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コロニー2・日常にて

「オメザメニナラレマシタカ」

 ボディースキャナーのカプセルの中でめがさめた。

「シンサツハ、シュウリョウイタシマシタ」

 体を起こして、周りを見回したが、何も変わりなかった。当たり前だが……

「オヨウフクヲキテ、シバラクオマチクダサイ」

 服を着てから、部屋にある貴重品入れを指紋認証で開いて、パーソナルタブをとりだした。

 タブでニュースを見ようとしたら、ノックの音が聞こえた。

「入ります、よろしいですか」

「どうぞ」

 看護師がドアを開けて入って着た。

「ドクターから説明がありますので、診察室に移ってください」

 そう言うと先に立って歩き出した、俺は後について診察室に移動した。


「いや、今時ここまで健康な人も珍しい、五体満足健康そのもの」

 なんか軽い感じのドクターだ。

「特に問題はないけど、何か気になるとこありますか?」

「……いいえ」

 本当は少しきになる事があるのだが、言うのはやめた。

「データはパーソナル スペースに送られているので、暇な時に見といて、正直項目多くて面倒だけど」

 ドクターはそれだけ言うとモニターの画面を切り替えた。

「これでおわりです、ご苦労様。」

「ありがとうございます」

 俺は立ち上がりながら挨拶をした。


 看護師に促され診察室を出て、総合待合室に向かった。総合待合室には二人待ってる人がいたが、妻の姿はなかった。

 妻とは年齢が同じで誕生日が近いので、同じ日に定期総合健診を受けることにした。

 市民は5年に一度受けることが義務付けられているので、一緒に休みを取った。

 ボディホスキャナによる総合検査は、それこそ爪先から頭の先まで、消化器系や循環器、聴力視力、それに歯まで、完全なチェックを受けられる。これにより、病気で命を落とす市民は劇的に減ったと聞く。


 どうも俺の方が先に終わったらしい。どこかに腰を下ろそうとしたら、後ろから足音が近づいてきた。

「お嬢さん、よかったらこれから食事にでも行きませんか。」

 振り返ると妻が笑いながら近づいてきた。

「なんだそれ」

「5年前、あなたは初対面の私にこういったのよ」

「そうだったっけ」

 と、とぼけて見たけど確かにそう言った。初めて見た時に何か運命的なものを感じて思わず声をかけた。

 あれから5年、私たちは結婚し、まあ幸せに過ごしている。

「なんか食べに行こうか」

「話逸らした」

 彼女は笑いをこらえてるようだ。

「いや、確かに言ったよ、いけなかったか」

「そうね、悪くはなかったかな」

 何が可笑しいのか、ついにわらいだした。

 俺もなんかつられて、笑いがこみ上げてきた。

「何が可笑しいんだ」

「ふふふ、わからない」

「なんだそれ」


 彼女が落ち着くまで、ソファーに腰掛けてまった。

「ところで結果はどうだった」

「体の方は特に問題は無いけど、右足が少し傷んでるって」

 彼女は右足の膝から下が義足だ。

「アクチュエーターとバッテリーは、検査が必要だけど最悪交換が必要だって」

「神経の伝達回路は?」

「それは問題ないらしいわ」

「次の休みにでも相談に行くか」

「そうね、ところでなに食べに行こうか」

 彼女はタブでグルメ情報にアクセスしている。

「そう言えばこの先の2番街に新しいお店がオープンしたって聞いたな」

「そのお店かな、評価が高いお店が2番街にあるわ」

「そこ行ってみようか」


 二人でメディカルセンターを出て、3ブロック先のレストランに向かった。

 その店はすぐにわかった。

 店を決めてから、そのまま予約を入れたので、わりと混んでたがすぐに席に案内された。

 彼女とたわいのない話をして、酒も飲んだ。料理も美味しく楽しく過ごすことができた。

 近くのバス停から自宅へ向かうバスに乗った。

「お買い物忘れた」

「もう酒も飲んだから、帰ろうか」


 10分ほどバスに乗ったら、最寄りのバス停だ。

 バス停からは数分歩けば自宅に着く。

 玄関を入り、リビングへの廊下で、彼女の腰を抱き寄せて、キスをした。

 腰に回した手を背中に移そうとした時、彼女は俺の胸を軽く押して、体を離した。

「だめ、先にお風呂に入るの」

「昨日から丸一日メディカルセンターにいたんだ、綺麗なもんだと思うけど」

「病院臭いのは嫌なの」

 彼女はそそくさとバックを置いてバスルームに入って行った。

 俺は大げさに右手を嗅ぐ仕草をしたが、全く相手にしてもらえなかった。

「なんだかなぁ」

 仕方なく一人でリビングへ行ってソファーに腰掛けた。

 ビールでも飲もうと、キッチンまで行ったが、止めて水を飲むことにした。

 グラスに氷を入れて、コックを操作して水をコップに注いだ。


 リビングへ戻ってタブで今日の診察のデータを呼び出してみた、毎度の事だが項目が多すぎてうんざりする。

 ざっとみた限りでは、確かに全ての数値が標準値に収まってる。ほとんどは何のことかさっぱり意味のわからない数字なのだが、それを調べる気にもならない。

 そうこうしているうちに彼女がバスルームから出てきた。

「あなたも入るんでしょ」

「ああ、そうする」

 彼女に促されるように私もバスルームへ向かった。

 正直昨日からメディカルセンターのボディースキャナーで、身体中くまなく検査された上に、腸の中まですっかり洗浄されてるので、普段より清潔みたいな気もする。

 それでも、バスタブでお湯に浸かってると気分がいい。

 彼女は病院の外来看護師をしてるので、メディカルセンターの匂いが嫌なのかもしれない。

 風呂から上がると、彼女が寝ているベットへ静かに忍び込んだ。


 ヴィーヴィー…………

 ひどく耳障りなアラーム音で目が覚めた、何時もなら彼女のタブもアラームがなるはずなのに、今日は鳴ってない。

 考えてみれば、今日から俺は配置換えで勤務地が遠くなるので、今までより30分早くアラームをセットしてた。

 2週間前から覚悟してたのに、すっかり忘れていた。

 ベットで身を起こしても、彼女は起きる気配はない。

 まあ、目は覚めてるだろうけど起きる気はないようだ。

 ベットから出て、タブを持ってキッチンへ向かった。

 これから段取りをどうしようか、と考えてる時昨日買い物をしなかった事を思い出した。

 検査の前に食材がほとんど無くなってたので、買って補充するつもりだった事をすっかり忘れてた。

 何時もならハムエッグを焼いて、牛乳とトーストの朝食なのだが。今朝は、牛乳すらない。

 今までは二人分一緒に作ってたけど、明日からどうしようか。

 まあ、今までも俺が作ってたので、先に作って残しておけばいいのか。

 とか考えながら、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーでトーストを食べた。


 身支度を済ませてそろそろ出ようと思ってたら、彼女のアラームもなった。

「先に行くから、今日は言ってた通り遅くなるから、先に寝てていいよ」

 声をかけて家を出た。

 タブで玄関のロックをかけてる時に、彼女の「行ってらっしゃい」って声が遠くから聞こえた気がした。

 前は、職場まではバス一本で行けたけど、新しい職場はイーストエンドなので、バスとトラムを乗り継いで1時間近くかかるはずだ。

 今日は初出勤なので様子見に少し早めに家を出た。

 この歳になっても、やはり初めてだとちょっと緊張したりする。


 心配をよそに乗り継ぎもよく、思ったよりも早く着いた。

 オフィスのあるビルもバス停の真ん前、結局始業前20分には着いた。

 ビルのセキュリティーは私の承認をタブできた、まあこれは当たり前のことだが。

 3階のオフィスまでは階段で登った、俺はエスカレーターやエレベーターはあまり好きではない。

 初めてのオフィスに一番乗りってのもちょっと微妙だと思ったら、俺より先にすでに出勤してる人がいた。

「おはようございます」

 デスクでタブを眺めてた男性は、顔を上げて俺を確認するように見た。

「おはよう、君が今日から配属された人じゃね」

「はい」

「なかなか気合が入っててよろしい」

「私は室長の鈍一郎だ、君の席はその箱が置いてある席だから」


 見覚えのある箱が机の上に置いてあった。俺が、前の部署で使ってた私物を詰めた箱だ。

 席について、箱の中身を引き出しに移そうとしたら、一番上の引き出しだけに、底に紙が綺麗に敷いてあった。

 そのままにして、引き出しを使おうとも思ったけど、なんか気になって、その紙を取り出した。

 引き出しのサイズキッチリでつまみ上げるのに少し苦労した。

 空になった引き出しを見たが、特に異常はない。引き出しの底が汚れたから、紙を敷いた訳ではないようだ。

 紙は普通の白い紙、捨てようと思ったら裏に小さな文字が書いてあった。

“自分が何者かわかっているのか”

 小さくそれだけ、意味はなんだかわからない、ただ何か引っかかるものを感じた。

 少し眺めて考えて見たが、分かるはずもなく、その紙はそのまま丸めてゴミ箱に捨てた。


 そうこうしてるうちに他の職員も出勤して来て、始業5分前までには全員揃った。

 俺も含め総勢7人だ。

「ちょっとみんな注目してくれ」

 室長が立ち上がって俺のそばに歩いて来た。

「彼が今日から真太朗君の替わりに、こちらに配属されたエム君だ」

 俺は促され自己紹介をすることになった。

「私が今日からこちらで勤務する、恵武です、よろしくお願いいたします」

 なぜか拍手が起こった。

「エリカ君、恵武君に業務りの流れとか、今日は教えてあげてくれ、よろしくな」

 隣の席の女性がニッコリ笑いかけて来た。

「初めまして、瑛里華です、この仕事は初めて?」

「前の部署はサウス地区の管理部だったんで、多分そんなに違いは無いかな」

「それなら話は早いかも、真太朗さんは17から20系統の担当だったから」

 モニターを見るとやることは、前の部署と同じだったことがわかる、単に路線が違うだけだ。

「ということは、そろそろ深夜組との引き継ぎですね」

「ええ、手順はわかってるみたいね」

「大丈夫そうです」

 実際業務はほぼ同じ、交通システムの運行管理システムの管理が仕事だ。

 まあ、難しそうだが実際に運行管理をやってるのはAIだしそれが間違いなく動いてるかを見張ってるのもAI。

 俺はそのAIにトラブルがあった時に、バックアップシステムに切り替えて、トラブったAIを新品に入れ替える。

 それだけの仕事だから特にスキルがいる訳でも無い、AIのトラブルもAI自身が教えてくれるから。トラブルを起こしたユニットを取り替えるのが主な仕事になる。


 今日の仕事はトラブルもなく過ぎ、準夜勤組に引き継ぐと終わった。

「さあ、これから恵武君の歓迎会だ」

 今までモニターに向かってブツブツ何かつぶやいていた室長が急に立ち上がった。

「あの人宴会大好きだから」

 瑛里華さんがそっと耳打ちしてくれた。

「場所はいつもの”だるま”だ」

 室長はそれだけ言うと、ドアの方へ歩き始めた。

「室長、今日はカッツェリーナじゃなかったんですか」

 誰かが不満そうに言った。

「予約が取れなかったんじゃ」

 みんなが、室長に続く。

 俺も遅れないように、席を立った。


 その店はオフィスビルのすぐ裏手だった。日本スタイルって言うんだろうか、玄関には達磨と書いてある暖簾が掛かっている。

 店に入ると奥の部屋へ通された。床が一段高くなってて、靴を脱いで上がる。

 テーブルを囲んでめいめい好きな席にあぐらをかく。

「飲み物はビールでいいかの」

 仕切るのはやはり室長のようだ。

「私はワイン、赤で」

 まだ名前を聞いてない女の子が言う。

「他はないか」

「ビールでいいいっす」

 室長はオーダー用のタブレットを手にとって、慣れた手つきでオーダーしていった。

「料理は400Pのセットじゃから」


 まず先に酒が運ばれてきた。

「では、恵武くんの着任を祝って乾杯じゃ」

 乾杯から宴会が始まった。

 とりあえず自己紹介ということで、俺が自分のことを話した後、メンバーが一人つづ自己紹介した。

 室長と隣の席の瑛里華さん、はわかってる。

 残りのメンバーは、主任がカツヲ、後フィリップにレオナルド、女性がコフィー、俺とフィリップ以外はみんな独身らしい。


「恵武くん結婚してたんだね、残念だわ」

 瑛里華さんが話しかけてきた、すでにかなり酔ってるようだった。

「結婚ってどんな感じ?私も結婚したいのに、いい男がいなくって」

「どんな感じって、まあいい感じですかね」

「いい感じって、どんな感じよ」

 どんな感じって言われても、困る。

 なんか、説明しても納得してくれそうにないので、話題を変えることにした。

「ところで、真太郎さんってどうされたんですか」

 今までヘラヘラしてた瑛里華さんの顔が急に曇った。

「……死んだの、心筋梗塞だって」

 シンキンコウソクってなんだ、そういえば妻とも病気の話なんてほとんどしないので、その手の知識がまるでない。

「亡くなられたんですか、病気で?」

「そう、病気で、まだ35になったばかりだったのに」


「おう、どうした不景気なツラして、真太郎の話か」

 レオナルドさんが横から話に加わった。

「博士、心筋梗塞って何」

 レオナルドさんは博士と呼ばれてるらしい。

「簡単に言うと心臓の筋肉が何かの原因で死んじまって、それで止まっちまったんだな」

 博士は手に持ったグラスの酒をぐいっと空けて続けた。

「ただ、あいつは半年くらい前から、なんか様子がおかしかったからな……」

「そういえば、なんか自分がわからないとか、変なこと言ってたわ」

「哲学にでも目覚めたのかと思ったんだけど、死んじまったからな」

 なんか絵理香さんの言った”自分がわからない”って言うのが妙に気になった。

「ところでお前何飲んでる、やっぱりここは清酒だ、清酒ってのは、あの動乱の時代を奇跡的に生き残った酒だからな」

 ここから博士の清酒談義を延々と聞かされた、博士と呼ばれるだけあって歴史や酒などの知識は豊富なようだ。


 時間も過ぎお開きになった、室長と主任はまだ飲みにいくらしく、俺も誘われたけど、今日は遠慮して帰った。

 帰りにトラムに揺られながら、自分がわからないって事を考えていた。

 あの”自分が何者かわかっているのか”ってのは真太郎という人物が書いたのだろうか。自分がわからない、やはり何か引っかかるところがある。

 心の奥底にくすぶる、得体の知れない不安はこれのことかも知れない。

 などと考えてるうちに乗り換えの駅に着いた。

 バスに乗り換える頃には、そんなことも忘れていた。


 蒼い蒼い抜けるような青空が見える、太陽はまだ低い位置にあるようだ、何があったのか何かにもたれている、ひどく疲れている。

 隣に人の気配がするけど、もう見てみる気にもならない……

 ヴィーヴィー……

「またあの夢か」

 ひどく耳障りなアラーム音で目が覚めた、今日も彼女のアラームは鳴らない。

 飲んだ日の翌朝はいつも決まって同じ夢を見る。

 一人で起き出して、キッチンに行く。

 冷蔵庫の中には卵も牛乳もハムも入っていた。

 結局ハムエッグを二人分作って、半分はフライパンに残しておいた。

 朝食を食べ、身支度をして出かける頃に、彼女のアラームがなった。

「今日は早いんでしょ」

「今日はジムに寄ってから帰るよ」

「そうだったっけ、まあ行ってらっしゃい」


 やはり職場までは思ったより早く着く。明日からもう10分遅らせても十分間に合うな。

 今日はオフィスには誰もいなかった。

 ゴミ箱を覗いたが昨日の紙は夜のうちに、クリーニングロボットが片付けてしまったらしく、残ってなかった。

 そうこうしているうちに、仕事が始まった。今日は室長は休みだそうだ。

 今日は昨日と違い、やたらトラブルがつづいた。

 1系統トラブル起こすのも珍しいのに、自分のところだけで2系統ほぼ同時にエラーが出て。バタバタしてるうちに、もう1系統でもエラーが出た。

 日頃のんびりしてるので、何か精神的に疲れた。


「今日は大変だったね」

 絵理香さんがポンと俺の肩を叩いてオフィスを出て行った。

 引き継ぎも終わり、みんな帰路につく。

 今日はジムに行くからバックを持ってきてたので、ロッカー室へ行った。ロッカーの設定はすでに俺用に変更されていたので、ロックはタブで開ける。

 そういえば、このロッカーも真太郎氏が使ってたんだろうか。中を改めて覗いてみるが、特に何も残ってなかった。

 この時間のロッカールームって、何か寂しさが染み付いているような変な気分になる。


 ジムで体を動かすのは好きだ。

 別にボディービルダーになろうとは思わないが、無心で体を動かしていると気分がいい。

 トレーナーからはいつもオーバーだって言われるが、気にしない。

 3時間しっかり体を動かし、シャワーを浴びているとなぜか何時も涙が出る。理由は自分でもわからない、達成感か、なんだろう。

 ほどよい疲労感を抱え家に帰ると、妻が夕食を用意してくれてた。

 リビングにいる妻と今日の出来事を話したりして、夕食を食べた。


「一杯飲む? 」

「ワインもらおうかな」

 白ワインを彼女の分もグラスに注いで、リビングへ行った。

「シンキンコウソクって知ってる?」

「知らないわけないじゃない」

 グラスをテーブルに置くときに聞いてみたが、看護師の妻が知らないわけはないか。

「でも実際に患者さんを見たのって、かなり前に1件だけかな」

 彼女はワインを一口、口に含む。

「ノースシティーなら多分普通に症例としてみると思うけど、ここではもう滅多にないわよ」

「年寄りの病気って事か」

「そんなわけではないけど、今は色々予防措置が取られてるからね、でも急にどうしたの」

「俺の前任者は35歳で心筋梗塞で亡くなったらしい」

「その人余程運が悪かったのね」

 聞きながらワインを飲む、運が悪かった、か。

 その話題はここで終わりにした、彼女に今聞いてる曲の事を尋ねると、嬉々として説明してくれた。

 彼女の趣味は音楽鑑賞、それも現代音楽ではなく混沌期の前、前世紀の音楽だ。

 適当に相槌を打ちながら、彼女の話を聞く、俺には音楽より嬉しそうに話す彼女の声の方が心地よかった。


 ヴィーヴィー……

 相変わらず耳障りな音だ、だけど何故か音を変える気になれない。

 今日も一人で起きて一人で朝食を食べる。

 つい先日までは朝、妻と二人で食事をしてたので、少し寂しい。

 身支度を終えてタブでニュースを見る。相変わらずこのコロニーは平和だ。

 彼女が目をこすりながら起き出してきた。

「今日はまだ出ないんだ」

「あまり早く着いても仕方ないから」

 彼女はトースターにパンを入れて、テーブルの反対側に座った。

「なんか一人で朝食食べるのって、変な感じ」

 彼女も同じこと考えてたらしい。

「私も明日から少し早起きしようかな」

「今日は10分アラーム遅らせるの忘れてたから、明日はもう10分遅くまで寝るよ」

 そんな話をしてるうちに時間がきた。

「そろそろ行ってくる」


 彼女におくられて家を出た、昨日より10分遅らせたから、今日はうまく乗り継ぎできるのか少し心配だったが、時間は十分あるから大丈夫だろう。

 バスに乗りトラムの駅までは、昨日とさほど変わらなかったが、駅はたった10分しか違わないのに昨日より明らかに人が多い。

 人混みの中改札をくぐり、ホームに登った。

 俺はエスカレーターは使わない、混んだエスカレーターを横目に階段を登り切ったとき、その男が目に入った。

「ジェイコブ!…………」

 思わず口から出たが、それ以上は何も言えなかった。

「何故私の名を、どこかでお会いしましたか?」

 名前を呼ばれた男が怪訝そうに言った。

 俺はその男のことを思い出せなかった。

 何故その男を知っているのかわからない。

「すみません、人違いだったようです」

 それだけ言って、逃げるように停車していたトラムに滑り込んだ。

 心臓がドキドキ脈打つのがわかる。

 何かわからない不安がまた襲ってくる、一体なんなんだろうこの不安は。


 仕事はあまり手につかなかったが、トラブルなく終わった。

「恵武さん今日は元気ありませんでしたね」

 コフィーちゃんが声をかけてきた。

「そう、かな」

 声をかけられたのが予想外だったので、返事に詰まった。

「それではお先に失礼します」

 彼女はドアの外へ消えていった。

 俺も席を立って、帰路に着いた。

 朝あの男を見かけた駅に着くと、何か緊張した。

 家に向かうバスに乗っても、気が晴れなかった。

 妻に相談した方がいいのか。

 少し重い足取りで家に向かった。


「ただいま」

 声をかけたが、俺の方が先に帰ったようだ。

 分かってたら買い物したんだが。

 タブで妻にメッセージを送った。

 一人リビングで昨日妻が聞いていた音楽を聴いた。

 日本語の歌詞は俺には分からないが、心に響くメロディーだ。

「ただいま」

 妻が帰ってきたようだ。

「ごめんね、駅前で久しぶりにエリザに会って、長話しちゃった」

「そうなんだ」

 俺は立ち上がって妻とキッチンへ向かった。

 二人で夕食の準備をして、テーブルに着いた。

 夕食の会話はエリザとの話が主な話題となった。

 俺自身は会ったことはないが、彼女から何度か聞いているので、全く知らないわけではない。

 それでも、その女性にはさほど興味もないので、適当に受け答えすることになる。

「それで、旦那さんが転勤で近々この近くに越してくるらしいの」

「転勤で引っ越しって珍しいな」

「でしょ、旦那さん長距離の通勤は嫌なんだって、まあ彼女の方もこちらからの方が職場に近いから、引っ越すことにしたんだって」

 何か、今抱えている不安定な気持ちのことを打ち明ける間も無く食事は終わった。


 後片付けを終え、リビングに戻りまた、同じ曲を聴いた。

「この曲気に入ったの」

「そうかも、なんかいいな」

「私は今の音楽って、私は何となく好きになれないの」

「昔の音楽がエネルギーを感じるからな」

 混沌期の前、文明が発達段階にあった前世紀、やはり人々にもエネルギーがあったんだろうか。

 でも、戦争が日常茶飯事に行われていたと聞く。結局、行き着いた果ては混沌期と呼ばれる、騒乱。

 これにより世界の多くの国は破綻し、今俺たちが住んでいる、かつてヨーロッパと呼ばれた地域も、ほぼ全てが灰燼に帰したという。

 人間が正気を取り戻し、騒乱の世紀に幕を閉じるまでに、実に200年の時がかかった。

 今の新秩序が構築されコロニー1が完成したのが約150年前。

 今いるコロニー2が完成したのが94年前。

 この曲も作られてから、すでに400年近く経ってるってことか。


 昨夜は妻と激しく愛し合った。

 何かを忘れたいために。

 何度も何度も愛し合った。

 何かに憑かれたように……


 目が覚めたら、目の前に妻の顔があった。

 まだぐっすり眠っているようだ。

 左手を伸ばして、妻の顔を触ろうとしたが、止めた。

 妻を起こさないように、静かにベッドから出た。

 窓の外には蒼い蒼い空が広がっていた。

 浴室に入って、頭からシャワーを浴びた……

 何か変だ、水の感じがしない。

 目を開けると真っ赤な液体が、床に滴り落ちている。

 わっと声を出して後ずさりしたら、シャワーから真っ赤な血のような液体が吹き出していた。

 それに、今までいた浴室とは違い、シャワー以外には扉すらない。

 赤い液体は、みるみる床を覆い、深さを増して来た。

 逃げ場はない、どんどん深くなる液体になすすべがない。


「あなた、大丈夫」

 妻の声で目が覚めた。

「ああ、大丈夫。変な夢見ただけ」

「急に大きな声出すからびっくりしたわ」

 妻が上半身を起こしながら言った。

「今何時かしら」

「ゲンザイ8:40デス」

 タブが彼女の声に答えた。

「私シャワー浴びいくるわ」

 妻が寝室へ歩いて行くのを見送った。

 自分の手を見てみた、赤くはなってなかった。

 窓を見ると外は雨が降っているようで、灰色の雲が広がっていた。


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