偽りの王が生まれた日
この数日間、サルーザの商館に次々と兵士と物資が運び込まれていた。
弓矢に剣や槍といった武器から、盾や鎧といった防具が並べられ、商館の地下室は武器庫のようになっている。
一方、正規の倉庫は糧食が貯め込まれており、表向きには米の販売で利益をあげていた。
しかも、売る先は攻め込む予定のコートンで、街の様子の内偵まで同時にこなしてもらっていた。
戦争の準備は着々と進んでおり、明日に到着する兵士達が揃えば出陣が出来る状態にまでなっている。
レムレスはそういった諸々の報告書を確認する書類仕事に追われていた。
一方、レムレス以外のメンバーはというと――。
「ノワルーナも動いているし、ファムトの配達も順調か」
ノワルーナは既にコートンの街に忍び込んでおり、ファムトは潜伏中の味方に物資を届けている。
書類の山の前でレムレスは大きくノビをして、再度何か見落としはないか思考を巡らせる。
「コートンの街は外周を城壁で囲まれていて攻城兵器を以てしても難攻不落。兵士が一万人もいる上に食糧の貯蓄が多いため籠城も強い。その上、守る城主はユアン大国第30皇子ダイダルか」
この中で一番厄介なのが城壁でもなく、物資の潤沢さでもなく、ダイダル個人だ。
「残忍かつ残虐な性格。けれど、非常に合理的な思考も出来る狡猾さも併せ持つ人物か」
レムレスの目を引いたのはコートンの街の近くに点在する集落の状況だった。
作物の生産量が多く、収入が期待出来る農村は生かさず殺さずになるよう作物を巻き上げられ、自給自足の生活をしている村は住民をほぼ皆殺しにし、全て焼き払っている。
ごく稀に生き残った者が現れるが、生き残りは決まって鍛冶士などの職人で、王都の方へ奴隷として送られていくそうだ。
「しかも、剣の腕はかなり良く、その特異な二刀の剣で多くのソウハ兵が切り捨てられたか」
ダイダルがひとたびぐにゃりと極端に曲がった剣を振るえば、防ぐ盾や剣をすり抜け首を切られたという。ショーテルという異国の武器だそうだ。
犠牲の覚悟をしておく必要がある。けれど、犠牲の数は減らすことが出来るはずだ。
そう頭を切り換えたレムレスはダイダルに対する戦術も特別に用意する必要があると考えを巡らせる。
その時だった。
「レムレス様! 兄様が! 兄様とみんなを助けて下さい!」
リンネが息を切らせながら執務室に飛び込んできたのだ。
咳き込みながらも声を出そうとしているせいか、酷く苦しそうな息づかいになっていた。
「リンネ、落ち着いて。ファムトたちに何があった?」
ファムトは配下の騎士たちを連れて、潜伏中の味方に物資を配達する任務のはずだった。
となると、街中でユアンの横暴に遭遇して喧嘩でも始めたのだろう。
「リンネ、僕の質問に頷くか首を振って答えてくれ。その間に息を整えるんだ良いね?」
コクコクとリンネが頷く。
「ユアン人と流血騒ぎの喧嘩でも始まった? それこそ、剣を抜いて斬り合うくらいの」
そう尋ねると、リンネがフルフルと震えながら頷いた。
けれど、それだけなら、このリンネの怯え方は説明出来ない。
まるで、ファムトが負けたような怯え方だ。
あのファムトがそうそう負けるとは思えない。仮に負けるとしたら、それこそユアン大国の大将軍か皇子の中にいる戦闘狂相手だろう。
レムレスはその思いつきにまさかとは思いつつ、起きてはいけないことを口にした。
「ダイダルが来たのか!?」
コクコクとリンネが素早く頷いた。
これでリンネが酷く怯えている合点がいった。
けれど、それよりも何故ダイダルが現れたのかが分からない。
「場所は!?」
「市場の中央広場です! あっ!? レムレス様!?」
「シルヴァが直ぐに戻ってくる! リンネはシルヴァのそばを離れないで!」
レムレスは二振りの剣と短剣を引っさげると、市場に向けて全力で駆け出した。
その心の中に、ファムトの無事を祈りながら。
○
レムレスが市場の中央広場に駆けつけると、そこは既に血の海に沈んでいた。
倒れているのはシルヴァの連れてきた最初の騎士達だ。
それに紛れて子供や女の人の死体が積み重なっている。
死体の数はパッと見ただけで三十を超えていた。
そんな地獄絵図のような広場のど真ん中に、ファムトともう一人の人間が立っていた。
三日月のように曲がったショーテルを回しファンファン音を立てている男だ。
三つ編みでまとめられた茶色い髪と端正な顔立ちは若い女性のようにも見えた。
三十歳手前とは思えない見た目は、ノワルーナの報告にあったものと同じだった。
ユアン大国第三十皇子ダイダル。
「ヒュー、やるなぁ小僧。まさかお前が最後まで残るなんて」
「てめえ……その剣の腕……一体何者だ?」
「さぁなぁ? 今から死ぬ君に教える必要はないからな」
ダイダルがショーテルを構えてファムトに向かって跳躍する。
ファムトも距離を詰められないように後ろに飛ぶが、壁に背をぶつけてしまった。
その次の瞬間、ガキンと音がして剣が宙を舞った。
「おっと、援軍が来ていたのか」
宙を舞った剣はレムレスの投げたもので、ダイダルが弾き飛ばしたのだった。
おかげでファムトが壁際を脱する時間が生まれて、窮地を脱せた。
「レムレス!? 助かったぜ!」
「あの剣を相手に防御は効かないって報告は見たけど、まさか騎士のみんなやられるなんて」
「防御出来ないだけじゃじゃに。あの曲がり具合で間合いが狂わされて避けにくい上に、力もバカ強いから弾くことも出来ない。目が慣れるまで苦労するぞ」
「分かった。呼吸が整うまで休んでて」
「悪いな。正直かなりきつかった」
ファムトが肩で息をしながら戦った感覚を説明した。
その感覚を簡単に言えば初見殺し。
レムレスはその罠に陥らないよう全神経を集中させて剣を構えた。
「へぇ、そっちの新しい小僧も出来るな。ただのガキじゃあない」
ダイダルがニヤリと笑う。その余裕はダイダルが自分に絶対的な力があると思い込んでいるからだろう。
だからこそ、今がチャンスだとも言える。レムレスはこの先の命運を決める賭けに出た。
「ユアン大国第三十皇子ダイダル。あなたは一体何をしにここに来た?」
「っ!? こいつがユアン大国の皇子!?」
「へぇ、俺様の名前を知ってるのか」
ダイダルがニタニタと笑いながら、ジワジワとレムレスに近づいてくる。
「教えてやっても良いけど、どうせ死ぬから意味はないぜ?」
「僕が死んだら、何で僕があなたを知っているのか、ずっと闇の中ですよ?」
「へぇ、俺様と交渉をしようってか? 面白い小僧だ。殺すのは最後にしてやろうか?」
「ソウハ残党探索隊はここにはいませんよ。百人全員揃って山向こうの街に行きましたから」
レムレスがいきなりユアン大国に関わる情報で切り込むと、初めてダイダルから笑みが消えた。
「てめぇ、何者だ?」
「今度はそっちが答える番だよ」
「ふむ。とことん面白い小僧だな。なら、少し遊んでやろうか」
そういうとダイダルはレムレスの目の前に跳躍し、ショーテルを振り下ろした。
突然の攻撃だったが、レムレスも準備はしていたので咄嗟に身体を反らして回避した。
「俺様の攻撃を防ぐか避けたら教えてやる遊戯だ! せいぜい踊って俺を楽しませろ!」
「くっ、想像以上に避けにくい!」
ショーテルの曲がった所を剣で防ぐと、肩か腹が先端に刺されてしまう。
そうならないようにレムレスはショーテルの剣先を弾くように剣を振るい、身を守っている。
とはいえ、一撃一撃がとても重く、弾く度にレムレスの腕がビリビリと痺れた。
「俺様が東へ行けって指示を出したのに、使えねえ捜索部隊が返事を戻さねえし、現場にもいねえ! だから、あいつらが脱走でもしたのかと思って、首を切り落とそうと探しに来たんだよ!」
「!?」
ダイダルが本当に何をしに来たのかしゃべり出した。
最悪の場合、レムレスたちの作戦がばれて直接潰しに来たのかと心配していたが、どうやら全く別の理由で来たようだ。となれば、レムレスたちの作戦はまだばれていないし、合流途中の仲間もやられていない。
この一言を引き出したことで、レムレスは賭に勝てた。
しかも、このダイダルを排除すればコートンは簡単に落とせる。そういう意味では一石二鳥のすごいチャンスだった。
「けど、あいつらこの街にいねえんだよ! んで、ここらの家畜に聞いても誰も行き先をいわねぇし、むしゃくしゃして首を落としたのさ!」
ダイダルが酷く身勝手な理由で地獄絵図を作ったと叫ぶ。
それを聞いて、レムレスはなぜファムトが大人しくしろと言われても手を出したのかが分かった。
きっとレムレスがその場にいても、その暴虐を止めようと剣を抜いただろう。
「クカカ! 家畜が良い面をするじゃねぇか! そうだよ! そのクソみたいに悔しそうな顔が! クソみたいな絶望感にまみれるのが最高に気持ち良いんだ!」
ダイダルが放つ剣がますます重くなる。
けれど、何回も剣筋を見せられればレムレスの目も慣れ始めた。
「ファムト!」
「任せろ!」
しかも、呼吸を整えたファムトも戦闘に復帰し、挟み撃ちになるよう反撃を試みた。
ギンギンと剣がぶつかる音が何度も響く。
「ハハッ! 二人揃うともっと面白いな! 一人で遊びに来て良かったぜええ!」
押しているのはレムレスとファムトだ。
けれど、ダイダルは大胆不敵に笑い、戦いを愉しんでいた。
「久々に俺様の本気を出せるかぁ!?」
そして、より一層大げさに笑うともう一振りのショーテルを抜いた。
今までの攻撃が全て手加減だったと言わんばかりに、ダイダルの剣はさらに素早くなった。
もちろん、レムレスは対抗策を用意していた。けれど、それは一度しか通用しない完全な奇策。
「ハハッ! 貰ったぜ小僧!」
相手が勝利を確信し、油断が生まれた時に放つ逆転の一手になる。
振り下ろされる刃に向けて、レムレスは自分から突っ込むと懐から短剣を取り出し――。
「なっ!?」
「とった!」
レムレスがダイダルのショーテルをパキンとへし折ったのだ。
「ソードブレイカーだと!?」
レムレスの取り出した短剣は相手の剣を折るために特化した武器ソードブレイカーだった。
壊されるはずのない剣が折られ、隙が出来たダイダルに向けてレムレスは剣を放つ。
けれど――突き刺さった剣は浅かった。
いや、浅くさせられた。ダイダルは躱しようも防ぎようもないと見ると、すぐさま自分の左腕を盾にして致命傷を防いだのだ。
「左腕がやられたか。だが、お前らなら右手一本でも殺せるか」
ダイダルの瞳に怒りの感情が初めて灯った。
ぽたぽたとこぼれ落ちる赤い血が、まるでダイダルから飛び散る火の粉のようにも見えるほど、ダイダルは恐ろしい形相を浮かべている。
「遊びは終わりだ……。お前らをバラバラにして殺してやる」
恐ろしく早い剣が振り下ろされる。
だが、その剣は一本の槍によって防がれた。
「シルヴァ!?」
「ファムト殿! レムレス殿! ご無事だったか!」
「間に合って良かった……。兄様も無事で本当によかった」
リンネがシルヴァを連れて広場に現れたのだ。
そのせいでダイダルはすぐに逃げるように後ろへと跳躍した。
しかも、先ほどまで見せていた怒りの炎も消えている。恐ろしい切り替えの速さだった。
だからこそ、強い。
「シルヴァ? 白狼のシルヴァか。ふむ、頭は弱いが、手負いだと厄介な相手か。仕方無い。ここは一度退却するかな」
「逃がすかよ!」
「いいや、お前達は俺様を見逃すよ」
ファムトが追いかけるように飛び出す。
ファムトの言う通り、ここで逃して良い獲物じゃない。
手負いの今なら三人で必ず仕留めることが出来るだろう。
だからこそ、レムレスは離れていたリンネの方へと走った。
三人だけなら良かったのに、四人いたら狙われるのは――。
「何故なら女を戦場に連れてくる間抜けだからな!」
レムレスの予想通りダイダルはリンネに向けてショーテルをぶん投げたのだ。
けれど、リンネがレムレスから離れているせいで、レムレスが間に割って入ろうにも間に合わない。
けれど、剣はリンネの所まで届かなかった。
「逃がさ……ねぇよ……」
「ククク、その手負いの身体で何が出来る?」
ダイダルに一番近かったファムトが咄嗟に盾になり、剣を自分の身体で受け止めていたのだ。
ファムトの肩にはショーテルが刺さり、服を赤く染めていた。
「ファムト!」
「大丈夫だ……傷はそこまで……深くない」
ファムトは気丈にそういうものの、顔色は死人のように青ざめていた。
「俺様の剣には特製の毒が塗ってある。身体が痺れて火に焼かれたように熱いはずだ。早く持って帰って治療しないと死ぬぞ?」
ダイダルが見逃すと言ったのは、このことだったのかレムレスは気付いた。
ファムトの命を救うためにはダイダルを見逃して、医者にいかないといけないのだ。
「次は戦場でその首を落としやる。精々首を洗って待っていろ」
そういって逃げ去るダイダルをレムレスは追うことが出来なかった。
何故なら――。
「兄様! ファムト兄様!」
リンネの悲痛な叫びにファムトは目を瞑ったまま答えない。
代わりにうわごとのように同じ言葉を繰り返していた。
「レムレス……お前が……宝剣を……使え……」
そう何度も繰り返していた。
○
ダイダル襲撃から二日後、ついにレムレスのもとに全兵力が揃った。
その兵士達を街の広場に集め、街の住民にも動員をかけて集まって貰った。
これからおこなわれるのは出陣を前に、新しい王をお披露目し、兵士達の士気をあげる儀式だ。
市民も招いたのは惨劇の悲しみが癒えぬ中、市民に新たなる希望を見せて街の空気を変えるためでもあった。
そして、広場に収まりきらない群衆を前についに王が姿を現した。
「我が名はレムレス=ファン=ソウハ! ソウハ国の新たなる王にして、ユアン大国から祖国を解放する者である!」
そこに立っていたのはファムトではなく、レムレスだった。
そして、その隣には宝剣を握りしめたリンネが付き従っている。
その姿を見た兵士達と市民は一斉にどよめいた。
というのも、レムレスを知る者は、彼をただの小間使いだと思っていたからだ。王家に連なるはずがなければ、王たる器でもない。そう誰もが思っていた。
ボロ切れを着ていた小僧が、立派な鎧をつけた王になるはずなんてない、と。
けれど、レムレスがリンネから宝剣を受け取り、宝剣を高々と天に掲げた時、どよめきは静寂へと変わった。
「この宝剣に誓い! このレムレスがソウハ国を再興する!」
その声は不思議とよく通った。
どれだけ離れた場所にいようと、まるで心の中からわき上がり、自分の中から聞こえてくるような声だったのだ。
「倒れていった者達の無念を、残された者達の悲しみを我らの手で晴らす! 皆の者! 声をあげよ! 力を集めよ! 虐げられる運命を皆の手で押しのけ、栄光と平和を取り戻すのだ!」
「「「うおおおおおお」」」
その声は皆の心に火をつけた。
まるで街全体が一つになったかのように皆が雄叫びを上げていた。