7.道は多けれどゴールは1つ
──あなたがここに来てしまったということは、あなたが道を間違えそうになっているということよ。
あの時の言葉が頭から離れない。
母の言ったあの言葉を信じるなら、きっとハルが取った行動は間違いだったのだろう。
もしも、今まで散々口にしてきたことが正解なのだとしたら、確かにあの行動は間違いだったと言える。
あれからひと月が経ち、それすなわち、彼らビスト帝国が行った大陸全土に対する宣戦布告からも約ひと月が経ったということになる。
まだ、サランド皇国以外の国がやられたという報告はないが、彼らがいつ攻め込んできてもおかしくない。彼らの標的には、アインツベルク王国も当然入っているはずだ。
もしあの獣人兵がこの国に、例えば今ここに攻め込んできた場合、どういった行動を取ることが正解なのか。戦争という形が取られている以上、アインツベルク王国にいるハルはアインツベルク王国も標的にしているビスト帝国軍からしてみれば敵ということになる。ただ、そこで獣人兵と、ビスト帝国と本気で殺し合いを始めてしまえば、もうハルが望んだ世界は完全に潰えることとなるだろう。
(──いや……それこそ今更か……)
既にビスト帝国が大陸全土に宣戦布告をしてしまっている時点で、大陸は──大陸に住む人間はビスト帝国を敵視している。つまり、ビスト帝国を作り上げている獣人そのものを完全に敵視してしまっているのだ。
宣戦布告から約1ヶ月。ビスト帝国本体からは何の音沙汰もないのにはそこに理由があるのかもしれない。
宣戦布告自体が、既にビスト帝国からの攻撃になっているとすれば、今の沈黙状態にも頷ける。
「…………? 外が騒がしい……?」
外から聞こえてくる喧騒に首を傾げながら部屋を出て廊下の窓から学校を見てみると、何やら数人の武器を持った人間が校舎の前に集まり校舎の前に立っているダンストンにワーワー喚き散らしている。
「…………」
その光景を見たハルは一度部屋に戻り、部屋着にいつもの上着だけ羽織ると壁に立て掛けてあったクロスボウを手に取って再び部屋を出る。
階段を下り、リビングの横を通り過ぎて玄関へと真っ直ぐ向かう。
そして、靴を履いている時に、がしっと腕を掴まれた。
「どこへ行くつもり?」
「……いつからあんなことになってたの?」
「貴女は部屋に戻りなさい」
「ついこの間廊下の窓から見たときは皆外で普通に遊んでた。でも、ダンストンさんの様子からいって初めてって感じじゃない。なら、ここ数日の間に何かあったんでしょ……!?」
腕を掴んで離さないルルに対して、何とも言えない感情をぶつける。
別にこんなことを学校には特に行っていないルルに言ってもどうにもならない。言うなら教師役の3人か、リハビリも兼ねて最近よく子供達と遊んでいたカイに言うべきなのだ。そんなことは分かっている。
「とにかく、腕を離して」
「ダンストンさんに任せなさい。貴女の出る幕ではないわ」
「私の出る幕でしょ! あそこは私の学校だ! 私の望んだ世界だ! 誰だろうとそれを邪魔することは許さない……!」
ルルの腕を振りほどき、ハルは玄関を出る。
屋敷の左手に存在する校舎。ハルはクロスボウに矢をセットし、安全装置を解除する。右手首の魔道具に嵌め込まれた魔石を軽く光らせることで魔力がちゃんと溜め込まれていることを確認すると、走って校舎へと向かう。
あれ以来、夢は見ていない。
もしかしたら忘れているだけなのかもしれないが、以前のような少女の夢は見ていない。
あれ以来、魔力制御ができるようになった。
ロイドの魔力を右手首の魔道具に貯蓄する際も魔力切れを起こすことはなくなったし、その魔道具を使って魔法を撃つときも威力や規模をコントロールできるようになった。部屋の窓から何度か外に向けて試し撃ちをしてシュナに怒られた。
シュガレットにはあのペンダントにそんな効果はないはずだと言われたが、ハルが魔力をコントロールできるのはペンダントを身に付けている時だけだった。恐らくだが、残っていた母の魔力がハルに魔力の使い方を教えているのだと、ハルは考えていた。
きっと、あの時不思議な空間で母と会ったのも、あのペンダントに母が何かシュガレットですら気付けない細工をしていたに違いない。天才魔法少女だった母なら、それくらい造作もないことだろう。
ただ同時にあれ以来、以前と同じように右手首の魔道具がなければ魔法は使えなくなった。
獣人兵からカイ達を守るために戦った時には、右手首の魔道具は一切使わずにあらゆる魔法を駆使してあの場を切り抜けた。ただ、あの時使用した魔法は全て、母がよく使っていた魔法だったと話を聞いたシュガレットが言っていた。
つまり、あの時使っていた魔法はあの時限定だったのだろう。
あれはハルの力ではなく、矢を向け力を貸せと脅した娘に対し、母が一時的に皆を守れるだけの力を貸してくれたに違いない。
母は──咲場 未来は言っていた。
『あなたは道を間違えそうになっている』と。
道を間違えそうになっている娘に対して、母親に矢を向ける娘に対して、それでもあなたの力になりたいと、あなたの意思を尊重したいと大切な者達を守れるだけの力を貸してくれた。
咲場 春はその力を獣人を殺すために使った。
結果的に獣人兵を殺すことでシュナ達は助かった。ただ、それは結果論に過ぎない。母──未来は春なら道を正せると、その力を正しく使えると信じてあの力を託したはずだ。しかし、ハルはその力を未来が望む形とは違う形で使った。確かに本気の殺意を持って、自分の意思で殺したいと思って獣人兵を殺した。
走りながらハルは自虐的な笑みを浮かべ、胸ポケットのペンダントを強く握りしめる。
もうきっと、後戻りはできない。
咲場 春が獣人を殺した事実は変わらない。
だからこそ、見える景色も変わってくる。
「ここに獣人のガキが人間の子供と一緒に預けられてるって知ってんだぞ! 結局な、獣人なんてのはろくな奴がいねぇんだよ。あんな気色の悪い耳と尻尾を生やして、人間の皮を被った化け物に違いねぇんだ! どうせそこにいるガキ共も大陸に戦争を仕掛けてきた奴等と同じ、いずれは人間に牙を剥きやがるに決まって──」
「とうっ!!」
「ぶべらっ!!」
ごちゃごちゃと勝手な被害妄想を喚き散らしていた男の背中にドロップキックを叩き込んだのは、クロスボウを片手に右手首の魔道具の準備までしていたハルだった。
「む、ハルさん……?」
校舎の中に入れないよう校舎の前で男達の相手をしていたダンストンが突然ドロップキックをしたハルに驚きの表情を見せる。
ちなみに男の背後からハルが近づいてきていたことは当然気付いており、ダンストンが驚いているのはクロスボウを持っているのにも拘わらずドロップキックをしたということと、そのドロップキックのあまりの低さに対してだった。
ハル自身本当なら男の後頭部に向かってドロップキックを仕掛けるつもりだったのだが、思った以上に高く跳ぶことができず、限りなくお尻に近い背中へのドロップキックとなってしまった。
「な、何だテメェ!?」
「……はぁ、はぁ……うるさい……息が整うまで、ちょっと待てやコラ」
「お? お、おおう……?」
「………………………………ふぅ、何だテメェはこっちの台詞なんだよ。人があれこれ悩んでる間に人の学校に手ぇ出しやがって。しかもその事を誰も私に報告しに来ないし……!」
「あ? なに言ってやがる?」
「ここは、私の学校だ。私の世界だ。文句があるなら私に言えよ。校長は私なんだよ責任者は私なんだよ。何でも受け付けてやるから私に言ってみろよ! ただし、全部論破して返してやるから……かかってこいよ」
「ぐ……っ、やれ! お前ら!」
「……!」
どうやらハルが蹴り飛ばした男は他の連中のリーダーだったらしく、リーダーの男の一声で武器を持った他の連中がハルに切りかかる。
しかし、ハルは後ろを振り向かない。目の前の尻餅をついている男を睨み付けながらクロスボウを突きつけるだけで、背後から切りかかる3人の男には目もくれない。
ハルが命を懸けてでも守りたいと思うのと同じように、そんなハルの背中を守りたいと思う者達もいる。
もうきっと、後戻りはできない。
咲場 春が獣人を殺した事実は変わらない。
だからといって、ハルが家族である獣人を命を懸けて守ってはいけない理由もない。
大好きな者達を、彼女の望む大好きな世界で生きる者達を、残り少ない命を懸けて守ってはいけない理由など、どこにもない。
ハルが間違った道に進もうとしたら、殴り付けてでも止めてくれる家族がいる。
ハルが間違ったことをしてしまったら、ハルを叱ってからハルと一緒に叱られてくれるそんな家族がいる。
ハルが前を向いて進もうとするのなら、その背中を押し、その背中を守り、そして対等に隣を歩いてくれる、そんな家族がいる。
「はぁ……あれほど安静にしていろと言っておいたというのに……」
「だから言ったろ、コイツが大人しく部屋でジッとなんてしてられるはずがないって。しかも元々ない運動神経に運動不足がプラスされて全然ジャンプできてなかったし」
「まあまあ、僕はやっぱり元気なハルさんの方がいいと思いますよ」
自分の背中を守りたいと思ってくれる者がいる以上、自分の力はその者達のために使うべきだ。
ハルが獣人兵を殺したのは事実だし、カイを瀕死にまで追い込んだ獣人兵やそんなきっかけを作ったマヒユ教を本気で殺したいと憎んだのも事実だ。
結局人は誰も、何が正解で何が不正解なのか分からずに生きている。
ある人にとっては正解でも、ある人にとっては不正解なんてこともきっとあるのだろう。
誰が敵で、誰が味方で、誰が悪くて、誰が悪くないのか。
そんなこと誰にも分からない。
この世界だって地球の歴史と何も変わらない。
現実はいつだって思い通りには動いてくれない。
誰かが作った物語のように、初めから悪者と正義のヒーローが決まっていて、善が悪を倒す。
そんな分かりやすい世界なら、一体どれほど楽だっただろう。
だが、所詮は神様でもない限り、それこそ現実という物語を書いている物書きでもない限り、何が正解で、何が正義で、何が善なのか。そんなもの初めから分かるはずなどなかったのだ。
争いとは正義と正義がぶつかった時に発生する。
そこに悪など存在しない。だからこそ、争いはなくならない。
咲場 未来は言った。あなたは道を間違いそうになっていると。
彼女にだって何が正解で何が間違っているのかなんて分かるはずないのに。
誰にも分かるはずなどないのに、それでも、彼女は確信的にそう言った。
なら、彼女はそういうことを言いたかった訳ではないのだ。今ならわかる。きっと彼女はこう言いたかったのだ。
『あなたは、”自分で決めた道”を間違えそうになっている』と。
昔から、自分の意見を持たない人間が嫌いだった。
優柔不断な人間がすこぶる嫌いだった。
危うく、自分のことを嫌いになるところだった。
あいにく、咲場 春は自分のことが大好きだし、これからも自分のことを嫌いになる予定もない。
お金があり、顔だってかなりの美人だ。どれだけ食べても太らないし、頭だって良い。運動が苦手なところもギャップがあってとても可愛い。
そして何より、自分を持っている。
爪先から頭のてっぺんまで1本の太い芯がしっかりと通っている。
もし自分が男なら、こんな超絶美少女放ってはおかないだろう。
ま、何だかんだと悩みもしたし、時にはブルーになったりもしたが、もう考えるのはやめた。
シュナにも以前言われたではないか。いつもはごちゃごちゃと色々考えているくせにいざというときは何も考えずに突っ走る。
あの時はあまり良い意味ではなかったっぽいが、それがハルの長所でもある。
ごちゃごちゃ考えていざというときに何もできない方が馬鹿らしい。
たった1つだけ、軸となる考えさえあればあとはどうとでもなる。
咲場 春の軸となる考え、思い、願い、望み、それはこの世界に来たときから変わらずたった1つだけだったではないか。
「獣人の良さなら私が骨の髄まで教えてやるから、耳の穴かっぽじってよく聞きな、このすっとこどっこい」




