30.謎の黒装束
「カイから離れて」
ハルはクロスボウを大男に向けながら静かに、しかしはっきりと殺意を込めて言葉を発する。
今すぐカイから離れなければ次はその額に撃ち込む。
そういう意を込めた言葉を真っ直ぐ受け止めた大男は――
「……ふん」
カイに向かって振り下ろしている剣へさらに力を込める。
片膝を地面に付けて耐えているカイの表情がさらに曇る。もう1秒ももたないかもしれないと瞬時に判断したハルは躊躇うことなく男の顔面目掛けて引き金を引く。
常人では反応することすら不可能なスピードの矢を、男は首を傾げるという最小限の動きで躱した。
(…………なっ!)
普通ならあり得ないその光景に驚愕するハルだが、それを決して表には出さない。
普通ならあり得ないことをしてみせたのなら、この男は普通ではないのだ。
――カナタはもっと至近距離で矢を躱していた。
それを知っている分、心に余裕が持てた。
一発目は本当に不意を突いただけだったのだ。
逆に言えば、不意さえ突けば矢を当てられる。
たとえ首を傾げるという動作だけでも、振り下ろしている力は多少緩む。
その一瞬の力の緩みを見逃さず、カイは全力で男の剣を上へ弾き、バックステップで男と距離をとる。
「こいつ……本当にヤバイぞ……それこそカナタやロイドレベルかもしれない」
カイの言葉にハルも頷く。
カナタやロイドレベル。それすなわちあのドラゴンを平気な顔をして倒すレベルだということだ。
「……なるほど。変わった武器だが、仕組みさえ解れば恐れるような武器じゃあなかったな」
男がハルの持つクロスボウを見ながら呟く。
「矢と弦を固定することで一定以上の威力を生み出し、命中率も莫大に向上させた。なるほど、なかなか面白い武器だ。だが覚えておけ、狙いが定めやすくなったということは、こちらからもどこを狙っているのか分かりやすくなっているということだ」
「……!」
男は簡単に言ってのけるが、それは達人レベルに鍛え上げられた者の言葉だ。が、実際こうして躱されている以上これほど説得力のあるものはないだろう。
「んじゃ次は俺から行くぜぇ。どこまで付いてこられる?」
そう言った直後、男は自分の左肩に刺さった矢を抜き、それをハル達目掛けて全力で投擲する。
人間が出せる限界を裕に越したスピードの矢をカイが何とかダガーで弾く。
猫科の獣人であるカイは動体視力に非常に優れており、ハルが目で追えないレベルのスピードの矢も何とか弾くくらいはできる。
「あっぶね……ッ」
カイが矢を防いでくれたお陰でクロスボウに新たな矢をセットする時間が生まれる。
矢をセットし、弦を引こうとしたその一瞬で――、
――カイが視界から消えた。
「ガハッ……!!」
目の前にいたカイが消え、代わりに大男が目の前に現れる。
飛んでくる矢をダガーで防ぐことのできるカイが、一瞬で移動した男に何の反応もできず、男の振るった腕に吹っ飛ばされて木に激突した。
「カイ!!」
「おいおい、仲間の心配をしてる場合かよ」
その声にハッとし前を向き直すと、既に男の蹴りがハルの真横数10センチの所まで迫っていた。
「うがっ……!」
左腕ごと強引に蹴飛ばされたハルはゴロゴロと転がりながらもクロスボウの弦を思いきり引く。
滅茶苦茶痛い。本気で泣きそうなくらい痛い。もしかしたら左腕にヒビが入ったかもしれない。でも、倒れるわけにはいかない。ハルとカイにはやらなければいけないことがある。
今こうしている間にも、ルルとリリィがどんな目に合っているか分からないのだ。
「な、めんなぁ!」
転がり終えて体勢を整えると同時に男に向けて矢を放つ。
今度は構えると同時に射った。どこを狙っているのか何て分かるはずも――
「もうお前の矢が俺に届くことはねぇよ」
「あ……ぐっ、うぁ……!」
男に向けて放ったはずの矢は、ハルの左肩に突き刺さっていた。
「一発目のお返しだ」
激痛がハルの左肩を襲う。
何が起こったのか分からない。男が剣を振るったと思ったら、矢がハルの左肩に刺さっていた。
単純に考えれば、ハルの放った矢を剣で弾き返し、逆にハルの左肩に刺したのだろう。しかも、男の口振りからいって、狙って左肩を射ぬいたようだ。
言葉にするのは簡単だが、これは達人レベルを越えている。
間違いなく、ハルはこの男の足元にも及ばない。
その差は月とスッポンを凌駕している。
どれだけ敵が油断していても、ハルがこの男を倒すことは不可能だ。
矢の勢いに押され後ろに倒れる。
左腕も左肩も物凄く痛い。意識が朦朧とするレベルで痛い。
地球に、日本に住んでいてこんな激痛を味わうことなんてあるだろうか。
まあハルは言葉通り死ぬほど痛い思いをしたことはあるのだが。
男が剣を担ぎハルの横までやって来る。
もう抵抗する気力が起こらない。
「ま、お前に恨みはねぇがこれも一応仕事の一環でね。何の為にこんなことをするんだとか訊くなよ? そんなもん、念のためとしか答えられねぇから」
男が剣を上げ、振り下ろそうとした時、耳の奥まで響くような澄んだ男性の声が聞こえた。
「待て、アル」
その声にアルと呼ばれた大男が動きを止めた。
「あ? 何で止めるんだよアラン。お前がこの女は早めに始末しておくべきって言ったんだろ?」
「始末しておくべきかもしれないと言ったんだ」
「……? どう違うんだよ」
「お前との戦いを見て、その必要はないと判断したまでだ」
アランと呼ばれた男は予想通り昨日の黒装束の小柄な方だった。
身長はハルとほとんど変わらず、アルと並んで立つとより小さく見える。
しかしその立ち振舞いや話し方などを見る限り、顔を半分隠しているため正確ではないが、ハルよりは年上だと思われる。
アランはハルに近付き、髪を乱雑に掴んで無理矢理身体を起こさせる。
「つっ……!」
「昨夜俺の魔法を食らっておきながらこいつだけは意識があったからな。何者かと警戒したんだが……どうやら殺す価値もないただの小娘だったようだ」
「…………髪痛いんだけど?」
「……フッ、度胸だけは一人前だな」
腕やら肩やら髪やらが痛いのをひとまず我慢して、目の前の男を睨み付ける。
アランはハルの髪を離し、背を向ける。
「行くぞ、そいつは期待外れだ」
「ちっ、何だよつまんねぇな」
そう言い、アランは詠唱を始める。
しかし、まだ逃がすわけにはいかない。
「ねえ、あなたたちはファネルの仲間じゃないの?」
ハルの言葉に一瞬ぽかんとする2人。
そしてアルが盛大に吹き出した。
「ぶはっ! 俺達があの女の仲間? おいおい、冗談じゃねぇよ。んなわけねぇだろっ」
うけるーと爆笑しているアルを尻目にアランは詠唱を終えた。
「おい、もう行くぞ」
「へいへい」
「待て! 話はまだ……!」
恐らく転移魔法を使おうとしている2人にクロスボウを向ける。しかし、矢がセットされていないことに気が付く。
「もしお前が俺達の脅威となろうものなら、またお前の前に現れる、かもしれないな」
2人の足元に魔方陣が描かれる。
そして光の粒子となって2人は徐々に消えていく。
『そんな日は永遠に来ないだろうがな』
そんな言葉を残して、黒装束の2人組は完全に姿を消した。
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