五十五話 ネクロマンサー
ある日、ギルドへアメリカのAランクギルド『パープルミスト』から一つの連絡が入った。
ダークエルフ討伐時に活躍したセブン・レッドの実績もあり、アメリカでも五本の指に入るほど有名なギルドとなったパープルミストだが、ダンジョンや探索者に関する様々な事件を取り扱う事もある。
その一つとしてアメリカの国防省から、一つの依頼を受けたらしい。
その内容が何なのかは定かでは無いが手伝って欲しいとの事だ。
事情を聞くために俺は今、パープルミストの日本支部へ向かっている。
俺一人で来て欲しいという事だったので、他のメンバーは連れていない。今頃は第二チームと合同で同じダンジョンで探索をしている筈だ。
家を出る時、付けていたニュース番組でアメリカでモンスターが溢れ出てきたという物があったが、それと何か関係があるのだろうか。
移動方法はタクシーになる。
俺は事務所を出て直ぐの所に居たタクシーへ乗り込んだ。
「この住所までお願いします」
送られて来た住所をスマホで検索し、それを運転手の人へ見せる。
「畏まりました。天空君」
運転手は気さくに俺をそう呼んだ。
「え?」
その運転手の顔をよく見れば、それは俺の知ってる人物だった。
「橘先輩じゃないですか……!」
橘修柵。
俺が探索者になって直ぐの頃、俺に色々と教えてくれた先輩探索者だ。
不遇職と言われる鑑定士の俺を面倒みてくれた気さくな人だった。
「久しぶりだね」
「アメリカに行ったって言ってたのに、もう戻って来てたんですね。でも、なんでタクシーの運転手なんて?」
この人は、俺と違いそこそこ稼いでいる探索者だった。
ただ、クラスがダンジョン探索ではなく、スタンピードの鎮圧に本領を発揮するタイプだったので暇な時間が多かったのだ。
その時間に、俺に探索者という仕事の事を色々と教えてくれていた。
ダンジョン探索は苦手にしているとは言っても、スタンピードの発生時にはAランクダンジョンのそれにも駆り出されるような優秀な探索者だった彼がタクシーの運転手なんてしてる事に違和感を覚えた。
「手術が失敗したんだ。だから、日本に帰って来た」
「え……それは……」
橘さんが俺を気にかけてくれた理由を、俺は知っている。
別に、本人からそう言われた訳じゃ無いけど、橘さんの事情を知ればそうである事は簡単に予測できた。
橘さんは結婚して、一年も経ってない時、スタンピードによって奥さんが意識不明の重体となった。
幸い、楓とは違いエリクサー以外で治る事は無い――なんて症状では無かったが、それを治すには相応の手術が必要だった。
橘さんはその手術費を稼ぐために探索者になり、その力を振るっていたのだ。
自分と俺の境遇を重ね、俺に声を掛けてくれたのだと俺は勝手に思っている。
その手術費用が溜まったので、本格的な手術を行うためにアメリカの病院で立って行ってからは俺は会っていなかった。
失敗したとは、つまりそういう事だ。
「妻は死んだよ……」
それを聞いて、俺は橘さんの表情を見る。
彼は、なんというかまるで聖人の様な笑みを浮かべていた。
「でも、仕方のない事さ。成功する例もあれば、失敗する例もある。そういう手術だったんだ。まぁ、それで僕が探索者を続ける理由も無くなったからさ、危険な仕事は引退して、こうしてタクシーの運転手なんてしてるって訳だよ」
「な、なるほど……」
妻を失ったと言うのに、あまり橘さんは気にした風ではない。
いや、それは違うか。橘さんは橘さんで辛いはずだけど、俺とは違って大人だから取り乱したりしないだけだろう。
本当に、できた探索者だ。俺はもし楓が死んだなんて話になったら、所構わず慌てふためくだろうから。
「動画見てるよ。頑張ってるみたいで凄いじゃないか」
「いや、全然それほどでも」
タクシーが動き始め、俺と橘さんは思い出話に花を咲かせる。
俺がこれまでやってきた冒険や事業を話したり、橘さんのアメリカでの生活を聞いたりだ。
その際、橘さんはハンドルを何度か放しこちらに手でジェスチャーを送って語ってくれた。
こんな運転が許されるのはきっと日本で橘さんだけだろう。
橘さんのクラスは『操縦士』。
橘さんに掛かれば、あらゆる乗り物を意思の力だけで操作する事が可能だ。
その能力のスタンピード時の活躍は凄まじい物で、一人で数十の戦車や軍艦を操り敵を迎撃するのだ。
俺も映像でしか見た事は無いが、もしこの人がダークエルフ討伐に参加してくれていたらもっと楽に事が運んだだろうな。
それと同時に、橘さんには国の監察官が付いていた。
例えばだが、操縦士の能力で核弾頭を発射するなんて事になったら大変だからな。
まぁ、この人の性格は温厚その物だから、何があってもそんな事はしないと思うけど、国からしたら脅威なのだろう。
「さ、着いたよ」
「ありがとうございます」
パープルミストに指定された住所につき、その建物に入る。
うちのギルドとは違って外観は大きな一軒家である。
ただ、パープルミストと大きな看板が付いている。
『やぁ、久しぶりだね』
ジョン・エナルドが金色のバッチをスーツに着けて現れる。
ダークエルフのダンジョンの最奥で発見された魔道具は厳密に言えば、『翻訳の魔道具』では無い。
『翻訳の魔道具を生み出す魔道具』だ。それによって生み出されるのがこの金色のバッチ、これを着用している人間の言葉は、その声が届く全ての人間に意味を理解させる効果がある。
所有しているのは日本国だが、作成された翻訳の魔道具はあの戦いに参加した全てのギルドに幾つか配られている。
勿論アナライズアーツにも配られているので、もう翻訳係は要らない訳だ。
迷宮都市でこれを活用したいという話が上がっているくらい高性能な魔道具である。
しかし、ギルドマスター本人が来日しているとはそんな重要な要件なのだろうか。
「お久しぶりです」
会議室に通される。
『今日はセブンは来ていないが、君に魔石剣の使い心地が良いと伝えてくれと言っていたよ』
「それはどうも。お気に召して頂いて幸いです」
そんな社交辞令を済ませ、彼は本題へ入った。
『まずは、アメリカでモンスターが市街地に現れたという話を知っているかい?』
「知っています」
アメリカの事なのに、日本のニュースでも結構騒がれている事件だ。
ダンジョンは基本的にその国によって全てが管理されている。
スタンピードが起こっても大丈夫な様に全て監視されているのだ。
しかし、今回アメリカで起こったスタンピードはどこのダンジョンもスタンピードを起こしていないのに起こったという所が重要視される理由だ。
つまり、ダンジョンからモンスターが出て来る原因がスタンピード以外に存在している可能性があるという事になる。
まぁ、アメリカは日本に比べて国土も広いから管理しきれていないダンジョンがあるんじゃないかって説の方が有力らしいが。
『その原因を我が国の国防省は突き止めたのだが、それを捕える任務がAランクギルドに依頼された』
モンスター退治の専門はやはり探索者だ。
ダンジョンやモンスターに関連する依頼を国が優秀なギルドに依頼すると言うのは、ままある。
「それと、俺のギルドが何か関係が?」
『国防省から出された依頼によれば、実はモンスターをダンジョンから出している探索者が居る――というのが事の真相らしいのだよ』
「はい……?」
『そして、我々パープルミストはその人物を発見し、その人物が日本へやって来ているという情報を入手し追っている。それにアナライズアーツも協力して欲しい』
ダンジョンからモンスターを連れ出している探索者。
いや、そんな事は不可能だ。モンスターは生きたままダンジョンから外に出てこない。
捕えて無理矢理連れ出す事は可能だが、ダンジョンから出て自由になればすぐにダンジョンへ戻って行くという特性を持つ。
だから市街地で暴れるなんてスタンピード以外じゃあり得ない筈だ。
つまり、それが行われているのなら、それは『クラス』か『魔道具』の能力という事になる。
『その暴れたモンスターなのだが、全て死後数週間は経っているという鑑識結果が出ていた。奇妙な事に死体が動いていたという事になる。アンデッド系でも何でもない猛獣系のモンスターであるにも関わらずね。それで、我々はその犯人をこう呼称する事にした。――ネクロマンサーとね』
そして更に、ジョン・エナルドは衝撃的な事実を俺に告げる。
――我々は調査の結果、その犯人をほぼ断定させる事に成功した。その本名を、【シュウサク・タチバナ】と言うのだが心当たりはないだろうか?
橘修柵は天空秀をタクシーで送り届けた後、制服から私服に着替えていた。
彼は、車の鍵と制服を車の中に置いて、その場を離れていく。その制服の上に置かれた名札には全く別人の名前が書かれていた。
そして、彼は一人呟いた。
「唯一心残りだったあの子とも会えた。これで、心置きなく事が起こせる。――待っていてくれ」
彼は胸にぶら下げたロケットを開き、そこに写る笑顔の女性へ笑いかけた。