない龍に困惑を覚えていた。
(何がしたい。攻撃処か真面に動いてもいない。まさか、この力を使うのが初めてなんぞな訳もあるまいし)
その推測は正解だった。
変身したはいいが、橘修柵はその制御に手間取っていた。
「ジンデ……」
「は?」
その瞬間、泥の龍の腕が高速で薙ぎ払われ、アールブの身体が吹き飛ばされる。
「水網!」
身体から飛び出した網状の水が、その移動方向に設置され吹き飛ばされる力を殺し、空中で体勢を整える。
しかし、今までの鈍間な動きとは比べようもないほどの俊敏さで泥の龍はアールブへ飛び掛かって行った。
「水神結界」
平面に展開された水の結界と、泥の龍の鍵爪がぶつかり合う。
ほぼ全ての魔法攻撃を完全に無効化する神気だが、しかし泥の龍の攻撃に魔力で形成された物は含まれない。
泥の龍の身体は、全て生物の死体が変質した物だ。
「ぐっ!」
結界が突き破られ、泥の龍の腕がアールブの身体を握る。
「水神鉄砲!」
本来なら、どんな魔法防御も貫通する即死の弾丸も今の泥の龍には無力。
指から放たれた水は、泥の龍の身体を貫通し、そして穴は直ぐに塞がっていく。
「ならば、血液沸騰」
泥の龍を形成するのは血肉だ。
それを感じ取ったか、アールブは血へとアクセスする魔法を発動させる。
何かがちぎれるような音が断続的に響く。
ブチ、ブチ、ブチと。
しかし、余りにも遅かった。
泥の龍の拳が、アールブの身体を完全に握り込んだ。
泥が身体を飲み込み、そしてアールブは溺死する。
水魔法を極めたアールブは水の中で呼吸する魔法も会得していた。
しかし、それは水へ干渉する魔法。
血肉の泥に干渉はできなかった。
千切れるような音も止み、龍が六人の人間へ戻って行く。
「少し、侮っていましたね」
人型へ戻った時、橘修柵の腕からは血が滴っていた。
それはアールブが最後に発動させた血液沸騰の魔法効果だった。
「しかし、いい手駒が手に入ったのだから良しとしましょう」
橘修柵はアールブの死体へ近づいて行った。
「面白そう!」
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