★★★3
「ねえ、静寂。静寂も何か言い訳作ってさぼればよかったんじゃないの?」
小学校最高学年ともなると、放課後の掃除は遊ぶ時間を減らす敵認定をされるようで、大抵の人はこぞってそれらしい理由を並べて、とっとと帰るというのがスタンダードとなっていた。こういう時にポイントでもチラつかせたらいいものを、なぜか委員会活動や授業中の発表、クラブ活動にはポイントが入るくせに掃除にはポイントが支給されない。金の切れ目は縁の切れ目というように、もはや掃除をするクラスメートなどレッドリストにも載せられないようになってきた。まじめに清掃する人もみんな他の班に所属しているので、今日も私は一人で床を拭き、一人で履くことになっているのである。
「別にいいと。旋風こそ、予定あるんだったら先に帰ってよ。待たせるの、地味に罪悪感感じるから」
「ああ、それなら気にする必要性は欠片ほどもこの世には存在しない。だってわたしが待つって決めただけだからさ」
旋風は最後まで掃除をする私を辛抱強く
待ってくれる。一切手伝うことはしない。ずーっと教卓などに腰掛け、とりとめもない話をしながらじっと待っているのである。たった、たった一度だけ、その理由を尋ねたことがある。
「これはわたしが決めたこと、だからね。わたしが決めたことは、待つことであって、手伝うことではないからさ」
と取り付く島もなく、断られてしまった。それ以来尋ねていないから、彼女の真意はわからないは、きっと彼女なりのルールがそこに存在するのだと思う。
ルール。それは清掃の時間にも当てはまめられるようで、率直なのかまぬけなのかは判別できないし、私は毛頭するつもりがないのだが、どうやら与えられた役割を的確にこなす児童よりも、それなりに苦慮を重ねてそれから避けよう、自分の時間を大切にしようという痕跡が見える児童をこの学校の教師陣は高く評価しているようだ。「何も予定がないので」というたびに、担任教師の眉間に皺が寄るのを幾たびも目にしている私が感じているのだから間違いない。これからの社会を生き抜く上では、工場内でベルトコンベアーに流れてきたものを黙々と組み立てる力よりも
工場外に出て、よりよい製品を作ろうと努力する姿勢の方が求められているということだろう。
だからといって、それを否定することは何かが間違っているような気がする。掃除をする人がいたっていい。工場内でただひたすら部品を組み立てる人がいたっていい。そういう人の存在があるからこそ、この社会という歪きわまりない歯車はなんとか回り続けることができるのだ。効率だけが全てでない。むしろ効率を追求することで、効率から乖離することだってあるはずなんだ。……と私は信じたい。
「ねえ、静寂」
清掃活動が一段落したところを見計らって、旋風の声。彼女の『ねえ、静寂』は大抵の場合、議論したいことや考えを聞かせたいこと、聞きたいことがある、というシグナルだから、私も自席で言葉を待つ。
「この間読んだ素敵な物語の中にあったんだけどね。静寂は自分が好きな人が突然。突然だよ。ある日唐突に写真になってしまったとしたら、同じように好きでいられると思う?」
まさに突然だ。課題設定が突拍子もなさすぎて、まだ空から秋刀魚が降ってきたといわれた方が落ち着いて聞いていられるぐらいの問題提起だ。彼女の言葉の真意を計ろうとするも、やはり私には不可能だ。なぜ、好きな人を設定しなければならないのかがわからないし、それをなぜ写真にする必要があるのだろうか。
それに「好き」という感情ほど残酷なものはないと思う。巷では恋愛映画や漫画が流行しているから、きっとそれを巡って感情を動かしたいという人がいっぱい存在して支持されているということだと思う。けれど、何かを選ぶということはそれ以外を捨てているということだ。その感情の取捨選択を娯楽として楽しむ悪趣味は辟易する。それを避けるためには博愛主義者にでもならなければ可能でない。
私だって人間関係の優先順を考慮することが必要だということは理解できるが、感情が邪魔をする。捨てられた人はどうすればいい。このやり場のない、誰にも向けられない悪意はどう解消、いや消化すればよいのだろう。唱歌でも歌えば気分が晴れるだろうか。まだ、嫌いになってもらえればマシである。嫌いとも思われなかったら?それなら好きを捨てたほうが誠実だ。
「自分の納得する『好き』が無いから、よくわからない」
「えー。そんなの簡単だよ。この人と一緒にいたい。ともに時間を過ごしたい、という感情のことだよ」
「それこそ、私自身の想いと相手の感情は無関係なことだから、はた迷惑なことじゃない?」
旋風は、少し戸惑った様子を見せたような気がした。丸くてきらきらした、宝石のような瞳がかすかばかり曇ったようだ。
「……静寂。それは違うよ。そうじゃないよ。好きって感情は他人との係わりの中で三番目に尊い感情なんだからさ。絶対に忘れたり、捨てたりしちゃダメなんだよ。迷惑にしちゃダメなんだよ」
じゃあ、一番目の感情は、と問おうとして止めた。それはきっとブーメランのとうに私を傷つける。
「そんな語調荒くどうしたの」
「大切なことだから、強調してるだけ。よく聞いて、静寂。人間、一人で過ごせても、一人じゃ生きていけないのは自明の事柄じゃん。他人とともに生きるって、他の人に迷惑をかけることだって、私は信じてる。だから、その人のことを愛しく思う気持ちは、迷惑にはならないさ。だから、本当にその人のことが好きで、愛していたら、写真になっても、同じ気持ちでいられると思う。現実のその人と写真のその人に何の違いがある?」
「それは仮想世界のNPCに愛を叫び続けることと変わらないってこと?」
「現実世界に生きている人に、気持ちを突伝えることは、つまるところ一方通行でしかないわけでしょ?アイドルだって、ある意味偶像崇拝と認めた上で、グッズを購入したり、ファンレターを書いたりするわけじゃん。アニメキャラクターバレンタインチョコを贈る人も多いってSNSで見るよ。じゃあ、二次元に話しかけるのと、三次元に話しかけること。その差はどこにあるのさ?」
「返事の有無、とか?」
「返事のできない人はダメなの?意思疎通の可能性で考えているの?」
旋風の追究はいつも厳しい。きっとそれは何事にでも真っ直ぐだから、真剣だから。私の芯の弱さには眩しすぎる。
「……そもそも返事を求める心が身勝手だと思う」
返事を要求するから、返ってこなくて起こるんだ。見返りがもらえなくて苛つくんだ。人間関係だって同じことだ。こう思われたい。こう感じてほしい。その期待の請求書を発行するから、軋轢が生まれるんだ。
「旋風は、どう考えてる?その差を」
「……情報量の差だよ」
旋風の言葉は、あらかじめ用意していた原稿を読み流しているのかのように滑らかだ。いやむしろこの返事を引きだすためだけにそれまでの会話をしていたのかと感じさせられるである。考え過ぎだろうか。
「二次元を三次元にするためには、奥行きとか動きとか……データが必要じゃん」
「それってインターネット動画のカクカク具合、みたいな?」
「さっすが。静寂は察しがいいね。たとえば一つの物語を作るとするよ。その時、重要になるのは何?」
「……世界観かな」
求められることは別なんだろうな、とぼんやり思った。
「ホント、嫌な外し方するよね。静寂は。もちろん答えは、登場人物だよ。いくらすばらしい箱庭があっても、中で物語を紡ぐ何者かがいなければ、ストーリーが進められないからね。静寂が考えるなら、どんあキャラくたーにしたい?」
「えー……」
「適当でいいから考えてみて」
「じゃあー……女の子で身長は一六〇センチぐらい。大きな目がクリクリって輝いていて、いつも楽しげに振る舞っているんだけど、時々とてつもなく寂しそうで、……っちょっとだけわがままな人かな」
「誰のことを言っていんの、それ?」
「私が知ってる人をモデルにした」
「え?そんな人いたって?……まあいいけど。今キャラクター考える時、何を基準にした?」
「色々だよ」
「ごまかさないでほしいな。ほら、キャラクター考える時、身長とか性別とか顔の表情とか、性格とか考えたよね。その一つ一つが情報だよ。データ量が多ければ多いほど、人間豊かになるんだよ。この人はこのような行いをしました。このような役割を果たしました」
「え?」
「例えば、道に誰かのハンカチが落ちたことにしよう。真っ赤なハンカチ。わたしが学校に向かって歩いていると、ある男の子がそのハンカチに気づいて拾い上げたの。そして彼はハンカチの埃を払い、交番に届けた。どう思う?」
「優しい人だなあ、って言えばいい?」
優しくなんてない。それはきっと偽善だ。自分の利益だけを求めて行動することは、偽の善意でしかない。それを善意と私は呼びたくない。もしも、ハンカチの持ち主がその場所に探しに来たらどう責任をとるんだ。純粋に優しさだけを求めるのなら、交番に行って自らの振る舞いを認めてもらおうとするべきではない。手を出さないことが優しさということもある。何とかしてあげたいと思うなら、見つけた場所で声を上げ続けるしかない。
「静寂はホント優しいなあ。潔癖に感じるぐらいにさ。一般的には、クエスチョンマークを付けずに優しい人だなあ。真面目な人だなあって言われることだよ?……ま、とにかく、拾わずに無視するよりは、優しいと考えてくれる人が多数派だってこと。つまり、行動によって、優しさなど、……ま何でもいいんだけどね。人格ってヤツが見い出されるってことさ。それはすなわち人を形作る情報でしょ」
「それで?」
結末が予想できるのに、それでも言わせるように仕向けるのは、悪いことだろうか。彼女の欲を満たすためという楯を縦に活用しようとするエゴイズム的だろうか。
「静寂。たとえばだよ。極限まで、その
情報量を削ったらどうなると思う?」
「極限?……それなら、黒い点にでもなるしかないんじゃないかな」
「それに感情を持てると思う?」
「……どうだろう。他人の感情と自分の感情は切り離せるものだと信じてるから、その人自身の問題じゃないかな」
「わたしは持てるよ。もし、その人が好きだったら絶対に好きでい続けられると思う」
それはもはやその人が好きというよりも、その感情をキープできる自分への好意ではないだろうか。そう言い返そうとして止めた。血を吐くように語る彼女にこれ以上言葉を重ねる必要はない。理由を聞くことなんてもってのほかだ。
「帰ろっか」
教室後ろのロッカーの上に設置してある水槽の金魚が二匹、プカプカと葉っぱとともに浮いていた。




