32.限界
「ちわー! 三河屋でーす!」
場にそぐわない腑抜けた声が閑散とした空間に響き渡った。
そこは奥行き30メートルはある長方形の部屋で、壁も床も天井もすべてがまるで昨日泊まった拘留所のような灰色のコンクリートで囲まれていた。
ハル達が入ってきた扉から見て左の壁には壁と同じ柄で見分けがつきにくいが、無数の扉が並んでいた。十中八九獣人達の部屋なのだろう。
「あら? 貴族の屋敷に不法侵入ですか?」
「……おっかしーな、玄関についてたノッカーは鳴らしたんですけど、聞こえませんでした?」
部屋の奥から聞こえたその声に皮肉交じりに返す。
この部屋は奥の5メートルくらいのところに数段の階段があり、その頂上にこの部屋とは明らかに不釣り合いな、真っ赤な玉座のような椅子が置かれていた。
声の主である女は胸元を大胆に開け、身体のラインがハッキリと分かるような白を基調としたワンピースに身を包み、椅子に足を組みながらこれでもかというほど偉そうに腰を掛けていた。
その後ろには残りの護衛とみられる2人の男が主人に仕えるように立っている。
「……その血の付いた矢、もしかして私の護衛達は殺されてしまったのかしら」
「安心していいよ、誰1人として死んではないから。まあ二度と護衛のお仕事はできないかもしれないけど」
「そう……でも貴族の屋敷への住居侵入だけでなく護衛を使い物にならないようにしたなんて、本来なら処刑ものよ?」
「へえ……それじゃあ、他人の仲間を拉致監禁するのはどんな罪なんだろうね」
「フフ……もしかして、これのことかしら?」
態度的にも物理的にも上から見下ろしてくる女、獣人コレクターのファネルがパチンと指を鳴らす。
すると、左側の壁に並んだ扉の1つが開く。
その先にある小さな部屋から出てきたのは頭から水でも被せられたかという程全身びしょ濡れのルルとリリィだった。
ルルの左手とリリィの右手が長めの鎖の付いた手錠で繋がれており2人が一定以上離れられないようにしてある。2人の足首にも鎖の先にボウリング球くらいの鉄球が付いた足枷が嵌められていた。
ルルとリリィの間の鎖は今出てきた部屋の中にも伸びており、それ以上は外に出られないように繋がれている。
そして何よりも目立ったのは2人の首に巻き付いた真っ黒な首輪である。
あれは他の獣人達の首にも付いていた物だ。
その姿はどう見ても獣人の人権を無視したものだった。
「……この国の貴族ともあろう者が、この国は奴隷を禁止しているって知らないのかな? それくらいこの国に来たばかりの私でも知ってるよ?」
この国、アインツベルク王国は奴隷制度を完全に禁止している。
そういう法律がちゃんと存在している。
「そう、この国に来たばかりなら仕方がないわ。貴族である私が、無知な貴女に教えてあげる」
ファネルは立ち上がり、より一層上から、そして高圧的に言い放った。
「この国が禁止しているのは人間の奴隷。
獣人は人間ではないわ」
十分だった。
ファネルはその言葉で全ての獣人と、そして私を完全に敵に回した。
「……もういいや」
誰にも届かない言葉を呟いたハルはファネルに向けて矢を放つ。
今までのように足元や顔のすぐ横を狙ったものではない。
ハルの放った矢は正真正銘真っすぐにファネルの顔面へと向かっていく。
――が、その矢はファネルに届く前に、抜刀した後ろの護衛の1人に弾かれた。
「初めて見る武器ね。でも所詮は弓矢の延長……私だけで十分よ」
ファネルの言葉に護衛の2人が頷いた。
しかしその隙にカイが鎖で繋がれたルルとリリィの元へ向かう。
「そのガキも捕まえなさい」
「はっ」
「かしこまりました」
指示を受けた護衛の2人が双子とカイの間に割り込む。真っすぐ突っ込んでくるカイに2人は怪我をさせないようにするためか素手で抑えようとする。
舐められたものだと、カイは走りながらフードに手を突っ込む。この2人も他の護衛同様、最強の催涙スプレーの餌食にしてやるとスプレーを手探りで探す。
「…………?」
「あ、ごめん。スプレーなら私が持ってる」
そうだったぁぁぁ! と、すぐに腰のダガーに手を伸ばすが、それよりも先に護衛の1人の手がカイの腕を掴む。
その直前――
カイとルルの目が確かに合っていた。
護衛の1人はカイの腕を掴んだ瞬間、空間がブレる錯覚を覚えた。
本当に一瞬のその現象に護衛の男は疑問を感じたが、それにつられて掴んだ腕を離さぬよう、掴んだ己の手にさらに力を込める。
しかし、そこには何かを掴んでいるという感覚が消えていた。
確かに掴んだはずの腕は自分の手の中から消えており、無理やり動きを止めさせたはずの獣人の少年は、男達の横を通り過ぎていた。
「なっ……!」
「いつの間にっ……!?」
自分達の横を通り過ぎる少年を見て驚きを露わにする。
「ウサギの魔法よ! 落ち着きなさい!」
「……!」
まさか一発で気付かれるとは思わなかった。
そう。今のはルルとリリィが得意な幻覚魔法だ。
そこに無いものを有るように見せ、有るものを無いように見せる。単純なようで、使いどころによれば絶大な効果が発揮される。
(そういえば、ファネルもあのオークション会場にいたんだった……)
それなら2人の魔法に気が付いても仕方ないか。
それに……2人の魔法は分かっていても防ぐことが出来ない。
「……まったく、使えないわね」
ファネルのその呟きを、ハルはしっかりと聞き取った。
彼女が何かを仕掛ける前にこちらから仕掛ける。
「……ふん、届かないわよ」
「…………!?」
ハルがファネルに放った2本目の矢はファネルが手を前に出すことで勢いを緩め、ファネルに届く前に床へ落ちてしまった。
「……魔法?」
「正解よ。私の風魔法がある限り貴女の矢は私には届かないわ」
誤算だった。まさかファネルが魔法を使えるとは。
弓は魔法に劣る。それは紛れもない事実であり、冒険者の中に魔法使いはいるものの弓使いがいないのが確たる証拠である。
ただ、それは魔法使いと弓使いが1対1で戦った場合にのみ当てはまる。
それに――、
「待てっ……!」
「止まるんだ……!」
「そんな風に止まれって言われて止まる奴がいるかよ!」
「……! ちっ……!」
――たとえ数秒でもカイにとってその時間は十分過ぎた。
ガキィン!
という音と、少し遅れてジャランと鎖が床に落ちる音が響く。
流石カナタの弟子である。
ダガーを一振りしただけで部屋に繋がれていた鎖を切断した。
流れるように足枷の鎖も切断し、2人を走りやすくする。
そのままカイはルルの手を取り、ルルもリリィと手を繋ぎ、その場を離れる。
ファネルがカイ達に気を取られている内にハルは矢を手に取り流れるようにセットし、ファネルに向けて放つ。
弦を引いたときに肩の傷口がさらに開いたのか今まで以上に血が溢れ出す。が、今がチャンス。そんなことに構っていられない。
「…………っ! 何度やっても……!」
ファネルはギリギリでハルの動きに気が付き、先程同様左手を前に突き出して風魔法を発動させる。
ファネルに届くギリギリのところで矢は風の壁によってその動きを止める。
止めたように、見えた。
止まったはずの矢が、ブレる。
この現象は先程のカイと同じ現象。つまり――
(ナイスタイミング……!)
顔の前で停止していた矢が消えたと同時にファネルの左太腿に激痛が走る。
「……! き、キャアアアァァァァ!!!!」
経験したことの無い激痛にファネルが悲鳴をあげる。
左足を押さえながらその場に蹲るファネル。
白いワンピースがドクドクと赤く染まっていく。
「ファネル様!」
「大丈夫ですか!?」
「…………ウッ、グゥッ……は、やく、獣人3匹を、捕まえなさい!!!」
「「は、はい!」」
出口に向かうカイ達を追おうする護衛2人だが、
「行かせると思う?」
その間にはクロスボウを構えたハルが立ちはだかった。
「……貴様は捕まえろとは言われていない。邪魔をするなら殺す」
護衛2人は立ちはだかるハルに対し剣を抜く。
カイとルル・リリィに出し抜かれたとはいえ、最初ハルの矢をいとも簡単に防いでいたところを見ると、他の護衛5人とは少し違うように思われる。
ファネルだって強い奴をそばに置いておく方が安心するに決まっているのだから、この2人は間違いなく他の5人よりは強いだろう。
ただ、ハルだって別に正面から戦うつもりはない。
「人間って不思議だよね」
「……?」
「何度同じ目に遭っても、絶対に自分の目で見ている世界を信じちゃうんだから」
「何を言って……」
「貴方が見ている私は、本当に本物?」
「……!?」
ハルの言葉に明らかに動揺したのは先程ルルとリリィの魔法にかかってカイを掴み損ねた方の男だ。慌てて視線をハルの後ろに向ける。
恐らくまた魔法を発動しているんじゃないかと双子のウサ耳を確認しようとしたのだろう。
しかし、既にクロスボウを構えている相手に、その一瞬の隙は命取りである。
「馬鹿! 女から目を離すな!」
「……!? ッッッ! ぐわああぁぁぁあっ!!!!」
仲間に怒鳴られハッと視線をハルに戻した時には既に、男の右太腿に矢が突き刺さっていた。
「ま、本物なんだけどね」
淡々と言うハル。
ハルはただ、本物だと思う? と質問しただけで、別に騙したわけでもズルしたわけでもない。これも立派な話術である。そもそもルルとリリィは1日に2度しかあの魔法を使えない。
しかしそれをこの護衛達が知るよしもなく、見事に引っ掛かってくれた。
とりあえずこれで残りは1人。
射たれなかった方が射たれた仲間を心配している隙にハルは直ぐ様、次の矢を矢筒から抜く。
その時、ハルの左腕は限界を迎えた。
「……っ」
カランッと音を立てて矢が床に落ちる。
左手の握力がもう矢も持てないほどに低下していた。
指先1つ力が入らず、左腕がぶらんっと力なく垂れ下がる。
(うっそ……これって、かなりヤバいんじゃ……)
気が付けば左肩の前後から溢れ出ていた血はジャケットの左半分を赤黒く染め上げ、腕を伝って垂れ下がっている左手の指先からポタポタと床に滴り落ちている。
それを自分で認識した途端視界も一気にボヤけ始め、目の前の敵が剣をハルに向けているのを理解はしているものの、身体がまるで反応してくれない。
(……っ、あと、1人だったのに……)
明らかに貧血状態のハルを残った男が見逃すはずもなく、一気に距離を詰め、ハルに斬りかかる。
人生で二度目の死を本気で覚悟した瞬間、小さな人影が男とハルの間に割って入った。
「…………さすが、速いじゃん」
「……ふん、これでも猫科だからな。瞬発力には自信があるんだよ」
そこには2本のダガーを交差して構え、敵の斬撃を受け止めているカイの姿があった。
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