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そもそも水瀬市では二つ肝に銘じなければならないことがある。それは、引っ越してきたその日、訳もわからないまま、母と市役所にたっぷり二時間は拘束された体験のおかげで、空でも言えるように教育された。
狭くて窓のない部屋。小学校などで用いられている机といす三脚。私と母は並んで座らされ、担当者が現れるのを今か今かと待っていた。窓も時計もない。スマホも取り上げられてしまった。体内時計も狂っていたので、正確には何分待っていたかはわからない。ただ、小学校三年生の脳内カウントなので当てにはできないが、たしか千を超えた辺りでドアがノックされたので、少なくとも十分間は待機状態だったのだと思う。
やって来たのは代田を名乗る女性の市役所職員だった。まず彼女は電子端末を手渡した。
「これが、この市の身分証明書であり、住民票であり、スマートフォンなどの通信機器であり、金銭です」
と。そして彼女は例の二つのルールについて何度も何度もまるで脳に直接刻みつけるかのように、告げたのだ。
一つ。あらゆることがポイントによって、なされているということ。
二つ。ポイントがゼロになってはいけないということ。
箇条書きにしてみれば、たったこれだけ。
文字数にして、たった五十。とても簡潔で疑問の余地を残さない。
この世界のありとあらゆる物事と共通していることだとは思うが、一つの事象を具体から抽象へと変換することはさほど難解な作業ではない。案外、突破口さえ見つけられたら、するすると進むことができる。しかし、その逆は違う。まるでその相関関係に不可逆性が定義づけられていたかのように感じる。たとえば、家で飼っている犬が他の飼い犬に噛まれそうになったところを身体を張って阻止したとしよう。なぜ、自らの身体が傷つくことも恐れずに、それができたのかと考察すれば、最終的に「愛」ゆえに、と言うことができると思う。もう一例挙げてみよう。世間で理想の親と呼ばれる人たちは自分達の「子供」に対しては献身的に尽くす。それは何故かといえば、それもまた「愛」なのだろう。このように、具体的な行為から抽象的な言葉を導き出すのはそこまで難しくない。しかし、身体を張って飼い犬を助けた行為を取り上げて、「愛」と主張できるだろうか。また、親から子への献身で「愛」を表現したといえるだろうか。もしかすれば、見変えうぃを求めているだけでは?自分の理想を押しつけているだけでは?疑惑は際限なく湧き水のごとくコポコポと流れ出す。
だからこそ、そのような事例だけを取り上げて、「愛」の定義をする方が無謀と言わざるを得ないだろう。ならば、事例の数を増やせばと思いがちだが、結局どれだけ増やそうが、それはふるいのようで編み目が細かくなるだけで、穴が塞がったことにはならない。つまり証明できないということだ。
これと水瀬のルールは類似していると思う。だから、これから具体例を挙げるものの、これですべてのルールを説明したとはいえないということを前提としてほしい。
電車賃や昼食代、光熱費などがポイントで支払われる。たとえば、私がバスに乗ったとしよう。乗車する際には電磁カードのごとく電子端末をタッチさせる。後は降車時にまたタッチすれば、精算の完了だ。噂によると、運営課に訪ねたら利用履歴も判明するという。
なら、すぐさまポイント底をつくという事態に襲われないのかと思われるかもしれない。だが、そこは憲法に規定されている「生存権」とやらのおかげで、毎日生きているだけで数百ポイントが支給される。ゆえによbの買い物好きか、破滅傾向がなければ、まずゼロに近づくことはないというカラクリだ。それに「あらゆること」がポイントを介する。つまり日常の些細な行いも自らのポイントを加算させるかもしれないということだ。代田曰く、何かの役職を就く人と就かない人では、数十年後のポイント数に大いなる懸隔を生じさせるという。
それでも、ゼロに近づかせたかったら、反社会的な行為に及べばよい。繰り返し行えば、その内ゼロに近づくだろう。まあ、その前に警察に捕まり、刑務所暮らしだ。そこでも衣食住は保障されるということだから、まったく、慈愛に満ちた街だと思う。
それにゼロになったらどうなるかを性格に知っている人がどこにいるのだろう。運営課の人間はともかくとしてだが。一般市民は日常的に様々な場面で、予防的にゼロにするなと刷り込まれているのだ。テレビ・新聞・インターネット、すなわちSNS。ありとあらゆるメディアは、こぞって注意喚起をし、ポイントを増やすための注意喚起を行い、ボランティアなどを呼びかける。そこのどこにはゼロになった人の体験記なんて存在しない。なった人がいるかさえ、公表されていないのだ。それこそ恐怖を煽るために、隠匿していると考える方が合理的ではないだろうか。何もかも疑い出せば、坂道を下るように転がり落ちるだけだ。もはや風の音を怨霊の声と言い張っているようなものだ。幽霊の正体見たり、枯れ尾花、である。
人は見たいものしか見ないし、したいことしかしない。信じたいことしか信じない。だから、宗教というものが成立するのだとは思う。じゃあ、それでいいじゃないか。本人が納得しているのだったらそれでいいと思う。それがいかに常識から外れていようと、自分の信じたい、縋りたい、決めた道を突き進めばいい。他人がその人の思考に干渉する必要なんてないんだ。幸せの形は自分で決めればいい。ポイントをためるために、他人から奪うことを誰が否定できるだろう。動植物はよくて、人間はダメだと誰が証明できる?もちろん、法律は法治都市として存在することは理解できる。でも法律と個人の善悪の基準は等式で結べるものではない。ましてや、数の多さで正しさや答えを決めることなどできない。数の多さで決められるのは、最も少ない不平で物事を済ますための暫定案ぐらいなものだ。それは答えじゃない。善悪の機銃というものは、この世界で最も普遍という言葉からかけ離れた存在なのだ。一方がやめない限り、もう一方もやめられない。そして先に譲歩するのが、多数派でなければならない。弱い方が先に動かざるを得ないのは、強制させるからにほかならないからだ。
面倒な性格だと自分でも思う。いつからこうなったのだろう。幼い頃のことは、あまり印象になく、曖昧にしか想起することができない。自分の中で最も古くかつ鮮明なのは、水瀬に来た時のことなのだ。自分自身が水瀬市以外で住んでいたことが自分の中で現実味が無さ過ぎて、たまに自分自身に驚きを覚える。
パトカーが横を通り過ぎた。なるほどこの公的権力のシンボルはただそれだけで凶器だ。たった一台。ほとんど何も悪事を働いていないのに、条件反射的に目を逸らしてしまった。これじゃまるで犯罪者ではないか。
おそらく連続通り魔殺人事件の警戒体制を担当しているのだろう。インターネットニュースを流し読みしたところによると、どうやら犯人はすでに四人の命を何らかの方法で奪ったらしい。ポイント制度が整えられている社会として、なかなか大量出血だけでその人をきちんと「死」に至らしめるのは難しい。それは毒を盛っても同じだ。なかなか死ににくいと言われているポイント社会でどのように犯行を行ったのか、その不可解さがワイドショーの恰好の餌食になっているらしい。
確かに四人の方々は不幸だ。本当に不幸だと思う。だけど、それに涙は出てこない。それに涙を流すことに自己満足以外の理由を見つけられない。きっと被害者たちもこんな心情で憐れまれたくないとあの世で思っているだろう。これが超越的存在か罵声を浴びせられる要因となろうと、これに関しては間違っていないと私は信じたい。
さて、閑静な住宅地と併設された指導公園とはおおよそ似つかわない人物がまさに公園から出てきた。一体どこのドラックストア、あるいは美容院に行けば染めてもらえるのだろうか、と疑わずにはいられない赤……いや朱の髪。しかもそれらは素人がペンキを塗ったような粗さがない。一色ではなく、まるで自然の炎、もしくは火事現場からコピーペーストしたような鮮明なグラフィック。千六世紀に生きたというゾロアスターが火を神聖視するのも頷ける。ただそれと帳消しにするものがあるとすれば、首から上と下で、全く装いが異なるということだ。そう、首から下はミリタリー風。一体ここは誰と誰との紛争地帯かと勘違いしそうな風体である。ショルダーバックがライフルになっていたとしたら、戦時常体スタンバイ完了だ。
本来ならば、不審者に出会った時の鉄則。話さない。大声を出す。逃げる。だから、一八〇度進路を転換して、パトカーを追いかけるべき場面だとは思うが、不本意ながらこの人と面識がある。お知り合いでもあるのに突然歩みを止めるのは、あまりにも不自然すぎるだろう。
「やあー。Ohフジ!!」
たった一言。挨拶さえしていないというのに、この鬱陶しさ。様々な視点で関わり合いになりたくないと熱望することは世の摂理と称しても一切問題は起こらないと思う。ただ、この人を無視してしまうと、後々の自分自身に三倍返し並みでダメージが返ってくるだけでなく、予期できないややこしい事態へと発展していくので、このような思考は全くの戯れに過ぎないが。
「私の名字に、感嘆する要素なんて一つも無いですよ」
「haッハー。これは無礼なことヲ。お、ふじさん。ごめんなさいネ」
「人をあの霊峰と名高い世界遺産と同じイントネーションで発音しないでいただけます?会話料五〇〇、請求しますよ」
この不信感しか煽らない片言の日本語を操るのは、小豆澤門左衛門。古風なネーミングとは裏腹に軽薄で、自称無国籍の「伝言屋」である。そもそも小豆澤門左衛門という名前も本名かどうか怪しいところではあるが。
彼曰く、彼自身は常に「第三者」的な存在であることをモットーとしているらしい。いや、第三者としての振る舞いを自分に課しているといった方がより正確なのだろう。彼は、問題の当事者になろうとしない。たとえば、他人の揉めごとが目の前で起こってようが、彼は一指だに染めることをしない。人命など理由にはならないのだ。それが人一人が踏めばたちまち消えてしまうようなたばこの火であったとしても、彼はあくまで目撃者だ。やがてそれが火事になったとしても、彼は飄々と、いやむしろ爽やかささえも含ませた声で、
「オレは第三者ですからネ。手助けするなんて卑怯千万なる振る舞い一切致しマセン」
と愉快な口調で当事者をいたぶるに違いない。
「五〇〇?Hhッハー!。そんな半端なポイント、欲しけりゃくれてやりまスヨ」
小豆澤は帆布で作製された(散々自慢された)ショルダーバックから黒いカードを出し、手渡した。刹那「ブラックカード」なる一部の富裕層にしか手に入らない伝説のツールかとも期待したが、そのような甘い汁は当然吸うことはできない訳で、
「プリペイドカードデス。運用課が極秘裏に開発した新たなポイントテクニック。それには任意のポイント量を詰め込むことがデキマス。今・・・ほい。ちょうど五〇〇入れまマシタ。どーゾ」
「低回趣味にしては干渉してくれるんですね」
「フージと話せるのなら、ある意味安いものデス。ってのは全くの嘘で。単純にオレからの餞別と思ってクダサイ」
「私小豆澤と別れたり、遠くに行ったりするんですか」
「おやおやこれは無礼なことヲ。そうですネー。わかりましタ。これをプレゼントだと思ってご容赦くだサイ」
代償の無い好意などこの世にもあの世にもない。もらってしまったら最後、返さなくてはならない。世の中というのは、調和が保たれているのだ。そう、バランスが計られているのだ。何かを得たら、何かを失うし、過ちを犯せば、その分罰せられる。それはまさに上皿天秤の如く、いややじろべえの如く。ゆえに全くもって心から遠慮したいものである。本当に迷惑だ。ある意味悪意よりもはた迷惑である。悪意なら躊躇なく攻撃すれば済むのに、善意はそれだけで正しい。どうやって銃弾を撃ち込めばよいのだろう。断わればややこしくなるのは明白なので、電子端末のカバーに突っ込んだ。
「今日はまた、なぜこんなところに?」
「勿論、仕事デスヨ」
忘れていた。いや正直に告白しよう。それは嘘だ。ただただ考えないように、認識の枠内に入れないようにしていただけ。元来彼はこう見えても、「伝言屋」だ。私は他の街でこの職業の存在を見たことも聞いたこともなかったので、おそらく水瀬独自の職種だと考えている。伝言屋とは、郵便局員と似て非なる役目を果たす。それは初対面の時にとくと聞くことになったのだが、届けるものに差があるのだと彼が誇らしく言っていたのを思い出す。
彼曰く、「郵便局員というのは、優秀な人達だと思いマス。でも、彼らは目に視えるものしか運べまセン。でもオレら伝言屋は、目に視えないモノ、コトを確実にそう、一〇〇%、相手に届けることができるんデスヨ」と。
「そりゃそうですよね。すみません。仕事の邪魔をするのも申し訳ないので、失礼いたしま…」
「いやちょいちょい、お待ちくだサイ。なんとオレの本日の届け先は、ジャン。実は大藤。アナタなんデスヨ」
顔面の筋肉全体をユタユタを緩めてうれしそうな顔をされても、笑って済ませられる話ではない。伝言屋とは、小豆澤が鼻の穴を膨らませて言っていたように、目に視えないものさえも配達するのが彼らの職務だ。年賀状といった葉書とかなら郵便に出せばいい。すなわち、伝言屋にそれを委ねるということは証拠に残したくないものを託すということを意味するのである。かすかな戦慄が背を走った。
「つまり……私に伝言を届けに来られたということですね」
意図せず嚙み締めるような口ぶりになってしまった。伝言屋を用いてまで私に何かを伝えたい人だ。人間関係砂漠化進行中の現状をどれだけ手前味噌で判断しようも、善意で何かを伝えてくる人がいるとは思えない。きっと悪意だ。それか最後通牒か。足がむずかゆい。
「ええ。正直、会えるかどうか、五分五分でシタ。偶然デス。ここで会えてよかったと心から思いマスヨ」
偶然?必然の間違いでは?伝言屋の得体の知れなさに気を揉んでも致し方ない。きっと私には見えないだけで、細かくてか細い、蜘蛛の糸に絡め捕られたように思う。そう、この道の、この時間帯の、このタイミングを導かれたようにさえ感じられる。
「誰から、ですか…?」
「おや、あなたもよくご存知の方デスヨ。そう。彼女デス。黒島旋風からデス」
黒島旋風。その名を耳にして、心中が全く揺り動かされることがないと言ったから、偽りになってしまうだろう。その人は、初めてここにやって来た、私の数少ない知り合いの一人だった。その人は小六の時に忽然と消え失せた。文字通り消え去った。それだけではない。いかなる仕組みかはよく分からない。ある日唐突に名簿や下駄箱から名前が消失した。さらには、記憶からも氷解してしまったらしい。ここで「らしい」という推定の助動詞を用いたのはひとえに私自身の交友関係の狭さによるものである。ただそれゆえに確証が得られていないだけだ。
それに動揺したのは、黒島の名前を六年ぶりに耳にしたから、ではなく、それを聞いてもなお、さほど心を動かせなかったから、という極めて利己的なものであることを告白しておこうと思う。黒島と少しでも話をした間柄というのなら、ここで小豆澤を問い詰めるべきだったと思う。「どうして」、「なぜ」などと。それができなかったのは、ただただ私が冷酷な性情の持ち主だったということに過ぎない。
黒島はよく私に「優しい」といった。よくもぬけぬけと欺むかれたものである。ずっとずっと聞き流さしていたから、きっとその前には「自分に」という文節が挟まれていたに違いない。
「……黒島は、何と」
「ちょっと待ってくだサイネ」
今度はショルダーバックからICレコーダーを出す。
「『ねえ、静寂。ポイント強盗を助けてあげて』。以上デス」
「ポイント強盗を助ける……つまり救え、と。そういうことですか?だとすると、本当にポイント強盗って、現在に存在するということになりますよね」
「オレは知りまセン。あくまでメッセンジャー。傍観者デス。だから、大藤判断してクダサイ。するかしないかは自由デス」
やはりはぐらかされた。彼はショルダーバックをかけ直すと、もうこれ以上は用はないとばかりに私から背を向け、パトカーが走っていった方向へスタスタと歩き去った。彼はあくまでも第三者。これ以上の呼びかけはきっと意味をなさない。
さてさて。これが一端の物語の主人公。言い換えれば戦隊モノの中央を担当する人に渡された筋書きだったらどうだろう。「優しさ」をガソリンとエンジンにして、仲間を作るなど迅速に行動を開始するだろう。たって絶好の…恰好の餌食だ。噂話だけでも十分なのに、その上神隠しに遭った人物からの「伝言」だ。なかなか巡り合えるチャンスはないだろう。
期待を裏切るようで悪いが、ポイント強盗を探すつもりは毛頭ない。私は私の主人公だが、旋風のストーリーの主人公ではない。それに心動かせなかった人間だ。わざわざ災いに突っ込むほど愉快なタイプではないんだ。
ほんと、伝言する相手を間違えているよ。




