1 異世界
世界が変わったら、何かが変わるだろうか。二十二時も過ぎた夜道でふと思う。もしまったく常識の違う世界に行ってしまったら、もしくは超常的な異能を手に入れてしまったら、自分は今とは全く違う人生を歩むのだろうか。
答えはノーだと思う。環境が変わってもやるべきことは変わらないし、自分の能力が変わっても行動原理は変わらない。結局人はどうなろうとも自分らしくしか生きられないのだと思う。
そんなことを考えながら、路地裏に入る。ユウは路地裏が好きだった。世界がどうのとか考えてはいるが、なんとなく表の通りと表裏一体でありながら、まったく違う表情を見せる路地裏は別世界のように思えて新鮮だからだ。
この通りは道の形状は複雑だが実は一本道で、近道になるというわけでもなく人通りは皆無といって良い。路地裏を抜けると繁華な通りに出る。繁華街を見張るかのごとく、交番なども設置されている。酔っぱらいの対応などがメインの仕事になりそうだ。最近この付近でも殺人事件のニュースが巷を騒がせていたので、このような薄暗いところはますます人通りが少ないだろう。
そうして路地裏を歩いていると向かい側から、制服を着た女性が歩いてくる。高校生くらいだろいうか、若い女性が人通りのない道を歩いているのが珍しくて、じっと見てしまうが、向こうもこちらに気づいて訝しげな視線を送る。逃げるように視線を下にそらすと、何か不思議なものが落ちているのに気付いた。
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もう二十二時を過ぎたころだろうか。思ったより帰りが遅くなってしまった。早く家に帰りたくて、人通りのない路地裏を足早に歩いていく。
すると、地面にきらりと光を反射するものが視界に入る。近づいてみればそれは、細かい細工の施されたメダルのようだ。思わず手を伸ばしてしまう。すると、反対側からもぬっと手が伸びてくる。顔を上げると20代ほどの黒髪の男と目が合う。それでも、伸ばした手の勢いは止まらず、お互いに伸ばした手がメダルに触れると当たりが光に包まれた。
一瞬目をつむり恐る恐る目を開くと、やけにまぶしい。光に慣れて目を開くと、目の前には先ほどの男がいるが、メダルはなくなっていた。見回せばその町並みは、先ほどまで歩いていた夜のビル街ではなく、例えるならヨーロッパの古代から中世の様なファンタジーで見るような昼下がりの街並みになっていた。つまるところ、異世界だった。
「え?」
思わず唖然としてしまった。見慣れない街並みに戸惑ってしまう。よく見ると歩いている人も見慣れない姿をしている。まず、髪の色がおかしい。日本人である私はもちろん黒髪であり、日本に住んでいる限り黒髪の人が多い。この町の人々は、黒髪の人もいるが、栗色の髪、亜麻色の髪、金色の髪、灰色の髪、赤毛の人など様々である。
さらに、驚くべきことに明らかに人間ではないものが居る。いや、二足歩行しているし、挙動も話す言葉も人間そのものであるのだが、体中が毛深く、犬のような耳、しっぽ、爪をもっている。信じられないが獣人と表現すべきものだ。また、顔付を見ると明らかに中年男性であるのに身長が140cmほどしかなかったりする人や、耳がやけに細長い人もいる。私の世界の言葉でいえばドワーフやエルフといったものに該当するのだろう。街中の人々をみると、ほとんどが私と同じような普通の人間であるが、ごく少数普通の人間とは異なる人がいるようだ。また、みすぼらしい格好とおもりの付いた足枷をはめている人も見られる。
改めて町を見ると、街並みは乱雑というよりは整然としており、通りの雑踏を見るにそれなりに大きい街のようだ。私は今、雑踏の中にいるのだが、そばを通り過ぎていく人たちは戸惑ったような表情でこちらを見ながら通り過ぎていく。おそらく、服装が異なるのでいぶかしく思っているのだろう。
「おい」
まだ自分に起こったことと周囲の状況を整理できずにいるが、急に声をかけられたので、そちらを見ると、先ほどの黒髪の日本人がいる。
「君の名前は?」
「・・・あ、矢川麗です。」
思考が追い付かず、若干タイムラグが発生してしまうものの、何とか質問に答えた。
「そうか矢川麗さんか。見たところ高校生くらいかな。俺は国分優という。初対面でなれなれしいかもしれないが、レイさんと呼んでもよいかな。呼びやすいから」
「ええ、どうぞお好きに・・・」
あまりに冷静なその男に現実感が持てないまま、返事をしてしまう。そして、今一番の疑問が口をついて出てくる。
「ここはどこですか」
「わからない。君が何が何だかわからないように、俺も何も知らないんだ。ただひとつ言えるのはここは地球上のどこかではない。端的に言えば異世界ということになる」
「そんな・・・なんで・・・」
「なぜかは分からないが、考えても仕方ないように思える。なぜなら、異世界というモノそのものが僕らの常識では説明できないのだから、今はそこに理屈を求めてもしょうがない。今考えるべきはこれからどうするかだ」
その通りだと思った。だけど、この男の物言いに何か引っかかるものを感じた。
「そうですね、考えてもしかたがないですね。今考えるべきは、どうしたら元の場所に帰れるか、ですね」
精一杯、冷静に努めていった。すると男は表情を変えずに答えた。
「いや、ちがう。いまの僕らにおける第一優先事項は何だと思う?」
「もとの場所に戻ることでは?」
男は首を横にふる。
「僕らは今、異なる世界、異なるルール、異なる集団の中にいる。つまり今までいた日本の様に生命の安全を保障されているわけではない。この町にいることが、そもそも危険なことかもしれない。だから、まず僕たちがするべきは安全の確保だ。」
「なるほど。でも安全の確保って具体的にどうするの?」
「まずは、人目の付かないところへ行った方がよいだろうな。僕らは服装のせいで目立っているようだ。集団というのはえてして排他的であるのだから、僕たちが異質な存在であると知れれば排除されてもおかしくない。そうだな、僕らの世界風に言えば不法入国とか、そういった法律に現在進行形で抵触しているおそれがある。」
「!!」
危険な現状を理解した私は、とっさに男の手を取り、路地裏へ駆け出す。すこし、走ればすぐに人目のないところに出ることができた。
「はあはあ・・・ちょっと、人目のつくところが危ないって思っているなら早く言いなさいよ!」
息を切らしながら非難の目を向けると、男はしれっとした顔で言い放つ。
「早く言ったつもりだが?」
さっきから言っていることは正しいのだが、なぜかいらっとくる。さきほど感じた、ひっかりをようやく理解した。この男はいわゆる理屈屋のようだ。
「それでこれからどうする?」
取り敢えず、人目のないところに来た私たちは、今後の話し合いをする。
「この町に留まることができるか、できないかをまず知る必要がある。その後で、衣食住の確保だな。ここまでクリアできれば、ひとまず生命活動は維持できるはず。異世界や元の世界のことについて考えるのはその後でも遅くない。」
「確かに」
私はユウのいうことに同意する。
話に集中していた私は、フードを目深にかぶった3人組みがこちらにちかづいてくるのに気づかなかった。近くまで来てようやく3人に気づいた私はにわかに緊張する。怪しく思われているのだろうか。何か話しかけられる前に逃げた方がよいだろうか。あれこれ迷っているうちに3人組のうちの先頭の一人に話しかけられてしまう。
「お前たち、赤い髪の少女を見なかったか。私の妹なのだが。」
声を察するに若い女性だろうか。コートからちらっと見える服装をみると、通りの人々よりもだいぶ良い恰好をしているように見える。私はとっさに返答を返せず、取り敢えず首を横に振る。
「そうか。じゃまをした」
そう言ってくるりと踵を返して、去ろうとする三人にユウが声をかける。
「待ってください。」
そういうと、三人はこちらを振り返る。何をしているのだと驚く私に構わず、ユウはつづける。
「私は人探しが得意なのです。私に任せてくださいませんか。」
何を言い出すのだと思っている私と同様、三人も訝しげな顔をしている。
「....もし、心当たりがあるならば城まで来い。門の番兵に伝えてくれれば良い」
そういって、三人組は去ってしまう。彼らが見えなくなってから、私はユウに問い詰める。
「何安請け合いしてるのよ、っていうか人と接触するのは危ないんじゃないの?」
「とりあえず人目についても問題なさそうだ」
ユウはさっきまで自分がいっていたことを棚に上げてしれっと言い放つ。
「なんで!?根拠は!?」
「まあ落ち着け。今会話を交わしたことで分かったことが2つある。」
「?」
何が分かったというのだろう。
「まず、ひとつ、言葉が通じるということだ」
「確かに、向こうの言うことも理解できたし、こちらの言っていることも理解してくれていたみたいだけど」
「とりあえずコミュニケーションの問題がクリアできたのは大きい。ただ、言葉が通じるからと言って文字が理解できるとは限らないが、それもあまり問題なさそうだ」
「どうして?」
「先ほど大通りでは多くの店が並んでいたが、看板はどれも絵が描いてあるだけで文字が書いているところはなかった。一般階級での恐らく識字率はそれほど高くないはず。であれば、文字が読めない、もしくは書けなくても生活に支障はないはず」
言われてみればその通りだった。
「そして二つ目、ここの政治体系はどうも君主制のようだ。」
「なぜそんなことがいえるの」
「さきほどの女性は、城に来いと言っていた。おそらくこの周辺で城がさすものは一つしかないのだろう。そして番兵といっていた。ということはここには軍隊が存在するということだ。つまりここでは、明確な権力が存在し、そのもとに統治されていることがわかる」
「でもそれが君主制かはわからないでしょ?じつは民主主義でトップを決めているとか」
「それはおそらくない。基本的に統治権力は君主制か共和制のどちらかに分けられるが、この町は明らかに階級制で成り立っている。例えば、大通りで見かけた奴隷、そして先ほどの女性はおそらく貴族に準じるものだろう」
「身なりがよいから?」
「それもある。彼女の着ていた服は質が良くて、素朴というよりはデザイン性がある。僕たちの服装もどちらかと言えば彼女の服装に近くないか」
たしかに、大通りにいた人々の服装は質素であった。私の服装は高校の制服だし、豪華とはいかないが多かれ少なかれ、最低限の実用性以上のデザイン性がある。
「でもそれはただのお金持ちだったってことはない?商人とか?」
「その可能性もある。ただ、僕らの身なりをみた通りの人々は、好奇の目や怪しいものを見る目つきというより、戸惑っているような雰囲気だった。」
「そっか、身なりがよいのがただのお金持ちだとしたら人々は特に気にしないでしょうし、私たちの服装がこの町の人々にとって異様だったなら、もっと遠慮のない目を向けられたてたはずよね。あの少し戸惑ったような眼は、身分の高い人が通りの真ん中に突っ立ってるから、そばを通りすぎるときに遠慮していたからなのかな。」
「おそらく。この町で身なりの良い人間は基本的に身分の高い者なのだろう。つまり僕らの知識でいえば貴族にあたるものだろう。そして、階級の頂点にあたる王ないし領主のような統治者がいるはずだ。」
「なるほど。」
「だから、人前に出たとしても怪しい者としてすぐに突き出されるようなことはないだろう。」
その言葉を聞いてほっとした。正直、人目を気にするのはかなり疲れるのだ。
「でも、街中を普通に歩けるのはよいけど、人探しを安請け合いしてしまったのは大丈夫なの。」
「ああ、心当たりがあるからな。それに、貴族の依頼を達成すれば少なからず報酬がもらえるはず。目下の衣食住の問題が解決される。」
「それは良いんだけど、心当たりって?」
「レイも見たはずだ、赤い髪の少女を。」
「確かに赤髪のひとは見たけど、フードをかぶっててちらっと見えただけだし、それが探し人とは限らないでしょ」
「いや、さきほどの女性は赤い髪の少女を見なかったかと聞いた。つまり、赤髪のひとはそれだけで個人が特定されるほどまでに珍しい特徴なのだろう。」
「まあたしかに。でもなんでさっき、見たって言わなかったの。」
「見たと言ったらそこまで案内させられておわってしまうだろう。恩を売るには見てないといったうえで見つけ出すのが最適なはずだ。」
どうやら、この男に誠実という概念はないらしい。
「でも、見かけただけなのにどうやって見つけるの?」
「特に考えてない」
思わず唖然としてしまった。といっても何もしてない自分に文句が言えた義理でもない。
「取り敢えず人探しがてら、町の中でも散策しましょ。探そうにもどこに何があるかも分からないわけだし。それに貴族のお嬢様ってことは案外庶民の生活を見てみたいって理由でこっそり家を抜け出してきたみたいな可能性もあるでしょ。だったら、散策するっていうのは目的がかぶってるから理にかなってる行動かも!」
「…確かに一理あるな」
…いや、ねーよ!
ふざけて言ったつもりが、肯定されて逆に驚いてしまった。
「いやいや、そんな漫画みたいなことそうそうないと思うけど」
「まあ、見分を広めるためにとかそういう目的があるかは知らないが、街の散策をしているのはあながち間違いでもないかもしれない。」
「どうして?」
「赤い髪の少女はフードを目深にかぶっていた。赤い髪は特徴的な身体的特徴であり、それがどこかの貴族様の証にもなっている。つまり、彼女には自分の身分や正体を隠して、知られずに行動したいという意思が見られる。自分の正体を知られたくない時というのはどんな時だ?」
「うーん、悪いことをして指名手配されている、誰かに追われている、有名人で正体が知れると騒ぎになる、とかかな」
「うん。ただ先ほど見かけたときは、大通りを歩いていたし急いでいるわけでもなければ、こそこそしているわけでもなかった。だとしたら、君の言う有名人で正体が知られると騒ぎになるからが一番可能性が高そうだ。また、騒ぎになる可能性があるということは普段からこのあたりをおおっぴらに出歩くこともないんだろう。普段は歩かない街を、正体を隠して、のんびり大通りを歩いているということは、ただプライベートの時間を楽しんでるだけという可能性が高そうだ」
「…なんだか、お姉さんも大変だね」
まあ、ともあれ町の観光の大義名分もできたわけだし。さっそく散策へと向かった。